342、花見

2012年4月9日(月)、絶好の花見日和である。
東京へ出てきて40年、あちこちの花見に顔を出したり、通ったことはあるけれど、ここ上野公園では席を設けての宴会は行ったことがなかった。
 今回姪っ子が出てきて花見がしたいということで、どうせやるなら上野でやろうということで以前からこの日に決めてようやく行った。
 上野公園での花見なんぞ昨日おとといの土曜日はさぞかし大変な混みあいでとてもとても場所など取れなかったでしょう。
 平日のメーン通りを外れた場所でもこのとおりである、帰る頃には続々とグループが来ていたので夜は満席であったと思われる。
私たちは、お昼に来て2時間ぐらいで切り上げたのでちょうどいいあんばいであった。
 何しろ初めてということで、まずは場所の心配もあったのでごくごく身内だけの宴会であったが、長年の友人日比野さんもこの日はあいてます、ということで急きょ参加して都合5人、こじんまりとした花見であったが、これはこれでよかった。
 
行楽に天候はつきものだが、今日は5月の気候で上着を脱ぐほどの陽気、快晴、絶好の花見日和である。
 満開の桜の花びらがヒラヒラと・・・飲みかけのコップに1枚浮かべておつだねぇー。
会場が混みすぎても嫌だがそこそこ人がいたほうが宴会気分になる。
そういう意味でも今日は本当に最高の日和であった。つい、仕事中の兄弟にも電話をするなど迷惑もかけたがそれくらいの満足感であった、今度は親兄弟を呼んで行いたいものだ。
 日比野さんが、サンシンを持ってきたが、こんなところで引くと大勢集まって収拾がつかなくなるだろう・・ということで、カラオケに行って楽しむことになった。
 さすが上野だよ、その手のボックスは至る所にある。
会員証を見せて2時間、平日の昼間料金ということもあって驚くほど安い、最後までお得感を感じて、誠に楽しい一日でした。
 この分だと来年は更に規模を大きくしていこうかね・・なんて考えたね。
ただ平日なので参加できる人は限られそうだが、仕事の関係もあって仕方がない・・というよりか平日だからこその盛り上がりかもしれない。
 春爛漫、天を見上げれば五月晴れ、私の心も日本晴れ、本当に最高の一日であった。

341・上野公園

のどかな春の日、来週の花見の下見に上野まで行ってみようかということで出かけてきた。
公園口で降りて西郷さんの銅像のほうへ歩いていくとちょうど格好の場所があった。本通りからは一歩入ったところだがここなら話もできて人通りもそれほどなくて落ち着いて楽しめるだろうということになった。ついでにあちこちと歩いた。西郷さんから彰義隊の墓へと参り、しばらく歩いたね。
 彰義隊の墓は見落とされがちだが最後まで江戸幕府に忠誠をつくした志士であろう、隊長の天野八郎まっすぐな性格からついたあだ名が「香車の天野」出身が意外や意外、上州とは恐れ入った。
 手を合わせて不忍池へと行き半周ほど回って弁天島を通って途中で一休み、缶ビールが500円、安くはない。
途中正岡子規記念球場を通ったが、ここで子規は野球の練習もしていたという。
ここ上野はたくさんの歴史を抱えている、通るだけでも楽しい勉強になる。
 桜並木も通った、桜も随分とつぼみがほころぶようだが何しろまだまだ・・今週末は最高の人出ではないのかぇー。で、私どもは平日の月曜日なので座れるだろうというずいぶん甘い予想を立てている。
 そこを後にしてレストランで食事をした後アメ横へと実に久しぶりに歩いてみた。
さっそくテレビで見たことのあるチョコのたたき売りをやっている並んだ人が次々に買い求めていく、いつの間にか並んでいたという相方もつられて買った、これで1000円確かにお買い得である。
 眺めていた私に、後ろでつまみのたたき売りをしていた人が声をかける「社長、社長、これだけつけておくから1000円で買ってよ」どうも、社長という言葉に弱い・・これで1000円、お買い得だし今度の花見のつまみに買っておいてもよいか・・・余計な荷物となって増えていく。
 段々と荷物が増えていく、早く帰ろうクウが待っている。
急いで家路についた。
今日も結構歩いた春のおだやかな一日、のたりのたりと過ごしたことであった。

