355、毘沙門天

私の名前は上杉勝巳、別に上杉謙信とつながりがあるわけではないが同性の好とでもいおうか、また、日本史を見渡しても歴史上の好きな人物は戦国時代ならば上杉謙信、幕末ならば西郷隆盛である。二人の高潔な生き方、志には私の目標とするところである。
 私の小さなマンションにはちっぽけながらも神棚を設け、そこには15年ほど前に上杉神社を訪ねた折に買い求めた、謙信公の旗印、毘と龍のミニチュアを飾っている。
 
 以前、試合の出場選手の家族から防具をつけて試合をしていると当会の選手がわからず、他の会の選手のように腕にマークをつけたらどうでしょうか、という意見をいただいていた。
 本来ならば会のマークを入れるのだろうが、戦う選手を鼓舞するように「毘」の文字を入れようかと提案をしたところ、それはいいですね、という言葉を聞き、注文した。
 しかし、せっかく注文するならばご祈祷をしていただくとなおありがたみが出るだろうと、近所の七福神で毘沙門天の神社にお願いしようと思っていたが、またまた、せっかくご祈祷料を払うならば、謙信公の墓のある林泉寺にお願いすればもっとご利益があるのではないかと考え、林泉寺に連絡を取って快く引き受けていただいた。
 頃はあたかも大会シーズン、善は急げ、とさっそく送って一週間ほどで霊剣あらたかなるワッペンとなって戻ってきた。
 御覧のように左腕の上のほうに縫い付けていただくとしっかりとしたものになるでしょう。
お求めいただいた皆さんに毘沙門天のご加護あらんことを願っています。
                                  6月26日、梅雨晴れの昼間

354・高幡不動尊

台風4号も過ぎ去った6月21日、以前から高幡不動尊のアジサイを見に行こうと声を掛けられていたので出かけてきた。ナビ検索だと蒲田から川崎へ出て南武線で分倍河原駅へ行きそこで京王線に乗り換えて「高幡不動駅」で降りるという。時間にして1時間半もかからず以外と近く感じたね、新宿周りを考えていたのでこれはちょっと遠いかな・・と考えていたのだけれど。
 そこで先輩諸氏5人と合流して早速向かったが、駅前が参道になっていてすぐ近くにあったのにはびっくりした、何しろ初めてなので楽しみにしていたのである。
 今一つは、ここは新撰組副長・土方歳三ゆかりの地であるのを知っていたのでいつかは来てみたいと思っていたのである。
 さっそく山門をくぐると土方歳三の銅像が目について感激をした。みんなとはぐれて写真を一枚、その後合流してアジサイ見学と散策となったが、今年は例年よりも遅いそうでまだまだの感はあったね。
それでも緑の中をゆっくりと歩くことによって良い気分転換になった。
 山内では御朱印をいただいたり、高幡不動孫と土方歳三の関係を知ることになったりと為になった。
そこを出てからは、近くの居酒屋で昼食をとりながらの話になったが、延岡出身の皆様方なので延岡弁が飛び交いながらの雑談であった。
 途中私は所用のため退席をしたが、今日も素晴らしい日中を過ごさせていただいた。
新撰組ファンの私にはまたの機会に来たいものだと強く思って、この地を後にしたものだった。

353、林泉寺

上杉謙信公ゆかりの寺、曹洞宗春日山林泉寺である。上杉謙信が幼少の頃長尾虎千代と名乗っていた時代、7歳から14歳までの7年間このお寺で修業したそうで、彼の一生の人間形成をしたところといっても過言ではなかろう。又後年、上杉謙信が修業を重ね,不識庵謙信を名乗ったところでもある。
 私も、もう15年ほど前になろうか、この地を訪れたことがあり謙信公の墓に参った時には感動を覚えた記憶がある。
 また、ここには、幕末の詩人・大槻盤渓(おおつきばんけい)がこの地を訪れ、上杉謙信をしのんで「春日山懐古」という漢詩を残し、その句碑がここに立っていたのを思い出す。
 詩吟の世界では有名な漢詩であるが、近々空手道連載「温故知新」でも紹介できようかと思っている。
実は私の実家の宗教も曹洞宗であり、道元禅師の開いた曹洞宗は鎌倉時代、武士階級に広まった宗教だとも聞いている。皆さんの実家の宗教を調べてみて曹洞宗であったならば先祖は武士であったと考えても間違いではないと思う。
 逆に現在、武道を行っている人の先祖を尋ねると、武士であった人が多いともいう。
そのような縁で結ばれた、この曹洞宗林泉寺だが、このたびわが上杉会館とも大きな縁ができた。
 少し長くなるのでそれは次項に譲るとして、今回はその縁となる林泉寺の紹介にとどめておこう。

