394、銀座

ひとやすみしたら気が抜けて休みすぎて次の日になった。
 28日は、桜田門を見てから、日比谷公園へ行って休もうということでまた歩いたが、さすがに疲れたねぇ。公園につくとさっそく休憩所を見つけてホッと一息、このビールがうまい!
 さぁて元気も出てきたところで待ち合わせの銀座ライオンへ向かうとするか、昔、銀座を舞台にした歌「たそがれの銀座」も流行ったなぁ―、何なに「御幸通り」?そういえば「二人の銀座」の中に出てきたねぇ。雨の外苑夜霧の日比谷~これは「東京の灯よいつまでも」ずいぶん古い歌だが、私も古い人間と言われるようになってきている、懐かしい限りである。
 そぞろ歩きで銀座ライオンにつくとすでに待ち合わせの人達は来ている、それにしてもこのホール、人が外に並んで待っているほど繁盛している、びっくり仰天である。
私たちは先発隊のおかげですぐに入れた。イヤイヤイヤァ~こんな人ごみの中で飲むなんて落ち着かないなぁー、店内には女給さん(すまんが銀座の表現ではこの言葉がよく似合うのだ)次から次へと料理やビールを運んでくる。そのうちマイクをとった人が話し始めたと思ったら歌を歌いだした、オイオイどうした?
 ここではアルプスの恰好をしてアルプス音楽を時間になると歌いだすのだそうだ。
訳が分からんが、ドイツの「乾杯」という歌だそうだがドイツ語などわかるわけがないが雰囲気は楽しく伝わってくる。
 よくよく館内を見ると外人さんも多い・・なるほど、納得。
いやぁ、エネルギッシュといおうか迫力がビンビン伝わってくる、ここを出るころには疲れたね。
 皆さんはなおいっそう元気になり上野へ行って飲んで歌おう、なんて言いだしたが私は薄着で来ていたので寒さもあるし、夕方までの予定でいたのでそのあとがあるし、で失礼をしたが、私より年上の人ばかりなのだが元気だねぇー。
 かくして、本日の歩数は17000歩前後、よく歩き疲れたがよい一日であった。

393・将門塚から・・

東京に住んで40年、ちょっとした歴史好事家を自認しながら、将門塚には行った事が無いという、少々忸怩たる面を持ち合わせていた。
 3月28日、空手は休み、この春ののどかな日皇居の花見にでも行こうかという誘いに乗じて、将門塚に寄りましょうということでようやく念願がかなった。
 日本史上三悪人の一人と数えられているが、それは権力側からの勝手な押しつけで、庶民側から見ればまさに英雄の一人だという感想をずっと持ち合わせていた。足利尊氏しかり、幕末の大塩平八郎もそう、マニアックになるが幕末の雲井竜雄もそうだと思っている。
 将門塚にはサラリーマン風の人が次から次へとお参りによるのだねぇ、ここは東京のパワースポットとしても有名なのだそうだが、私は純粋にお参りに来ただけであって詳しくは知らない。
碑の周りに蛙が並んでいるのは、帰る、というのひっかけてサラリーマンたちが転勤などから無事に帰るという意味も込めてお参りに来るのだそうである。
 念入りにお参りをしてお堀へ向かう途中昔カルガモが濠に引っ越すのでテレビでずいぶん騒がれたビルの池を通った、ここから濠まで引っ越したのだねぇ、ご苦労さん。
 そう思いながら濠へ行くとまた像が立っている、碑文を見ると和気清麻呂という、私も詳しくは知らないが、弓削道鏡の謀反から皇族を救い、戦前ではお札にもなって、楠正成らと並んで三忠臣として有名だったらしいのである。どうも日本では日本三景などにみられるように
この三・・などとつけるのが好きらしい。
 そこを過ぎて、人の流れるのを見て皇居の中に入って行った。
昔の江戸城である、平河門をくぐるとまさに時代劇に出てくるような場内である。
芝生の中を進んでいくと、松の大廊下跡、などの札が見えて、あの忠臣蔵、「各々方お出会いそうらえー、浅野殿刃傷にござるぞ!!ー」でおなじみのところか・・しばしたたずみ当時をしのぶ・・・しかし、面影のかけらもない・・。
 そこを抜けると天守閣跡があり、一応上がってはみたが明暦の大火で焼けたとかで、ただの広っぱである。この先が大奥、向こうに中奥、こちらが鈴をつけて将軍が通ったという廊下か・・・などとあくまでも私の推測のうちに時が流れるだけである。
 出口に行くときれいな桃の花が咲いており、何とも心が和むのを覚えるねぇー。
で、まわって千鳥ヶ淵へ行こうとしたら高速道路などに阻まれてずいぶんと遠回りになる・・
仕方がないのであきらめて濠の周りを逆にまわっていくことにした。
半蔵門から桜田門へと向かう、桜田門は工事中で養生がしてあり趣もあったものではない、それでもこれはこれで記念だというので一枚…悲しい性か。
この後銀座まで行って一杯やるのだが、書いてる私もつかれた・・ひとやすみ、ひとやすみ。

