検見川散歩のつづき
検見川の旧道をてくてく歩いていくと、県道に合流する。
あるお宅の軒下には網が置いてあった。
元漁師さんの家だろうか。
ふと見ると、
細いながらも、真っ直ぐに気持ちよく伸びる路地と階段が!
これは行ってみないわけにはいかない。
階段の上には小さな森と神社があった。
その階段の途中から振り返ると、こんな眺め。
かつてはここから海が目の前に見えたのだろう。
背後に迫る台地と海に挟まれた町だったのが
現在は台地と幹線道路に挟まれている。
今でも漁師町の空気を留めているのは、
何かに挟まれた町という地理的条件が、あまり変わっていないからだろうか。
順序は前後するのだが
旧道から逸れた坂道の途中、検見川公民館の目の前に
階段があったので昇ってみると、こんなものが。
銘には「岸信介」とあった。
ん?総理大臣??
何なんだこれは。
「平和之礎」の碑の前は、こんなスペースになっている。
周囲は住宅街だが、ここだけエアポケットのように何も無い空間だ。
花が一輪、ポトリと落ちていたので押さえておく。
旧道の散策はこれでおしまい。
次回は検見川送信所を。
検見川を歩く
検見川を歩く2 旧街道
検見川散歩のつづき
「検見川神社南側」の交差点から海側へカーブしながら延びる道が、
房総往還とも呼ばれる検見川の旧街道。
今回はその旧街道を、てきとーに撮り歩きます。
まずは交差点に建つ和菓子の河内屋さんで、
家族へのお土産にマロンパイを購入。
この道の曲がりっぷりがたまらない・・・。
かつての街道も、現在は国道14号と県道57号があるため
交通量はかなり少ない。
しかしそんな旧道沿いには、気になるものがいっぱい。
まずは金物屋さん。
蔵も発見!
心魅かれる路地裏。
タヌキの家族。
これは井戸だろうか?
今となっては海岸線ははるか彼方だが、
この界隈を歩くと、なんとなく海の気配を感じる。
高い建物が無く、かつて漁師町だったころと街並みがあまり変わってなくて、
しかも旧市街と埋め立ての新しい街とが
東関道によって分断されているからかも知れないな。
つづく
検見川を歩く
検見川を歩く 検見川神社にて
天気の好かった日曜日。
少し時間ができたので検見川の街をぶらりと歩いてみた。
京成の検見川駅で降りて、まず向かうのは検見川神社だ。
いきなりだけど、中沢新一の「アースダイバー」によると、
縄文時代、海に突き出た岬や半島の突端部は、
縄文人にとって異界とつながる強い霊性を持った場所で
墓地を作ったり、神様を祀って聖地にしたのだという。
そしてそういう場所には今でも古い神社やお寺が建っていることが多いのだとか。
で、検見川神社を見てみると、
それが建っているのは検見川の台地が海側にぴょこっと飛び出た場所。
縄文海進の時代にはまさに岬であっただろう場所だ。
鳥居の前の縁起書にも、
縄文時代にこの地で祭祀がおこなわれていた、とあった。
つまり、かつては東京湾に突き出ていたこの地が、古代から現代まで聖地として脈々と存在し続けているのだ。
そして未来もまた、聖地としてありつづけるのだろう。
そう思うと、ちょいとお参りするだけのつもりが
なにやら不思議な感動を覚えてしまう。
縄文から現代、そして未来までその場で目まぐるしくタイムスリップする感じだ。
(パワースポットとかスピリチュアルとか、そういうのは全然興味無いですけど。)
一人妄想にふけり、勝手に感動しながら石段を昇ると、
すぐ目の前に社殿があった。
しかし境内自体はもう現代の神社そのものなので、
縄文の遺跡などがここにあるわけもなく・・・。
よくわからない花や
カエデを撮って
神社をあとにした。
感動してたわりには、意外にあっさり神社は終了。
次回は検見川の旧街道をてくてく歩きます。
ところで、花見川をはさんで対岸の幕張にも
岬の聖地のような場所がないだろうかと考えてみたのだけど、
そうだ、大須賀山はどうだろうか。
あそこもかつては岬の突端だった場所で、地続きの台地上には
縄文遺跡もある。
そしてさらにあのただならぬ雰囲気。
どうだろう?(学術的根拠はゼロです)
検見川を歩く
ヒナソウ
ベランダのプランターに、小さな花が咲いていた。
家族も出かけちゃったし、天気もいいので
のんびり撮ってみる。
どのくらい小さいかというと、
私の小指と比べると、こんな感じ。
せっかくなのでもう一枚。
こういう接写をすると、
自分の体が揺れているのがよくわかるなあ。
柏井町の塚
ちょっと前の話ですが、
家族でイチゴ狩りをしようかと柏井町へ行った際に、不思議な塚を見つけた。
分かれ道の真ん中に、こんもりと盛られた土。
どうにも不自然。
塚は草で覆われており、中腹にはなにやら石碑がある。
近づいて石碑を見てみると、
「石尊大権現」とある。
もともと神奈川県伊勢原市の大山の神様で
富士山やそれを模した富士塚にある小御嶽神社に祀られている。
ということは、この塚は富士塚なのだろうか?
