明けて21日(火)、雨は上がったのだが雲が多いこの分では箱根で富士山は見えないなぁ、バスの運転手の好意で予定より早く出かけ十国峠へ寄ることになった。
晴れた日は素晴らしいのだろうがあいにくの曇り、しかし、雨が上がっただけでも良しとするか。
そこから箱根関所跡へと行って一回りそこでみんなと食事をして、芦ノ湖遊覧船に乗り込んだ。
私もこの遊覧船は30年以上前に乗ったことがあるのだというのだがそんなに覚えていないのである。
今回は海賊船である、約30分満喫した。
その後乙女峠から御殿場へ抜けて東名高速で戻ってきたのだが、富士山も見えずじまい、せっかくのコースが台無しだなぁ。
それでも平日ということもあってスムーズに戻って来れて今度は夜の宴会である。
蒲田駅西口の会場で、関東地区在住の孫やひ孫たちが集まって「長寿祝」を行うのである。
総勢30名近く、いとこ同士が集まったのだが中には20年ぶり近い再会というのもいてそりゃぁ懐かしく話し合ったことである。
演芸では上杉家伝来の芸達者の人達が張り切り、福島から駆け付けた相方の母親も頑張って踊りを披露した。
あっという間の時間であった。
その後は二次会でカラオケへと向かい、ここでもみなさんのど自慢ばかりで飽くことを知らないのだねぇ、
まだ明日もあるというのに遅くまで頑張っている。
私にはクウも待っている、切り上げて戻りクウと一回りしてようやく終了である。
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401・鎌倉・伊東温泉
親族一同の旅行を計画していた5月20日(月)、あいにくの雨模様であったが14人でマイクロバスに乗って一路鎌倉へ・・まずは八幡宮である。私どもはその横手にある頼朝公の墓へ行った。
あまり時間も取れなかったので、急いでバスに戻って今度は鎌倉大仏様である。
まだ小雨が降っていてゆっくりはできなかったねぇ、その前の観光会館で食事をしてからお参りに行き記念撮影である。
遠方より来た親族は何十年かの訪問で感慨深いものを感じていたようだ。
またまたバスに乗り込み今度は伊東温泉に向かうのだが途中熱海の「貫一、お宮の松」で休憩である。
このあたりになると雨も上がってようやく観光の気分になってきた。
♪熱海の海岸散歩する~貫一お宮の二人連れ~♪♪
年配者が多いのでこういう観光地は喜ばれる。お宮の松も今は二代目だそうである。
その後、伊東温泉に向かうのだが湯河原などを通りながら「みかんの花咲く丘」であったか、童謡などを歌いながら夕方予定よりも早く着いた、「伊東小涌園」である。
もう40年近く前になるが、私が藤田観光バスでバスボーイとしてしばらくアルバイトをしていたことがあったが、そのころから小涌園といえば箱根が有名で外人ツアーで箱根で一泊してから熱海駅まで送っていた記憶がある。
伊東ではこのホテルも老舗であるが、温泉街もわびしさを感じるねぇ、一抹の淋しさがあるがこれも時代の流れか・・・
温泉に何回も浸かってその後料理を楽しみ、みんなと話しながら床に就いたのだが、若いころと違って寝付くのも早い。
しかし、一族で温泉で一泊とは、若いころから夢見ていたのだが今回ようやくみんなの協力があって実現できた。
車いすの母親も満足であろう。
400・東京スカイツリー
雑記も重ね重ねて400編を迎えたか・・・別に感慨というほどのものはないのだが、ちりも積もれば山となる、であるな。
第一回目は、高知県土佐の桂浜・坂本竜馬像だったのを覚えている。その後節目にはお良さんの墓参りだったり、何かと竜馬にちなんでいたように思えるがこれはあくまでも偶然である。
