昭和39年のレコード大賞曲「愛と死を見つめて」を歌った青山和子さんの経営するお店です。
この当時私は九州の山奥で、大晦日といえばレコード大賞を見て紅白歌合戦を見て元旦を迎えるというのがどこの家でもそうでありました。
マコとミコというのは、この歌の歌詞の名前ですね、これは映画にもなりまして、吉永小百合主演で大変ヒットしたそうです。
友人と7日に飲む予定があって池袋で会うので、駅近くにこの店があるので行こうということで出かけてきた。
8時からの営業だそうで、エレベーターで7階に上がるとどうやら一番乗りらしい、マスターがいて、さっそく青山さんを呼んでくれた。
そしたらしばらくして本人が来たね、私がガキの頃テレビにかじりついてみていた本人である。興奮したねぇー、さっそく乾杯をしていろいろ話し込み歌を歌ったりした、「上杉さんうまいじゃない」お世辞とはいえプロに褒められてその気になったねぇ。
あとから、初めてのお客が青山さん目当てに来たとかで10人ほどになって一段と盛り上がった。
目の前で、本人が歌ってくれるのである、こんなことはめったにないぜ、調子に乗ってデュェットまでしていただいた。
何しろレコード大賞歌手とのデュエットである、顔が緊張してしまった。
その他に「夢をください」という素敵な曲も歌ってくれて大感激である。
今の若い人には目の前でAKB48が歌ってデュエットしてくれると想像してくれればいい、興奮しないではいられまい?
ご主人であるマスターは,敏いとうとハッピーアンドブルーのメンバーだそうで、ヒット曲「よせばいいのに」や「星降る街角」など、バブル全盛の頃、カラオケ全盛の頃一晩に何人の人が歌ったことか、今夜はこれを歌うとコーラスを入れてくれるのである、これも歌う本人そのものだからね、この年をしてミーハーをしてしまった。
楽しい最高の夜を過ごしたね。
実は、この日は相方が入院していて飲む日をずらすこともできたが幸いにも病状はそれほどでもなく、夜は付いていることもできないので飲みに出かけたのだが、翌日相方に話してみると退院して元気になったら私もぜひ連れて行ってほしい、と言われて私も安堵した。
今度も楽しめることだろう、何しろレコード大賞歌手である、素晴らしいこと間違いなしである。
351、ヴェルニー公園
6月4日(月)、天候もいいし一昨年だか行った事のある,横須賀のヴェルニー公園に行ってみないかということで、電車に乗って昼から出かけてきた。
今回は、JR横須賀駅から歩いて京急汐入駅まで歩いて戻ろうかと前回とは逆のコースを廻った。
横須賀・・近いものである、幕末にペリーが来航したこともあってこのあたりにはたくさんの史跡がありどこへ行っても色々と勉強させられる、私が大変好きなところでもある。
横須賀駅から降りて海軍自衛隊があり入口で一枚、海軍の町だけあってこのあたりは旭日旗がよくみられる。
ヴェルニー公園からバックに海軍の駆逐艦であろうか,二隻ほど止まっていたのでバックにして撮ったが、横須賀ならではのスナップであろう。
バラ園・・先日の横浜の公園に比べてもそん色はない、ただ、時期が遅れたので盛りを過ぎた感はあるがそれでもまだまだ楽しめた。
ここには130種類約2000株のバラが植えてあるのだそうだが、なんとまぁ種類の多いこと、カーネーションに似たバラや、ボタンかと見間違うくらいの花もあって、そりゃぁもう大変な品種である。
こんなところに人物の碑があるのが面白い、名前の由来のフランソワ・レオンス・ヴェルニーは幕末に横須賀製鉄所建設を依頼されたフランス海軍の技士だそうで、隣には小栗上野介の碑も並んでいる。
