481,ブラ蒲田

5月の陽気を思わさせるような3月30日(月)、体調が思わしくなかったが陽気に誘われるように近所を散歩することになった。

マンションの噴水広場の桜も満開で呑川沿いの桜もきれいで、このような眺めを満喫できるなんぞ、平和でありがたいねぇ。花見をようやく楽しめるようになってきたような感じがする。
 NHKテレビで「ブラタモリ」という番組が再開されたそうで、これにあやかってか「ブラカツミ」などというタイトルをつけて写真をいつの間にか撮っていたみたいでパソコンに送ってきた。
<img src="/usr/u/e/s/uesugikaikan/IMG_20150330_114208.jpg"
 別に雑記に掲載するほどのことでもないが、私の後ろ姿なんざぁ、私も見たことがない、ここはひとつの記念にアップしておこうかね。
それにしても改めてみると年を取ったねぇ、「犬と老人」このようなタイトルになりそうなショットである。
 でもさみしさとか、厳しさとか、そういうものは感じないような幸せなひと時であるのが伝わるであろうか。
「日日是好日」
このような感じで過ごしている今はのどかで幸せで、感謝で過ごす毎日である。

480,鶴岡八幡宮

甥っ子が今年厄年だそうで、おはらいをしたいということで、鎌倉の鶴岡八幡宮へ連れて行った。平日の午後2時過ぎは人が少なくて私たちは前の組が始まったそのあとに入ったようで、祝詞をあげるときに一番最初に私の名前が呼ばれてにんまり、気持ちのいいものだ。
甥っ子は厄払いだが、私はとりあえず家運隆盛、というところかね祈祷をしてもらった。
終了後は、御朱印帳に記入をしてもらって並んでいるときに目に留まったのが、ペットのお守りである。びっくりしてみたが、考えてみればペット仲間のレトリバーが末期がんで寿命よりも早く終えようとしている飼い主のやせた姿を見ると私までつらくなるものがあるが、やはり寿命まで生きてほしいという願いはある。何の迷いもなく買い求めた私に、自身で驚いている。
小さいころ新聞配達のころに配達先の犬に追われて犬は大嫌いだった私である。私も変わった・・自分で思うねぇ。
 終わって頼朝公の墓に参って、道中上杉家の歴史と源氏とのかかわりを説明しながら歩いたのだが、若い世代にも少しは響くものがあったのかね、真剣に聞いていたようだった。こういうものは語り継がなくてはいけないと思っている。

八幡太郎義家の伝説、我が家の蔦の家紋、宗派、曹洞宗の由来など武士にまつわる歴史などを説明した。
 墓へ参ると地元のボランティアの人がいて、また詳しく説明をしてくれた。毎日花を手向けているそうな・・ご苦労様である。
その後、八幡宮へ戻り、小町通りを散策しながら入り口の不二家で一休み。
 少し歩いたようでそこそこの疲れも気持ちのいいものである。
 春のひと時、いい記念にもなった。

479、桜開花宣言

3月23日(月)、東京地方では暖かい一日だったが、開花宣言が発表された。
この陽気に誘われて、久々に称名寺へ行こうということになり、京急に乗って金沢文庫駅まで乗車、そこから歩いて約10分ぐらいかね、称名寺へと着き、裏山のハイキングコースを歩いていい運動になった。門前には桜並木があるのだが花見にはちと早いようである。

 平日なので出会う人もいないのでクウも自由に走って満喫している。道中スミレの花がたくさん咲いて武骨な私でさえも心をなごませる。

結構アップダウンがあるコースなのでそれなりの運動になって、頂上の八角堂に着くころは汗をかいて気持ちのいい眺めを楽しんだ。
 富士山から横浜や横須賀まできれいに見えるのだが、この日は暖かくてもやがかかっておりいまいちの眺めであった。
軽くおにぎりを食べた後はまた来た道を帰っていくのだが帰りは帰りでこれもまたいい運動である。
 降りて称名寺の横に金沢文庫があり、2,3度入ったことはあるのだが鎌倉時代、金沢北条市の本拠でなかなか由緒あるところなのである。
そこからの戻り民家の庭園にチューリップの花がたくさん咲いてあって通りゆく人の目を和ませてくれるのだが、このようなところでのんびりと老後を過ごすのも贅沢だねぇ、あこがれもするが私にはとても望むべくもない。
ちょっと失礼をして写真を撮らせてもらったが、春の気分を満喫していい一日であった。
 のどかな春日和ワンコウ共々のんびりと散策できてこの平和な日本において幸せを感じる、ありがたいことである。
のんびりとして気分一新。
 これから講習会・大会などが続くが張り切っていくとするかね。

