ずいぶん久しぶりに、工場の夜景を撮りにでかけた。
流星群には目もくれず、一路工場地帯へ。
まずはこのブログでも何度か登場している出洲港で
製鉄所を撮影。
お気に入りの場所でございます。
防波堤があって三脚が立てられないので、
その防波堤にじかにカメラを置いて撮影。
コンクリート冷てえな・・・。
ちなみに、実際はこんなに明るくはなくて
しかも色味もかなり違います。
ほんとはこんな感じ。
水蒸気もまた、いいアクセントになったり。
やっぱり夜の工場はいいなあ。
さて、次に向かうのはJFEの第5高炉。
目指すはフクダ電子アリーナ。
つづく。
以前の出洲港の記事はコチラ
同じ場所の夕景も
アンデルセン公園にて
船橋にあるアンデルセン公園へ。
奥さんの実家の近くだけど、初めて行った・・・。
馬に乗ったり、
じゃぶじゃぶ池で虹を見たり。
私は花を撮ったり。
結構楽しそうにしてたけど、
また行きたい?って聞いたら
「もう行かなーい」だって・・・。
なぜだ!!??
単焦点レンズは楽しい。
稲毛浅間神社で富士山探し②
浅間神社で富士山探しの続き。
稲毛浅間神社で一番駅に近い東側の参道。
ここの鳥居をくぐって水盤舎を過ぎると、右側に小御嶽神社が見えてくる。
多くの富士塚に祀られている神社が、ここ稲毛浅間神社の境内にもある。
実際は富士山の北側5合目にあるのだそうな。
狛犬も富士山っぽい土台に乗っている。
そして小御嶽神社の石盤には「天狗」の文字も。
何故かって?
それは、富士山には天狗がいるからです・・・。
この小御嶽神社の周辺には富士講やその他の講の講碑が
たくさん立っていた。
そんな講碑を見つけるたびに、ちょっと興奮。
ま、別に秘密結社の足跡を追っているわけじゃないんですけど、
なんとなくそれに近い気分。
表参道の燈篭にも富士講のマークを見つけたりして。
「あっ、こんなところにも富士講のサインが!」、そんな感じ。
3つの参道と小御嶽神社、そして富士山の溶岩と思しき岩の貼りついた不思議な祠。
さらにはたくさんの富士講の講碑・・・。
やはり稲毛の浅間神社は巨大な富士塚であった。
変異
新型インフルエンザが変異して・・・・・
「新フル」になってしまった!!!
略しすぎじゃねーのか?
寺だの神社だの、マニアックなネタが続いてるので一休み。
稲毛浅間神社で富士山探し
子どものお宮参りやら七五三で
何度もお世話になってる稲毛の浅間神社へ。
この稲毛浅間神社、神社のホームページに、文治3年(1187年)の社殿再建の際、
富士山の形に盛り土をし、参道も富士山にならって3つ造り、
社殿は東京湾を隔てて富士山に向かい合って建立したとある。
これってつまり・・・・・・、
巨大な富士塚ってことじゃないですか?!
何度も行ってるし、浅間神社がもともと富士山信仰から生まれたというのもなんとなくは知っていたけど、
境内全体を富士山として見たことは無かった。
すっかり富士塚めぐりがマイブームになってしまった今、こりゃあもう一度見に行くしかないでしょう。
はたしてこれまでと違った見方ができるだろうか。
まずは駐車場に車を止め
本殿にお参り。
ネットでちょっと調べたら、境内には富士講の碑や、富士塚の重要アイテムである小御嶽神社など
富士山にゆかりのものがいろいろあるとのことだが、
駐車場から本殿までの間には見つけられず。
正面参道から左の道に入ったところにある、小さな社の建ち並ぶ場所にも
富士塚関係のものは見つけられなかった。
本殿に向かって左側の階段を下りるとある古そうな北側の参道にも、何もなし。
うーむ、何も無いな・・・。
境内全体が富士山だというけど、富士塚らしいものは無いや、
階段を昇ったり降りたりして疲れちったよ。
と半ば諦めつつ本殿にもどると、その右側に「納札所」と矢印のついた看板と
下りの階段を発見。
おお、こっちにも道があったのか。
その階段を下りてすぐにあったのがこちら。
おや?
奥にある小さな祠は一体何だ??
表面には溶岩のようなものが貼りついていてゴツゴツしているぞ。
ひょっとしてこれは!?
と思い、近づいて祠の前の碑を見ると・・・
「包」という字の上に富士山のマーク。
八幡宿の富士塚と同じ富士講の石碑だ!!
やった!見つけたぞ!!
