422・紅葉狩り

いいねぇ、このタイトルこんな言葉を使ってみたかった・・去年もこういっていたような感じがするが、ま、いいだろう何度使っても気持ちがいい。
 11月の大会準備を控えて、ちょっと骨休みである。
台風も去って一段落した10月28日(月)、一泊で軽井沢へ行こうということでレンタカーで行って来た。今回は申し込みが遅いせいか、バンタイプしか残っていなくちょっと旧式、高速で100キロを超えるとエンジン音が響く、でもこういうのが私にはあっているようだ、前回のハイブリット車なんか120キロ出していても全然静かでわからなくてヒヤッとしたものだった。
途中お昼をとろうということで、グルグル回ってママーズガーデンというところで一休み。ワンコウノも入れるので安心して休まれる。
 目的地は北軽井沢のペンションだがここをカーナビが誤った目的地を示して到着までにずいぶん時間を要したねぇ。
ペンション「リーブル」である。愛想のいい主人が平身低頭であやまれてこちらが恐縮するほどであった。
 夜の食事は豪華でおいしかったのだが、遅い昼食を2時ころに取っていたのでさすがの私もやっとの思いで食べたほどだった。
 風呂に使ってゆっくりと過ごす、これは旅行ながらではのひと時だねぇ。
同じ宿泊者の人から「千ヶ滝」はいいですよぉ、ということを聞いたので翌日はその千ヶ滝へ行くこととなって予定変更である、またこれも旅の楽しみでもあるか・・
 
 明けて29日(火)、チェックアウトをしてさっそく千ヶ滝へ向かう。途中紅葉のトンネルがあちこちにありまさに秋満開というところか、寒暖の差が無ければこれほどまでには色づかないだろう、思わず見とれるところである。
 千ヶ滝へ麓の駐車場に車を止めて徒歩で向かうのだが、クウも大喜びである。
小川のほとりはあちこちにい敷いた板が古くなっていたんだところがあるが、ぜひとも直してここを通れるようにするともっと素晴らしい感動となることだろう。
 感動のうちにお昼をとろうとナビで検索をするととんでもない畑の中を通らされたりしてうんざり、しかたなく近くのパン屋さんでもいいということで寄ってきた、あとは関越のサービスエリアでいいか。
 帰り東京に近くなると雨も降りだして道路は渋滞となって到着が予定より1時間ほど遅れたが、今回の紅葉はシーズン真っ最中ということで大変いい思い出であったねぇ。
 戻ると現実が待っているのだが、平凡な日常というものは是は是でほっとするものがあり、ありがたいものである。
また日常に頑張ろう、そう思い直させる一泊二日であった。

421、カラオケ

日曜日の昼間、母と兄とでカラオケへと繰り出した。
車いすでリハビリをしている母にとってはひとつの運動でもある。
父親は亡くなって37年になるが母親は車いす生活ながら今年米寿を迎え、意識はまだはっきりしていて元気である。
 昔はカラオケ教室にも通ったそうで歌が好きでこれが楽しみなのだろう。
兄もカラオケ、私と弟は詩吟でとりあえずは音楽一家?とでも言っておこう。
この日も弟は詩吟の研修で欠席をした。
 スポーツも、兄と私は流派は違えど空手の師範、弟は国体出場経験の水泳コーチ、宮崎といえば、オリンピックメダリストの松田選手がいるが、彼のクラブではその松田選手に続くような選手はいないという。
ちなみに松田選手のお母さんが私たちの同級生なのだという、言われてみて大柄でおとなしい女性だったのでなんとなく覚えているくらいの人だった。
   閑話休題
 家族で趣味が同じだと楽しみやすい、しばらくであったが和気あいあいと楽しんだ、で、小腹がすいたところでお昼を食べてちょっと買い物をして戻るという、ごく一般的な一日であった。
 たった一泊二日の里帰りであったが、元気な母を見て安心してまた東京で頑張れる。
東京へもどると公私共々忙しくなる。
 さて今年も後半、気合を入れていくとするか。

