292・連盟役員会

2月20日東京都大田区蒲田に於いて、今年の総会、懇親会が行なわれた。
 関西から、森嶋先生をはじめ、今回新加盟となった佐野先生なども加わって和やかな雰囲気の中に行なわれた。
ここ近年、日防連では運営が順調に運んでおり、さしたる議案もないので、雑談形式などになり、これが結構盛り上がったんだね。
 年代を超えて意見が交換されるので、また、お互いの理解にもつながるなどいいことである。
毎年、誰かは諸事情で欠席者が出るのだが、内容を知らせることによって、また、このブログを見ていただくことによって大体はつかめるのではないかと思っている。
 皆さん本職を抱えながらの空手である、お互いが理解しあうことによってまたこの関係もつながるであろう。
日防連は、真摯な団体の先生方がコツコツと続けることによって小さな輪が大きくなっていくことと持っている。
 今年もあせることなく、着実に進んで参りましょう。
 また、終了後は、一ヵ月後のジュニア大会役員を交えて、近くの居酒屋で懇親会となった。
また、ここでも大会では顔をあわせてもじっくりと話し込んだことのない人が多いのである、酒をまじえて楽しいひと時を過ごしたね。
 最後は、ジュニア大会での再開と成功を祈って一本締めでお開きとなりました。

291・六本木教室

麻布小学校で、空手を指導しているが、年に一度、保護者との交流会を会員の人が設定してくれて、今年は、会員の部屋を借りて行なった。行った先が鳥居坂のとあるマンションで、入り口にはポリスボックスまでもが設置してある。ここはどういう人が住んでいるんだ・・?聞くと、土地柄か外人の人が多いという。
 部屋に入ってみてびっくりしたが、どこかのお店の一部屋のようでびっくり、料理などは一人一品持ち込んでのホームパーティー形式であったが、ここの人のおもてなしには改めて頭が下がる、皆さんとは空手の付き合いだけなので、会員の人で誰が何をしているのか、さっぱりわからず、また改めて聞いたこともないが、どんな職業の人か聞いてみたくなった。
 いろんな人がいて、国際色豊かな六本木教室は、いろんな意味で面白いのである。
今日は、子供の接触の仕方や、性格などを聞いたりして、今後の指導について大変有意義な時間をもてたような気がする。
 昼間ということもあって、昼食をはさんでの懇親会となったが、これはこれでまた楽しくもあり、私の勉強にもなるのである。
だけど、みんな空手を好きでやめないで続けてくれている、私もこんなに嬉しいことはない。
 サラリーマンの人も何十年も仕事を続けていると、やめたくなったり転職を考えたりすることもあるでしょう。
私もしかり・・いくら好きで始めたこととはいえつまづくことも、考えることも、正直あるのである。
 だけど、今日のような話を聞いて、空手を喜んでもらえたりしていると思うと随分と勇気をもらえるのです。
「また、今年もよろしくお願いします」・・なんて最後に言われたときには、私なりにジーンときたものがあり、私がみなさんに支えられているようで、逆に感謝をしているわけです。
 おかげさまで、今年は出だしから好調で楽しみな一年になろうかと思っています。
どうぞ本年も、思い出深い年にしたいと思います、よろしくお願いいたします。

290、乃木坂

♪乃木坂あたりでは~私はいい女なんだってね~♪♪
随分昔の流行歌で恐縮だが、40年近くも前になるのであろうか、梓みちよさんの歌で「メランコリー」というヒット曲の一節だったと記憶している。
 東京に出てきてしばらくたっていたが、この歌には東京のしゃれた雰囲気がただよっていたなぁー。その頃は蒲田界隈をうろちょろしていたので、同じ東京でもこうも違うものかと思っていた。
 乃木神社の脇の坂が乃木坂と呼ばれていて、六本木に近いところなれどそんな雰囲気ではなかったような気もした、が、とりあえずカッコつけて歩いてみたが、所詮こんな格好である、しれたもんだ。
 昔は幽霊坂と呼ばれていたと碑には書いてあった。
私のあてずっぽうな推理であるが、昔はこのあたりはうっそうと木が生い茂っており、あたかも幽霊が出てくるような雰囲気の坂だったか、幽霊が出たという話があったのかもしれない。
 この近くの赤坂では高校の時に英語で習った「ムジナ」の舞台でもあったくらいだから、そういう話は結構あったとも、私自身の勝手な推量だが言えなくもないかもしれない。
 それが乃木大将が住んでおられたので大正になってから乃木坂と呼ばれるようになったそうである。
 ここらあたりを軽快に歩いてデート気分で食事でも、と思ったが、丁度夜の開店時間前の休憩中や、体調も今一だったので、蒲田へ戻ってきた次第であった。
 また、春先の暖かい頃にでも出かけて見たいところである。
「メランコリー」私のカラオケのおはこには入ってないが、軽快でいい歌だね。

