香澄公園にテントを張って、幕張ドッグを食べた後、
じゃぶじゃぶ池にて落ち葉を撮る。
ついでにトンボも撮る
拡大してみたら、複眼が見えた!
こんなにたくさんの眼に、ぼくはどう映っているのだろう。
秋も深まってまいりました。
首都高から工場を見る
先日、横浜へお墓参りに出かけた。
目的地までのルートはいろいろあるけれど、ここはやはり湾岸線で行くべきと判断。
何故ならば・・・、そう、川崎の工場地帯を通るから!!
しかしハンドルを握るのは私。
わき見運転をするわけにもいかず、まして工場の写真を撮るなど不可能なので
カメラを妻に託す。
このカメラで工場を撮りまくっておくれ。
浮島ジャンクションを抜けると、
さあ、見えてきた。
工場萌えの聖地。東扇島。
ビビッドな色使いの発電塔。ステキだ。
後ろの席からカメラを連写する音が聞こえる・・・。
並び立つ高炉。
原料ヤードも見えるよ。
タンク群
以上、首都高湾岸線の素晴らしい車窓の景色でした。
写真をたくさん撮らされて、お墓に着いたときには
妻はもうヘトヘトだった・・・。
稲浜ショップにて
高浜にある稲浜ショップで、気になる幟を見かけた。
「オードムーゲあります」。
ありますと言われても、いったい何なのか、その名前からはまったく想像がつかない。
逆さからも読んでみたけど、ヒントは隠されてなかった。
あんまり気になったので、家に帰ってネットで検索してみたら
薬用のローションだった。
もうちょっと怪しいものかと期待していたのだけど・・・。
ちなみに稲浜ショップは、一昔前の雰囲気で
こんなゲームも置いてあった。
スーパーは安くないけど、
八百屋と魚屋はなかなかよかった。
ラーメン屋も美味しかったなあ。
うまづら
馬房で寝てた馬。
すごい顔・・・。
こちらはトロッコ列車の線路。
成田ゆめ牧場にて。
浦安市郷土博物館 再訪
この前の日曜日、浦安にある郷土博物館を再び訪れた。
前回は天気が悪くべか舟に乗れなかったので、今回はそれを目的に。
というわけで、着くなりまずはべか舟に乗船。
小さな水路に浮かんだ舟をボランティアの方が漕いでくれるのだ。
こんな小さな舟で海まで出たのか。
漕いでくれてる人に訊いてみたら、「これでアサリとか採りにいったんだよ~」だって。
この日は日曜日のせいか、前に来たときよりお客さんが多く活気があった。
移築された長屋には休日限定の駄菓子屋さんが。
古い長屋がちゃんと保存されているケースは珍しいそうだ。
耐久性が低かったり、庶民の家のため文化財の対象になりにくいというのが理由のようだ。
昔ながらのオモチャもたくさん。
外でコマまわしに挑戦したけど、ちっとも回らなかった・・・。
うーん、やっぱりここは楽しいなあ。
また来よう。
前回の記事はこちら①、②、③。
旧大須賀家住宅と幕張の街道
加曽利貝塚の東のはずれで古い建物をみつけた。
「旧大須賀家住宅」である。
案内によると、大須賀家は幕張の名主で
もともと幕張町にあったこの住宅を昭和43年に千葉市に寄贈し、ここへ移築。
推定で1741年~1750年の建造だそうだ。
非常に立派な建物である。
管理の方と少しお話しをしたのだが、
藁葺きの屋根を葺き替えるには、人も材料も少なく
7000万円も費用がかかると嘆いていた。
室内には囲炉裏が。
雨漏り・・・?苦労のほどがわかる。
幕張のあたりは、「幕張」、「馬加」などと呼ばれるようになる以前は
「大須賀」と呼ばれていたそうだが、この大須賀家と地名には何か関係があるのだろうか。
ところで、この「旧大須賀家住宅」、いったい幕張のどこにあったのかというと・・・、
旧国道14号、現在の県道57号を千葉方面へ向かい、
浜田川を越えた辺りで子守神社の方へ曲がり、最後は昆陽道路とぶつかる鉤状の道が、
房総往還とも呼ばれる幕張で最も古いかつての街道である。
その旧街道沿いにある幕張三丁目公園。
ここがかつて大須賀家住宅が建っていた場所である。
大須賀家には、明治天皇も立ち寄ったことがあるそうで
公園にはこんな碑も。
旧街道はこんな雰囲気。
緩やかなカーブがいかにも古い街道といった感じ。
よほど用事がないと通らない道だな・・・。
ちなみに、この旧街道沿いにあった「カフェ・アマデウス」
ちょっと気になったので、ケーキを買いに入ってみたら、
和服の女将さんがお店を切り盛りしていた。
おしまい。
加曽利貝塚の記事はコチラ
加曽利貝塚にて
せっかくのお休み。
さてどこへ行こう。近場でどこかいいところないかしら?