小栗上野介・幕末に活躍した人で私の尊敬する一人である、ちなみに出身は群馬県高崎市倉渕町、この人が横須賀製鉄所の建設に尽力し、このおかげでのちの日露戦争、日本海決戦の勝利につながり東郷平八郎が小栗上野介の遺族を訪問して感謝の辞を述べた、との話を聞いている。
そんな思いにふけっている私をよそに細君の足はどんどんバラ園の中へ向かっている、どうもここらへんに少しのずれを感じる。
ま、仕方がない今日はバラを見に来たのであるから・・・。歩いて憩いの広場につきそのはずれの二階の喫茶店で海を眺めながらコーヒーをすする、う~ん、最高のロケーションである。
先日の山下公園では、霧笛が俺を呼んでいる…そういう心境だったが、ここでは遠くに軍艦が見えちょと違う。
しかし、横須賀には横須賀の趣があっていいところですなぁ、こんな場所にも簡単にこれてリフレッシュされ良い日中でありました。
軍港めぐりの船が出ているのだが出航時間とあわず見送ったが次回は乗ってみたいものだ。
汐入駅から京急に乗ってのんびりと蒲田に戻ってきた、のどかな初夏、午後のひと時である。
350、霧笛が俺を呼んでいる
雑記も切りのいい350回、ちょっとしたタイトルネームを・・というので、横浜を無理にこじつけてみただけである。
このタイトル・赤木圭一郎主演の映画であったが、この当時の撮影ではここの赤レンガ倉庫がまだ引き込み線であったころよく使われたそうである。
タフガイ、ナイスガイ、ダンプガイ、マイトガイなどとニックネームもつけられて在りし日の日活映画全盛のころの話である。
赤レンガ倉庫から山下公園へ歩くと船のロープを止めるコンクリート注があり、そこへジャケットを肩にかけ片足を乗っけてのポーズがお決まりであったが、さすがに今はとらなくなった。
今回は桜木町駅で降りての散策となったが、ここ桜木町は鉄道が初めて開通した時の横浜駅であったそうで、その記念碑もたっているのだが、反対口のみなとみらいの影響で今ではすっかりと目立たなくなった。
以前来たことのある私もようやく探し当てたぐらいである。
ここ横浜は私が上京して三年間住んでいたところで、市内の銭湯の広告の取り換えをしていた頃、山下公園、港が見る丘公園などで、お昼に弁当を買ってきてよく食べたところでもある。
中華街、元町、伊勢佐木町、本牧、まだ銭湯があったころでよく回ってきていた。
漫談家の言葉ではないが、あれから40年・・・月日を感じます。
横浜の港も久々に訪ねた。
♪♪霧の波止場に帰ってきたが 待っていたのは 悲しいうわさ~♪
う~ん、カラオケに行って歌いたくなってきた。
349、バラ園イン・ヨコハマ
2012年5月21日、午前7時半、金環日食を見れて、ちょっと感動した。
そのあと雲が晴れて暖かくなり、横浜にバラを見に行こうということで電車で向かった。
桜木町で降りて、ぶらぶらと歩き赤レンガ倉庫に行って、人が少ないなぁと思っていたが建物の中に入ってみてびっくり、平日なのに大変な人出である。
昔はここに引き込み線があり、往年の日活時代の映画ではラストシーンでよく使われたところらしい、私も小さいころの記憶もある。
それがすっかり整備されて観光名所となっている。ブラタモリで見た、「象の鼻」がある・・ここかぁ、何回も来てはいるのだが改めてみて感動である。
そぞろ歩きは山下公園へ出た。赤い靴の女の子の銅像があり、実は港区の麻布にもあるのである、関連があるのは知っているが詳しくは忘れたのでこのくらいにしておこう。
噴水の前のバラ園ではバラが今満開である、無粋な私でさえも感動を覚える。
歩き疲れた感もあるがきれいなバラに心を癒され元気をもらい、もう一歩き、港が見える丘公園のバラ園まで行こう!となって、てくてく散歩道を歩くこととなった。
途中、雑誌のモデルのバックに出てくる風車のところに来てとりあえずパチリ!