478,三崎のマグロ

京急の「みさきまぐろきっぷ」を買って今年も三浦海岸まで出かけてきた。
食事券と施設利用券がセットになっているのでお得なのである。
 3月17日三浦海岸駅に降り立ったのだが、河津桜祭りはおとといの15日で終了していて出店などはしっかりしまっていた。
桜も葉桜になっている部分も多くて少し時期遅れ、という感も無きにしも非ず、それでもせっかく来たのである。昨年のように池の周りまで行ってきた。

 そして駅前の提携寿司屋でお昼を食べた。ここは回転ずしなのだが、マグロなどは新鮮でおいしいものがあり、近所のすし屋などを回った人の話だと、ここの回転すしが一番おいしいのだそうである。12貫も出てきて食べきれないくらいの量だったねぇ。
 おいしくいただいた後は、少し歩いて登り、三浦アホロバ温泉へ行き、三浦半島唯一の天然温泉に入ってきた。
入り口では恵比須・大黒の両神様がお迎えである。
 マンションの売買も絡んでいるので、ここはうまくいきますように・・・神頼みである。
昼間の平日のこの時間はお客も少なくてのんびりと過ごして極楽極楽・・
 ゆっくりとくつろいで2時にはすべて終えた。
朝の9時に出たので、半日もかからないで温泉に行ってきたような気分になれる。
 有意義な一日を過ごせてまさにリフレッシュ。
つごう、3060円ですべてが事足れた、得した気分で、いい一日を過ごしたねぇ。

477・花物語その3・西郷記念館等々

3日目は予報通り雨となり、朝一番で延岡の名酒「千徳」の蔵開きで大勢の人に交じって出かけて試飲をするなど朝から酩酊状態である。

 その後、明治10年西南戦争の決戦地「和田越えの戦い」において西郷隆盛が最初で最後の陣頭指揮を行ったという場所へ行き、ようやく吟行会の本領発揮「城山」をみんなで吟じた。
 そのあとは、西郷さんが3泊したという、今は西郷記念館になっている屋敷を訪ねてやはりここでも一吟、いいねぇ、以前一人で来て吟じた時よりは迫力が違う天まで届け、という思いであった。

 そのころから雨も上がってきたので、日向市美々津へ向かい、神話時代、初代天皇神武天皇が東征のために船出をして、ここが日本海軍発祥の地、とされているところへ行ってみた。
 私も何回も通り過ぎたことはあるが実際に降りてみるのは初めてのことである。
何かタイムスリップして遠い神代の話になるねぇ。
その後は宮崎空港へと向かい、少し早く着いたので、戦時中この宮崎空港からも特攻隊が出撃して600名あまりの若人が散ったという。
その碑があるのでそこへ参ってから宮崎空港へ行き、夕方4時50分初の飛行機で羽田へ戻ってきた。
 今回は弟がレンタカーを手配して皆さんを案内してくれて大変助かり、喜んでいただいた。
高千穂では同行した兄からの差し入れなどによりみんなが楽しんでくれた。
 兄弟の助けを借りて楽しいツアーとなって皆さんにお礼を言っていただいたが。こういう絆のありがたさを思い知らされたことでもあった。
かくして楽しい2泊3日のツアーは終了したのである。

476・花物語その2、式典と高千穂

2日目は、河川敷で式典が行われ、菜の花が満開で野点をいただいたりもした。


 終了後は高千穂へと向かい、神話のふるさとである。若い人にはなかなか神話が伝わらないが、今回のメンバーは詩吟の友人なので喜んでもらえた。
 なかでも有名な「真名井の滝」は受けた、その後「天の安原」へ向かい天岩戸神社では掛け軸や,御朱印帳を買い求めるなど好評であった。