この祠が富士塚ゆかりのものなのは間違いないだろう。
しかしこれ自体が富士塚というわけではなさそうだ。
おそらく富士塚のアイテムの一つで、富士山の麓にある「胎内」とよばれる
洞窟を表しているのではないだろうか。
となると、祠のまんなかにいるこの像は
富士講の根本をつくった「長谷川角行」か。
ん〜、よくわからん。
そんなに古いものでもなさそうだし。
今度、神社の人に聞いてみよう。
富士塚に興味を持たなければ、この小さな祠も目に入ることは無かっただろう。
今まで見えなかったものが、視点を変えると見えてくるってのはなかなか楽しい。
次回は東側の参道で富士山を探します。
つづきはコチラ
上総国分寺へ
八幡宿の富士塚を見たあと、
少し足を延ばして上総国分寺へ行った。
お目当てはこの寺の薬師堂。なかなか良い姿なのですよ。
しかしまずは仁王像にご挨拶。
仁王像って彫るのはどうやら難しいようで、如来像のような動きのない像と違って
ダイナミックなポーズでしかも大きいので
何かちょっと間違うと怪獣みたいな見た目になってしまうのだけど、
この寺の仁王はなかなかの完成度。
かっこいいぜ。
その仁王門をくぐると正面に見えるのが薬師堂だ。
素晴らしい・・・。
入母屋の屋根が大きくてアンバランスな感じがとっても魅力的。
この薬師堂が南ではなく西を向いて建っているのは、
東方浄土にいる薬師如来を表しているからだろうか。
ちなみにここの薬師如来は正月三が日のみ御開帳。
次の正月は行くしかないな。
柿と薬師堂。
寺の南側には原っぱがひろがっているのだが、
実はこの原っぱが古代の上総国分寺の跡。
七重の塔も建っていたって。
近くに市原市役所があるけど、
古代もこの辺りが国の中心だったんだな。
頂上へ 八幡宿富士②
飯香岡八幡宮にある富士塚登拝の続き
この日、富士塚の周りを地元の方と思しきオジさんたちが掃除していた。
聞けば、数日後にあるお祭りの準備をしているのだという。
この方たちがここの富士講の人かどうかはわからなかったが
みなさんこの八幡宿富士を愛しておられるようで
いろいろ興味深い話を聞かせてくれた。
まあ、子連れで富士塚を見に来てるという物珍しさもあって
話しかけてくれたのだろうけど。
で、その方々の話によると、
この富士塚は関東で2番目の高さだという。
50cmだけ低いんだと(ちょっと悔しそうに)言っていた。
また、各地の富士講は高齢化により解散してしまったり、自然に消滅してしまったりしているのだが
ここ八幡宿の富士講はまだまだ健在で、毎年お山開きをして
出羽三山にも詣でたりしてと、元気いっぱいだという。
「この間のお山開きには、浦安に住んでるコラムニストの人が来てくれてね~。」
とも言っていたが、その人の書いた本を読んでここに来たのですよ、私は。
ちなみにこの富士塚、いつごろできたんですかね?と聞いたら
「うーん、かなり古い。」とだけ教えてくれた。あら。
さて、富士塚登拝のつづき。
九合目に着くと、頂上の奥宮の鳥居が目の前に見える。
そしてここ八幡宿富士の頂上がこれだ!!
注連縄で囲まれていたので、頂上に登ることは叶わなかった。
九合目から見下ろすとこんな感じ。おーい。
信仰の対象ではあるけれど、やっぱりこういうところに登るのは楽しい。
富士塚自体も、神社特有の静謐で厳かな張りつめた雰囲気ではなく、
もっと庶民的でくつろいだ印象を持つことができる。
富士山に対する庶民の熱意によって造られたものだからだろうか。
頂上から少し裏手にまわると
溶岩ではなく、丸い石が連なった部分がある。
大沢崩れだ。
大沢崩れとは、現在も崩壊が進行している、富士山の西側にある浸食谷のこと。
まだまだ見るべきところはありそうだが、
麓で家族がやぶ蚊から逃げまどっているので、そろそろ下山するとしよう。
その途中でみた合目石。
木漏れ日と溶岩のつくる陰影がきれいだった。
というわけで、はじめての富士塚登拝おしまい。
またここに来よう。そして他の富士塚にも行ってみよう。
飯香岡八幡宮の記事はコチラ
八幡宿富士①はコチラ
八幡宿富士 登拝
八幡宿にある飯香岡八幡宮の境内の一角、
「浅間神社」と書いた額のある鳥居をくぐると、そこに富士塚がある。
富士塚というのは富士山を模して築かれた人工の山のこと。
その表面は富士山の溶岩で覆い、頂上には富士山から運んだ土をのせ、
さらに実際の富士山にある小御嶽神社や烏帽子岩、頂上の奥宮などを
石碑や祠にして再現。
まさにミニチュアの富士山なのだ。
そこに登れば、本当の富士山に登ったのと同じご利益が得られるって!!