公園に来ると会員のS君が3年前に式をあげたホテルにやってきた。あの日は雨であったね・・ふと思い出した。
そこを抜けてバラ公園に来るとここも満開、香りが漂って私までもが癒される。
しばらく堪能してから、坂道を下って地下鉄に乗って横浜へ戻り、京急特快で蒲田駅まで・・
早いものである、あっという間についたようだった。
半日も時間を費やさない、4時間ほどの工程であったが気分はすっかりリフレッシュされた日中であったね。
348、久々の大楠山
先週の高尾山に気を良くしてか、今週は湯河原の幕山に行こう、と言われて私もクウが行くならば異存はない。さっそく車を借りて出かけたのはよかったが、高速に乗って」狩場インターまで来ると南本宿まで事故渋滞に巻き込まれ全然動かなくなって、渋滞7キロとか9キロとか言っている。急きょ予定を切り替えて大楠山に行くことにした。
こちら方面はスイスイ行けて早く着いた。
大楠山、昨年の暮れに上ってこの雑記にも記載している。あの時は山も枯れていたが今回は、緑したたる春の山である。風景が全然違う、途中途中の若草も芽生えて春山というのは元気が出てくるねぇ。
クウも大喜びである、ペットが喜ぶと私たちまでもつい顔がほころぶが、私も変わったものである。
これはこれで、素直に受け入れましょう、その年代年代での顔があるのだろう。
昨年の今頃は、プウチャの急病でそれこそ夜も寝れなかった日を過ごしていた・・・
大楠山である。
今回は、春山なので、多くのハイカーに出会った。年配者にもちょうど良いハイキングコースなのだろうね。それなりに人気があるのだそうである、確かに急な勾配のコースもなくなだらかに登って行けるそれでいてそこそこの距離である。
頂上の広場では、弁当を広げてピクニック気分である、どこからか猫が出てきて餌をねだるのでおにぎりを少し分け与えたが、こんなところにも野良なのかねぇ、猫がいるとは驚いた。
くだりもゆっくりと下って行ったが、ところどころから漏れる木漏れ日が、冬はどこか暖かさを感じてほっとするのに比べて、春は元気がみなぎり様な気分になり、四季それぞれの趣があるように感じた。
春夏秋冬、四季折々の顔を持つ日本は誠に素晴らしい国である、ずいぶん飛躍した言葉になったが、ふと思ったのである。
「春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪冴えて涼香りけり」
曹洞宗開祖、道元禅師の言葉だそうである。
初夏、素敵な一日を過ごさせていただいた。
347、高尾山
5月7日、快晴、五月晴れに誘われて高尾山に行こうということでクウも一緒に車で向かった。
会員のTさんが一昨日登って頂上は歩けないくらいの人で出会ったと聞いていて、今日はゴールでウィークも終わった月曜日、さほどでもなかろう・・と思って出かけたのだが、あにはからんや、さすが日本一の登山者を数えるところだけのことはある。
細君は何度も登ったことのあるという経験が頼りで、私は、一度も登ったことがなかった、すごい登山者の数でいつも満員ということを聞いていたのでさほど興味をそそらなかったのである。
そこへ、この春東京に出てきた姪っ子がこちらの友達と登ってきたと言い、会員のTさんも登ってきたと言い、はたまたあのよだきんぼ(延岡弁)のT先生までもが登ってきたというので、それならばということで機会をうかがっていたのである。
道路はスイスイスムーズに行けて、さい先がいいと張り切って何も知らないのでついて行ったのだが、稲荷山コースといって結構遠回りなコースを歩かされたみたいである。
私が、描いていた高尾山登山は、テレビなどでよく放送されていたが、ケーブルカーで途中まで行ってあとはハイキング気分で楽しんで2,30分歩くものだと思っていた。
今日はクウもいるのでそれはないかな・・とも思っていたが、結構な距離を歩かされましたなぁ。
細君とは時々暇を見つけて、金時山や大楠山、あるいは称名寺裏山や、鎌倉のハイキングコースなど出かけてきたが今回はちと長かったような気がした。
改めて、高尾山。
都心より西へ約50キロメートル、海抜600メートルほどの山であり、中腹にある高尾山薬王院は、真言宗の智山派に属し、成田山新勝寺、川崎大師平間寺と並び三大本山の一つであります。と案内にある。