うーん、う~ん・・・、妻と二人で散々悩んだ挙句、なぜか加曽利貝塚へ。
加曽利貝塚についての予備知識は全く無し。
駐車場に車を止め、とりあえず近くにあった看板を見てみる。
ふむふむ。
貝塚は北と南に分かれていて、敷地には博物館もあるのか。
では、まず北貝塚から。
少し歩くと素っ気無い建物を見つけたので
中に入ってみると、こんな感じ。
貝塚の断面を見ることができる。
もちろん断面は貝だらけ。
北貝塚は直径130メートルの環状で、縄文時代中期のものなのだそうだ。
こちらは住居の跡。
貝塚というのは、縄文時代の「むら」のあと。
南貝塚も断面が見られるようになっている。
南は直径170メートルの馬蹄型で縄文時代後期のもの。
地図で見ると、加曽利貝塚は意外と内陸にある。
縄文海進で今よりも海が近かったろうが、
それでも近くの川から1kmくらい舟を漕いで古代の東京湾へ出ていたようだ。
調査によると、ここ加曽利貝塚の「むら」は約7000年前から2500年前まで(なんと4500年も!)続いたのだそうで。
それだけここが住みやすい場所だったんだな。
この場所の良さを、当時の人々に訊いてみたいものだ。
敷地には、貝塚の断面や住居跡の他に
復元された住居も。
さらに博物館の前には、土器風の水道があった。
貝塚なんて初めて見に行ったので、いまいち見方とか見所が分からなかったけど、
また何件か見れば、ちょっとつかめそうな感じだ。
次回は敷地内にあった「旧大須賀家住宅」を。
チャリ通
この間の週末は久しぶりに自転車で通勤。
仕舞ってあった折りたたみ自転車を引っ張り出して。
女子高生やママチャリにあっさり抜かれるのはまだいいが、
タイヤサイズが同じくらいの自転車にも抜かれていくのはちょっと・・・。
マザー牧場にて
今日撮ったのはコレ。
アルパカ。
マザー牧場、結構楽しかった。
スキー以外でこんな標高の高い場所へ来たのは久しぶり。
マザー牧場は遠いというイメージが僕の中で勝手にあったのだけど、
そんなことはなかった。高速使って1時間半くらい。
のんびりできて、眺めも良い。ちょっと気に入りました。
また来るからねっ!
聞いてねーか・・・。
古いカメラを買う
以前から行ってみたかった津田沼のフォトノスタルジアで、古いカメラを買った。
ツアイス・イコン コンチナ (ZEISS IKON CONTINA)。
西ドイツ製の、たぶん50年くらい前の機械式カメラ。
西ドイツを出発して、どこをどう巡って我が家に来たのか
それを考えるだけで楽しいし、
電子部品を使用していないため、よほどの壊れ方をしなければ
ずっと使っていけるので、ひょっとしたら自分の孫の代にも残していけるかもと
考えるのも楽しい。
ちなみにこのカメラ、ピントは目測。しかも目安の距離はフィートで表示。
露出計はあるものの、あまり当てにならず、マニュアルで露出を決定。
普通に考えれば、非常に使いづらいけど、撮っているだけで何だか楽しい。
写りも50年前のカメラとは思えないくらい良かった。
難点を挙げるとすれば、ストラップをつける金具がないことかしら。
なので、これに合うカメラケースが欲しい今日この頃。