403、スカイツリー一周年

いよいよ最終日、今日は東京スカイツリー訪問である。
私どもの予定では今日しか取れなかったのだが、くしくも今日はスカイツリー開業一周年で、大勢の人出であった。
 昨年の5月22日12時に開業となったのだが、私たちの予約の時間も一年後のちょうど12時入場なのである、奇遇だねぇ。
 入場してみると、各局のテレビ局、新聞社のインタビューなどこんなたくさんの報道陣を見るのは本当に久しぶりである。
ひょっとしたらどこかで写っていたのかもしれぬ、別にやましくはないのでかまわぬが・・
 親族のみんなが初めての訪問で、音もなく上がっていくエレベータから感動していたが、すべてに新鮮さがあって感動しきりであった。
 ただ、5月特有のガスがかかっている状態で眺めとしてはそれほどの期待はできなかった。富士山は見えなかったが、その他は眺めることができたので良しとしよう。
話のタネに一度上るだけでも満足である。
 私なんぞは10日間で二回上ったことになるが前回は全然見えなかったので今回が初めてのようなものである。ゆっくり回って堪能して、蒲田へ戻ってから休憩をして、今回の集まりは解散となったが皆さん大満足で帰って頂いた。
 私も早い段階から企画していた甲斐もあろうというものである。
母親も88歳で今回が最後の上京であろう、私も満足している。
 親族からは私の還暦祝いをしてもらい、私も厄落としとして今回の企画をした。また、孫やひ孫たちも協力してくれた。
 いい家族だねぇー、自画自賛になるが、私も人に説教をするのだがそういう本人も少しは実行をしていないといえないね。
 長年の夢が実現して大満足である。
これで心を切り替えてまた空手に精進である。

402、箱根から夜は宴会

明けて21日(火)、雨は上がったのだが雲が多いこの分では箱根で富士山は見えないなぁ、バスの運転手の好意で予定より早く出かけ十国峠へ寄ることになった。
 晴れた日は素晴らしいのだろうがあいにくの曇り、しかし、雨が上がっただけでも良しとするか。
そこから箱根関所跡へと行って一回りそこでみんなと食事をして、芦ノ湖遊覧船に乗り込んだ。
私もこの遊覧船は30年以上前に乗ったことがあるのだというのだがそんなに覚えていないのである。
 今回は海賊船である、約30分満喫した。
その後乙女峠から御殿場へ抜けて東名高速で戻ってきたのだが、富士山も見えずじまい、せっかくのコースが台無しだなぁ。
 それでも平日ということもあってスムーズに戻って来れて今度は夜の宴会である。
蒲田駅西口の会場で、関東地区在住の孫やひ孫たちが集まって「長寿祝」を行うのである。
総勢30名近く、いとこ同士が集まったのだが中には20年ぶり近い再会というのもいてそりゃぁ懐かしく話し合ったことである。
 演芸では上杉家伝来の芸達者の人達が張り切り、福島から駆け付けた相方の母親も頑張って踊りを披露した。
 あっという間の時間であった。
その後は二次会でカラオケへと向かい、ここでもみなさんのど自慢ばかりで飽くことを知らないのだねぇ、
まだ明日もあるというのに遅くまで頑張っている。
 私にはクウも待っている、切り上げて戻りクウと一回りしてようやく終了である。

401・鎌倉・伊東温泉

親族一同の旅行を計画していた5月20日(月)、あいにくの雨模様であったが14人でマイクロバスに乗って一路鎌倉へ・・まずは八幡宮である。私どもはその横手にある頼朝公の墓へ行った。
 あまり時間も取れなかったので、急いでバスに戻って今度は鎌倉大仏様である。
まだ小雨が降っていてゆっくりはできなかったねぇ、その前の観光会館で食事をしてからお参りに行き記念撮影である。
 遠方より来た親族は何十年かの訪問で感慨深いものを感じていたようだ。
またまたバスに乗り込み今度は伊東温泉に向かうのだが途中熱海の「貫一、お宮の松」で休憩である。
このあたりになると雨も上がってようやく観光の気分になってきた。
 ♪熱海の海岸散歩する~貫一お宮の二人連れ~♪♪
年配者が多いのでこういう観光地は喜ばれる。お宮の松も今は二代目だそうである。
 その後、伊東温泉に向かうのだが湯河原などを通りながら「みかんの花咲く丘」であったか、童謡などを歌いながら夕方予定よりも早く着いた、「伊東小涌園」である。
 もう40年近く前になるが、私が藤田観光バスでバスボーイとしてしばらくアルバイトをしていたことがあったが、そのころから小涌園といえば箱根が有名で外人ツアーで箱根で一泊してから熱海駅まで送っていた記憶がある。
 伊東ではこのホテルも老舗であるが、温泉街もわびしさを感じるねぇ、一抹の淋しさがあるがこれも時代の流れか・・・
 温泉に何回も浸かってその後料理を楽しみ、みんなと話しながら床に就いたのだが、若いころと違って寝付くのも早い。
しかし、一族で温泉で一泊とは、若いころから夢見ていたのだが今回ようやくみんなの協力があって実現できた。
 車いすの母親も満足であろう。

