学校生活も夏休みに入り、小学生が多いところは、欠席者も多くなるころである。
蒲田教室も例外でなく、8月の稽古は少ない中での稽古となる。
今は大学の空手部で活躍する桑原が夏休みとかで稽古に出席してくれた。ここは大学の空手部で頑張っている山田もいるクラスなのである。
久々に現役同士の顔合わせか・・二人で組んで大学での約束組手などを指導してもらったが今夜の出席者は運がいいぞ。
桑原も、幼稚園の頃から入会して今でも暇があるとかけつけて指導をしてくれる。
山田は、現在でも空手部と並行して蒲田に出席をして小さい子の面倒を見てくれている。
思えば彼女たちも小さいころからよく離れずに続けているものだとつくづく感心させられるのである。
殆んどの子が中学生に入ると部活活動でやめていき、それっきりの子が当たり前なのだが、こんな子も珍しい部類に入るのだが、うれしいの一言である。
そしてこういう子達と飲める時代になったのである、そうか、成人となってきているのだから改めてびっくりするのだねぇ。
この夜は蒲田教室でサポートをしてくれる小坂君も交えて4人で近所の居酒屋で暑気払いとなった。女性だからグイグイと飲めるのも心配だが、少しぐらいなら社会人としていいだろう、仕上げにアイスデザートを注文するところが可愛いものである。
こうやってOB,OGが稽古に来てくれることはうれしくてこの夜も楽しいひと時となった、夏の夜の一コマである。
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411・温故知新
「稽古とは 一より習ひ 十を知り
十よりかへる もとのその一」 千利休
訳、稽古というものは、初めて一を習う時と、十まで習い元の一に戻って再び一を習う時では、人の心は全く変わっている ものだ、十まで習ったから、これでよいと思った人の進歩はそれで止まってしまい、その真意をつかむことはできない との教えです。
何年か前、時の総理である、小泉さんが還暦を迎えた時の心情として引用して述べたことを思い出した。
今は私もこんな年になったのですねぇ。
特に私のように道を歩む者にとってはなおさら身に染みる言葉なのでしょう。確かに空手を学ぶ者にとっては、型の一つを覚えるとその先をどんどん覚えたがるものだが、今までをしっかりマスターしたかというと、とてもじゃないが合格とは言えない。
型の数を自慢するのではなくてその内容を掘り下げてほしいものだが、時代が違うのであろう。ここは指導者として大きな悩みになるところである。
また私としても、還暦を迎えて改めて振り返ると最初に習ったナイファンチ初段にしても沖縄空手でいうところのムチミやチンチクなどの言葉を考えるとまた新たな発見につながって、一人でああだこうだと研究しているんだねぇ。
また、利休道歌には
「規矩(きく)作法守りつくして 破るとも 離るるとても 本を忘るな」
訳・規範、決まりごと、作法は守らなければならないが、例え破ろうとも離れようとも本質を忘れず、臨機応変にしなさ い。規律を守り背かずに生きるのは良いが、眼前の事実を前にしてそれらを飛び越えた最良の選択を探し出しなさい。
いやぁ、大変に難しくなってくるが、武道でいうところの「守・破・離」なのだそうである。
奥が深くなってくるとまた大変ですなぁ、ま、地道に少しずつ進もうとしましょうかね。
先ほど紹介した、小泉元総理、引き際も潔かった。
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」 細川ガラシャ
戦国時代、ガラシャ夫人の辞世の句とされていますが、この和歌を引用して引退してからは表舞台に登場していない。
引退してからも、余計な発言をして身内の党にも迷惑をかけた元総理もいたが見習ってほしいものだねぇ。
私も引退するときはこのようにスパッといけるのかどうか・・・それはともかく、それまでは勉強の連続である。
還暦を迎えて改めて思った次第である。
