298・長崎紀行

4月17日の長崎県大会に出席する為、前日の昼過ぎに長崎入りをした。
 長崎・・・思い返すと・・中学生の修学旅行で行った記憶があるだけなのである、長崎空港など初めて降り立った。野瀬先生がわざわざ迎えに来てくださって、本日の宿に入る前に、風光明媚なところを案内してくれた。「夕陽が丘そとめ」、遠藤周作文学館があるところである。この日は中国からの黄砂で眺めは今一であったが、それでも眺めをうかがわせる所であった。

 夜は、千代田師範の案内で「満寿美」という料亭で、、地元産の「ごんあじ」という魚料理をご馳走になった。「先生、ブログに載せる写真はいいですか?」すみません、旅館のバックにしまったままであった。で、その日は地元の雰囲気がただよう満寿美新館に泊めていただいた。
 次の朝、迎えに来てもらって大会会場へ行き、大会を見学させていただいたが、これは前回の雑記に書いたので、夜の親睦会に移ろう。
 親睦会は鹿児島の小城先生も泊りとかで、一緒に出席して、野平師範、千代田師範を加えてテーブルを囲み、今度はカメラがあったので写真に収めたぞ、佐賀牛などまでご馳走になり満腹になった。
 その後、せっかく長崎に来たのだからということで、長崎の歌を歌いましょうということで出かけ、私も久々に歌おうという気持ちになれた。皆さん同年代ということでそれはそれは盛り上がり、私もここのところずっと閉塞感がただよっていたが気分よく歌ったねぇー。
 千代田師範が長渕剛の大ファンだそうで、鹿児島の小城先生が長渕の一年下で、小学校の頃は一緒に遊んでいたという話で、またまた盛り上がり、私もここ最近は記憶にないほどの飲み方をした。
 夜中に、タクシーでホテルまで送ってもらいそのまま熟睡、あくる日、午前中市内観光はキャンセルとなった。
ただホテルの近くに、江戸時代の、出島があって早朝その辺を散策した。
 月曜日、またもや野瀬先生が迎えに来て空港まで送っていただいた。今回は、大変お世話になった長崎行きであったが、
おかげさまで素晴らしい思い出となったことであった。
空手で知り合わなければ、こんな日はなかったね、空手様様である。
 またいつの日かこんなことがあるのを夢見て、空手を頑張ろうという気持ちになったことであった。

297、長崎県大会

4月17日、長崎県立総合体育館武道場に於いて、第2回拳志道杯大会兼長崎県防具空手道選手権大会賀開かれた。
大会会長の野瀬先生は、フルコン空手中心で防具空手は最近になって始め、大会は形試合を含めて三部門でおこなわれた。
 防具空手の審判では、鹿児島県から小城先生や、宮崎県から谷名先生を始めとする3人がかけつけ、大会審判として応援をして盛り上げた。
 長崎県では、野瀬会長、千代田師範、野平師範の三名が活躍をしており、フルコン部門とあわせて防具空手も盛んになっていきそうである。
今回は中学生までであったが、将来有望な選手も見受けられ、来年、再来年と楽しみになっていくことでしょう。
九州には、福岡県で二又先生を中心として、熊本、鹿児島、宮崎、そして長崎と地道に根を生やしていっている。
もともと防具空手の盛んな地域である、まだまだこれからも伸びて行くでしょう。
 今回の長崎県大会では野瀬先生、千代田先生に大変にお世話になった。
大会後の懇親会では鹿児島から来られた小城先生と何年ぶりかな?久々に飲み、語らいました。
 苦手な飛行機を乗り継いで行った今回の長崎県大会であったが、結果的には行ってよかったと思っている。
あるていどの足がかりを作ればこれをきっかけにしてどんどん伸びていくことでしょう。
皆さん頑張ってください!

296、桜満開の称名寺

4月11日、お日柄もよい日中、プウチャを連れて金沢区の称名寺へ出かけてきた。
昨年も桜のシーズンに出かけたが満開を過ぎて葉桜になっているところもたくさんあった、が、今年は桜満開の丁度一番いい時期に行ったのではないだろうか。
 見学者も沢山いたが、昨日はそれ以上の人出であっただろうと思われる、出店までもが並んでいてびっくり。
山門から桜並木が満開で迎え、気持ちのいいものであった。
 太鼓橋?の周りではスケッチの人達や、友達連れの人達が沢山いたね。
裏山のハイキングコースをプウチャと共に歩いて、八角堂につく頃には汗ばむほどであった。
歴史のあるここを訪ねることが楽しみの一つであるようになったね。
 プウチャも桜をバックに一枚、決まってますかな?