340、鎌倉

一般的に鎌倉というと、北鎌倉から鎌倉八幡宮あたりを散策して、ちょっと足を延ばして大仏、江の島あたりをさそうかと思うのだが、今回は全くの反対側からの散策で、驚きの連続であり、あらためて奥の深さを思い知らされたことであった。
 西鎌倉を通り抜けると江の島、七里ヶ浜へ出てそこから極楽寺、テレビドラマのロケ地などを見ながら、上杉憲方の墓を見たりした。
 そして長谷寺、大仏様と行き、また稲村ケ崎まで戻って温泉に入った。
稲村ケ崎温泉もサウナや露天風呂もついていてのんびりとして上がってレストランでは相模湾を眺めながら軽い食事をして、鎌倉の違う一面を見たようで大変充実した一日であった。
 これも林さんという友人のおかげである、有り難き哉,有り難き哉・・
今回は鎌倉の江ノ電のほかに湘南モノレールにも乗って写真に納まったが、はやりの「撮り鉄」?とまではいかないが撮ったのでついでにアップしよう。
優雅な休日であった。

339・西鎌倉

3月12日、天気も良くて絶好の行楽日和、空手も休みで細君の友人林さんが鎌倉に詳しいということで、今日は違うコースを散策しようということで案内を頼んで一緒に行った。
 待ち合わせが、大船駅でここから湘南モノレールに乗っていくのだという
私も、上京して40年、大船あたりは仕事も含めて何回も来ているがモノレールに乗るのは初めてである。これで鎌倉に行くなんて思いもよらないがその分期待も膨らみそうである。
降り立った駅が「湘南深沢」駅、聞くのも初めて降りるのももちろん初めてである。
 そこからてくてく鎌倉らしからぬ道を歩いてついた先が笛田公園、仏行寺、この上に梶原景時の子源太景季の片腕が埋められていると伝わる「源太塚」があるという、いきなり大変マニアックな名前の登場である。説明をすると長くなるので省くが私にとっては驚きの場所である。
 ここら辺りは西鎌倉と言われるところであり、私は恥ずかしながら鎌倉の散策は北鎌倉しか知らないので、今日は勉強の連続である。
 そこから今度は鎌倉山のほうへと上がり上がりきると湘南の海と富士が前方に広大な姿となって広がりまさに呆然と見入った。
そうするとこの絶好のロケーションのところには、売れっ子で有名な司会者Mさんの屋敷があるという、
ついでに通って見せてくれたが、膨大な土地に素晴らしい御殿、さすが売れっ子司会者・感心するばかりである。
近くには昔の名女優田中絹代の屋敷もあったとか・・案内役の林さんいろんな話で楽しませてくれる。
 鎌倉山を下って極楽寺駅へ向かった。
このあたりはテレビドラマの舞台となっているところだそうで、今度は姪っ子が大喜び、そのテレビは木曜日の10時からの放映で、残念ながらその時間は私はNHKの「ブラタモリ」を見ているのである。
 しかし、今度は見てみようと思ったね。テレビでNが済んでいるとされる家も行くとほかにも何人の人がそこで写真を撮っていた。
 明月院の前には、上杉憲方の墓の案内がるのを教えてくれた、私もよく知らないが案内板や帰ってパソコンで調べてみると鎌倉山之内上杉の祖であるという、大きな驚きと感動である。
 アパート前を通り抜けて行ってみると石塔群があり、お参りをして上杉一族?で記念写真である。
そのあと大仏に行って、稲村ケ崎で温泉に入り江ノ電で鎌倉まで戻って横須賀線で帰ってきたが稿が足りない、改めて紹介しよう。

338・昭和演歌

先日2月16日、久々に池袋で飲む機会があった。
まずは、サンシャイン前のサウナ、レスタというサウナでゆっくりと汗を流した。なかなかいいところだね、露天風呂っぽいところがあってそこへつかっていると雪が降ってきてちょっとした温泉宿の気分である。今夜は冷えて冬真っ盛り・・こんな寒い夜は居酒屋で一杯、演歌が似合う・・
 で、外へ出て歩くと飲み屋街「美久仁小路」があるではないか・・まさに「池袋の夜」演歌そのものである。
いいねぇー、外は雪が待っている、この白いのは雪である。
 実は以前ここに来た時には昼間で、入口もネオンの管であったような気もしたが、そんなことはどうでもいい。
 この美久仁小路の居酒屋で一杯飲むのが夢だった「池袋の夜」1969年のヒット曲とある、私が東京に夢を抱いていた頃宮崎の故郷で聞いていたなぁー。
 今夜は楽しく飲めそうだ、居酒屋のカウンター席に座って焼酎を飲む、外は雪・・いいねぇーまさしく演歌だね。
少し飲んでほろ酔いとなったところで近くになじみのスナックがあるという、いかない手はない。
 このスナック街もビルの二階でスナックが軒を並べているところである・・うん、うん、昭和だよ・・
入るとお客もちらほらさすが池袋・・なんかわからないが妙に感心したりして・・
 歌を進められると、先週の詩吟の稽古でのどがつぶれたのにもかまわずにまずは「池袋の夜」最高だね・・。他のお客も年配の人が多くて歌う年代があい、なおさら調子に乗ったよ。なぜだか「メランコリー」
キーも出ないのにアキラ節までやっちゃってどうなってるのかね。
隣には鹿児島出身の人もいたりしてなおさら盛り上がり、帰る機会がつかめない。
 でもここは、池袋、山手線品川とは対極のところで相当に時間がかかるだろう、案の定、山手線で途中二度ほど降りて休憩をした。
 品川についたころは、最終電車の頃だが何とか戻ってこれたが、久々に調子に乗って痛飲したね。
それほど楽しい夜だった。
 演歌の世界で育った私には歌の舞台となったところへ行くのが嬉しくてしょうがないのである。
歴史の史跡を訪れたような気持にもなって嬉しいのである。
最後に池袋駅前で、フクロウの前で写真を撮ったことを報告して楽しい夜のお開きである。

