495.姫路城

9月28日(月)、絶好の行楽日和、兄弟合わせて6名、三木を朝早くたって三宮からJRで姫路駅へと向かった。
10時ころに着くと駅前の一本道路の先に姫路城が見える。

この大通りもさすがでほかでは見られないような広さである。
 姫路城妹たちがこちらに移り住んでしばらくしてから来た記憶がある。今の30を超えた姪っ子たちが幼児のころである、25年は立つのかねぇ。
 昨年は大河ドラマの舞台となり大勢の観光客でにぎわったことだろう。また世界遺産ともなり、城の改修工事で塗り替えられて平日の月曜日だというのに大変な人であった。
天守閣まで登ったが、だんだんと狭くなっていくのに団体客が到着する時間とも相まって混んできたが、これが日曜祭日ともなれば2時間待ちはザラなんだそうである。
 ここ姫路城は私が昔「宮本武蔵」で読んだ中で、開かずの間に閉じ込められて、本を読み漁り、人が変わったというのを記憶しているがそれはあくまでも小説の世界だからねぇ。
 それから播州皿屋敷」のお菊の井戸があるのにはびっくりしたが、ここが舞台だという説もあるそうである。てっきり東京の青山での話ばかりだと思っていた、伝説となってあちこちに伝わっているんだねぇ。
 またここは千姫ゆかりの地というのも知らなくて、なかなか知らないことのほうが多いようで、下手に日本史を知っているような顔はできないねぇ。
 ここではどこへ行って写真撮影の場所はあり、何枚も撮ったがそれぞれに違う雰囲気になっているだろう。
昼過ぎにはここを出て駅前大通りの店で食事をした。
 なかなかにいい半日を過ごした感がした。

494、合宿、その2

一夜明けて今年は天候に恵まれた。朝の集いの時に富士山がきれいに見えたのでみんなで写真を撮ろうとしたのだが持参しなかったので昼か明日にしようということになったが案の定それから顔を見せなかったねえ。
さすがに山の天気である、次ということはない、思ったねぇ。
 今日は午前、午後と内容充実の稽古を行いみんなもへばり気味である。
それで午後の仕上げには、チャンバラ大会を開いて盛り上げた。

稽古で休んでいた個までもが直りました、と言って参加をしてくる、ムムムッ・・ま、こんなものである。
 楽しく盛り上がったところで終了して昨夜の集いから食事へと移行して、夜は楽しいキャンプファイヤーである。

ここは、山田実紅さんがアイデアを出してくれて、今年は「猛獣狩り」などの遊びやいつもの「人間知恵の輪」などを楽しんだが子供のこと盛り上がったねぇ。
 一段落するとじゃんけん大会があり、これもまた商品があって、今年の一番は蒲田教室の鎌田成南君、こればかりは小学校1年生でもゲットできる。


 かくして楽しい二日目も終了したが、蒲田の小学生が風邪をひいて急きょ親に引き取りに来てもらうというアクシデントも起きた。幸いにも翌日病院へ行って風邪ということで無事に済んだが、こどもの参加行事には何が起きるかわからない。ほっとしたね。
3日目は、稽古は軽めに行い掃除や片づけなどに時間を割いた。
しかし、基本と型は何度もやったのでしっかりと土産にはなっただろう。
 帰りの時間を気にして昼には終わるのだが、今年は、いつもと違って多いな勉強になったのではないか。
一般人は幕張の藤田君に指導をおお願いして任せたが、内容の濃い稽古になったと喜んでいた。
 黒帯の人も組手などでは嬉しかったんだろうね、終わるとニコニコ・・・来たかいがあったというものである。
かくして二泊三日の合宿も終了したのだが、終わると安心と疲れがどっと来て、帰りもしんどいのだが帰りも金城さんの車で我が家まで送ってもらい、楽な思いをしたねぇ。
 今年も良い思い出となった。

493.合宿、その1

2015年9月19日(土)、合宿の当日がやってきた。鶴見からの出発で金城さんが迎えに来てくれて便乗していったので、今年は出発から楽だったね。
 世間では5連休だそうで道路の混雑を予定して、朝の7時半には出発した。しかし、渋滞に会うことなく順調に進み10時半には到着して時間を持て余し、12時からの集合を待った。
 さっそく鍵を借りて荷物をほどき武道場へと言って稽古を開始した。
今年は、初めての参加者も多いが、黒帯陣の参加も多いので、みんなのレベルに応じてクラス分けをして稽古ができたので皆さんにとっては充実した内容となったであろう。
 組手においてもレベルの違う人と当たることによってこれから大会シーズンを迎えるが勉強になり、また昇級審査を控えての型の稽古にも一段と進歩したことであろう。


