467,2014年12月14日

このマンションに移り住んでから6年、電車の便利さもあって12月14日には毎年、泉岳寺へ参るようになった。何しろ乗り換えなしの10分で行けるのである。
この日も、朝5時に起きてワンコウの散歩を済ませ6時28分の泉岳寺行きに乗って10分で付くと、まだ、露天商の人達も準備に入る前車がようやくついたばかりの人も多かった。
 その中を抜けて墓参りに行くのだが入口では上野介の首を洗ったといわれる井戸がありその前を抜けて墓へといった。
入口で線香を売っているのだが、今朝は早すぎてまだその準備もできていない。仕方がない、お参りをして手を合わせてきただけである。
 で、御朱印をもらうのだがその窓口も7時からだそうで10分ほどその前で待つ。ようやく開いて、預けてまた10分ほど待って取りに行く。
 そして7時20分発の泉岳寺から電車に乗って蒲田へ戻り7時半には部屋に戻って日常の生活に戻っている。
細君はそんな行動を知る由もない、いつものように8時ころに起きだしてくるのである。
 そしていつもの日曜日のように9時前に出て私は戸塚教室の稽古へ向かった。
今日は、衆議院総選挙で幕張の体育館が使えず休みとなったので、戸塚で二部の稽古まで残って行い、終了後はその上の階の居酒屋で忘年会となった。
 急きょの呼びかけで子供もいれて9人で行ったが昼間のビールも効いてくる。先週の全国大会の話などで盛り上がりワイワイと話したが個人の反省の話はなかったなぁ。詩吟の忘年会では必ず、一人ひとり話して回るのだが、どうも空手は話に夢中でそのまま終了となるようである。ま、それもいいか・・・。
 忠臣蔵の話だが昔は忠臣の義士として、尊敬もしてお参りも欠かさなかったが年を重ねると討たれた上野介も立派な名君であったそうで、随分と見方が変わってきた。
 浅野の殿様がもう少し我慢をしてやりすごしたならば、一族郎党家族のみんなにもあのような迷惑はかけなかったと思うのだねぇ。
家族の悲劇を仇討に向かわせるような芝居には最近共感を覚えないようになってきた。やはり平穏無事につつがなく過ごすことが一番の幸せのように思えるのである。
「温故知新」では昔の出来事を参考にして勉強していくのだがやはり歴史は繰り返してきているのである。それらを振り返って現代では回避すべき道を模索するのが、温故知新の活用だと思っているのだがねぇ。
 12月14日、いろいろなことを勉強するのである。

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