旧大須賀家住宅と幕張の街道

加曽利貝塚の東のはずれで古い建物をみつけた。
「旧大須賀家住宅」である。

案内によると、大須賀家は幕張の名主で
もともと幕張町にあったこの住宅を昭和43年に千葉市に寄贈し、ここへ移築。
推定で1741年~1750年の建造だそうだ。
非常に立派な建物である。

管理の方と少しお話しをしたのだが、
藁葺きの屋根を葺き替えるには、人も材料も少なく
7000万円も費用がかかると嘆いていた。
室内には囲炉裏が。

雨漏り・・・?苦労のほどがわかる。

幕張のあたりは、「幕張」、「馬加」などと呼ばれるようになる以前は
「大須賀」と呼ばれていたそうだが、この大須賀家と地名には何か関係があるのだろうか。
ところで、この「旧大須賀家住宅」、いったい幕張のどこにあったのかというと・・・、
旧国道14号、現在の県道57号を千葉方面へ向かい、
浜田川を越えた辺りで子守神社の方へ曲がり、最後は昆陽道路とぶつかる鉤状の道が、
房総往還とも呼ばれる幕張で最も古いかつての街道である。
その旧街道沿いにある幕張三丁目公園。

ここがかつて大須賀家住宅が建っていた場所である。
大須賀家には、明治天皇も立ち寄ったことがあるそうで
公園にはこんな碑も。

旧街道はこんな雰囲気。
緩やかなカーブがいかにも古い街道といった感じ。

よほど用事がないと通らない道だな・・・。
ちなみに、この旧街道沿いにあった「カフェ・アマデウス」

ちょっと気になったので、ケーキを買いに入ってみたら、
和服の女将さんがお店を切り盛りしていた。
おしまい。
加曽利貝塚の記事はコチラ

加曽利貝塚にて

せっかくのお休み。
さてどこへ行こう。近場でどこかいいところないかしら?
うーん、う~ん・・・、妻と二人で散々悩んだ挙句、なぜか加曽利貝塚へ。
加曽利貝塚についての予備知識は全く無し。
駐車場に車を止め、とりあえず近くにあった看板を見てみる。

ふむふむ。
貝塚は北と南に分かれていて、敷地には博物館もあるのか。
では、まず北貝塚から。
少し歩くと素っ気無い建物を見つけたので

中に入ってみると、こんな感じ。

貝塚の断面を見ることができる。
もちろん断面は貝だらけ。

北貝塚は直径130メートルの環状で、縄文時代中期のものなのだそうだ。
こちらは住居の跡。

貝塚というのは、縄文時代の「むら」のあと。
南貝塚も断面が見られるようになっている。

南は直径170メートルの馬蹄型で縄文時代後期のもの。
地図で見ると、加曽利貝塚は意外と内陸にある。
縄文海進で今よりも海が近かったろうが、
それでも近くの川から1kmくらい舟を漕いで古代の東京湾へ出ていたようだ。
調査によると、ここ加曽利貝塚の「むら」は約7000年前から2500年前まで(なんと4500年も!)続いたのだそうで。
それだけここが住みやすい場所だったんだな。
この場所の良さを、当時の人々に訊いてみたいものだ。
敷地には、貝塚の断面や住居跡の他に
復元された住居も。

さらに博物館の前には、土器風の水道があった。

貝塚なんて初めて見に行ったので、いまいち見方とか見所が分からなかったけど、
また何件か見れば、ちょっとつかめそうな感じだ。
次回は敷地内にあった「旧大須賀家住宅」を。

大草 谷津田いきものの里

モノレール千城台駅の近くにある大草町に
「大草 谷津田いきものの里」というのがある。
先日、中央図書館へ行った際にここのリーフレットをもらい、ちょっと気になったので見に行ってみた。
谷津というのは、丘陵地帯が侵食されて出来た谷状の地形のことで
縄文海進という海面の上昇した時期には入り江になっていたそうだ。
そして海水が後退したあと、湿地となった谷津を水田に利用したのが谷津田である。
以前からこういう谷あいの田んぼの風景を見るたびに、
ゆっくり散策してみたいものだと思っていたのだが
ここ大草の谷津田には自然観察路が整備されていて、そんな私の願いに打ってつけなのである。
専用の駐車場に車を止め、散策スタート。
まずは薄暗い林の中を歩く。
徐々に下って、谷底へと向かう。

林の中はヒグラシの大合唱。そういえばヒグラシの鳴き声、幕張ではあんまり聞かないなあ。
少し視界が開けて明るくなる。

この辺りは侵食谷の一番奥の部分。谷底でもかなり狭く日当たりが悪いので、水田には向かないのだろう。
そこからもう少し歩くと、ようやく谷津田に到着!