さて、そんな富士塚にどうして行ってみようと思ったかというと
以前浦安の事をあれこれネットで調べていたら、浦安には3つの富士塚があるという記事をみつけ、
そこから富士塚のことを調べたら、浦安だけじゃなく県内のいたるところにあるとか、
しかも千葉県には東京よりも多くの富士塚があるとか、
稲毛の浅間神社は境内全体が富士山を模しているだとか、そんな記事をたくさん見つけ、
もう気になっちゃって気になっちゃって・・・。
気になり出したら止まらなくなり、昨年出版された新書版の富士塚ガイドブックも購入。
予習はバッチリ。
あとは実際に本物の富士塚を見に行くのみ。
ではどこの富士塚にしようかと、しばし検討。
で、思いついたのが飯香岡八幡宮にある八幡宿富士。
ガイドブックで最初に紹介されているし、しかも筆者イチオシだという。
さらに幕張からもそんなに遠くないしというわけで
富士塚初心者の私にとって、うってつけの富士塚なのだ。
前置きが非常に長くなってしまったが、ではいよいよ富士塚に登拝。
あくまでも信仰の対象なので「登山」ではなく「登拝」なのです。
八幡宿富士の表面は富士山の溶岩でゴツゴツ。
富士塚を造ったのは「富士講」と呼ばれる人々。
「講」というのは、信仰で結束された庶民の集団のことで
富士山を信仰する講だから「富士講」である。
信仰の集団というとなんだか怪しい感じだけど、江戸時代には庶民の間に
たくさんの講が浸透していて、どちらかというと町内会のような感覚だったようだ。
そんな富士講の碑も見ることができる。
包という字の上にある三角の線が富士山を表す。
麓で合目石を発見。ちゃんと登山道があるのですよ。
中腹あたりで登山道から分かれて右奥に進むと、小御嶽神社の石碑がある。
富士塚の重要なアイテム。
再び登山道に戻れば、頂上はもうすぐだ。
写真の枚数が多いので、続きは次回・・・。
飯香岡八幡宮の記事はコチラ
続きはコチラ
飯香岡八幡宮へ
昨日のこと。
芳葉さんでお昼ごはんをたらふく食べたあと、
市原市の八幡宿駅のすぐ近くにある飯香岡八幡宮へ行った。
この飯香岡八幡宮、社伝によると653年の創建だとか。
写真の拝殿は県の文化財。さらに奥にある本殿は国の重要文化財である。
なかなか長い歴史のある神社で、しかも久々の秋晴れの一日。
木漏れ日の中、非常に清清しい気分になれた。
が、今回この神社へやってきたのは、お参りをして
何かしらのご利益にあずかるのが目的ではない。(もちろんお参りはしたけど)
本来の目的はというと、
境内の南側、拝殿に向かって右の奥の方へ歩いていくと見えてくる・・・
これ!この山!!
この富士塚へ登るのが今回の目的なのです!!
というわけで次回は、大興奮!初めての富士塚登拝。
川越へ
連休中のこと。
「小江戸に行きたい」という妻のアバウトなリクエストを受け
川越へ行くことに。
千葉の大多喜も小江戸と呼ばれており、どちらにするか悩んだのだけど、
川越も大多喜も、幕張からはだいたい1時間半。
同じ時間かかるなら、より有名なほうに行ってみるかというわけで。
しかし世の中はシルバーウィーク真っ最中。
当然のごとく渋滞に引っかかり、結局3時間以上かかって川越に到着。
着いたのは昼過ぎだった・・・。
そしてそのようやく着いた川越の街は、人と車でごった返していた。
もうとにかく人だらけ。
右も左もいまいちよくわからないまま歩いていたら、
「時の鐘」に行き着いた。
旧市街のランドマーク。
その近くの大通りに出ると、蔵造りの古い街並み。
街道沿いに蔵が建ち並ぶ。
風情はあるが、道が狭く交通量も多いので結構危ない。
川越のこの蔵の街並みは、明治の大火の後に形成されたのだそうで。
あら、結構新しいのね・・・。
蔵造りのお店の屋根にはかわいいマークが。
こちらは種屋さん。
こちらのカブは漬物屋さん。
さて、ほんとはもっとゆっくり散策して、写真もたくさん撮りたかったのだが
人をかき分けて歩くだけでもうヘトヘト。
駄菓子屋横丁でお土産でも買って、さっさと帰ろうという話になり
移動してみると、そこには身動きもとれないほどのさらなる人混みが。
そんな中、どうにかこうにか撮った一枚がこれ。
前田のクラッカー。
初めて見たよ。
今回は下見だ。
また来よう。今度は平日に来よう。という思いを胸に、川越を後にした。