400・東京スカイツリー

雑記も重ね重ねて400編を迎えたか・・・別に感慨というほどのものはないのだが、ちりも積もれば山となる、であるな。
第一回目は、高知県土佐の桂浜・坂本竜馬像だったのを覚えている。その後節目にはお良さんの墓参りだったり、何かと竜馬にちなんでいたように思えるがこれはあくまでも偶然である。
 今回は、東京スカイツリーに始めて上った紀行となった。
時は2013年5月13日月曜日、天候は曇天なり、もちろん視界はゼロ、それでもこの日しかないので行かねばならぬ、当日券で並ぶのを覚悟していたがこの日の当日券を求める人なんざぁありゃしない、列を仕切るであろうロープの類が御覧とおりである。
 来ているお客はこの日指定の団体客や外人をはじめとするツアー客であった。彼ら達には気の時だが運が悪い・・・としか言いようがない。
 受付で「本日は視界が非常に悪くなっています」と改めて断われたが、そこは合点承知助である。
私は来週22日に、家族で来る予定の下見であるから内容がわかればそれでいい。
 さっそくエレベーターに乗り込んだが、なんということか、乗っている感じが無いままに一気に350メールまで上がって行った。インド人もびっくり、イヤイヤ日本人だってびっくり、NHK「あまちゃん」風に言えばジェジェジェジェと驚きのジェが4個は並ぶだろう。エレベーターの中から吹き抜けで天井がみえるのである。
ここまで来たのだから別料金を奮発して450まで上らねばなるまい。これもあっという間、ソラカラポイントがあったり記念写真を撮る場所もあるのだが並ぶこともなく信じられないねぇ、天望回廊とは言ってはみたが御覧とおりの雲の中、今日は視界は最悪である、風が無くて登れただけでも良しとしよう。
 来週の予約日がたまたま開業2周年の日だそうで予約入場券を買ったのだがそれでも11時は取れなくて12時入場の予約であるどれだけ人が混むのか予想もされようというものである。
 すいていたおかげでスムーズに事が運び2時間もかからないで戻ってこれたが、この倍はかかるだろうとよんでいる。
 視界は悪かったが下見としてはこれでいいのだろう、帰る頃には晴れてきた、来週の本番では家族に喜んでもらえるかな。

399.新橋界隈

郷土の同窓会「ばんば」の仲間で長谷川さんから、商業高校の先輩が新橋で鮨屋を開いているということを聞いていたので前日に連絡をもらい、5月9日空手も休みなので、顔を出してきた。
 新橋は京急線乗り入れで一本で行けるので近く感じる。
新橋といえばサラリーマンの街で、テレビのインタビューなどでは必ず使われる機関車広場があり、その裏手になるのだという。
 赤レンガどおりを抜けた一本目の路地に「徳鮨」の看板を見つけさっそく入ったところさすがサラリーマンの街、早い時間から満席である。
 ほかのお客も、同じ延岡出身ということでそこは同郷、さっそく話に花が咲いて尽きない。
聞けば先日の「ばんばパーティー」にも出席していただいたという、なおさら話は盛り上がって結構長い時間いたね。
 ここのマスターは得平さんと言って私よりか4歳先輩か・・それに中学も同じだというから家の状況からも察しが付く、懐かしい話でもちきりだったねぇ。
 なかなか鮨屋さんなどは一元では入れないが知り合い、ましてや場所が新橋だといろいろな人に会うのに便利この上ない、おまけに会計となるとびっくりするくらいの家族値段である。
 また来ます、ということで後にして新橋界隈をブラブラ・・
 新橋はご存じ「鉄道唱歌発祥の地」でもあり、碑の前でほろ酔い気分で1枚撮ったが相変わらず人がごった返していて、東京だねぇ。
 今日の昼間は暑かったので半袖で行ったが、夜になってもまだ暑さは残っていて帰りは気持ちよく電車に揺られてまっすぐに戻り、昼間シャンプーをしてきれいになったワンコウとともに近所を一回り。
 平凡至極な1日であるが、またこれが実にありがたいことである。
今日はいい休日を過ごさせていただいた、改めて感謝!