295・熱海へ

 こういうご時世の中に旅行といっては何だが、予約もしてあることだし以前からの計画の通り行ってくることにした。
世間では、花見でも、新入社員などの歓送迎会なども自粛が相次ぎ、経済の沈下が心配されている中、普通どおりに行なうことが、被災地の支援にもつながることだと思っているので、予定通り行ってきた。
 熱海へ、電車で行って降り立ってみると案の定人が少ないねぇー、二年ほど前に梅祭りで来た時もあったが、いやぁーそれどころではない・・・観光地にとっては死活問題である。
 で、旅行コースで宿泊をとってあったのが、熱海の有名ホテル「ニューアカオ」、私なんぞ、その昔、テレビのコマーシャルで知ることはあっても来たことはないというちょっとしたホテルである。
 テレビで流れたいた頃は30年近く前であろうか、年月を感じさせるが、それでも豪華さは群を抜いている。
ここも、平日のせいもあるのだろうが、それでも思ったほどではないらしい。
夜のディナーショーも、海岸近くの一階で行なっていたそうだが、時節柄、15階のフロアーで行なっていた。
 熱海の夜景といえば、大変素晴らしいものだと聞いていたが、折からの節電に協力ということで、こちらも残念ながら小規模となっていた。
それでもホテル内ではさまざまな施設があって楽しませてくれた。
 翌日は、近くに「ローズガーデン」があり、天候のよさも相まってなかなかよい思い出を作っていただいた。
 今回は、兄夫婦と来る予定であったが、ひょっとするともっと大勢の家族で来たほうが楽しいものになるのではないかと思ったことであったね。
 旅行の最中に、横浜の教室再開の連絡をいただき、その夜はワインで乾杯をしたりするなど、うれしい旅行となったのは、一つの思い出である。
 

294、絆

 大震災後の大会開催については、いろいろな人の意見を頂戴した結果、予定通り実施したが、ハプニングの連続に対応が大変であったが、今回のスタッフや先生方のご尽力、ご協力ほど、感謝したことはない。
 相次ぐ欠席者や、昼食もとれない中、試合進行を最優先して行なった結果無事に終了した。
こういうとき、協力いただいた先生やスタッフの仲間には、本当の絆というものを感じた。
 今回とは事情が異なるが、以前にも何回か困難に出会ったときも、先生方の協力や、会員の力強いバックアップがあり、現在を迎えているが、それらを乗り越えるたびに「絆」というものを感じた。
   特に今回は未曾有の大震災という事件である。
私たちには直接関係はないが、皆さんの親戚が被害にあって大会どころではないという人もいたであろう、或いは、空手の知り合いの先生方が沢山いて、連絡もとれず心配の人もいるであろう。
 原発の事故まで引き起こし、私たちの生活にも大きく影響を及ぼしてきている。
どうなるんだ、日本、がんばろう日本、被災地でも復興へ向けて力強く活動を開始している。
 
 大会で初めて、募金箱を入り口に置いた。街頭募金とは違っておいただけなので会場内の人たちが通りすがりに募金するか、わざわざ来ていただいて募金するかである。
 26,288円の金額が集まった。子供達が小遣いを出してくれたお金である。或いは会場の皆さんがわざわざ足を運んでくれて募金してくれたのである。
 閉会後に、スタッフの皆さんが募金してくれたお金である。
大会後、役所の営業日に大田区役所へ出かけ、義援金の内容を説明して区長さんへ直接手渡した。
区の掲示板でもお知らせしてくれるそうである。
皆様の善意を確かにお届けしました。
皆さんとの絆によるこの募金、この一員として加わったことに誇りを感じます。
     「がんばろう日本!」
被災地を応援しながらもみんなで頑張ってまいりましょう。

293、特別寄稿・3月20日、ジュニア大会開催に寄せて

今回の大会は、特に思い出深いものとなることでしょう。
去る、3月11日、東北、関東地方を中心に、日本は未曾有の災害に見舞われました。
地震、津波、原子力発電所の事故、といづれも有史以来、最大級の災害です。
多くの方が亡くなり、家が流され、何もかも無くなった人が沢山います。
いまだに、避難所に逃げて悲しみにうちひしがれ、何もなすすべもなく、呆然と立ち尽くしている方も大勢いらっしゃいます。
国中「呆然自失」といったところかもしれません。
 しかし、事故に対する‘驚き‘と同時に、もう一つ、日本は世界中から‘驚愕‘の目で見られていることがあります。
それは、未曾有の事故にあったものとは思えない、落ち着いた判断と、思いやりの気持ちでお互いをいたわり、励ましあって行動しているということです。
 過去、世界中どの国にもあった、混乱期につきものの略奪や暴力はそのかけらも見ることがありません。
中国が、韓国が、アメリカが、ヨーロッパの国々が、あらゆる国の人々が口をそろえて絶賛しています。
「日本人の態度、国民性は一つの教科書である」と。
日本は自愛に満ちた、賢い、大人(おとな)の国なのです。
‘生まれ育ったことを誇りに思うことができる国なのだ‘と思います。
私たちは思います。
喪に服し、衷心より祈りを捧げたいと思います。
大会を中止することも議論いたしました。
しかし、行き着いた結論は開催することでした。
今は、元気を取り戻す時なのです。
今こそ、子供達の元気な声を、「天」に届けるべきではないのか、子供達の元気な声・姿こそが元気、復興のシンボルであると思います。
 ある人が言っていました。「今、頑張らなくて、いつ頑張るんだ!?」
そうです、今こそ元気を出して頑張りましょう!