写真手前の四角い水たまりは自噴井戸。

こういう風景、なんとなく見たことあるでしょう?
この谷津田、湧き水は多いものの、水温が低かったり
山に囲まれているため日当たりが悪かったりと、稲作にはいろいろ苦労があるようだ(収穫量は平地より3~4割少ないって)。
しかしその低水温のおかげで農薬が少なくて済み、
谷津田独特の生態系を生み出しているそうだ。
さて自然観察路はもっと続いていたのだが、上空ではカミナリがゴロゴロ。
仕方がないので引き返すことに。
田んぼが黄金色に染まった頃、また来ようかな。
いいなあ。オジサンも体験したいぞ。

千葉中央で

先日行った千葉中央。久々の飲み会。
この日は明け方にブロッコリーの記事を書いたおかげでかなりの寝不足。
朦朧としながら、飲み会までの時間、千葉中央駅西口周辺を歩いてみた。
夕闇せまるなか、知らない街をふらふら歩く。

東口と違って、西口周辺はかなり静かだ。
街角でみつけた気になるお店。

なんの店かはいまいちわからなかった。
眠くって、だんだん何が撮りたいんだかよくわからなくなってきたよ・・・。

さてそろそろ飲み会のお店に行く時間だが、道に迷ったので
とりあえずモノレールの見える場所へ出る。

ここまで、どこをどう歩いてきたのやら。
どうにかお店に辿りつきました。
ジュウウ~~

飲んでしまえば眠気も忘れる。
一昨日、初めてブログ村に参加してみた。人見知りのくせに。
会場に入ると、マクスタでいつも見てる名前の方々が!!
お話しできた方もできなかった方も、どうもありがとうございました。
青島さんの編んだちっちゃいものクラブ(勝手な名前)も
写真に収めさせていただきました。ありがとうございました。
で、そのブログ村の成果(?)というわけで、ブログのヘッダーを写真に。
なんで折り返してるのかしら?

椎名市民センター・旧椎名村役場

緑区にある椎名市民センター。
住所でいえば緑区富岡町(といっても幕張近辺のひとには分かりづらいか・・・)。
大雑把に言えばおゆみ野駅の近く、ちょっと南に行けばすぐ市原市という場所である。
市民センターというのは住民票の交付とか印鑑登録なんかができる、市の出張所みたいなところ。
その椎名市民センターがなかなか古い建物だというので先日ちょっと見に行ってきた。
べつに住民票をもらいにいったわけではない。
おゆみの駅周辺は新興の住宅地ができてにぎやかだが
このあたりは田んぼが広がっていてなんとも長閑なところ。
で、こちらがその椎名市民センター

昭和30年に千葉市と合併するまで椎名村の役場として使われていたこの建物。
昭和7年に建てられたそうだ。
以前見学に行った旧生浜町役場によく似ている。
それより少し小さくて、玄関の上のバルコニーが無いくらいで、雰囲気はそっくり。
どちらも建てられたのは昭和7年で、場所も近いから、なにかつながりがあるのかな?
千葉市と合併した後、市民センターとなったのも同じだが
あちらがその役目をすでに終えたのに対し、こちらは現役バリバリの市民センター。
正面から

レトロな雰囲気だが、壁は明るい緑色で
ボロいという印象はまったく無かった。
本当は外観だけ撮って帰るつもりだったが、せっかくここまできたので思い切って中に入ってみることにした。
住民票が欲しいわけでもなんでもなく、ただ見学にきただけなので少し気まずかったのだが、
恐る恐る職員の方に話しを伺ってみると、意外にも快くいろいろ教えてくれた。
その職員の方の話によると、この建物の2階はやはり旧生浜町役場と同様に
村の議会場として使われていたのだとか。
その2階の議会場だとか窓口の内側も見てみたかったが
役所なので、さすがにそれは無理。
窓口の前で1枚撮らせてもらった。

天井からつり下がった蛍光灯がいい感じ。
写真を撮っていると、先ほどの職員の方が
「これも古いんだよ」と言って指差してくれた、ドアの金具。

なかなか渋いものをオススメしてくれた。
もうひとつ職員さんのオススメ
扇風機、ではなく窓のガラス。

写真ではわかりづらいが、窓の向こうが少しゆらいでみえる。
大正ガラスという吹きガラスでできているので均一な平面にならず、ゆらいでみえるのだそうだ。
この職員の方も、自分の職場をなかなか気に入っている様子。
お仕事中でなければ、もっとたくさん話を聞きたかったよ。
帰り際にこの近所の古い建物の情報までいただいてしまった。
いろいろ親切にありがとうございました。
さてこの椎名市民センター、このまま市民センターとしてずっと使われていくのかどうかは不明。
とりあえず現役のうちに見ることができてヨカッタ。
市は今後もちゃんと保存していくのかいな?

