423、のべおか観光大使

なんとこの私がこのたび「のべおか観光大使」に委嘱されその任命式に帰延することになった。
11月8日、観光大使第1号に委嘱された高山さんが東京から経営者とともに延岡へ行きレセプションがあるので、その席で3人が新たに任命されその一人が私というわけである。
 会場は9月に延商の同窓会で出席してきたところである。
早めについたので準備中の若鮎レディと写真に納まったり、兄も招待されていたので一緒に納まったりして本番を待った。
 すごいねぇ、市長をはじめ商工会議所の重鎮らが勢ぞろいした感じで延岡の経営者の皆さんが200人近くも集まりそれはそれは壮観であった。
 その中で新たな観光大使3名が紹介され、また挨拶もさせていただき、私もマイクを握って挨拶もし、委嘱状と楯をいただいた。いつもは大会などで手渡す立場なのだが今夜はありがたく頂戴した。
その後宴会に入ると次から次へとあいさつをされて余分に持って行った名刺が初めてたりなくなった。
 これには焦ったねぇ、それで急きょ関東延商会の名刺を持っていたのでそれでその場をしのいだ。さすがにこれだけの反響といおうか、忙しいとは思わなんだなぁ慣れないこととはいえ読みが浅かった。
 新しい大使3人はごく一般の人なので、空手家は私一人で、終わりに演武をやってほしいと言われた。快く引き受けたのはいいが、最後ということは食べるのはともかく飲めないということである。皆さんがお祝いで次々にビールを持ってくるのにうまくごまかすしかない。
 早めに準備をしてマイクの裏でスタンバイ、いよいよ出番が来て司会者が紹介をしてくれる。
宴台に上がって演じたのは沖縄首里手では代表的なナイファンチ初段である。この型は全世界でも通じる型である。
まさに、・・・十よりかえるもとのその一・・・である。
 力強く演じ、しばらくマイクを持って場をつくろって呼吸を整え、今回の受賞につながった詩吟の縁を話しながら、腕に付けている「毘」のワッペンの説明をしながら、上杉謙信といえば「川中島」一つ吟じさせていただきます、ということで吟じたねぇ
 鞭性粛々 夜河を渡る~今夜は声の調子も絶好調!拍手喝采、最高の気分であった。
 最後に万歳三唱で締めくくったのだが、正直演武のおかげであまり食べていないのである。
 そしたら全然知らないのだが商業高校の先輩にあたる人が、ちょっと付き合ってくれということで繰り出した。
こういう場で商業高校卒業の人が紹介されたのが大変うれしいといって喜んでくれた。私もその気持ちはわかるので喜んでお付き合いをしたのだが、延岡の飲み屋街も金曜日のせいもあってか結構にぎわっているではないか。
 二軒ほどお付き合いをして実家に戻ってきたのだが、一空手家がこういう席で壇上に上がるなど大変うれしいことである。
 さっそく翌日の地元新聞では掲載され知り合いからメールや電話をいただいた。
 これも月刊空手道「温故知新」で4年も掲載され、また詩吟の友人がこれを強く推薦してくれたおかげである。
 皆さんとの縁に結ばれて生きている、否、生かされている、まさに感謝、感謝の一言である。

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