337・称名寺、2012

1月30日今年初めて称名寺へと出かけてきた。いつものように橋をバックに写真を撮ったが、いつもは桜の季節や夏の緑映える写真だが、冬の写真は周りが枯れ模様でちと淋しいね。
 裏山のハイキングコースは枯れ葉を踏みしめながらの散策である。
頂上の八角堂では工事がされていてゆっくり休めなかったが、ここまで資材を運び込むのも一苦労であろう、私など手ぶらで歩くのでさえいい運動であるのだから・・
 ようやくクウも段差のある階段を登れるようになってきた。
プウチャの場合は異常に興奮して遠くまでかけたり、いったん戻ってまた駆けて行ったりと大変な運動量であったが、クウの場合は少し駆けてはすぐに戻ってくるという・・・まだ心配なのかねぇー。
 降りてきて池の周りを散策するのだが、なんと蝋梅(ロウバイ)が咲いているではないか、ちょっと感動。
ロウバイといえば鎌倉を訪れて食事したこともあった。
いろいろと連想されて頭の中は忙しい。
 今日は昼から出かけたのでいつもの食堂はやり過ごした、それで3時過ぎに戻ってクウをきれいにシャンプーして充実した一日であった。
 夕方からは生麦教室の稽古だが、連日の寒さの中みなさんよく来て頑張っている。
 典型的な寒い冬の日の一日である。

336、明治神宮

初もうでのはしごはよくないといわれるが、ま、そう固いことはいわずに7日にはTさんと明治神宮に行ってきた。
 ここも何十年ぶりだろうか・・20代の頃には、日本一の参拝客と言われるこの明治神宮にそれこそ除夜の鐘の後から並んで、何歩か歩いては警察の止まれのの標識に立ち止まり、その繰り返しで1時間以上もかかってお参りしたこともあった。
 それは若いからできるので、今は並ぶことなら門前で手を合わせるだけでよいと思っている。
この日も、正月は明けたが土曜日ということもあってまだまだ大勢の人で出会った。
 整理している警備員が端のほうからだと並ばずにお参りできますというので、一番端っこに行ってみるとなるほど並ばずにお参りができた。
 真ん中の正面ばかりにこだわらなくても端っこでも賽銭箱はあるし一応正面である、などと言いながらちゃんと拝んできた。
 明治神宮のは朱印帳には無いので少し並んで記入してもらった。
さすが、ここの記入には皇紀2672年と記入されている、重みが違うね。
 この朱印帳、今年は、蒲田神社から始まって、池上本門寺、明治神宮と3か所から記入してもらった。
これも、3年前の日向国天岩戸神社から始まって、表が終わり今年から折り返しとなった。
一つ一つ思い出してみるとそれぞれに思い出がある。
 実はまだ、鎌倉八幡宮が無いのである、過去に行くには行ったがあまりの人の多さに諦めて帰ってきたことであった。鎌倉でも長谷寺や大分様の高徳院はあるのではあるが・・
 また今年は、どこに行ってどこのが集まるのか楽しみの一つでもある。

335、2012年始動

2012年,おだやかに新年が明けて静かなスタートとなった。
 元日の昼頃に近所の蒲田八幡神社にお参りに行ったが、まだ人が並んでいてビックリ、もう参拝客はいないだろうと思っていた。
 とにかくその日はお参りを済ませて、今度は1月5日、高倉さんが所用の帰りに蒲田へ寄ったので、池上に行こうということで、池上本門寺へ行ってきた。
 ここは昨年も遊びがてら来て近くでもあるので何回か来ているおなじみのところでもある。
せっかく来たのだから、力道山の墓参りもしようということで行った。
小さいころはあこがれていて、プロレスラーになりたいと思っていたほどである。
一人で来ることはあったが写真を撮る機会がなかったので今回は納まった。
 ここには、昔の映画俳優市川雷蔵や、右翼の活動家児玉誉士夫なども眠っているのだという、
力道山の近くに児玉誉士夫の墓があったのでついでといっては失礼だがこちらもお参りしてきた。
市川雷蔵はわからなくて次の機会に譲ろう。
 五重塔を通り過ぎて公園、展望台へと行って快晴のもと、道端で将棋を指している人などもいてのんびりとした平和な日本を感じたねぇ。
 呑川沿いを散策し、もう菜の花が開いているのに驚きながら蒲田へと戻り、こちらでゆっくりと一杯やりながら、上りはなじみのジャズ喫茶で新年のあいさつを済ませて夕方に分かれて戻ってきた。
 今年のすべり出し、良いい正月であった。