ここで、大分県の友人和田さんが合流して一緒に行くことになった。
 夕方までいて戻り、ホテルの近くで食事をして土産なども買ったが、名物「虎屋」の破れ饅頭は好評で皆さんが買い求め、名物社長もニコニコでお土産までいただいた。
 そして今夜は10人が昨夜のスナックに繰り出して盛り上げ、昨夜以上の盛り上がりであった。

 かくして2日目も無事終了。

475.延岡花物語ツアー、日南海岸・鵜戸神宮

2月20日(金)、午前9時に羽田空港に12名集合して10時発の飛行機で一路宮崎空港へ・・11時50分に宮崎空港に着くと弟が迎えに来ていて、天気がいいので予定を変更して日南海岸から青島を見て鵜戸神宮へと向かう行程になった。
 まずは堀切峠から太平洋を眺め南国らしいパームツリーの下で記念写真である。
それから、海岸沿いのレストランでお昼を取り、青島へ向かうと通称「鬼の洗濯岩」と呼ばれる岩石が続く。
宮崎県に来たねぇ。その昔、昭和30年代の新婚旅行のメッカであったが時代の波でずいぶんと観光客も少なくなったが、今でも昔ながらの相変わらずの光景が迎えてくれた。
私の写真がないので同行者の写真を失礼ながら掲載をした。
 そのあとは、鵜戸神宮へと向かい、その作りに驚嘆をし、「運玉」と言って男性は左手で女性は右手で願いを込めて投げ入れてうまく入れば運がかなうといわれるところである。


 お参りの後延岡へと向かいホテルで荷物を降ろして、花物語・歓迎会の会場である「メリージェ」へと向かい、100名近い関係者が集まって盛大に行われ盛り上がったねぇ。
 私も観光大使としてあいさつを突然指名されたのだが、無難にこなして終えた。
終えて、ホテルへ戻る途中ホテルの横に開店一週間のスナックがあって安い料金で交渉して約1時間、歌うなどして楽しみ、第一目が終了である。

474.新年会

2月1日(日)、毎年恒例の連盟新年会を蒲田において行った。
出席者は近隣地区の先生方だが、当日は所要と重なり欠席者も多かったが、それなりに集まって楽しく過ごし、連盟の団体の友好を深めたようである。
 遅れて真錬会の山脇師範も同席されて今年の顔ぶれもそろって、新しい展開への話も進み今年はまた違った日防連へと発展するのではないだろうか、加盟団体以外にも幅広く声をかけていって友好の輪を広げていこうという話にもなって皆さんの希望に沿って私も活動していかなければならない。
 今の団体活動で私は十分で波風を立てずに穏やかな日々に感謝をしているのだが、他の先生方の意気込みが伝わってきて任せてみようかという気持ちになったが、そのような先生方が出現して活動してくれることは大きな喜びでもある。
 今年の行事予定も配布したが今年は6月に全国ジュニア大会を大田区総合体育館メインアリーナで開催されることが決まっており、大きな希望が持てるのだがその前に神奈川県大会もある。
 大会規模も広げていくようになるであろう、そのような意見も聞かれ、今年は新たな展開を見せるだろうねぇ。
毎年、締めの言葉は、今年も仲良くやっていきましょう、という言葉だが、今年は、さらなる発展のために頑張っていきましょうという、積極的な言葉になった。
 皆さんの意気に感じて、頑張っていきますかな。

473.ドイツ村からのこぎり山

1月26日(月)、天気も持ちそうなので千葉方面へ出かけようということになり、シェアカーを借りて、アクアラインを通って木更津のほうへ向かった。
平日の午前中ということもあってアクアラインもスムーズにとおり一気にドイツ村まで行った。
はじめて行ったのだが、ここはイルミネーションで有名で本当は夜に来るといいのだろうがとりあえず、ということで来てみたが、パターゴルフをする人以外は何にもないだだっ広いところだね。
 しかたがないので、わんちゃんランドのドッグランでちょっと遊んでから出てきた。