今回は、東京スカイツリーに始めて上った紀行となった。
時は2013年5月13日月曜日、天候は曇天なり、もちろん視界はゼロ、それでもこの日しかないので行かねばならぬ、当日券で並ぶのを覚悟していたがこの日の当日券を求める人なんざぁありゃしない、列を仕切るであろうロープの類が御覧とおりである。
来ているお客はこの日指定の団体客や外人をはじめとするツアー客であった。彼ら達には気の時だが運が悪い・・・としか言いようがない。
受付で「本日は視界が非常に悪くなっています」と改めて断われたが、そこは合点承知助である。
私は来週22日に、家族で来る予定の下見であるから内容がわかればそれでいい。
さっそくエレベーターに乗り込んだが、なんということか、乗っている感じが無いままに一気に350メールまで上がって行った。インド人もびっくり、イヤイヤ日本人だってびっくり、NHK「あまちゃん」風に言えばジェジェジェジェと驚きのジェが4個は並ぶだろう。エレベーターの中から吹き抜けで天井がみえるのである。
ここまで来たのだから別料金を奮発して450まで上らねばなるまい。これもあっという間、ソラカラポイントがあったり記念写真を撮る場所もあるのだが並ぶこともなく信じられないねぇ、天望回廊とは言ってはみたが御覧とおりの雲の中、今日は視界は最悪である、風が無くて登れただけでも良しとしよう。
来週の予約日がたまたま開業2周年の日だそうで予約入場券を買ったのだがそれでも11時は取れなくて12時入場の予約であるどれだけ人が混むのか予想もされようというものである。
すいていたおかげでスムーズに事が運び2時間もかからないで戻ってこれたが、この倍はかかるだろうとよんでいる。
視界は悪かったが下見としてはこれでいいのだろう、帰る頃には晴れてきた、来週の本番では家族に喜んでもらえるかな。
399.新橋界隈
郷土の同窓会「ばんば」の仲間で長谷川さんから、商業高校の先輩が新橋で鮨屋を開いているということを聞いていたので前日に連絡をもらい、5月9日空手も休みなので、顔を出してきた。
新橋は京急線乗り入れで一本で行けるので近く感じる。
新橋といえばサラリーマンの街で、テレビのインタビューなどでは必ず使われる機関車広場があり、その裏手になるのだという。
赤レンガどおりを抜けた一本目の路地に「徳鮨」の看板を見つけさっそく入ったところさすがサラリーマンの街、早い時間から満席である。
ほかのお客も、同じ延岡出身ということでそこは同郷、さっそく話に花が咲いて尽きない。
聞けば先日の「ばんばパーティー」にも出席していただいたという、なおさら話は盛り上がって結構長い時間いたね。
ここのマスターは得平さんと言って私よりか4歳先輩か・・それに中学も同じだというから家の状況からも察しが付く、懐かしい話でもちきりだったねぇ。
なかなか鮨屋さんなどは一元では入れないが知り合い、ましてや場所が新橋だといろいろな人に会うのに便利この上ない、おまけに会計となるとびっくりするくらいの家族値段である。
また来ます、ということで後にして新橋界隈をブラブラ・・
新橋はご存じ「鉄道唱歌発祥の地」でもあり、碑の前でほろ酔い気分で1枚撮ったが相変わらず人がごった返していて、東京だねぇ。
今日の昼間は暑かったので半袖で行ったが、夜になってもまだ暑さは残っていて帰りは気持ちよく電車に揺られてまっすぐに戻り、昼間シャンプーをしてきれいになったワンコウとともに近所を一回り。
平凡至極な1日であるが、またこれが実にありがたいことである。
今日はいい休日を過ごさせていただいた、改めて感謝!