392、夜桜

今年は桜も最速の満開となり、すでに花見はピークとなっているのである。3月24日(日)、仕事が終わってから花見に行こうということで、靖国神社と千鳥ヶ淵を訪ねることにした。
当然夜桜になるが、夜に花見に出ることはめったになかったね。
 まずは靖国神社である。詩吟の中の「九段の桜」は本院の中の満開の桜を言うのだが、残念ながらこの日はすでにしまった後であった、それでも入口の扉の前に賽銭箱があるのがにくい・・・。
 出店はまだまだ賑わっていてまだまだの人出であったが、この日の昼間は相当な人出であっただろうと思われる。
 靖国を出て今度は千鳥ヶ淵へと向かう、こちらは歩道なので道も狭く混雑がまだまだ残っている。
カメラを夜景モードで取ったのだが、やはり照明不足からか今一の出来栄えである。
それでも眺めは最高、花見の人気は一番なのだそうだ。
帰りは武道館を通ってみたりしたが以外と穴場は、大山巌元帥の銅像の後ろからの眺めだね、両岸の桜が映えて見事なもの絵あった。
 帰りも東西線と京急線の乗り換え一本で早く家に戻ったが、京急線はつくづく便利だと思ったねぇ。
ここしばらく続いたイベントの疲れも忘れるようなひと時であった。
 平和な日本、四季折々の日本、つくづく感謝の心になりますなぁ、今夜は靖国に行ったからなのかつくづく思いました。

391、ばんば会

 思えばおととし2011年の暮、宮崎県延岡市西高校の関東地区同窓会会長の黒木さんから突然電話があって、今度宮崎県延岡を中心とした各高校の同窓会の集まりを企画しているので一度話しあいませんかという連絡が入り、工業高校、同じく関東地区会長の長谷川さんも同席して市谷の居酒屋で話し合ったのが始まりであった。
それから他の高校にも話しかけて実行委員会をつくり、名称も延岡地方の盆踊り、ばんば踊りにちなんで「ばんば会」と名付けて行動を開始して、2013年3月23日(土)ようやく第一回の「ばんば会」の開催にこぎつけた。(写真は本番前、腹ごしらえである。)
 その間いくつかの高校も集まり実行委員も20人30人と増え、本番当日には60人からの実行委員をそろえて、出席者も450人を超える人数を集めて東大駒場において盛大に催された。
 思えば、二か月に一度、半年前からは一ヶ月に一度の実行委員会が開かれ、商業高校からの出席者は私一人という忸怩たる思いの中、それでもこの日は、延岡の本部から7名が応援に駆けつけてくれて商業高校だけでも50名近くのの出席と何とか格好がつけた。
 私は実行委員としてじっとしている暇はなくホストとして駆け回り、それでも宮崎県のゆるキャラ「ひぃくん」と写真に納まったり、ばんば踊りを堪能したりと楽しい時間を過ごした。
 終わってからも皆さんを送り出した後、食堂の形に戻すに全員で取りかかり最後まで疲れたが、気持ちのいい疲れであった。
 そのあと、商業高校の25人ほどが二次会の居酒屋で私を待っており、また盛り上がったが嬉しかったねぇ。
皆さんに喜んでもらえてスタッフの一員としてやってきた喜びを感じたところであった。
 空手の先生という肩書を置いて、皆さんと一緒に動き、楽しい時間は貴重な体験となったことであった。

390、あゝ上野駅

毎年この時期になると地方から都会へ就職や進学でどんどん人が流れ込んでくる。
思えば私も42年も前になるであろうか、高校を卒業して会社へ就職してボクシングに打ち込むために意気込んで上京したものだった。
それから職を転々として弁当屋で働いていた頃は、配達をしながらこの「あゝ上野駅」を歌いながら頑張っていた。文字通り ♪胸にゃ大きな夢がある~
上野駅の一角にこの歌のモニュメントがあり、そこからアメ横まで以前、懐かしく歩いてみた。
 