千葉市動物公園にて

一昨日の火曜日、千葉市動物公園へ行ってきた。
別に前から計画してたわけじゃなく、
天気も好いから、じゃあ今からいくか、というその場の思いつきで。
桜が満開で、レジャーシートを敷いてのんびりお花見している人もたくさんいた。

行ったらちょうど象さんの昼食の準備中。

普段は遠いところをウロウロしてるけど、このときは柵の近くでソワソワしてた。
ポカポカ陽気で、動物たちものんびりムード。

ヨダレが・・・。
気を抜きすぎだ!
ゴリラはたぶん瞑想中。

写真はたくさん撮ったけど、あんまり載せても図鑑みたいになっちゃうので
次で最後。
最後はこちら。
脱走して話題になったアフリカハゲコウ。の逃げなかった方。

相方見つかってヨカッタネ!!
良い休日でございました。

旧生浜町役場 その2

旧生浜町役場のつづき
靴を脱いで建物内部へ。
窓口の内側の事務室にはレトロなグッヅがたくさん。

事務室はこんな感じ。

壁にかかる時計もいい味だしてた。
役場には住み込みの使用人もいたようで
棟続きの小使い部屋もみることができる。
役場の洋風な雰囲気とは全く異なるが、こちらのほうが
当時の人々の暮らしぶりがよくわかる。

ちなみに以前アップしたヤカンの写真は、こちらのもの。
続いて2階へ。
役場の2階は事務室ではなく、なんと議場になっている。


せっかくなので議長の席に腰をかけてみた。
なんだかちょっといい気分。
生浜という名前は、明治に周辺5ヶ村が合併してできた生実浜野村が
大正になって生浜村に略されてできたのだそうだ。
谷津、久々田、鷺沼がくっついてできた「津田沼」みたいな感じかしら。
議場の隣には議員控え室があった。
そこの火鉢がなかなかよかった。

帰りに、アンケート用紙に一言記入してくれと言われたので
「周りのひとにも薦めてみます」と書いておいた。
というわけで、お薦めします。ご興味があれば・・・。
旧生浜町役場・その1
同じ時期に建てられた椎名市民センター

旧生浜町役場を見る

旧生浜町役場の庁舎へ見学に行ってきた。
場所は中央区浜野。東京方面からいくと、国道14号の蘇我陸橋を渡り
旧街道のほうへちょっと入ったところである。(適当な説明)
この建物、昭和7年に建てられた木造二階建ての洋風建築で
昭和30年まで生浜町役場。そして千葉市との合併により生浜支所となり
その後は平成3年まで生浜地区市民センターとして使用された。
現在は千葉市の有形文化財に指定されており、火・木・土だけ一般に公開されている。
実は以前にも見学に来たのだか、そのときはうっかり月曜日で外からしか見られなかったのだ。
今回は事前に公開日を調べ、車を駐車できることも確認済み。万全である。
そしてこちらがその旧生浜町役場。

青い空と、午後の柔らかい日差しによく映える建物だ。
ひと目見て、気に入ってしまった。
せっかくなので、ちょっと違う角度からも。

パンフレットのよると玄関の上のバルコニーが特徴なのだそうだが、
建築については詳しくないので、よくわからん。
味のある木の扉を開け、いざ入館!(無料!)

入ると、そこにはいかにも役場といった感じの窓口が。

農機具があってちょっとゴチャゴチャしているが、この窓口に
役所の用事でいろんな人がやってきたのだと思うと、ちょっと楽しい。
この建物、NPO法人が運営しているそうだが
窓口のカウンターには郷土カルタがあったり
小学生向けの古い玩具なんかがあったりして、積極的に活動されているようだ。

続きはまた次回。
のんびりペースで更新していきます。
で、そのつづき 旧生浜町役場 その2
こちらもどうぞ 椎名市民センター