8月18日(月)、細君の休みに合わせて私も休暇を取り実家へ墓参りで出発した。
今回はレンタカーではなくてシェアカーというレンタルカーで行ったが、採算的にはどうなんだろうね。
道路は一般世間の盆明けでスムーズに流れて行った。
サービスエリアで休み、写真を撮ったがここは何年か前にも写真を撮った場所である。
今夜は那須岳の近くのワンワンホテルに宿泊することになっておりその前に近くを観光した。
駒ヶ滝に行ってみると遠くの展望台から眺めるだけでがっかりしたが、そこから「北温泉」の入り口になっている。
ひなびた温泉だそうで、私はこのようなところが好きなのでさっそく日帰り入浴で行って来た。
まさにひなびた屋敷そのもので歩くたびに音がするような古い廊下、隙間のある敷板・・・いいねぇ、ゆっくりしたいところだが、飛び込みで行ったので細君とワンコウが待っている。
ちょっと浸っただけで上がり、今夜の宿「ラ・ピステ」へ向かいドッグランでしばらく遊んでから部屋へ入った。
夕食は皆さん一堂に集まってワンコウはテーブル下で躾よろしくおとなしく横たわっている。
我が家だけである、ピョンピョン飛び上がって私たちの食べ物をねだる、普段のしつけがわかろうというもので忸怩たるものがあったねぇ。
昨年は7月に来て寒かった覚えがあるが今年は暑くてクーラーを入れて過ごしたが、一応ここは那須高原であるぞ、それだけ今年は暑いのだろうねぇ。
一泊して次の日19日(月)は近くにハイキングコースがあるというので行って登ったのだがどうも反対の遠くになるところから登ったらしい、目的地をあきらめて途中で引き返したね。
しかし、途中で「矢隠岩」というのがあって、源平時代の那須与一が遠矢の練習場として使用して、この石に矢をかくしていたところからそう呼ばれるようになったという。
そうなんだね、ここは那須与一、大八兄弟の故郷なんである。
その歴史に触れただけでも良しとするか。
戻って降りて、時間も押してきた。
一路福島の田村郡へ向かったが、常磐高速の矢吹インターからあぶくま高原道路へつながっていて意外と早く着いてびっくりしたね。
さっそく母親の実家,三坂へ行って先の大戦で戦死した母の兄、草野公朔兵曹長の墓参りへと行ってきた。
15日には靖国へ行ってお参りをして、そこの土産を仏壇に供えた。
451・蒲田暑気払い
8月1日の稽古後に、蒲田のいつもの居酒屋で暑気払いと山田の祝勝会を行った。
蒲田教室と言っても3人しかいないので、東京で近郊に勤めている生麦教室の金城さんや戸塚教室の高瀬さん、佐藤さんたちを加えて計6人で行った。
この日も暑くて暑気払いにはうってつけの日であった。
ちょうど一週間前の神奈川県大会の反省と山田のお祝いも兼ねていろいろと話し込んできた。
まだ、東京に勤めている人もいるのだが今回はこれだけの集まりである。
かつては、生麦や戸塚、幕張本郷、六本木と各教室で行っていたものだが一般の人も少なくなってあまり開かれることも無くなった。寂しい感もするが、また盛り上がってくることもあるであろう。
防具空手界にとっても今は活気が見られないねぇ。防具だけではない、空手だけでもなく格闘技界そのものの盛り上がりが落ち込んでいる。
学校の空手部の部員も少なくなって団体戦が組めないと苦戦しているそうである。
景気がよくなってそこに期待するか、などとあまり威勢のいい話は出てこない。
ま、それはともかく今夜は暑気払い楽しく飲んでお開きとなったのだが、ここの店は相変わらず感情が安い、みんなびっくりするほどだがありがたいところでもある。
いつ来ても満員が多く予約しないとなかなか入れなくなってきた。蒲田は安くておいしい店が多いのだがここは人気が出てきたようである。
今年後半また頑張って行こうかねぇ。
450,第12回神奈川県空手道選手権大会
7月26日、毎年恒例の会場の神奈川県立武道館において行われたが、今年は連日の真夏日の中、この日も猛暑となってこれだけでも記憶に残る日となった。
大会審判員も集中力が欠けたこともあった、ズボンに塩が吹いたなどと初めてのことである、というようなことを後日言っていた。スタッフの皆さんもいつも以上にご苦労されて感謝申し上げます。
本部席にいても暑かった。熱中症で搬送され子がいるのではないかと気なって見守っていたが幸いにもそのような子が出てこなくて何よりであった。
主催者としては、けが人が無く無事に終了することが一番なのである。