410、還暦
2013年7月24日、私も数多くの誕生日を迎えてきたが、今年の誕生日は還暦、60歳という大きな節目を感じ感慨ひとしおのものがある。
何度も申し上げてきたが、昔の童謡「村の船頭さん」であったか、♪ 村の私の船頭さんは今年60のおじいさん~♪などと聞いてずいぶん元気なお爺さんだなぁ~などと当時は深く考えもしなかったが、とうとうその年になってしまったのだねえ。
とりあえず、わが源氏の氏神鎌倉八幡宮へご報告にとさっそく出かけてきた。ここに京都の石清水八幡宮を勧請した源頼義、義家親子に報告をしたのだが今回は一人で行ったので自分で写真を撮り御覧のように私の顔だけがでっかく映ってしまった。普段であれば道行く人にお願いするのだが今回は何も考えずに自分で撮っていたね。
ちょうど御朱印帳も途切れていたので、ここで買い求め、ついでに還暦の記入も頼もうとしたらあっさりと断られたが、無べもない。
こういう人は余計なサービスをすると文字のバランスが崩れるのであろう、そのかわりと言っちゃぁなんだが、表紙の御朱印帳のところに私の名前を書いてくれた、上杉と名乗ると、上杉謙信の上杉ですか?と尋ねられ、私もうなづいた。
上杉謙信公も関東管領となってここ鎌倉八幡にもお参りに来ているのである。
源氏としても上杉としても、ここには縁があるのですなぁ。
私も、ここ鎌倉の地に空手教室を開くのが昔からの夢なのである、いつの日か・・・
お参りを終えて、今日は山越しに建長寺まで歩いてみようということで歩いた。昔の人は当然ながら軽く歩いていたのだろう、今日の私は運動靴ではないのが後になって響いた。
建長寺では大きい山門を拝みながら、時間もないので失礼をして北鎌倉へと向かい蒲田へ戻ってきた。
25日は細君と姪っ子がお祝いということで職場近くの鶴見のビヤガーデンへ出かけ、ポロシャツをいただいたがちと小さい、このサイズに合うように痩せなさいということか・・・
そんなわけで今年はいろんなことの詰まった年になりそうですなぁ。
409、那須岳
7月の海の日は相方も連休になるので、栃木県の那須岳に登ろうという話をすっかり忘れていてあわてて車を手配したら残りは二台しかなく、いつぞや利用したことのある赤い車にした。
今回はクウも一緒である、それがわかったらしくて大喜びでピョンピョン飛び回る、それをなだめての出発だ。
途中休憩をはさみながら午後那須岳に着いたら風が強くて寒い、東京とは10度近くの温度差ではないかと思うくらいであった。
ロープ―ウェイも運航休止である。早めではあるが今夜のホテルへ向かった。さほど遠くないラ・ピステというゲストハウスである。
当然ではあるが早く着きすぎた、受付は3時からであるが何と1時過ぎについたのだもんねぇ、しかし、その裏に林や、ドッグランがあって自由に使っていいようになっている。
これが結構広いときているものだから十分遊べ、また散策もできた。
あちこちのペット同伴ホテルに行っているがここはよかったねぇ。
チェックイン後はさっそくお風呂であるが、これも大浴場が貸切で満喫できた。
到着した日が15日なので皆さんは連休最後の日で退所した後であった。今夜の泊りは私たちを含めて2組、しかし、これはこれでちと淋しいものがありますなぁ。
今夜は冷え込むホテルのご主人も言っていた、暑い東京からこんな日もいいだろう、窓を開けて寝たがひんやりして手足が冷たくなった。
あくる日、仕切りなおして出かけると今日は天気も良くて大勢の登山者もいる。
本格的な格好で来ればよかった、いつもの称名寺くらいの考えであった。何しろクウも含めて私は初めてである、クウは興奮してぐんぐん登って行くが私はマイペース、でないと疲れるからである。
茶臼岳を目指してみたが以外と長いことがわかりその前の避難小屋までにしようということになった。
それでもそこそこの距離である。
避難小屋では工事が始まるらしく、ヘリコプターが機材を何回も運んでいてそのたびにすごい爆音と突風であるが、貴重な見学をしたね。
