オールドレンズ

仲見世通りのすぐ近くにある小さなカメラ屋さん。
ショーケースにはクラシックカメラや、海外の古いレンズなんかがギッシリ。

古いレンズで浅草を撮るのもいーなー・・・。
僕の今日のカメラ、このレンズ付けられるんだよなー・・・。
徐々に物欲が沸騰し始めた。

あっという間に買う気満々。
じゃあちょっとお店の中も覗いてみるかとドアを開けようとしたら、
あ、閉まってる・・・。
散財しないでヨカッタ。

物欲もストップ!!

浅草にて

随分久しぶりに浅草へ行った。
浅草寺を中心にいろいろ写真を撮り歩いてみようかと。

雷門をくぐって、まずは仲見世を歩く。
この日は平日だったが、さすがは浅草。なかなかの人出だ。

だが以前来たときよりも外国人の旅行客がなんとなく少ないような気がする。
円高のせいかな?
それにしても仲見世のお店は見ていて飽きない。
外国の人々に日本の文化を猛アピール。

値札には”KIMONO”って書いてある。
しかし、やればやるほどキワモノになっていってる気がするのだが・・・。

仲見世のゴチャゴチャな感じ、楽しいなあ。
外国の人にはどう映るんだろ。若干心配だ。
本堂とかは、また後ほど・・・。

出洲港にて

先日、千葉へ出かけたときの帰り道。
車が渋滞していたので、ちょっと寄り道してみた。
場所はお気に入りの夜景スポットである出洲港。
夕方の景色はどうであろうか。


夕日に照らされる工場も夜景と違い、また良い雰囲気。
あれこれ撮影していたら、徐々に暗くなってきたので
そろそろ帰ろうかと思っていると、工場のライトが点きはじめた。
また少し様子が変化してきたので撮影続行。

たくさん撮って大満足。
しかし、空の色はこんなんだったかな・・・。
まあいいや。

ゆかりの家 2

ゆかりの家の内部は外見と同様に落ち着いた佇まい。
典型的な昭和初期の日本家屋だが、庭に面してずっと縁側があるので
室内は思った以上に明るい。
玄関を上がって右側の部屋。
壁には皇弟直筆の掛け軸なんかが飾ってある。

床の間があって、掛け軸もある部屋だけど
天井からぶら下がる電灯は、洋風でおしゃれな感じ。

玄関を上がって正面奥には洋間もある。

皇弟夫妻が稲毛海岸を散策している写真などが飾ってあった。
洋間以外にも室内にはいろいろ写真が飾ってあったが
その中で気になる一枚を発見。
浅間神社の一の鳥居と二の鳥居が両方写っている。

今の一の鳥居のある場所が、かつては海だったのがよくわかる。
思った以上にのんびりできる場所で、かなり気に入った。
しかしカメラがあると、ついつい撮るのに夢中になってしまう。
次に行くときはカメラ持っていくのやめよかな。
ゆかりの家・いなげ その1

ゆかりの家・いなげ

中国清朝のラストエンペラー愛新覚羅溥儀の弟、溥傑夫妻が
昭和12年に半年ほど住んでいた建物(パンフより)が稲毛にある。
場所は稲毛浅間神社の鳥居の脇の道をちょっと入ったところ。
現在は「ゆかりの家・いなげ」として一般に公開されている。

だいぶ日も傾いた時間にちょっとお邪魔してみた。
まずはお庭から拝見。
手入れの行き届いたきれいな庭だ。

ついつい腰を下ろしたくなる素敵な縁側。

座って庭を眺めながらくつろいでしまった。
当時は、すぐ近くの国道14号のあたりが海岸線だったので
きっとこの縁側で波の音なんかも聞こえたんだろうなあ・・・。
海のすぐ近くのこんな家、住んでみたいなあ・・・。
などと、ついついのんびり。他にお客さんもいないので。
しかし外から家をみていると、だんだん上がりたくなってうずうずしてきたので
玄関へと廻ることにした。
引き戸の作る影がきれいだった。

建物内部はまた次回・・・。
ゆかりの家・いなげ その2

空中写真と船溜跡

国土地理院のHPが楽しい。
過去に撮影された全国土の空中写真が公開されており、自分の気になる土地の
戦後から現在までの変遷がわかるのだ。
そこで、幕張船溜跡公園のある場所が、昔はどんな感じだったか見てみることにした。
前から気になっていたのだ。
幕張船溜跡公園はテニスコートや野球のグランドのある比較的大きな公園。
今では片隅にある船の形をした遊具と、地元の漁協が漁業権を返上したときに建てた石碑が
船溜の名残をとどめるのみである。


この船溜跡公園のあたりが写った戦後間もなくの空中写真をみると、
船溜として区切られているような場所は全く無い。
あるのはまっすぐに伸びる海岸のみ。
どうやら現在の国道14号のあたりが当時の海岸線だったようだ。
これが1960年代の写真になると、海岸線の形が大きく変わり
埋め立てが始まっているのがよくわかる。
その埋立地に囲まれるようにして、四角い水溜りとそこから海へ続く水路が写っており
これが船溜ではないかと思われる。
ずっと古い時代から船溜として港のような囲まれた場所があったのだろうと思っていたが
埋め立てが始まってからのことだと知って、ちょっと意外だった。
それまでは漁船はどうやって停泊していたのだろう?
内陸部とちがって幕張のあたりは空中写真でも
ダイナミックに変化しているのが良くわかるので、見ていておもしろい。
僕の家も海の底だった・・・。