289、乃木神社

詩吟の世界で、たびたび登場するのが乃木大将である。相方がただいまの授業で乃木希典が出てくるので、勉強の為にも乃木神社に行ってみるか、ということになり2月10日の昼下がり、のどかな気候もあって出かけてきた。
 私が空手指導に行っている麻布小学校の近くにあり、ここは乃木大将の二人のお子さんが卒業された学校でもある。
私も、何年ぶりかである、近くなのでいつでも行けるという思いが以外と遠のいていたりする。
 ここ、乃木神社は妹が挙式を上げたところなのでもある、もう、32,3年前になるであろうか・・・・懐かしくそこの場所へも行ってみたりもした。
ー閑話休題ー
 宝物殿では、代表作「金州城下の作」「爾霊山」の掛け軸があったり、夫妻の自刃の刀などが陳列されていて思いを新たにした。
乃木邸へ行くと、♪庭にひともとなつめの木~♪と歌われた、なつめの木が玄関前にあり、今はその孫だという、厩があった。玄関から外を回って中が見えるようになっている。
応接室があり、夫妻自刃の間がある、昔の武士の生き方に凛としたものを感じる。
 NHKが毎年暮に「坂の上の雲」を放送していて、今年の暮がその三部作の完結編になっている。そのなかで203高地の攻防が出てくるのだが、そのときの主人公が乃木希典であり、そのときに二人の息子を戦死させながらも勝利に導くという、逸話があり涙を誘うのである。
 そのときの心情を詠ったのが「金州城下の作」で、私も大好きな詩の一つでよく吟じるのだが、乃木希典が乗り移ったようで、なりきったようで・・というと大変僭越至極で申し訳ないのだが、私的には伝わってくるものがあるのだなぁー。
そんな話をしたりしなかったりで、帰路についたが、私もこの詩を「温故知新」で紹介するタイミングを見計らっているのである。

288・節分

2月3日は、節分、毎年池上本門寺には、多くの有名人が来て豆まきをする。
力道山の墓もある関係で、プロレスラーなども結構来て豆をまくらしい。
 私は蒲田に移り住んで、40年近くになるが、実は一度も行ったことがないのである。
今年は木曜日と重なり、相方も休みということでいってみようかということで出かけて見た、その前に野暮用があってついたのが豆まきぎりぎりの3時である。
 もちろん人がいっぱいで遠くから見ているくらいなので、こちらまでは飛んでこないだろう、詩吟仲間のNさんにばったり会った。娘がこの近くに住んでいて赤ん坊を抱いていた、孫であるらしい。豆まきが終ってもしばらく話し込んでから帰路についたが、結局は一つも拾えずじまいである、相方は、拾ったのだか隣の人ににもらったのだかして二個ほど持っていて、おすそ分けをしてもらい、とりあえず一個持って帰った。
 
 私が小さい頃は、祖父さんが豆を炒って「鬼は外、福は内」などといって豆をまくのを拾って食べたものであった。おやつがない時代である、それでも喜んで拾って食べていたなぁ。
 そんな、行事の中にも家族があって、終ると仲良く食べていたものである。一家団欒というか・・・懐かしいねぇー。
今は、「恵方巻き」といって今年は南南東を向いて食べるのだとか・・変なことがはやっているらしい、とかいいながらも相方が買ってきたので付き合って食べるのだが、中の具をプウチャが欲しがり分け与えて食べる。
 これが我が家の節分である。
この日を境として、あけて立春、冬が去り春の訪れを感じる頃となるのである。