420、同窓会

9月28日(土)、故郷延岡で高校の全体の同窓会が開かれ、関東支部の報告もあるので出席をしてきた。
同窓会に先立ち役員会が開かれたが私たちの世代が中心となって行くようになったんだねぇ。
 40歳の時が実行委員でその時に帰延して以来約20年ぶりの出席である。
ただ5年ごとに行われる同期会には出席しているのでこれは別なのだが。
 学校の同窓会には延岡市長も出席して、東京の「ばんば会」もあり挨拶をしてしばらく話し込んできた。
同窓会会長は柄浦さんと言って私達より二学年上である。柔道部だった人で私も覚えている。
 私たちの学年は13人ほど出席をしてテーブルが二つに分かれていた、抽選会では私も景品をゲットして、なんとなくニコニコである。
 終了後は、同期のメンバーと近くの繁華街船倉町へと流れた。
一応延岡では随一の繁華街なのである。そこでカラオケなどに生じてワイワイガヤガヤ、私も一時はその当時に逆戻りである。
 久しぶりに会って青春を思い出したね、カラオケも久々である。
夜中まで楽しい一日であった。

419、十五夜

「月月に 月見る月はおおけれど 月見る月は この月の月」
9月19日(木)、まさにこの日が中秋の名月なんだそうである。
 たいていは夜の空手の稽古の帰りにに見るのがふつうであるが、今年のこの日は稽古も休み、久々に名月を味わってみるか。
ススキを買い求め、団子を作り栗を添えて準備万端、しかし、悲しいかなわがマンションの部屋は西向きなので月はなかなか見えてこない。
 仕方がない、ならばこちらから出て行けばいいだけのことである。クウの夜の散歩を兼ねてぐっと遠回り、呑川に夫婦橋が架かる公園まで出かけてここで月見としゃれ込んだ。公園の端にススキも生えていて風流だねぇ。
 九州で小さいころこの日は縁側にススキと団子と柿や栗を備えて月を見てはウサギがもちをついているようなことと思っていた、何となくロマンがあったよなぁ。
 しばしたたずんで戻り、我が家のベランダから見えるようになったのは夜も更けた11時半ころである。
それでもベランダに供え物を出して写真に収めようとしたが角度が難しくてうまくいかない、天高く月が見えるようである。秋の月は煌々と冴えわたりどこかしら寂しさを覚えるねぇ。
 ワンコウ達も休んでいて一人眺めてみると秋の月は煌々と冴えわたっていて何かしら寂しさを覚える。
昔から月を詠った詩はたくさんある、「月夜三叉江に船を浮ぶ」「山中の月」「静夜思」「月下独酌」等々・・月見としゃれ込んだ風流なものもあるが、放浪の中で月を眺めて故郷を思い出すなど寂しい詩が多いような気もする。
 特に李白の詩には哀愁を感じてこの季節と相まって心にぐっとくるものを感じるのだなぁ、李白もかくありなんってね、そんな李白に親近感を覚えるねぇ。
 そういえばわが宮崎県出身の歌人若山牧水も「白玉の歯にしみとおる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり」と歌っている。
ビール一杯で真っ赤になる私だが、こういう詩人にあやかって更け行く秋の夜を味わう十五夜であった。

418,2013合宿~3・掃除

9月16日(日)合宿最終日、起きてみると台風18号の影響で暴風雨である、テレビでは各地の被害の状況を放送している。小さい子供もいるので荷物をもって移動するのは危険である。
参加していた大人の皆さんの車をフル稼働して荷物やみんなを運んだりして事なきを得た。お父さん方のおかげで無事に終わったようなものである。
 最後の稽古は雨漏りのする中での稽古、こんなことは初めてで、今になって思えばこれも良い思い出である。
稽古終了後は、お世話になった武道場を・・来た時よりも美しく・・という思いで皆さん熱心に行っていたねぇ、これはどこの団体にも自慢できることだと思っている。
 もちろん使用していないシャワー室などもみんなで手分けして行った。
そうして昼前にはすべてを終了して解散である。
今年は昼をとらないで帰るので道路はすいているだろう、ましてや台風の影響もあってなおさらである。
 走ってみると案の定、一度も渋滞をすることもなく、合宿所から1時間半で蒲田の自宅まで戻ってきた、信じられないくらいである。
 家に戻ってほっと一息疲れがどっとくるのである。
今年もみんなに喜んでいただけて無事に合宿も終了した。大満足である。
 保護者で会員でもある一般に皆さんには今回はいつにも増してのご協力をいただいた、誠に持って感謝の一言であります。おかげさまで楽しい思い出となりました。
 蒲田に戻って夕方には、夕焼けに富士山が映えてそれはきれいな眺めでした、あのふもとで先ほどまで合宿を行っていたんですねぇ、台風も過ぎ去って信じられないような光景でした。また来年もお会いしましょう。