今回は全部門の形試合から始まったので子供も時間ぎりぎりに来る子もいたりして運営には影響なかったが、通知を徹底すべきであった。
千葉県大会のように一般の形、組手が終わってから子供の形試合かと私が勘違いしていた、反省である。
一般の部では、上杉会館が形試合、一般女子、男子有級、有段と4部門にわたって優勝をしたんだね。
いやぁ、全制覇とは記憶にない。またそのようなことも考えたこともなくて成績表を見て気付いたが、特に初出場で優勝に輝いた戸塚教室の稲川さんは大したものである。
有級部門では8名の参加があり、育心会館さんの壁を破るのは大変だと思っていたが見事やってのけた。大したものだ。
女子組手では、蒲田教室の山田さんが大阪から特別参加をしてきた板東さんを退け優勝、形試合でも昨年に続いての優勝である。
一般有段参加の小関選手は以前全国大会の覇者であり、技術は相変わらずで、元神奈川県大会で優勝した小林選手を退けて決勝に進んだものは大したものだが、全国大会昨年の優勝者の藤田選手には紙一重の戦いで負けた。しかし、これで勝負勘を取り戻して来たら逆だったかもしれないね。
今年暮れの全国大会にはまた稽古を重ねてくるだろう、ハイレベルな大会が期待されるねぇ。
中学生の池田君にはびっくりである、1年生ながらもあれよあれよという間に勝ち上がって、高木君と堂々と戦っていたがもう少しテクニックを磨けばそのうえでも望めるだろう。
他会派で目立ったのは小学6年生優勝の狭間君(育心会館)である、今、当会でも教えているがスウェーバックやダッキングなどを使いこなしているのにはびっくりしたねぇ、組手のセンスがありそうだ。
決勝では、全国大会でも優勝経験者のとびぬけた実力の青木君を破った松永君(育心会館)である。
堂々と戦い見事優勝したがこれも素晴らしい試合であった。
当会の6年生も佐藤君や富村君も頑張っているが今一つ及ばなかった。ま、また稽古で頑張ればいいがね。
神奈川大会は全国レベルでもあるので勝ち上がっていくのは容易でないね。逆にここで優勝すると全国大会も視野に入ってくる。
このあと、11月8日(土)に同じ場所で神奈川県ウェイト制大会が開かれこちらは学年よりも体重である。これはこれでまた面白いところがあって小さい人にも楽しみではないだろうか。
大会が終わってしばらくは大会はもういいか・・などと思ってくるのだが、頑張る子供を見るとやっぱりこちらも頑張るか、となるところが不思議なものでる。
大会が終わって隣のファミレスで来賓の吉澤先生と少し話して別れたのだが、大会をほめて頂くと・・ねぇ。
来年は春に移っての大会である、少しは気が楽になるかもしれない。
それはともかく、この猛暑の中皆様本当にご苦労様、ありがとうございました。
449,椿山荘・ほたるの夕べ
7月3日(木)、東京メトロ・江戸川橋で降りて椿山荘へ向かい「ほたるの夕べ」へ参加して食事をしてきた。
久々である。何年か前に細君と春の桜満開の頃、同じように江戸川橋駅から歩いてきて食事をして以来のことである。
昔から椿山荘のほたるの夕べは知っていて一度は来たいと思っていてようやく実現した次第である。
若いころ・・40年にもなろうか、観光バス助手のバイトをしていた頃、ここへは何度もお客の送迎をしていた、また、中でのパーティーでは、今夜のスタッフのように会場は違うがホテルの制服を着て従業員としてせわしなく働いていたなぁ。
いつかはお客としてきたいものよ・・心ではそう思いながら働いていたものである。あれから40年・・・我ながら感慨深いものがある。
閑話休題
ここ椿山荘は1300年代の南北朝のころから「つばきやま」と呼ばれ、明治に入り山縣有朋公爵が名園として造り上げたそうである。
明るいうちについたのでしばらく庭園を散策することができた。
三重塔はここのシンボルだね、とりあえずはここで1枚でしょ。一回りしてから五階の会場へ行くとたくさんの人が待っている。一応テーブル番号もあるので席の心配はないのだがそれにしても大変な客である。
おなじみのバイキング料理であるが、フリードリンク制というのがいい、と、言いながらもそれほどは飲まないのだが以外と水がおいしかったりして何回もお代わりをした。
しばらくすると舞台では、料理の演出を初めて、アイスクリームを作るらしく炎がめらめらと立ち上るところが面白い。
私のカメラではうまく取れないが雰囲気は伝わるかな?