ほう、成田山、川崎大師と並べられるとは大したものではないか・・・といってもこの二つは、毎年初詣のランキング上位であるので知っているくらいだがね。
頂上前の、階段、約200段ほどあるのだそうだがここまでくれば頂上だと聞いたので頑張った。頂上ではそばなどを注文して、しばし休憩である。
頂上は、十三州大見晴台とある、関八州は聞いたことはあるが、あとの五州はどこだ?深くも考えもせずにふと思った。箱根に行けば十国峠もあったな、そのくらい見通しがいいということでもあるのだろう。
高尾山といえば天狗がよく出てくるのだが・・と思いながら薬王院まで下ってくると、さすがあちこちで見られた。くだりも結構急こう配な坂道でどんどん進んでいく、途中杉の木の根っこがタコの足みたいに出ているたこ杉なるものも見た。帰りも、ケーブルカーもリフトも利用しないで降りてきたのだが結構な運動量でありましたな。
今度行く機会があったなら、ぜひ、ケーブルカーに乗ってみたいものだ。
しかし、以前から一度は行ってみたかった高尾山に行って来れて満足をした日であった。
346.夏井の千本桜
細君の福島の実家を今年は訪ねると早速、花見へと誘い出され近所の神社の桜を案内されてから、夏井の千本桜を見に行こうと車に便乗した。今回はクウも一緒なので座席が汚れて恐縮したのだが幸い快く応じてくれた。細君の実家の人達は私達が訪れるとあちこちに連れて行ってくれたりしてこちらが恐縮するほど歓迎してくれる。
この夏井の千本桜も、3年ほど前の訪問の折に叔父が連れて行ってくれた。
今年は、振り替え休日とあって人出が多くて駐車場も満杯となって川下のほうへ廻ってようやく止められた。川をまたいで数多くのこいのぼりが掲げてあり、本日のお日柄も結構で気持ちよく泳いでいるように見受けられる。
その下にシートを敷いて席を設けしばしの時間を楽しんだ、今回はクウも一緒で喜んでいるように見える。細君の妹さんが用意してくれたのかおはぎまでがあって、誰も食べる人がいなくて私が一人でいただいた。実は私の大好物なのである、健康を考えて控えされているが今回は黙認というところか・・のどかな気候の中、野原にシートを広げておはぎをほおばって桜を見て傍らにワンコウがいる。最高のシチュエーションではないか、こんな何気ないひと時が最高の贅沢だと最近は特に思うようになってきた、幸せである。
今年は、東京・上野の桜もよかった、三春の滝桜もよかった、ここ夏井の千本桜も近所の名も知らぬ桜もよかった。
桜ざんまい、思い出に残る春である。
345、三春の滝桜
日本三大桜、の一つに数えられているそうである。ちなみにあとの二つは、山梨県北巨摩郡の「山高神代桜」、岐阜県本巣郡根尾村の「根尾谷の薄墨桜」だそうだがどういうものかは行った事がないので知らないが、三春の滝桜・樹齢が1000年以上、地元の人に言わせると1200年以上も前からの桜だそうである。
1200年以上も前・・というと西暦800年ころ・泣くよ鶯平安京・794年平安時代の頃からではないか、そりゃぁ想像もつかないくらい古いわなぁー
実はここの桜は3年ほど前になるであろうか、福島の実家を訪ねた時細君のおじが連れて行ってくれて夜9時過ぎになっていたので車のライトをつけて見せてくれ、感謝したことがあった。
あのころはまだ近くに畑があってそこそこ自然が残っていたように感じていたが、全国的に有名になった今、昼間は人が多くて大変だろうからと言って夕方に行っては見たのだが、夜9時までライトアップがされているので、すっとこどっこい・次から次へと車が到着するのにはびっくりあぜん、であった。
駐車場も三か所もあって私たちもその第三駐車場に回されて歩いて行ったが、途中出店はあるわ地下通路はしっかりできていて自動販売機で入場券を買い求めて入るなど、すっかり観光地として有名になっていたね。
それにしても三春という町はまさに桜一色。行く途中、山の中を通るのだがあちらこちらで桜並木に出会い、時期も今年は満開の頃が遅れたそうで、私たちが行った4月の終わりが最高の頃であったのだそうだ。
昨年の今頃は、花見や宴会の自粛で全国が閉鎖的であったが、今年は復興に向けて頑張っている姿が見えて私たちまでもが刺激を受けた。
また、三春の人達も自慢の桜を見てもらうために献身的に働いて嬉しいものを感じたね。