それで、せっかくだからのこぎり山へ行こうということになって向かったが、ここも何年振りだろう。
 昔の館長雑記にアップした記憶があるが、その時は前のワンコウ、プウチャが健在で山の中をあっち行きこっち行きして大変な思いをした記憶がある。
案の定今回も同じような目にあった。
今回は観月台があるというところを上ろうと向かったが、行く前の階段の急なことおまけにちょっと前の雨の影響が残っており、クウなんかは杉の葉っぱや泥水で大変な状態になりあとで大変なことになるのだが、今は、ただ上ることに専念しているのである。
 ようやく観月台に上るとさすがに見晴らしもよく気分爽快なのだが、ここから頂上を目指そうということである。
それで標識に従って登って行ったのはいいがついた先がお寺となっており、ここは、私たちが目指していた頂上とは違うということである。
 さすがに気分も落ち込んで、時間もないのであきらめて降りて、帰路に就いたのだが、今回も階段をはじめ大変な思いをしたねぇ。
ましてや最初からの目的ではなかったのでなおさらである。
 降りて車に乗る前にはクウの足を洗ったり、体にくっついた枝木を払ったり結構な時間をくった。
夕方には戻ってその日の空手の稽古には間に合ったのだが、いやぁ、いい運動になったねぇ。
何年ぶりかののこぎり山であったが、今度はロープウェーで頂上まで行ってみたいものである。

472・総持寺

1月15日(木)、B級グルメの仲間で総持寺をお参りしてから東神奈川近くの宮崎の暖簾が出ている店で食事をしようということで出かけてきた。
 出かけるときは曇りであったが、そのうち雨が降ってきて本降りとなってすっかり濡れた。
総持寺へ行ったはいいが、石原裕次郎の墓は見当たらないどうも反対の方角へ来たらしい。人に聞いてそちらへ向かったが、途中、大西瀧治郎の墓があり、ビックリして手を合わせてきた。
 大西瀧治郎、先の大戦で特攻隊の生みの親とも言われている人である。
私もよく存じ上げて、映画も見た、靖国では終戦翌日に自決した日本刀が展示されていてその人の生きざまを見たようであった。
あの当時は「やむにやまれぬ大和魂」ではなかったか。
多くの将校が敗戦後は生き抜いてきた中、責任を取って自決をしてその自決も介錯をさせずに苦しみながらの最後であったという。
 あのような人は少ないねぇ。
 もちろん心を込めて手を合わせてきたが、雨にもかかわらず線香と花の供養は絶えていなかった。
そうこうしながらようやく石原裕次郎の墓に到着して、その広さと規模にびっくりして、ここも花と線香が絶えないらしい。
以前供養の時にワインが配られることがあってきたことがったが、何しろ鶴見駅の改札を出たとたんに行列ができていてさすがにあきらめて以来の参拝である。とはいってもその時はお参りをしていないので今日が初めての墓参りである。
 石原裕次郎の歌は今でも私のカラオケのレパートリーの一つで身近に感じているが、私より少し前の映画全盛のころの人である。
 もちろんその後のテレビの刑事もので有名ではあるが、私にとっては映画全盛のころの姿が焼き付いているんだねぇ。
裕ちゃんの供養の時は、よく雨になるということを聞いたような覚えがあるが、今日もあいにくの雨でゆっくりはできなかった。
 鶴見は近いので今度はいつでも行けるだろう、一人でも行ってこようかと思っている。
 それから、東神奈川へといき宮崎の看板が掲げてある店に入ってみたが、昼時はランチメニューだけで何か味気なかったね。
そこのマスターは横浜の人で宮崎で若いころ修行したという人で、地元の話では盛り上がらなかった。
ま、こういうこともあるわな。
 で、近くの喫茶店でお湯割を飲んでお開きとなったのだが、ここ東神奈川は40年前に住んでボクシングジムに通っていたころの青春の場所でもある。
雨も激しくなったので散歩もできなかったが、通りすがら懐かしいところもあったねぇ。
 雨も冷たくなり、氷雨となった午後であった。