398・大山詣で
ゴールデンウィークの谷間、4月30日(火)、かねてより計画していた、大山詣でを実行した。
あいにくの雨模様であったが、昼間の2,3時間の雨ということで出発したが、結果的には天候が一番悪い時の登頂であったね。
相鉄船海老名駅から小田急線に乗り換えて伊勢原で降り、ケーブルカー駅息のバスに揺られて入口へようやくついた。
ケーブルカーに久々に乗って阿夫利神社駅で降りて、とりあえず下社へお参りをした頃から小雨が降り出してきた。
大したこともなかろうということで登り始めたが、昨年の高尾山や最近登った幕山でもきつい思いをしたが今回はそれの比ではない。
入口の急な階段を見たとたん、いきなりかよ・・・此のすごさを写真に収めていないのが残念である。四国の金毘羅様の階段を思い出したが、傾斜からいくとこちらのほうが急ではないのか?さすがに昔の修験者の山である、などと思いながら登り始めた。
相方はもうこの時点で後れを取り始めた、体力が落ちた、などと言ってはいたが、無べもない。
金時山のような登山道だが、こちらのほうがはるかにきつい感じがする。
雨のせいもあろうが登山客はあまり見かけなかったねぇ。
途中、丁目が書かれた石碑があるので、てっきり10丁目が終わりかと張り切っていたら、なんと何と、頂上までは28丁目まであるのだと・・7丁目、8丁目でもう少しだと頑張っていたのに・ちょっと心が折れそうだったなぁ。
雨風が激しくなってきた、小雨が風にまかれて体に吹き付ける、手足の感覚が鈍くなってちょっとまずいかなぁ、と思ったりもしたが、富士山の時に比べればまだましである、などと思いながら頑張った。
今回はポンチョの合羽を用意しておいたのだがこんな簡単なものでも大いに役だったね、助かったよ。
まだか、まだか、と思いながらの2時間、ようやく山頂に到達した、1252メートルだそうだ。
しかしこの山頂にいたころが雨風が一番だったような気がする。
山頂に茶屋があるのだが私たちがトン汁を注文して食べているころに店を閉めて店主はさっさと下山をしはじめた。
雨風をしのぐ小屋で休憩をとってとりあえず記念の写真だろう、頑張って撮ったよ。
それでもほかにも10名近くの登山者がバラバラといたね。
頂上でお参りをしたので、今回の目的は果たした。
下山するころには、雨も止んでお天道様が顔を出してきたようで暖かくなったねぇ、ほっと一息、改めて
お天道様のありがたみを感じたところである。
戻りはあの階段を逃避して大回りながらもゆっくりとした道を選択した。確かに時間は倍かかったような気もしたが、これはこれでよかった。
ようやく下社について茶店で一服したが、いやぁ、今日はよく歩いたものだ、上京以来40年、一度は上りたいと思っていたがようやく念願がかなった、大いに疲れもしたがそれだけのことはあっただろう。下りはケーブルカーの途中駅「大山寺駅」で降りてはみたがあまり歩く気力もなかったね。
で、始発の駅まで降りて今回は温泉に浸かりたいと思ったが、あいにくと今日は休みや廃業したところもあったので、伊勢原まで戻り、隣の鶴巻温泉の「陣屋」まで行くことにした。
陣屋はこの地区では知られたところなんだね。
資料を見ると鎌倉時代の和田義盛公が別宅を建てたらしい、フムフム・・こういう謂れを知るのも楽しみの一つなのである、この伊勢原は大田道灌終焉の地でそれにまつわる話もあって興味をそそられるのだがそれはいつの日にか取り上げよう。
鶴巻温泉、名前も知ってはいたのだが一度は来てみたかったところである、この目的も果たせて今回は
疲れながらも満足をした一日であった。
397・新緑の称名寺
4月15日(月)、天気も上々、陽気に誘われてクウとともに金沢文庫駅で降りて称名寺へと久しぶりに行って来た。
今回は緑のジャンパーを持って行ったのだが、別に町会のユニフォームではない、ちゃんとした私物である。先日京急ガード街を歩いていたら何か季節感があったので買ってみたのだが、周りとはちょっと浮くねぇ。しかし、草萌えるこの季節ぴったりだろう。
最近は大森ノリ公園までの散歩が多くて称名寺まで来ることはめったになくなってしまい、ほんとに久々の訪問になった。
今月号(4月27日発売)の温故知新では、鎌倉幕府の北条時頼の作品を紹介するのだが、何しろその時代に建てられた寺で、由緒あるお寺なのである。
平日の昼間ということもあって散歩者は少なくてのんびりと歩けるので自然を満喫できる。
頂上の八角堂に行くと先客が一人珍しくいた、この日出会った唯一の人である。
頂上からは、八景シーパラダイスが望め、横須賀の猿島までもがみえ気分爽快だねぇ。
そこでおにぎりをほおばりしばし休憩。
先日の同窓会で使用したTシャツに着替えて気分転換、ふと思ったことはこの頂上に八角堂があるのは何の目的があって建てられたのだろう。
そのころは眺めがもっとよかったのは間違いない、富士山は今でもくっきりと見え、横浜方面ではベイブリッジやランドマークタワーまでもがみえてこのあたりでは一番高いのではないか?