 昨晩のNHK歌謡コンサートでこの歌が流れて久々にその当時を思い浮かべた。実際にはこの歌がはやった時は私より一回り上の集団就職時代で駅も私は東京駅なのだが、この歌がピンときて毎日歌っていたなぁ。
 どこかの漫談師ではないが、あれから40年・・・文字通りの40年である。
今は、平凡な一日,つつがない毎日に感謝をして過ごしている私がいる。
子供たちと好きな空手で時を過ごし、先日にはジュニア大会を開催して、無事に終了した。 
 参加した皆さんにも喜ばれて帰っていただいた、うれしいねぇ、幸せだねー。
また、こういう行事に一緒になって参加していることに大きな喜びを感じる。
スタッフの皆さんも手伝ってあげているんだ・・ではなくて、行事に参加していることによって一体感を味わい喜びとなってもらえるようになるとまた素晴らしい一日だと思えるといいのだが、まだまだ大会の魅力はそこまでいっていないということか、努力の余地大いにあるところである。
 そういう私も正直、大会前は大変な作業にもう今回限り・・と何度も思ったが、子供たちが勝っては泣き負けては泣き、表彰式での笑顔を思い出すと、大会後日をおいてほっとした時に・・また頑張るか、そういう気持ちになるんだよねぇ。
  あゝ上野駅から離れた感もするが、幸せになろうとがむしゃらに走ってきた私だが、今が幸せならばそれで十分ではないか・・・ということだね。
今日も春ののどかな日、ワンコウとの散歩で充実した一日を過ごさせていただいている。

389、湯河原梅林・幕山

毎年この時期になると観梅で出かけるのだが、今年は湯河原の幕山へ行こうということで以前より計画をしていた。
 レンタカーで日産マーチを借りて行ったのだが大変に操作しやすくていい車だ、快適にドライブができた。
目的地は湯河原、神奈川県と静岡県の境地である。結構な時間がかかったねぇ。
 チラシによると4,000本の紅梅白梅がさながら「梅のじゅうたん」のごとく咲き乱れ・・・とあるが、今日は3月4日(月)、今年は遅れているようで全体で5分咲きということでちょっと物足りなかったかな。
 幕山ということで山全体がハイキングコースもあって結構歩いたね。
相方は、10年くらい前に来ているとかで、思い出しながらハイキングコースをたどったが山を半周してこれだけ歩いたのは、その昔、千葉県ののこぎり山や、群馬県の赤城山へ行って道に迷ってようやくたどり着いたがそれに匹敵するくらいの歩行ではなかったな。
 のぼりは、梅を見ながら歩いて登り、幕山の頂上まで行ったが、相方はクウに引っ張られながらの登頂、さながらそり犬か・・クウに、ご苦労さん。
 頂上まで来る人はごくまれで、いくつかのハイカーのグループのみであった。
昼食をとっていたグループから悲鳴が聞こえ、振り向くと、なんととんびがおにぎりをとって行ったのだという、空を見るとトンビがぐるりと輪をかいている。
私も以前鎌倉の由比ヶ浜でおにぎりをとられたことがあったが、まさかこんな山奥にまでいるとは・・おそらく以前から大勢のハイカーたちで味をしめていたのだろう。
 日光の山猿や、どこかのイノシシのエサあさりが話題になることもあるが、人間が興味本位でエサをあげたのが始まりなのだろう、こういうことは気を付けなければいけない。
 頂上に上って一休み、下りは昔きたことがあるという自然のままのコースをたどってくだったのだが、ずいぶんと遠回りをさせられてくだりはもっと歩いたねぇ、これが登りであったのなら倍の時間を要したであろう。
 ようやく入口にたどり着けて一休み、いやぁ、歩いた歩いた、歩き疲れた。
帰りは途中のパーキングエリアで一眠りをしたのだが10分くらいの予定がおきてみると30分を過ぎており急いで戻ってきたね。
 今日の幕山は満開の時に来たのならもっとよかっただろうねぇ、しかし、平日というのに駐車場は第一から第四まであるがすべて満車、休日はどうなることやら・・ここも10年前は入園料は取らなく自然が豊富だったのが、道路などどんどん整備されて観光地化されているそうなのである。
 しかし、これはこれで湯河原の名物と有名になっているのでむべなるかな。
大会や同窓会、昇級審査など行事が相次ぐ中の息抜き、「忙中閑あり」というところか・・・というほどでもないが一度言って忙しいふりをしてみたかっただけ、行事は順調に進んでいる。
 初春の一日である。