417、2013合宿~2

9月15日(日)、台風18号が接近中とのことで雨は降っていたが午前中には上がってなんなんだ?
合宿2日目は一日の稽古でばっちり行える。山田に形指導をお願いして希望者には別部屋で指導をしてもらった。
 組手も試合形式で行い、トーナメントを開いたが結局は中学生の中村将也君が優勝となった。
午後には一般の人を中心に組手を行い、普段は顔を合わせたことのない人たち同士の稽古となったが、合宿ならではの光景である。
 ここの合宿所では夕方になると各団体が集まって夕べの集いを行い、各団体の代表があいさつをするのだが、今日は蒲田教室の小坂さんが行いちゃんとあいさつをしていたね。
 また、ここの食事も相変わらずおいしくて食べ過ぎになるほどである。
夜は部屋を借りてのビンゴ大会である。
 その前に戸塚カルチャーの子供がマジックを披露してくれて場を盛り上げてくれた。
ことしのビンゴの景品は豪華なものがそろったねぇ、空手関係やゲームのソフトなどが並んでみんなの目が真剣そのものである。
 ビンゴ!の声がかかるたびにため息や喜びの声が入り混じってそりゃぁ楽しい時間であったねぇ。
かくして合宿2日目の夜は過ぎていくのだあった。

416、2013・合宿~1

合宿ではいつも早く着きすぎるので。今年は30分ほど余裕をもって蒲田を出発した。
 国府津駅から御殿場線に乗り換えるのだが、ここで50分の待ち合わせ。ようやく御殿場駅に着いたのだがここもバスが出たあとで、次の出発が12時ちょうど・・・遅刻ではないか・・構内のタクシー乗り場へ行ってタクシーで行って間に会ったはいいが、初日から2500円の予定外の出費である。それでも間に合ったから良し、としよう。
 12時集合は集まりが悪いのだが半数以上が来ているので定刻通りのスタートである。
 「十よりかえる 元のその一」
ベテランも多くなってくるとくせがついたり自分勝手な解釈で行ったりと、基本にもばらつきが生じてくる。
今回は私が先頭に立って基本を行った。
 稽古が進んでいくうちに遅れた組も参加をしてだいたい揃った、初日から組手では熱が入って内容が充実している。
違う教室の指導員先輩方から指導を受けることによって新鮮なものもあるであろう、合宿ならではの稽古かねぇ。
 今回の合宿では台風18号の接近に伴って影響が出てくるということなので急きょ明日のキャンプファイヤーを今夜行うことになった、何とか今夜は持ちそうなのである。
 係りの山田も夕方ようやく到着して、今年は第三営火場で行った。
山田の指導でみんなで歌を歌い。人間知恵の輪なんていうゲーム行ったり、各教室ごとの紹介と校歌を歌ったり豪華賞品のクイズがありみんなの目が真剣になってきているのがわかる。
あっという間のキャンプファイヤーであった。
 今年もみんなで楽しくすごして初日が終了である。

415・幕張本郷教室

9月1日は以前から幕張本郷教室の暑気払いということで夕方出席したが、今日は暑くて文字通り暑気払いとなった。
幕張本郷駅近くの「小杉」という店なのだが、このあたりは普通の家を店に改良したところが多いね。
ここもそうなのだが場所が線路沿いなのですぐわかった。
 幕張も大人が少なくなったので誰が出席するのかと思ったら、休会中の人も出席してくれて何とか宴会らしくなった。新しいTシャツをお披露目する機会がなかったが今夜は暑いのもありようやく日の目を見た。
幕張本郷の宴会は女性陣もいるので盛り上がる、今回も初めて出席の人もいて今後も楽しみである。
 
 丹羽さんがここのおすすめは「みぞれ酒」なんですよということでさっそく飲んでみたが、確かにシャーベット状の酒なんて初めてのことである。しばらく置くと冷酒になるのだがその前の状態で飲むので、飲み口はいいのだがあとで利きそうだなぁ。
 遅れて参加をした竹村さん、一人黒ビールで盛り上がっている。
今回は休会中の人も出席をして各人の現況報告や、家族の話など盛り上がっているのだが、私だけ遠方なので途中で退席をした。
 