352・「マコとミコ」

昭和39年のレコード大賞曲「愛と死を見つめて」を歌った青山和子さんの経営するお店です。
 この当時私は九州の山奥で、大晦日といえばレコード大賞を見て紅白歌合戦を見て元旦を迎えるというのがどこの家でもそうでありました。
 マコとミコというのは、この歌の歌詞の名前ですね、これは映画にもなりまして、吉永小百合主演で大変ヒットしたそうです。
 友人と7日に飲む予定があって池袋で会うので、駅近くにこの店があるので行こうということで出かけてきた。
 8時からの営業だそうで、エレベーターで7階に上がるとどうやら一番乗りらしい、マスターがいて、さっそく青山さんを呼んでくれた。
 そしたらしばらくして本人が来たね、私がガキの頃テレビにかじりついてみていた本人である。興奮したねぇー、さっそく乾杯をしていろいろ話し込み歌を歌ったりした、「上杉さんうまいじゃない」お世辞とはいえプロに褒められてその気になったねぇ。
 あとから、初めてのお客が青山さん目当てに来たとかで10人ほどになって一段と盛り上がった。
目の前で、本人が歌ってくれるのである、こんなことはめったにないぜ、調子に乗ってデュェットまでしていただいた。
 何しろレコード大賞歌手とのデュエットである、顔が緊張してしまった。
その他に「夢をください」という素敵な曲も歌ってくれて大感激である。
 今の若い人には目の前でAKB48が歌ってデュエットしてくれると想像してくれればいい、興奮しないではいられまい?
 ご主人であるマスターは,敏いとうとハッピーアンドブルーのメンバーだそうで、ヒット曲「よせばいいのに」や「星降る街角」など、バブル全盛の頃、カラオケ全盛の頃一晩に何人の人が歌ったことか、今夜はこれを歌うとコーラスを入れてくれるのである、これも歌う本人そのものだからね、この年をしてミーハーをしてしまった。
 楽しい最高の夜を過ごしたね。
 実は、この日は相方が入院していて飲む日をずらすこともできたが幸いにも病状はそれほどでもなく、夜は付いていることもできないので飲みに出かけたのだが、翌日相方に話してみると退院して元気になったら私もぜひ連れて行ってほしい、と言われて私も安堵した。
 今度も楽しめることだろう、何しろレコード大賞歌手である、素晴らしいこと間違いなしである。

351、ヴェルニー公園

6月4日(月)、天候もいいし一昨年だか行った事のある,横須賀のヴェルニー公園に行ってみないかということで、電車に乗って昼から出かけてきた。
今回は、JR横須賀駅から歩いて京急汐入駅まで歩いて戻ろうかと前回とは逆のコースを廻った。
 横須賀・・近いものである、幕末にペリーが来航したこともあってこのあたりにはたくさんの史跡がありどこへ行っても色々と勉強させられる、私が大変好きなところでもある。
 横須賀駅から降りて海軍自衛隊があり入口で一枚、海軍の町だけあってこのあたりは旭日旗がよくみられる。
ヴェルニー公園からバックに海軍の駆逐艦であろうか,二隻ほど止まっていたのでバックにして撮ったが、横須賀ならではのスナップであろう。
 バラ園・・先日の横浜の公園に比べてもそん色はない、ただ、時期が遅れたので盛りを過ぎた感はあるがそれでもまだまだ楽しめた。
ここには130種類約2000株のバラが植えてあるのだそうだが、なんとまぁ種類の多いこと、カーネーションに似たバラや、ボタンかと見間違うくらいの花もあって、そりゃぁもう大変な品種である。
 こんなところに人物の碑があるのが面白い、名前の由来のフランソワ・レオンス・ヴェルニーは幕末に横須賀製鉄所建設を依頼されたフランス海軍の技士だそうで、隣には小栗上野介の碑も並んでいる。
 小栗上野介・幕末に活躍した人で私の尊敬する一人である、ちなみに出身は群馬県高崎市倉渕町、この人が横須賀製鉄所の建設に尽力し、このおかげでのちの日露戦争、日本海決戦の勝利につながり東郷平八郎が小栗上野介の遺族を訪問して感謝の辞を述べた、との話を聞いている。
 そんな思いにふけっている私をよそに細君の足はどんどんバラ園の中へ向かっている、どうもここらへんに少しのずれを感じる。
ま、仕方がない今日はバラを見に来たのであるから・・・。歩いて憩いの広場につきそのはずれの二階の喫茶店で海を眺めながらコーヒーをすする、う~ん、最高のロケーションである。
 先日の山下公園では、霧笛が俺を呼んでいる…そういう心境だったが、ここでは遠くに軍艦が見えちょと違う。
 しかし、横須賀には横須賀の趣があっていいところですなぁ、こんな場所にも簡単にこれてリフレッシュされ良い日中でありました。
 軍港めぐりの船が出ているのだが出航時間とあわず見送ったが次回は乗ってみたいものだ。
汐入駅から京急に乗ってのんびりと蒲田に戻ってきた、のどかな初夏、午後のひと時である。