6月29日(土)、鎌倉市材木座の光明寺において、内藤家供養の儀式が行われ、延友会の人達とともに計19名で参加をしてきた。
私の地元延岡では、江戸時代、現在の福島県いわき市から内藤の殿様が転封されて幕末にいたり、現代ではいわき市と兄弟都市となっているのだという。
そのいわき市からはバス二台に分乗して来場され前日には墓掃除をしたのだそうである。墓掃除といったって昔の殿様の墓である、一人一人がべらぼうに大きく、それが何代も続き真ん中に内藤の初代の殿様の墓、その向こうが磐城藩代々の墓、入口のほうに延岡藩代々の墓があり、これだけの人数で一日がかりの掃除なのである。
法要には鎌倉市長も参加して行われ、壮大さにびっくりした。これは、一高校のOBが声かけて行えるものではない。いわき市からも市役所の役員が参列している、来年は延岡からもそれなりの人が出席しないと恥をかくのである。
いわき市からは地元の「ジャンガラ踊り」を披露してくれたり、なんと延岡の「ばんば踊り」まで奉納してくれたのにはびっくり、私も2,3人の人とあわてて参加をしたのだが、ここでも忸怩たる思いであった。
いやぁ、ほんの墓参りのつもりで参加をしたのだが、来年からは延岡出身の人を募ってもっと大々的にやらねばみっともないのである。
幸い今回はばんば会の役員も参加したので来年はもっと大規模なものになるのであろう。
郷土愛を発揮させねばなるまい。
昼過ぎには終わり、私は稽古があるので失礼したが何人かは残って席を設けたのであろう。
今回は色々と勉強させられたことであった。