398・大山詣で

ゴールデンウィークの谷間、4月30日(火)、かねてより計画していた、大山詣でを実行した。
あいにくの雨模様であったが、昼間の2,3時間の雨ということで出発したが、結果的には天候が一番悪い時の登頂であったね。
 相鉄船海老名駅から小田急線に乗り換えて伊勢原で降り、ケーブルカー駅息のバスに揺られて入口へようやくついた。
ケーブルカーに久々に乗って阿夫利神社駅で降りて、とりあえず下社へお参りをした頃から小雨が降り出してきた。
 大したこともなかろうということで登り始めたが、昨年の高尾山や最近登った幕山でもきつい思いをしたが今回はそれの比ではない。
 入口の急な階段を見たとたん、いきなりかよ・・・此のすごさを写真に収めていないのが残念である。四国の金毘羅様の階段を思い出したが、傾斜からいくとこちらのほうが急ではないのか?さすがに昔の修験者の山である、などと思いながら登り始めた。
 相方はもうこの時点で後れを取り始めた、体力が落ちた、などと言ってはいたが、無べもない。
金時山のような登山道だが、こちらのほうがはるかにきつい感じがする。
 雨のせいもあろうが登山客はあまり見かけなかったねぇ。
途中、丁目が書かれた石碑があるので、てっきり10丁目が終わりかと張り切っていたら、なんと何と、頂上までは28丁目まであるのだと・・7丁目、8丁目でもう少しだと頑張っていたのに・ちょっと心が折れそうだったなぁ。
 雨風が激しくなってきた、小雨が風にまかれて体に吹き付ける、手足の感覚が鈍くなってちょっとまずいかなぁ、と思ったりもしたが、富士山の時に比べればまだましである、などと思いながら頑張った。
 今回はポンチョの合羽を用意しておいたのだがこんな簡単なものでも大いに役だったね、助かったよ。
まだか、まだか、と思いながらの2時間、ようやく山頂に到達した、1252メートルだそうだ。
しかしこの山頂にいたころが雨風が一番だったような気がする。
 山頂に茶屋があるのだが私たちがトン汁を注文して食べているころに店を閉めて店主はさっさと下山をしはじめた。
雨風をしのぐ小屋で休憩をとってとりあえず記念の写真だろう、頑張って撮ったよ。
 それでもほかにも10名近くの登山者がバラバラといたね。
頂上でお参りをしたので、今回の目的は果たした。
 下山するころには、雨も止んでお天道様が顔を出してきたようで暖かくなったねぇ、ほっと一息、改めて
お天道様のありがたみを感じたところである。
 戻りはあの階段を逃避して大回りながらもゆっくりとした道を選択した。確かに時間は倍かかったような気もしたが、これはこれでよかった。
 ようやく下社について茶店で一服したが、いやぁ、今日はよく歩いたものだ、上京以来40年、一度は上りたいと思っていたがようやく念願がかなった、大いに疲れもしたがそれだけのことはあっただろう。下りはケーブルカーの途中駅「大山寺駅」で降りてはみたがあまり歩く気力もなかったね。
 で、始発の駅まで降りて今回は温泉に浸かりたいと思ったが、あいにくと今日は休みや廃業したところもあったので、伊勢原まで戻り、隣の鶴巻温泉の「陣屋」まで行くことにした。
 陣屋はこの地区では知られたところなんだね。
資料を見ると鎌倉時代の和田義盛公が別宅を建てたらしい、フムフム・・こういう謂れを知るのも楽しみの一つなのである、この伊勢原は大田道灌終焉の地でそれにまつわる話もあって興味をそそられるのだがそれはいつの日にか取り上げよう。
 鶴巻温泉、名前も知ってはいたのだが一度は来てみたかったところである、この目的も果たせて今回は
疲れながらも満足をした一日であった。