この横には駅名の、金沢文庫もあり、ここの称名寺の晩鐘は金沢八景の一つに数えられる。
そんな風景を眺めながら降りて駅へ向かうと、途中一軒家の庭にチュ-リップなどがきれいに咲いており、道端から二、三枚撮らせていただいた。
こんなところに庭付きの家を構えるなど、うらやましい限りである。
私もこんなところでのんびりと暮らす、というのも頭に描いているのだが、実現できるかどうかは・・・・ちと無理かなぁ。
そんなこんなで京急特快に乗って30分ほどで蒲田に戻って来れていい気分転換になった。
のどかな春のひと時である。
396・「マコとミコ」
昭和39年、第6回日本レコード大賞、「愛と死を見つめて」を歌った青山和子さんが経営する店である。
池袋北口から歩いて3分ぐらいのところにあり、マスターは、元,敏いとうとハッピー&ブルーのメンバーである神戸たかしさん、この日も池袋、「美久仁小路」で飲み、その後に出かけて歌ってきた。
若い人にはなじみはないだろうが、青山和子さんといえば私が故郷宮崎でテレビにかじりついていた頃のスターであり、すでに何回か来ているのだが池袋で飲むとつい来たくなるのである。
カラオケも歌いやすいのでついつい私もプロの前であることを忘れて調子に乗って歌うのである。
この夜は青山さんともデュエットしていただいて感激だったなぁ。何しろレコ大歌手とのデュエットである、そうあることではない。
歌というものは不思議なもので、古い懐かしい歌を歌うとその当時に戻れ、いいことも苦しいことも呑み込めて歌えるものだのだねぇ、そう思えるのも今が幸せであるからではないだろうか。
お客さんも60代以上の人が多いのだが、一緒に歌えるようで楽しく過ごせるのだねぇ、こんな時はあっという間に時間が過ぎる、若い時と違ってここで夜を明かすわけにはいかない、終電を気にしながら歌いながらもすっかり満足してここを後にした。
こんな楽しいひと時を過ごすとまた、明日からも元気で働けるような気になっていいことである。
素晴らしい夜、素晴らしい一日に心から感謝!である。
395・ふるさとの浜辺公園
通称のり公園、と呼んでいるが、旧呑川の緑地あとをたどっていくと東京湾に突き当たり、その隣にある公園である。
天気のいい日は、私は自転車で、クウはかけっこで出かけ、約20分ぐらいかかるので結構な距離でクウにとってはいい運動になるのである。
そこの公園は区民憩いの場ともなっているので大勢の人が押し掛ける、一応浜辺はあるのだが遊泳は禁止されている。
途中の呑川跡には桜が植えてあり、少し前の頃は花のトンネルをくぐっていくようで趣があり、大変気持ちのいいものであった。
先週の天気のおだやかな日(4月4日)、クウと出かけ、この日はカメラを持参して久々にクウざんまいというところである。
本来はここで駆け回りたいところだろうが、ここへ行くまでに相当走っているのでここへ着くと、まずへたり込んで休憩となり、そのあとはゆっくりと中を散歩するのである。
中には花壇に季節の花が植えてあったりして楽しめるようになっている。
私は平日しか来ないが、土、日曜日ともなると大変な人出でごった返すそうである。
ここで散歩して、帰りはまた走ってくるので家に戻るとクウはぐっすりと休む。
称名寺へ行かないときはここを行くようにして、クウのためにいろいろと気を使ってはいるのである。
394、銀座
ひとやすみしたら気が抜けて休みすぎて次の日になった。
28日は、桜田門を見てから、日比谷公園へ行って休もうということでまた歩いたが、さすがに疲れたねぇ。公園につくとさっそく休憩所を見つけてホッと一息、このビールがうまい!
さぁて元気も出てきたところで待ち合わせの銀座ライオンへ向かうとするか、昔、銀座を舞台にした歌「たそがれの銀座」も流行ったなぁ―、何なに「御幸通り」?そういえば「二人の銀座」の中に出てきたねぇ。雨の外苑夜霧の日比谷~これは「東京の灯よいつまでも」ずいぶん古い歌だが、私も古い人間と言われるようになってきている、懐かしい限りである。
そぞろ歩きで銀座ライオンにつくとすでに待ち合わせの人達は来ている、それにしてもこのホール、人が外に並んで待っているほど繁盛している、びっくり仰天である。
私たちは先発隊のおかげですぐに入れた。イヤイヤイヤァ~こんな人ごみの中で飲むなんて落ち着かないなぁー、店内には女給さん(すまんが銀座の表現ではこの言葉がよく似合うのだ)次から次へと料理やビールを運んでくる。そのうちマイクをとった人が話し始めたと思ったら歌を歌いだした、オイオイどうした?