そうこうするうちに、早めに出てスポットライトで照らし出された庭園を散策しながら戻って行ったが、都会の喧騒を離れてしばしの休憩、いい気分転換になったねぇ。
肝心のほたるか、さすがに庭園では見かけなかったが飼っているみたいでそのような場所で見ることができた。カメラで撮るとフラッシュをたくと映らなくフラッシュを使うと御覧のようにフラッシュだけが映る、それでもフラッシュの下に小さい灯りが見えるがわかるかな?。
小さいころ田舎ではこの時期はいつでも見かけたものであるが今では、その田舎でも見るところが限られているそうである。ホタルの光窓の雪・・遠い現実ですなぁ。
それよりも「恋し 恋しと鳴くセミよりも 鳴かぬ蛍が身をこがす」な~んてね、どうも寅さんのセリフになっちまう・・・
だけど青春の一コマなんだなぁ。
下へ降りて電車に乗ると現実に戻るのだが、同じ都内でもそう遠くはない、たまにはこんな夜もまた一興。
またの来場を期して、現実で頑張るとするか。
448,鎌倉・光明寺
6月27日(金)、ここに眠る江戸時代大名、内藤家歴代の墓掃除に行った。
内藤藩は、延岡において幕末までの領主だが、その前は福島県いわき市の磐城藩の領主でもあったのでそのいわき市からバス2台で乗りついできたのである。
わが延岡からも6人ほどが参加をした、あと鎌倉からも民生委員も参加して30人余りで墓清掃となったのである。
昨年も6月に行われて約1年ぶりの清掃であるが、御覧のように草は伸び放題、大変な作業でありますなぁ。
私は金曜日の夜は蒲田の稽古があるので4時ころに失礼したが残った人は6時ころまでかけて行ったという。
翌日訪れてみると御覧のようにきれいになっていて、殿様方もさぞかし気持ちのいいことだろう。
それにしても、いわき市の皆さんは、延岡に移封前の殿様を今も慕って墓掃除に駆けつけるなど、昔は相当慕われていたのだろうねぇ。
6月21日(土)に封切されてただ今上映中の「超高速!参勤交代」は磐城時代この内藤藩の支藩である湯長谷藩の物語である。
湯長谷藩四代目の政醇(まさあつ)公の時の話だが映画でもわかるように広く領民から慕われていた名君だったそうだねぇ。それが今日までの墓掃除につながっているのではないのかねぇ。
その政醇公の墓も今年はしっかりとお参りをした。
1747年に延岡に国替えとなって幕末を迎えるのだそうだが、この延岡からの出席者が少ないのが、悲しい、忸怩たるものがある。
翌日28日(土)は供養会を行い、鎌倉市長も参加して盛大に行われた。6月27日前日に発売された月刊空手道、その中の私の連載「温故知新」のエピソードが丁度鎌倉市長表敬訪問の記事でまさにタイムリー、さっそくお渡しして挨拶をした。
供養会では私も延岡観光大使として延岡市長のメッセージを紹介するなどして盛り上げた。
いわき市の舞踊団が踊りを奉納するのだが、延岡の「ばんば踊り」の時は何人かの人が参加をして楽しくやったねぇ。
そのあとは、皆さんで墓参りをして、いわき市の皆さんのバスを見送って散会となった。
本日の我が商業高校卒業生は7名の参加者で、見送りに来ていた執事さんと記念に一枚。
その後、鎌倉駅まで来て、ほかの人達は喫茶店に寄ったり飲み屋へと行ったりしたのだそうだが、私は今夜は川崎教室があるので失礼をしてきた。
内容のある充実した二日間であった。
447・港の見える丘公園
1948年に渡辺はま子さんの歌でヒットした
「港が見える丘」にちなんで付けられた公園ということで、てっきり港が~だと思ってばかりいたが、正式には港の~というんだね、これには目からうろこ、
横浜に出てきた折から、ここで配達の途中弁当を持ち込んでベンチで食べていた頃から40年、すっかりだまされていた、イヤイヤ、知らなかったことになる。
今日は2014年6月2日(月)、時代をさかのぼること430年余り、天下統一を目指した織田信長が京都本能寺において明智光秀の謀反によって命を落としたのが旧暦ではあるが6月2日、と言われている。
と言っても何にも関係のない今日、バラを見に行きたいという突然の話で近くというところでここへ出かけてきたというわけである。
