332、12月14日

時は元禄15年12月14日、江戸の夜風を震わせて響くは山鹿流の陣太鼓ひと打ち二打ち三流れ…
 とおなじみのこの日は赤穂浪士の討ち入りの日で、高輪の泉岳寺では毎年この日は行事が行われる。
今年も、クウの散歩を早めに済ませ、7時ころに家を出て泉岳寺までお参りに行って8時過ぎには戻ってきたが、
京急蒲田に住んでからは、京急線で直接行けるので大変便利で簡単に行けるようになった。
 泉岳寺に着いてみると当然早過ぎて露天商のみなさんは準備でおおわらわ、小雨の中ご苦労様である。
お参りをして、社務所で御朱印をもらおうと行くとまだ窓口に鍵がかかっており呼び出して記載してもらったが今年は私が一番のりだな、若い坊さんが一生懸命に記載してくれたが早くから気の毒なような・・昨年と違って文字が新人の記入であるが、慣れない人が一生懸命に書いてくれたようでこれはこれでありがたい。
 
毎年この時期は、忠臣蔵である、それに合わせるかのようにテレビや舞台などでも上演されるが、私もその関係の場所には行っている。
 両国の吉良邸跡でも行事が行われる、ちと淋しい人出ではあるが・・。
南部坂雪の別れとなった場所へも行ってみた、道中この坂を歩きながら大石内蔵助の胸中を思いながら歩いたものだった。
 しかし、事の発端は,殿中松の廊下の刃傷沙汰が始まりなのだな・・あの時浅野内匠頭が切り掛からなかったらこのような大事件には至らなかった。
 この浅野家には癪持ちの系統でもあったらしい、辛抱さえすれば・・・
何事にも、たら、れば・・はつきものだが・・これが歴史である。
小雨も午前中には上がって行事がうまくいったであろう、この日は行列行進なども予定されていたそうで、何よりであった。
 
 さぁ、これが終わるといよいよ年末に向かって一直線だな。
今年も正月に向けてまっしぐら…である。
 

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