393・将門塚から・・

東京に住んで40年、ちょっとした歴史好事家を自認しながら、将門塚には行った事が無いという、少々忸怩たる面を持ち合わせていた。
 3月28日、空手は休み、この春ののどかな日皇居の花見にでも行こうかという誘いに乗じて、将門塚に寄りましょうということでようやく念願がかなった。
 日本史上三悪人の一人と数えられているが、それは権力側からの勝手な押しつけで、庶民側から見ればまさに英雄の一人だという感想をずっと持ち合わせていた。足利尊氏しかり、幕末の大塩平八郎もそう、マニアックになるが幕末の雲井竜雄もそうだと思っている。
 将門塚にはサラリーマン風の人が次から次へとお参りによるのだねぇ、ここは東京のパワースポットとしても有名なのだそうだが、私は純粋にお参りに来ただけであって詳しくは知らない。
碑の周りに蛙が並んでいるのは、帰る、というのひっかけてサラリーマンたちが転勤などから無事に帰るという意味も込めてお参りに来るのだそうである。
 念入りにお参りをしてお堀へ向かう途中昔カルガモが濠に引っ越すのでテレビでずいぶん騒がれたビルの池を通った、ここから濠まで引っ越したのだねぇ、ご苦労さん。
 そう思いながら濠へ行くとまた像が立っている、碑文を見ると和気清麻呂という、私も詳しくは知らないが、弓削道鏡の謀反から皇族を救い、戦前ではお札にもなって、楠正成らと並んで三忠臣として有名だったらしいのである。どうも日本では日本三景などにみられるように
この三・・などとつけるのが好きらしい。
 そこを過ぎて、人の流れるのを見て皇居の中に入って行った。
昔の江戸城である、平河門をくぐるとまさに時代劇に出てくるような場内である。
芝生の中を進んでいくと、松の大廊下跡、などの札が見えて、あの忠臣蔵、「各々方お出会いそうらえー、浅野殿刃傷にござるぞ!!ー」でおなじみのところか・・しばしたたずみ当時をしのぶ・・・しかし、面影のかけらもない・・。
 そこを抜けると天守閣跡があり、一応上がってはみたが明暦の大火で焼けたとかで、ただの広っぱである。この先が大奥、向こうに中奥、こちらが鈴をつけて将軍が通ったという廊下か・・・などとあくまでも私の推測のうちに時が流れるだけである。
 出口に行くときれいな桃の花が咲いており、何とも心が和むのを覚えるねぇー。
で、まわって千鳥ヶ淵へ行こうとしたら高速道路などに阻まれてずいぶんと遠回りになる・・
仕方がないのであきらめて濠の周りを逆にまわっていくことにした。
半蔵門から桜田門へと向かう、桜田門は工事中で養生がしてあり趣もあったものではない、それでもこれはこれで記念だというので一枚…悲しい性か。
この後銀座まで行って一杯やるのだが、書いてる私もつかれた・・ひとやすみ、ひとやすみ。

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