毎年この時期は、出かけていて横須賀の公園であったり、昨年もここから山下公園へクウを連れてきたりしている。
今年は、あまりの暑さにクウが歩くのは地面の温度を考えると無理だということで今日は家で留守番である。
バラも盛りを過ぎてタイムリーとは言えないがそれでも観光客もいて平日だというのにそこそこの賑わいを見せている。
昼ご飯を、入り口横の「ポートヒル横浜」で取ったのだが、予約客などを入れて50席近くが満杯である。
ここは、うちの会員が結婚式を挙げたところで、あの日は雨でせっかくの眺望も残念であった。ここへ来るたびに思い出すが、ま、これも一つの思い出であろう。
今日は絶好のロケーションであるが暑すぎてガスがかかっており、巷では光化学注意報が発令されるなど、そういう意味では最高!というまではいかなかったか。
見晴らし台横に見慣れない旗が立っているので行ってみると「コクリコ坂から」というアニメ映画の舞台で、UW旗で航海の安全を祈って毎日あげられていたのだそうである。
帰りは日陰を求めてフランス山などを通っておりたのだが、雑誌等によく出てくる風車があり、ま、ここで1枚撮らない手はないか。
今日は暑さのためかそれほど歩くことをしないで桜木町からバスで来て、帰りは本町から地下鉄で横浜へ向かったのだが今では、この地下鉄は埼玉県まで直通で便利この上ないねぇ。
埼玉のほうから横浜への来場者がぐ~んと伸びたということを聞いたが無べなるかな。
昼過ぎには蒲田へ戻ってきて、短い時間で気分転換が計れて誠に便利な行程であった。
446.鎌倉市長表敬訪問
5月13日(火)、かねてよりお願いしてあった鎌倉市長表敬訪問が実現して延岡の先輩の人と出かけてきた。
鎌倉市役所は鎌倉駅西口にあり、私も鎌倉へは何度も出かけているが西口へ降りるのは初めてだねぇ。
二人で落ち合わせて出かけたがすぐの場所にあり、約束の時間に市長に面会をした。
若い市長とは聞いていたがこのような若いパワーが古都鎌倉を引っ張って新しい時代を作って行くのだろう。
今回の表敬訪問は、毎年、延岡の藩主内藤様の歴代のお墓が市内の光明寺にあり、6月の法要には市長自ら参列していただいているのでお礼かたがた今年もまたお願いをしたわけである。
福島県のいわき市が主催となっているのだが、延岡からも参加して、鎌倉市長も参列していただくのである。
昨年私も参加したが今年はその墓の草取りから参加することにしている。墓掃除と言ってもそこはお殿様のお墓、歴代で一人ずつそれぞれだから大変な規模なんだねぇ。
それをいわき市からはバス2台で来て泊まり込みで作業を行い、翌日は法要と観光を兼ねて帰られるのだそうである。
延岡出身としてもここは参加をしなくてはいけないと思っているので、今年は張り切っているが、ちょうど空手もその時は行事もなくうまく回るのである。
今回、鎌倉市長訪問には武家の本元、鎌倉市において空手教室を開くという私個人の長年の夢も秘められているのである。
昨年の還暦の誕生日には鎌倉八幡にお参りをして御朱印帳を買ってきたのである。
私の新たな一ページが始まるかもしれないね。
いろんな意味で今後の展開を感じさせる一日であった。
帰りに、記念というわけではないが鎌倉駅でお土産を買い御茶菓子として食べたが珍しいことである。
445・新緑の称名寺
5月12日(月)、朝からすがすがしい五月晴れ、出かけたくなる天候である。手っ取り早い称名寺へ行こうということになった。リュックなどの用意をしているとクウにもわかるのだろう、興奮状態である。
電車に乗って20分ほどで金沢文庫駅についてさっそく徒歩である。
昨日あたりは人が混んだのだろうが、月曜日はすいていて人に出会ったのが3人であったか・・のびのびと行けるのでうれしいコースでもある。
今日はやけに新緑がまぶしく映る、まさに、青葉若葉の日の光・・である。
それでいてそれほどの汗もかかず快適に歩いてきた。
頂上の八角堂での一休みが気持ちよくて本当に良かったねぇ。
降りてきて境内では、先日、テレビを見ていたらクライマックスの場面で、この称名寺の橋のたもとで、主人公が犯人を前にして事件解明の説明をしていた場面を思い出した。設定は京都のお寺であったが、この境内もその雰囲気を醸し出している。私も思わず見入ったものね。