合宿というものはいろんな意味でも成長させる稽古の場である。参加するのとしないとではずいぶんな差があると思っている。
 稽古のあとの食事がおいしいときてる。ついつい食べ過ぎて帰りには来た時よりも太っているという、合宿でしぼられると思ってきた人には期待外れになるだろう。
 夜は楽しみのビンゴ大会である。今年は初参加者も多いということで本部からも、空手関係のグッズをいつもより多く提供させてもらったが事務局からは苦情が出るかもしれぬが皆さんの喜びのほうが大きく勝る。
 今年のビンゴ一番乗りは戸塚火曜日教室からの初参加者、橋本裕也君である。ビンゴ前に品定めをしていたとあっていの一番にゲームソフトを持って行ったが、確かに値段からいけば、空手グッズを除けば高いわな。

 今年は参加費を超える品物を取っていって得をした人が何人もいるのではないか、ビンゴになってゲーム関係を選ぼうとするが、親が真剣に空手関係を持って行けと支持する光景もいつもながらである。
 子供にとっては、空手グッズは親から買ってもらうという気があるので、おもちゃに行こうとするが親が「それはいつでも買ってあげるから、空手グッズを持ってこい」という光景が展開するのである。確かに・・・そんなおもちゃは20個は軽く買えるからねぇ・・
 そのような雰囲気で終了した後は風呂に入って休むのだが、参加した大人は、ミーティングが待っている。
今年は狭いリーダー室に13人ほど集合して交流が深まるのである。
ついつい討論に熱が入りカメラに収めるのを忘れるのだがこれは毎年のことである。
 普段大会などでは顔を合わせることはあってじっくりと話し込むことはない、こんな時に空手をはじめとした話をすることで今後の交流も深まるのである。これを楽しみにして来る人もいるほどである、合宿の大きな要素の一つでもある。
 かくして遅くならないうちに第一日めの就寝となるのである。

492,横浜へ引っ越し

昭和47年3月地元、九州宮崎県から上京してボクシングの関係で横浜に3年弱住んでから、東京大田区蒲田へ引っ越し、その間大田区内を西蒲田、東矢口、池上、蒲田と転居しながらも42年間大田区民として過ごしてきた。
 
特に蒲田のマンションでは14階に住んで大変すばらしい眺めで毎朝富士山を眺めては、手を合わせていたものだった。夕暮れの富士には感動も覚えた。
ところが、このたび縁あって横浜市鶴見区に移り住むことになったが・・個人的には大変名残惜しいものがある。
 蒲田のマンションは良かった、8月15日の花火大会にはワンコウ仲間と最後の眺めを楽しんだり、桜の季節では満開の下を散歩したり思い出は尽きないねぇ。


又、京急蒲田駅近くで羽田や京急線で大変便利に活動できてありがたい思いもした。
 
 今度の引っ越し先、横浜市鶴見区であるが、大きい一軒家を購入して一階を美容室に改造すべく毎日職人が入っている。
狭いながらも庭があるようで気に入ってはいるのだが、今度は車を購入して活動するのだそうである。
 ただし大きい庭ではないので小型車くらいのスペースかな。
デザイナーの設計で立てられたそうで、蒲田のマンションの実用性に比べたら格段の差である。この風情がわかるようになるのにはしばらくの時間がかかることだろう。
 マンション設計では無駄の一つもないようで実に感心すべきところが多かった。ただ、マンションゆえに都会的なセンスを求められるところがあったが無理に合わせているところもあったのかねぇ、鶴見に来ると意外と落ち着いているのには我ながらびっくりしたのである。
 将来的には三浦海岸あたりの日当たりのいい一軒家でワンコウとのんびりと過ごし、近所のちびっこたちに空手を教えながら過ごすのもいいかと思っていたが、それが鶴見になったようである。
 鶴見は鶴見で、三浦に比べるとはるかに動きが取れるし、大きな借財を抱えた今はまだまだ頑張らねばならないのである。
住めば都・・人間至る所青山在り・・ま、いろいろといいようもある。
 人生前向きに、活動していこうかね。