降りる時も石ころが多くて足をとられそうになりながら無事に駐車場まで下りてきた。
那須岳というのは那須連山のことでいくつかの山が連なっているのだね。
帰りワンちゃんと食事に寄れるところを探してペニーレインというところで食事をしたのだが、行くとビートルズの音楽が流れており、広々とした屋外に落ち着いた感じでテーブルが並べられていて素敵な感じを受けたね。ペットも可なので何組かのペット同伴が来ていたがワンコウもおとなしく脇で待っている。
そこへ行くと我が家のワンコウはおねだりが激しくてピョンピョン、ちと恥ずかしくもあったが、ま、吠えているわけでも迷惑をかけているわけでもないのでいいか。
さっそく家に戻って相方が厳しくしつけをしていたが、私はそこまではねぇ・・・
無駄吠えとか、迷惑をかけさえしなければいいとは思っているのだが、そこの温度差があるのだなぁ、ま、私が甘いのはわかるがこれほどまでになついてくると可愛くなるのだねぇ。
その後は一路蒲田の我が家へ・・高速を走って順調に来たのだが、浅草あたりで気が付くと燃料ランプが点滅をしている、高速に乗る前の計算では今回は間に合うと思っていたのだが・・・焦った。
大井南で降りて近くのスタンドで給油をして本当に一安心。
蒲田へ着いて、車の掃除をして戻してきて、これで終了である。
今回は宿がよかったこともあり、後味の良い旅行であった。
しかし、デジカメを忘れ携帯カメラで撮ったのだがうまくいったかどうか自信が無い、もっと撮りたかったので残念ではあった。
408、光明寺
6月29日(土)、鎌倉市材木座の光明寺において、内藤家供養の儀式が行われ、延友会の人達とともに計19名で参加をしてきた。
私の地元延岡では、江戸時代、現在の福島県いわき市から内藤の殿様が転封されて幕末にいたり、現代ではいわき市と兄弟都市となっているのだという。
そのいわき市からはバス二台に分乗して来場され前日には墓掃除をしたのだそうである。墓掃除といったって昔の殿様の墓である、一人一人がべらぼうに大きく、それが何代も続き真ん中に内藤の初代の殿様の墓、その向こうが磐城藩代々の墓、入口のほうに延岡藩代々の墓があり、これだけの人数で一日がかりの掃除なのである。
法要には鎌倉市長も参加して行われ、壮大さにびっくりした。これは、一高校のOBが声かけて行えるものではない。いわき市からも市役所の役員が参列している、来年は延岡からもそれなりの人が出席しないと恥をかくのである。
いわき市からは地元の「ジャンガラ踊り」を披露してくれたり、なんと延岡の「ばんば踊り」まで奉納してくれたのにはびっくり、私も2,3人の人とあわてて参加をしたのだが、ここでも忸怩たる思いであった。
いやぁ、ほんの墓参りのつもりで参加をしたのだが、来年からは延岡出身の人を募ってもっと大々的にやらねばみっともないのである。
幸い今回はばんば会の役員も参加したので来年はもっと大規模なものになるのであろう。
郷土愛を発揮させねばなるまい。
昼過ぎには終わり、私は稽古があるので失礼したが何人かは残って席を設けたのであろう。
今回は色々と勉強させられたことであった。
407.明月院
あじさい寺として有名な明月院、何度か行った事はあるのだがアジサイの頃は大変な人出だと思いこの時期は行った事はなかったが、今年は時期的にもちょうどいい6月24日(月)、出かける機会に恵まれた。
北鎌倉駅で降りて、まずは駅前の円覚寺へ入り、吟会の重鎮、横山岳精先生の奥様が眠られている墓参りを済ませてきた。墓の掃除もしたかったが時間が無いのでお参りだけにしてきた。
軽く境内を散歩して明月院へ向かったが平日だというのにさすがこの時期、大勢の人でにぎわっていたねぇ。
入口に「福」というしゃれた食事処があって行ってみたら店前まで人が並んでいるので名簿に記入をして。明月院を散策してきた。
平日でこれだけの人の流れというのだから昨日の日曜日はどのくらいの混みようだったんだろう、いやぁ今日でよかった。