しかし塚の周囲を歩いてみたが、ほかに富士塚らしきアイテムは見つけられず。
頂上にも何も無さそうだった。
あんまり気になったので、近所のレジャー農園の方にちょっと尋ねてみたら
「むかしここから御神体が出てきた」とのこと。
え、御神体??いったい何が出てきたの?これって何なの?
と、ますます気になるところだが、それ以上の情報は得られず。
ネットでも情報は無く、地元の花見川図書館でも資料は見つけられなかった。
結局わからずじまいだが、今考えると
この塚はもともと古墳なんじゃないかという気がしないでもない。
これ自体が古墳だという情報は無かったが、しかしこの周辺に古墳が多いというのは確かなようだ。
ちなみに、ここから歩いて2,3分のところにある大杉神社には
出羽講や庚申講の碑がたくさんあって、ちょっと不思議な場所だったのだが、
その中にこんなものがあった。
仙元宮という文字の上に富士山が。
仙元=浅間、ということかな?塚と何か関係があるだろうか。
結局、謎のままなにもわからず。うーむ。
コジマの裏の桜
今年もコジマの裏にある公園の桜が満開。
今年もいい咲きっぷり。
去年も記事にしたけど、
一年経っても写真の腕前は変わってないな・・・。
また来年もきれいに咲いておくれ。
国立博物館
上野にある東京国立博物館へ。
この日は特別展は催されておらず、平常陳列のみ。
しかしまあ、こういうときのほうがゆっくり見て廻れるし、
博物館の実力がわかるってもんです。
大好きな博物館なので何度も来ているが、
本館に入るとその重厚さに圧倒される。
本館は後で見ることにして、まずは平成館へ。
縄文土器に会いに行く。最近ひそかに縄文時代がマイブームなのだ。
妻には「は・・・?土器?」と言われてしまったけれど・・・。
そしてコチラが、パワーみなぎる縄文土器。
口のまわりに突起がたくさん付いていて使いづらいんじゃないかと思うんだけどな。
その土器の近くには、教科書で見たことのあるこのお方が。
ケースの中でこっそり立っているけれど、国宝だ。
埴輪っていうとなんだか素朴でのどかな感じがするけれど、
これは兵士がモデル。なかなか血生臭い世の中だったんだろうな。
「はに丸」はかわいいんだけどね。
はに丸のそばには、ひんべえもいた。
館内は宝の山だが、じつは本館は建物自体が重要文化財。
こんないい雰囲気の場所もある。
そして向かうは仏像コーナー。
胸の前で独特な印を結ぶ降三世明王がいた。
久々の博物館、じっくり堪能することができてヨカッタ。
ちなみに館内は撮影禁止マークの無い展示物であれば、どれも撮影可能(フラッシュは不可)。
そういえば秋にここで奈良の大仏展ってのをやるらしいけど、
まさか持ってこないよね・・・。
上野公園にて
久しぶりに上野公園へ。
桜が目当てではなく、博物館に仏像を見に来たのだ。
公園の入り口の枝垂桜は満開。
園内の桜も満開。
平日とは思えないような人出だ。
博物館へ行く前に、まずは上野の顔にご挨拶。
花見客を横目に精養軒近くの階段を昇ると、そこには仏塔がある。
塔の中には薬師如来がいらっしゃった。
その塔の脇にいるのがこちら!
上野大仏。まさに上野の「顔」だ。
大き目のお鼻がチャーミングであります。
この大仏、およそ6メートルの釈迦如来坐像だったのだが
関東大震災で頭部が落下。
その後再建されることなく、顔面以外の部位は金属回収令により
供出されてしまったのだそうだ。
ここの仏塔は大仏の再建を願う祈願塔なのだそうで。
いつか再建のなる日をわたしも願わずにはいられない。
交通公園と新駿河
この前の連休最終日、
花見川沿いの交通公園へ初めて行った。
そろそろ三輪車も卒業だから、
自転車の練習にはもってこいだな。
ブレーキのかけかたを早く覚えておくれ。
そしてお昼は久しぶりに
磯辺高校のお向かいにある新駿河へ。
この店に入るとちょっと遠くに来たような不思議な気分になるのはなぜだろう?
なんだか旅先で入った店みたいな雰囲気なんだよなあ。
ちなみにこの日食べたのは「てっさ丼」。
ふぐのお刺身を薬味としょうゆにつけて、タレのかかったご飯にのせて食べるのだ。
ぬぅ、うまい。
今度は麦とろ御膳を食べよう。
久々に休日らしい一日だったなあ。
忘れられない風景
数年前、
瀬戸内海を一人で旅したときの一枚。
瀬戸内海の小さな島の山の上、
オリーブ畑に挟まれた尾根づたいの道の先にある
展望台から撮った写真。
これを見ると、そのとき聞こえたふもとの学校のチャイムの音や
島々を巡る船のエンジンの音が鮮明に甦ってくる。
最近こういう「音」まで思い出せる写真を撮ってないなあ・・・。
アクセスカウンタの暴走で
このブログがランキング1位になってしまった。
これもまたいい思い出だな・・・。