今年の春は、本当に素晴らしい思い出深い春となったことであった。
344・朝日接骨院
20年前から、上杉会大会として名前が代わりながらも毎年大会を行ってきたが、最初の大会からずっと大会ドクターをお願いしている滝沢先生である。
私の詩吟の先生が、最初の大会の時胃痙攣をおこしたのをその場で直し、以来横浜瀬谷区から埼玉県桶川市まで毎月一回通院していることは聞いていた。
私も一度はお願いしたいと思っていたが、何しろ場所が埼玉県の桶川市である、また、大して悪いところもなく診てもらうほどでもないのでずっと通ったことはなかった。
今回は、先週詩吟の先生の見舞いに一緒に行き、相方も同席して滝沢先生の施術を見舞いの時にじかに見て、二人で行こうか、ということでようやく実現できたのである。
大宮にも分院を出しているということなので、より近いかな、と思って今回は大宮での施術を受けることにした。
ここ大宮は、連盟顧問の坪山先生のお祝いなどでも駆けつけた時の乗換駅で二度ほど来ていて少しはなじみがあるのである。
近くで食事をごちそうになり、いざ診療所へ・・途中には趣を感じさせる教会やロケット型の建物などもあってそれなりに楽しい街である。
接骨院なども久々である、入ると人骨の標本があり、これに出会ったのは小学校の理科室以来ではないか?世間話をしてさっそく施術を行ってもらった。
体のゆがみや、顔のゆがみなんと頭蓋骨の矯正なども行ってもらったが、痛いこと痛いこと・・もう少し商売っ気を出してゆるくやらないと一般の人は足が遠のくでしょう・・余計な心配をしたね。
全身の整体や針なども打ってもらって約二時間、すっかりリフレッシュとなったようである。
この手の先生はうさんくさい話をよく聞くので、かかる人もよく見極めないといけないが長い付き合いのある滝沢先生は長年の実績で確かなのだが、あまり宣伝も行わないのでもったいないような気がする。
今月発売の月間空手道「温故知新」のエピソードでは、先生の技術の高さなどを紹介している。ぜひともご覧いただきたいものである。
数々の空手大会でもお願いされているので空手会事情にも詳しく、また先生ご自身も「龍山泊会館」を主宰して活躍されている。
埼玉県桶川市と大宮駅近くで開院されています、あちこちでかかってもよくならなかったという人は一度通院されることをお勧めします。
4月24日、本日は晴天なり
343・ワンコウざんまい
4月21日(土)、のどかな日我が家のワンコウ、名前はクウというのだが私のパソコンの傍らで気持ちよさそうに横たわっていたので、たまには写真でも、ということで一枚撮っておいた。まさかこれが記念になるとはだれが予想していたことだろう。
それがその夜、稽古から戻ってくつろいでいると、相方が急に「クウの散髪をしよう」と言い出した。昼間お店に友達がワンコウとの散歩で店に寄った時、きれいさっぱりにしていたそうでやりたくなったそうである。
私どもの会話でもそのうちにやりましょう、と言っておいたものだから、私も強くは反対できない、ましてや、向こうが散髪をするのである、従うしかない。
我が家に子犬で来てから約一年、足の指の間など伸びた毛を切ったことはあったが全体的なカットは初めてである、当然犬も長い時間じっとしているわけがなく、私の出番となるのである。
昼間撮っておいた何ともしまらない写真がカット前の思い出の写真となった。
カットに一時間以上もかかるので事前に気持ちの準備もほしかったのであるが、そんな私の気持ちにお構いなくバリカンが進んでいく。
この雑記も長いこと記載しているがプウチャも含めて、ワンコウが主役の稿は無いと記憶している。常に私か風景がバックに写っているのである。
たまに年賀状などで、愛犬の画像だけと文章でいただくこともあって、こんな人の気持ちがわからない、と強く思っていたものだが、その気持ち、強くわかるようになった。
それでもそこまでは私はすることはない、と思うのだが断言はできない。
もしも、そういうことがあったならば「上杉も愛犬家の一員になったものだ」と暖かいご理解のほどをお願いしたい。
今回は、散髪後のクウがご褒美を喜んでほおばっている写真の掲載になるが、ご理解のもとにご寛容のほど切にお願いいたします。
雨のち曇りの4月23日早朝