さすがにこれだけのアジサイと回りの風景とがマッチして風雅さを感じさせる。
私までもが風流人に見えるから不思議である。
一回りしてから先ほどの店に戻ってみるとまだまだのようで、仕方がないから待つことにした。
約20分くらい待ってからようやく入れた。
周りを見渡すと男性は私だけ、確かに女性が好むような店であるのでそうかもしれない、私も一人ではとてもとても入る気など思いもよらなかったであろう。
まずはビール、鎌倉の地元産のビールを飲む、ちょっとはビールの違いも分かるようになった。
料理もコースで来るので値段としてはうまい割には安いくらいである、並ぶのも無べなるかな。
満足をしたところで帰路についたが、時間にして半日もかかっていない。
安・近・短・・それでいて充実感と満足感がでいっぱいである、最たるものだ。
406、浜離宮恩賜庭園
6月17日(月)、天気も上々、昼間気分転換でどこかへ行こうか、という提言に従い、アジサイやあやめが咲いているという浜離宮恩賜庭園に行ってみることにした。
京浜東北線に乗って新橋駅で降りて歩いて約15分くらいかな、工事現場のわきを通り抜けながらついた。
入場料を払って入ると、係の人が案内携帯を無料で貸してくれるという、せっかくの勧めでもあり借りてみることにした。
写真では、イヤホンが付けた格好ではあるが、別にSPをまねているわけではない、ポイント地点に来るとガイドが流れて説明してくれるのである。
私も初めての体験であるが面白かったね。
樹齢300年の松から始まって御茶屋では抹茶をいただき(有料)気分転換になるなど都内でも結構楽しめたが、以外と外人が多かったねぇ。
ここは徳川将軍家の庭園で由緒あるものがあちこちにみられ、鷹狩りの鴨場では見張り塚など珍しいものも見られた。
そこを出てから隣の築地市場へ足を延ばしテレビなどで見かける市場内の店で食事をしてきた。
そして中をぶらりぶらりしながら外へ出て、東銀座の歌舞伎座まで遠回り、新しくできた歌舞伎座は駅と直結しているとテレビで知っていたが、実際に見てみてなるほど便利になったものである。
そうして、東銀座駅から京急蒲田駅まで電車が乗り入れで一本なので乗り換えなしで戻って本日の歩数は11,120歩、まずまずの散歩であった。
405、港が見える丘
6月10日(月)曇天なり、昼間散歩の延長で横浜の港が見える丘公園でバラを見たいという、とっくにその季節は過ぎているのだが、行ってみるとまだ結構残っていて大勢の画家?達がスケッチをしているのである。
2年ぶりかね、この季節に出かけるのは・・以前にも雑記で書いたと思うのだが今年はまた違うので再びの登場である。
写真に青色の大きな肩掛けが写っているが今回はクウを連れて行ったので電車に乗るときに使用する、名前はよく知らないが通称頭陀袋である。
これにクウを入れて電車やバスに乗り込むのだが、吠えもせずおとなしくしているので助かる。
とりあえずは公園の見晴らし台で横浜ベイブリッジをバックに1枚、ここはいつものところである。
あとはバラ公園の中を散策しながら、きれいなバラをバックに何枚か撮るのだが、クウも興奮をしていてリードをけんめいに引っ張って行く。
帰りによく雑誌で見かける風車のところでこれもいつものように1枚、今回はクウも一緒なので少しは違うだろう。
それから山下公園へ流れて中央の大きな水瓶を持った女神像のところで1枚。
今日は修学旅行生であろう、団体客を多く見かけた。
また公園前の店ではたくさん人が並んでいたが、フワフワ卵料理の店ではないかと言っていたが、そんな情報は知る由もない。隣のマックでハンバーガーを食べながらちょいと数えてみたが外に70人以上が並んでいて、店内では大勢のお客である。そこまで並んで食べようとは思わないが、並ぶ人にはそれなりの価値はあるのだろう、ごくろうさん。
