379、冬の称名寺

12月24日(月)、世間ではクリスマスイブ、朝から冬晴れで冷え込んではいるがおだやかな天気である。相方が仕事が休みなので、称名寺へ行こうか、ということになり急きょ出かけることになった、いつものことなのでもう慣れっこである。
 蒲田から京浜急行・特快で30分もあればいけるのでそう遠くはない、ただ電車に乗るのですいている時間帯ではないと迷惑になる。今日は振り替え休日ではあるがこの時間はすいていてゆったりと座っていけた。
 
 称名寺を開いた人が北条実時、墓もあるので名前くらいは知っていたが、先ごろさいとうたかおという漫画家が描いた「北条時宗」という中でなかなか重要人物として登場している。
改めて見直して今日はしっかりと手を合わせてきた。
称名寺裏山に墓があるのだが金沢北条とくらいしか認識はなかったが、お詫びも兼ねてお参りをした。
 1か月前に訪れたころに比べると紅葉もすっかり散って枯葉のなかの散策となったがこれも一興、風流だねぇ。
風が冷たくて寒い・・・私の懐は年中寒い・・・(すみません、本音が混じったおやじギャグである)
 さすがに今日は人も少なかったので頂上の八角堂ではゆっくりとおにぎりをほおばった。
今日は見晴らしもよく北東には横浜のランドマークタワー、西には富士、南にはシーパラダイスから横須賀湾・・いい眺めだねぇ。
 今では何気ないこういうひと時に幸せを感じる、年齢の成せるわざか、単なる年寄りになったのだろうか。
 思えば40数年前、平凡な人生は送りたくないと九州宮崎県から意気こんで上京して、挫折の連続の果てに今がある、
 しかし、幸いにも住む家があり、伴侶があり、家族としてのペットもいてどこにでもありそうなごくごく平凡な日常を送らさせていただいている。
 
 平凡な人生を平凡に生きることがすなわち非凡である。
どこかで聞いたような記憶があるが、言われてみればそうかもしれない。人間半世紀も生きていれば誰だってそれぞれの修羅場はくぐってきているのである。
 
 今、宮崎県北の高校の同窓会のスタッフとして動いているが同年代ながら全く違う職種の人達との交流がありそれぞれ皆さんいい顔をしておられる、一緒にお世話をしていてうれしいねぇ。
 詩吟の世界もそう、年齢に関係なくせわしく動いていて終わって一杯やるのが楽しいのである。
空手、もちろんしかり、空手のパーティーなどに出席して先生方との交流にも嬉しさを感じる。
 そんなこんなの思いをしながらこの雑記をまとめているが、昨年に比べると今年はいい一年であったとしみじみ思うねぇ。
 今年も、今月も、現在も、ただただ 感謝!である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です