 ここ幕張教室は、ひところに比べるとずいぶんと少なくなったのだが、それでも30名近くの人数で稽古をしている。戸塚教室も3クラスを合わせると多いが単一の教室だとまだまだ幕張に及ばないね。
 増えたり減ったり、どこの教室でもいろいろな波を乗り越えているのである。
 幕張も大人が頑張っている限りはまた以前のように盛り返すであろう。
そういう雰囲気を感じた宴会であった。
今日も楽しいうちに一日が終えた、感謝!である。

414・祝勝会

8月29日(木)、夏の甲子園で宮崎県の延岡学園が宮崎県始まって以来の決勝戦まで進み、惜しくも敗れはしたが準優勝ということで「ばんば会」主催で健闘をたたえて祝勝会をJR神田駅西口の「おせっかい屋」という店で行った。
 ちょうど延岡から出張で上京していたという副市長・野口さんを交えて盛り上がり、焼酎も地元産の焼酎がズラリ・・盛り上がったねぇ。

 私が中学三年生の時、昭和43年であったか、延岡商業高校が県北で初めて甲子園に出場して大変な盛り上がりであったがその当時は、甲子園でとりあえず一勝することが目標であったように覚えている。
 それが今回は決勝まで来てあわや、優勝か・・というところまできた、正直信じられなかった。また延岡学園はバスケットの全国大会でも二年連続して優勝しており、今や大変な勢いである。
 副市長も、今、延岡は政治経済も風が来ており勢いがあるとのことだったが、こううまく回ることもあるんだねぇ。
 この夜も、各高校の友人たちも駆け付けて新しい人たちとの交流もあり、延岡から上京して活躍している人も結構いるんだねぇ。
 今や格闘技の殿堂とさえ言われる「ディファ有明」のチーフマネージャーが私の母校延岡商業高校のすぐ近くの出身者だとはびっくりした。今年の春だったか、知り合いのキックの試合で行った事もあるのだが、そこのマネージャーとはねぇ・・
 居酒屋のマスターが延岡の伊形というところの出身だそうで私の田舎は小野町というのだが夏になると川に泳ぎで自転車で小野まで来ていたという、また母親が商業高校の出身だそうで、これまた奇遇・・
 色々と故郷もつながっているものである。
又、こういうところでは次々と故郷つながりで広がっていき、何かいいこともあるだろう。
 私も世話役として動いているが故郷のためにひと肌脱ぐのも悪くはない、また、そういう年にもなったのかねぇ。
いやぁ、実に楽しい夜であった。

413、六本木ヒルズ

8月15日、夕方六本木ヒルズに上る機会に恵まれた。
何年か前に一度上ったことはあったが、その時は雨の日で視界はゼロであったなぁ。
地上54階、238メートルの高さだという。お盆なのですいているかと思ったら、大変な人出でなんだろうと思っていたら52階でハリーポッター展を開催してそちらのほうのお客だったそうである。
それにしても大変な人である、興味のない私には何事かと思うばかりであったが・・。
 今日は天候も良いので別料金を払って屋上まで上がってみた。
今日みたいにうだるような暑さの日でも、さすがに涼しい、夕方でもあるので遠く夕焼けも見える。
 富士山も見えるのだそうだがこの時期はダメだね、スカイツリーや東京タワーなども見えるが、東京といえば東京タワーがシンボルであったのだがそれもだんだんと薄れていくような気がするねぇ。
 近くに六本木小学校が見えるがここで空手を教えているときに体育館の窓から東京タワーが見えて感慨深いものを感じていた、私らにとっては、東京タワーこそが東京のシンボルなのである。
 ぐるりと回ってその下へと降り、レストランへ入って食事をした。なかなか雰囲気のあるところである。
料理はイタリア風でまずまずだったかな、容器などにも凝っていてそれなりに楽しんできたね。
その後はロアビル内のサウナに入ってきて戻ってきたが、相変わらず六本木の夜はゴチャゴチャシテいて私には落ち着かないところである。
 下町の蒲田も住めば都、戻ってくると何となく落ち着く、何しろ蒲田の住人となって40年になるのだからねぇ。
そんなこんなの2013年の8月15日であった。