しばらく公園内を散策して公園前のバスで横浜駅まで行って、京急で蒲田まで戻ってきたが、トータルで4時間弱半日は楽しんだように思えるが便利なものである。昼間の気分転換にちょいと出かけられるので蒲田はいいところだねぇ。
これで少し休んでから今夜の生麦教室へと稽古に出かける。本日の歩行数は8600歩ちょっともの足りないがこれでいいか、良い日中であった。
404・戸塚教室
6月2日(日)、日曜日はいつもなら、戸塚教室の少年部をやってから幕張本郷の稽古に向かうのだが、今日は幕張本郷が休みなので戸塚の一般教室まで残って行った。
今年の初めに入会した人もいて一度歓迎会をと考えてついつい延び延びになっていたが、やっと開くことができた。
それについ先日入会してまだ2回目の稽古であるという人も参加しての歓迎会である。
また稽古場の上の階が居酒屋というなんと恵まれた環境?であろうか。
ましてや昼間から開いていて当然お客は少なくのんびりとできるのである。
この日は結構暑くなってきていてまた稽古後のビールがうまい、運動をしていない私までもがうまいと感じるのである。
今月発売中の月間空手道7月号の温故知新で紹介している、86歳の新人藤島さんを囲んでの懇親会である。
皆さんはビール、藤島さんは熱燗でマイペースでやってもらう。
私も戸塚での飲み会の参加は本当の久し振りであるが、それにしても人数も増えた。今日の欠席者を入れればもっと多い、段々と遠くなって話が見えなくなってきたねぇ。
女性もポツポツ・・うれしいねぇ、女性が増えるということはまた活気が出てきてより華やかになる。
なんでも最初は一人二人からのスタートで、ここ戸塚も例外ではなかった。
戸塚は経営母体が違うので私はそんなに表面に出ないのだが空手衣は一応上杉会館の文字入りを着用してもらっている。
先日の審判講習会でもここ戸塚教室からたくさん参加してもらったが、当会の中では新進気鋭の集団である。
私も非常に心強く思っているし、また少年部の会員も大変熱心である。
生麦や川崎教室まで出かけてきて先輩方にもまれながら一生懸命やっていて、相乗効果があって大変にいい環境となっているのである。
今年はいい波に乗っているような感じがして今年後半も大いに期待をもって進めそうだねぇ、とりあえず今日は戸塚教室の皆さんに乾杯!だ。
403、スカイツリー一周年
いよいよ最終日、今日は東京スカイツリー訪問である。
私どもの予定では今日しか取れなかったのだが、くしくも今日はスカイツリー開業一周年で、大勢の人出であった。
昨年の5月22日12時に開業となったのだが、私たちの予約の時間も一年後のちょうど12時入場なのである、奇遇だねぇ。
入場してみると、各局のテレビ局、新聞社のインタビューなどこんなたくさんの報道陣を見るのは本当に久しぶりである。
ひょっとしたらどこかで写っていたのかもしれぬ、別にやましくはないのでかまわぬが・・
親族のみんなが初めての訪問で、音もなく上がっていくエレベータから感動していたが、すべてに新鮮さがあって感動しきりであった。
ただ、5月特有のガスがかかっている状態で眺めとしてはそれほどの期待はできなかった。富士山は見えなかったが、その他は眺めることができたので良しとしよう。
話のタネに一度上るだけでも満足である。
私なんぞは10日間で二回上ったことになるが前回は全然見えなかったので今回が初めてのようなものである。ゆっくり回って堪能して、蒲田へ戻ってから休憩をして、今回の集まりは解散となったが皆さん大満足で帰って頂いた。
私も早い段階から企画していた甲斐もあろうというものである。
母親も88歳で今回が最後の上京であろう、私も満足している。
親族からは私の還暦祝いをしてもらい、私も厄落としとして今回の企画をした。また、孫やひ孫たちも協力してくれた。
いい家族だねぇー、自画自賛になるが、私も人に説教をするのだがそういう本人も少しは実行をしていないといえないね。
長年の夢が実現して大満足である。
これで心を切り替えてまた空手に精進である。