ここではアルプスの恰好をしてアルプス音楽を時間になると歌いだすのだそうだ。
訳が分からんが、ドイツの「乾杯」という歌だそうだがドイツ語などわかるわけがないが雰囲気は楽しく伝わってくる。
よくよく館内を見ると外人さんも多い・・なるほど、納得。
いやぁ、エネルギッシュといおうか迫力がビンビン伝わってくる、ここを出るころには疲れたね。
皆さんはなおいっそう元気になり上野へ行って飲んで歌おう、なんて言いだしたが私は薄着で来ていたので寒さもあるし、夕方までの予定でいたのでそのあとがあるし、で失礼をしたが、私より年上の人ばかりなのだが元気だねぇー。
かくして、本日の歩数は17000歩前後、よく歩き疲れたがよい一日であった。
393・将門塚から・・
東京に住んで40年、ちょっとした歴史好事家を自認しながら、将門塚には行った事が無いという、少々忸怩たる面を持ち合わせていた。
3月28日、空手は休み、この春ののどかな日皇居の花見にでも行こうかという誘いに乗じて、将門塚に寄りましょうということでようやく念願がかなった。
日本史上三悪人の一人と数えられているが、それは権力側からの勝手な押しつけで、庶民側から見ればまさに英雄の一人だという感想をずっと持ち合わせていた。足利尊氏しかり、幕末の大塩平八郎もそう、マニアックになるが幕末の雲井竜雄もそうだと思っている。
将門塚にはサラリーマン風の人が次から次へとお参りによるのだねぇ、ここは東京のパワースポットとしても有名なのだそうだが、私は純粋にお参りに来ただけであって詳しくは知らない。
碑の周りに蛙が並んでいるのは、帰る、というのひっかけてサラリーマンたちが転勤などから無事に帰るという意味も込めてお参りに来るのだそうである。
念入りにお参りをしてお堀へ向かう途中昔カルガモが濠に引っ越すのでテレビでずいぶん騒がれたビルの池を通った、ここから濠まで引っ越したのだねぇ、ご苦労さん。
そう思いながら濠へ行くとまた像が立っている、碑文を見ると和気清麻呂という、私も詳しくは知らないが、弓削道鏡の謀反から皇族を救い、戦前ではお札にもなって、楠正成らと並んで三忠臣として有名だったらしいのである。どうも日本では日本三景などにみられるように
この三・・などとつけるのが好きらしい。
そこを過ぎて、人の流れるのを見て皇居の中に入って行った。
昔の江戸城である、平河門をくぐるとまさに時代劇に出てくるような場内である。
芝生の中を進んでいくと、松の大廊下跡、などの札が見えて、あの忠臣蔵、「各々方お出会いそうらえー、浅野殿刃傷にござるぞ!!ー」でおなじみのところか・・しばしたたずみ当時をしのぶ・・・しかし、面影のかけらもない・・。
そこを抜けると天守閣跡があり、一応上がってはみたが明暦の大火で焼けたとかで、ただの広っぱである。この先が大奥、向こうに中奥、こちらが鈴をつけて将軍が通ったという廊下か・・・などとあくまでも私の推測のうちに時が流れるだけである。
出口に行くときれいな桃の花が咲いており、何とも心が和むのを覚えるねぇー。
で、まわって千鳥ヶ淵へ行こうとしたら高速道路などに阻まれてずいぶんと遠回りになる・・
仕方がないのであきらめて濠の周りを逆にまわっていくことにした。
半蔵門から桜田門へと向かう、桜田門は工事中で養生がしてあり趣もあったものではない、それでもこれはこれで記念だというので一枚…悲しい性か。
この後銀座まで行って一杯やるのだが、書いてる私もつかれた・・ひとやすみ、ひとやすみ。