334、2011年回想

2011年、こんなに長い一年を感じたのは記憶にないほどである。
毎年、一年一年はあっという間に過ぎていくようで年月の過ぎゆくのが早いと思っていたが、今年は本当に長い一年であった。
 もちろん、3月11日の大震災によって、予定が大きく狂わされた、いや、予定だけならまだいい、人生そのものが狂わされた人がたくさんおられることだろう。
 震災から10日後にはジュニア大会が決行され、開催に悩み、大会当日は無事に終わることを祈って、その日だけでも長かった。
 その後、空手の稽古では停電や節電の影響で場所が確保できずにあちこち駆け回り、あげくの果てには公園で稽古したこともあった。
 満足な稽古もできないままに、千葉県大会、神奈川県大会を迎えるなど決して納得のいく年ではなかった。
 そこへもって私事ではあるが、5月16日には、愛犬プウチャが突然の病気で亡くなって正直・・心が折れた。
ペットの死亡がこんなに影響を与えるなんて少し前の私なら考えられないことだった・・しかし、一緒に暮らすようになると家族なんだねぇー、今でも思い出すと切なくなってくる。
 あまりの寂しさに新しいペットを求めたが、同じ犬種で名前は今度は私がつけてクウである。
生後3か月くらい3キロほどであったが、今では生後10ヶ月、9キロ三倍ほどになった。
 いたずら好きで、あちこち追い回してはずいぶんと気が紛れて助かっている。
しかし、最近は、駆ける姿や歩く後ろ姿が在りし日のプウチャに似てきたようで・・思い出すことも多いねぇ。
 
 そんな中で、空手では、新しい団体も加盟してきて組織的にもしっかりしてきた。
特に千龍会の加入は代表の千葉氏が新聞社の編集部の人間でもあり、全国大会では一部上場会社の協賛をお願いしてもらった。
 数ある空手の大会でも一部上場企業の協賛など数えるほどしかないと思う、ぐ~んと箔がついた感じである。
日防連の大会は、内閣府認証NPO法人主催で、一部上場企業協賛、月間「空手道」後援・・と大会自体は大変立派な大会である。
内容も、年々進化しており今では防具付空手大会においても一角を占めるほどになったと思う。
 来年は、気持ちも切り替えて、更に進化を遂げる日防連にしてまいりたいと思っています。
今年も先生方皆様には大変お世話になりました。
来年も、よろしくお願いいたします。

333、カルナバル

舌をかみそうな名前で何度聞いても覚えられない。
私の知人でもあり、会員の福田君たちの友人でもある川先という人が一年前にオープンした店である。
芝5丁目2-6にあり、JR田町駅から歩いて7分のところだそうだ。
 
 上杉会員で、現在は療養中の福田君と蒲田の小坂君とで、忘年会をやろうということで、ここに決定した。
久々に見る福田君は体重も増えたそうで、体調は良いとのことで何よりである。彼らがちょくちょく行っているこの店に私も一度は行ってみたいと思っていてなかなかチャンスがなかったが、今回ようやくその機会に恵まれた。
 店内はおしゃれでなかなかいいではないか、外からも見えるようにガラス張りなっており、おしゃれである。
マスターの川先さんは、彼らのトレーニング仲間で、仕事は昔はあちこちの店でコックの修業をして、昨年この場所にフレンチとベトナム料理などをミックスさせたような店をオープンしたそうである。
 この夜も、田町スポーツセンターでトレーニングを終えた藤重さんが仲間とともにやってきた、急遽、合体である。
何品か頼んだがメニューが覚えられないような名前である。
 ビールの後にお酒を出されロックで飲んだが、写真は撮ったが名前を忘れた。
福田君も療養の成果が表れているようで体調も良くなってきているのだそうで何よりである、その後蒲田から小坂君も来て合流したが、彼もここのマスターと付き合いがあるのだそうだ。
 今夜は田町のセンターがトレーニング日で、後からグリーンクラブの藤重さんも友達を連れてきたが、その彼もキックをやっており今でもリングに上がるそうである・・何かユニークな集まりだねぇ。
 空手を通じていろんな人と知り合いになり、友達の輪が増えていく、空手って本当に素晴らしいものだ。