そうだよこのあたりの撮影であったな、説明をしながら池のほとりを歩くと菖蒲の花が黄色いので珍しいと思って撮ってきた。近くにはあやめも花を咲かせている。
そうこう思いながら帰路について戻っても2,3時間しかたっていなくて、ほんとに便利でありがたい所でもある。
ここでは能の舞台を設置してその観賞会も開かれるのだそうで、一度は来てみたいとも思っている。
私が気に入って気楽に買ったジャンパーをあなたには派手である、と言って勝手に着こなしたご婦人もいる、今回は特別だ、たまには掲載でどうぞ。
444,ズーラシア動物公園
横浜にある自然動物園で、15周年を迎えるのだそうである。できた当時から話題になり行ってみたいと思っていたがなかなか機会に恵まれなくて、5月5日の子供の日、たまたまこの日になったのだけれど行ってみようかということでやっと目的が果たせたようである。
だいたいにしてこの「ズーラシア」という名前はどこから来たのか?一応調べてみると動物園とユーラシアをあわせた造語なのだそうである。
自然の中に生きる姿を見せようということで、結構手が入り込んで他の動物園とは違った一面を見せてくれる。
この日は子供の日ということで結構な人出であったようだ。
入口から入ると確かに普通の動物園とは様子が異なる。アジアゾーンなのでライオンや象などアフリカとは違った様子であった。だけど自然も含まれているのでどこかしらほっとさせてくれるねぇ。
虎やヒョウなど保護色に包まれて見えにくいところはあるが、これはこれで自然に近い姿でいいでしょう。
奥に進むとイベントがあったり自然遊歩道があったりして一日楽しめるようになっていて家族連れには楽しいでしょうなぁ。
見ごろには少し早いがツツジもたくさんあって楽しませてくれる。道端にヤマブキの花を見つけてつい、詩吟をうなりたくなるのは悲しいさがか?
昼間の3時間ほどの時間であったが一度行ってみることで満足をした。
昔はこのようなところで飼われている動物は可愛そうな気がしていたが、ちょっとは自然に近い状態で生活をして、何より食いっぱぐれが無い。これはこれでいいのかなぁ、なんて考えるようになったねぇ。
こういうところで天寿を全うするのも一つの生き方かもしれないねぇ。
若いころは自然の中で生きて今日明日には死ぬかもしれないがそれが動物としての本望である、と思っていたのだが、こういうところで少々の不自由はあっても至れり尽くせりの人生?も悪くはないと思うようになったのも年を取ったせいかもしれない。
じゃぁ、私がその当時40年前に戻ったとしたらこのような考えになるかというと、今日明日の生き方もわからない自然の中での生活を選ぶとは思うのだが、相変わらず身勝手な考えではある。
まぁ、いろんな思いをしながらの一日、楽しいものであった。
443.旧古河庭園と六義園
4月28日(月)、ゴールデンウィークで素晴らしい天気に恵まれて、旧古河庭園へ行こうということでJR蒲田駅から京浜東北線に乗って上中里駅で降りて歩いて行った。
ここはずっと昔にバラの撮影できた記憶があるがそのくらい前に来たことがあるくらいで本当に久しぶりの訪問であったね。そのあとに何年か前に来たことがったか・・あまり記憶にはないがその後に一度来たことがあったね。
中に入ると、バラの開花にはまだ早い感じで、ツツジやシャガが咲いていてしばらく散策をして、そこから六義園まで歩き、六義園も散策をした。
ここは江戸時代五代将軍の御側御用人柳沢吉保の屋敷跡らしいが何せ昔の大名屋敷跡などは広いもんである。
とてもじゃないが半分もまわれなくて近道をしてちょっとだけ回ったくらいであった。正面入り口の枝垂桜を見に来たことがあったね。
池のほとりでおにぎりをほおばって、駒込駅前の喫茶店でコーヒーを飲んでから戻ってきたが、半日もかからないで戻り、いい気分転換になった。
都心の庭園散策でも十分に癒される。
ただワンコウが一緒に行けないのがネックであるが、短い時間なのでクウも待ってくれるだろう。
良い一日であった。