292・連盟役員会

2月20日東京都大田区蒲田に於いて、今年の総会、懇親会が行なわれた。
 関西から、森嶋先生をはじめ、今回新加盟となった佐野先生なども加わって和やかな雰囲気の中に行なわれた。
ここ近年、日防連では運営が順調に運んでおり、さしたる議案もないので、雑談形式などになり、これが結構盛り上がったんだね。
 年代を超えて意見が交換されるので、また、お互いの理解にもつながるなどいいことである。
毎年、誰かは諸事情で欠席者が出るのだが、内容を知らせることによって、また、このブログを見ていただくことによって大体はつかめるのではないかと思っている。
 皆さん本職を抱えながらの空手である、お互いが理解しあうことによってまたこの関係もつながるであろう。
日防連は、真摯な団体の先生方がコツコツと続けることによって小さな輪が大きくなっていくことと持っている。
 今年もあせることなく、着実に進んで参りましょう。
 また、終了後は、一ヵ月後のジュニア大会役員を交えて、近くの居酒屋で懇親会となった。
また、ここでも大会では顔をあわせてもじっくりと話し込んだことのない人が多いのである、酒をまじえて楽しいひと時を過ごしたね。
 最後は、ジュニア大会での再開と成功を祈って一本締めでお開きとなりました。

291・六本木教室

麻布小学校で、空手を指導しているが、年に一度、保護者との交流会を会員の人が設定してくれて、今年は、会員の部屋を借りて行なった。行った先が鳥居坂のとあるマンションで、入り口にはポリスボックスまでもが設置してある。ここはどういう人が住んでいるんだ・・?聞くと、土地柄か外人の人が多いという。
 部屋に入ってみてびっくりしたが、どこかのお店の一部屋のようでびっくり、料理などは一人一品持ち込んでのホームパーティー形式であったが、ここの人のおもてなしには改めて頭が下がる、皆さんとは空手の付き合いだけなので、会員の人で誰が何をしているのか、さっぱりわからず、また改めて聞いたこともないが、どんな職業の人か聞いてみたくなった。
 いろんな人がいて、国際色豊かな六本木教室は、いろんな意味で面白いのである。
今日は、子供の接触の仕方や、性格などを聞いたりして、今後の指導について大変有意義な時間をもてたような気がする。
 昼間ということもあって、昼食をはさんでの懇親会となったが、これはこれでまた楽しくもあり、私の勉強にもなるのである。
だけど、みんな空手を好きでやめないで続けてくれている、私もこんなに嬉しいことはない。
 サラリーマンの人も何十年も仕事を続けていると、やめたくなったり転職を考えたりすることもあるでしょう。
私もしかり・・いくら好きで始めたこととはいえつまづくことも、考えることも、正直あるのである。
 だけど、今日のような話を聞いて、空手を喜んでもらえたりしていると思うと随分と勇気をもらえるのです。
「また、今年もよろしくお願いします」・・なんて最後に言われたときには、私なりにジーンときたものがあり、私がみなさんに支えられているようで、逆に感謝をしているわけです。
 おかげさまで、今年は出だしから好調で楽しみな一年になろうかと思っています。
どうぞ本年も、思い出深い年にしたいと思います、よろしくお願いいたします。

290、乃木坂

♪乃木坂あたりでは~私はいい女なんだってね~♪♪
随分昔の流行歌で恐縮だが、40年近くも前になるのであろうか、梓みちよさんの歌で「メランコリー」というヒット曲の一節だったと記憶している。
 東京に出てきてしばらくたっていたが、この歌には東京のしゃれた雰囲気がただよっていたなぁー。その頃は蒲田界隈をうろちょろしていたので、同じ東京でもこうも違うものかと思っていた。
 乃木神社の脇の坂が乃木坂と呼ばれていて、六本木に近いところなれどそんな雰囲気ではなかったような気もした、が、とりあえずカッコつけて歩いてみたが、所詮こんな格好である、しれたもんだ。
 昔は幽霊坂と呼ばれていたと碑には書いてあった。
私のあてずっぽうな推理であるが、昔はこのあたりはうっそうと木が生い茂っており、あたかも幽霊が出てくるような雰囲気の坂だったか、幽霊が出たという話があったのかもしれない。
 この近くの赤坂では高校の時に英語で習った「ムジナ」の舞台でもあったくらいだから、そういう話は結構あったとも、私自身の勝手な推量だが言えなくもないかもしれない。
 それが乃木大将が住んでおられたので大正になってから乃木坂と呼ばれるようになったそうである。
 ここらあたりを軽快に歩いてデート気分で食事でも、と思ったが、丁度夜の開店時間前の休憩中や、体調も今一だったので、蒲田へ戻ってきた次第であった。
 また、春先の暖かい頃にでも出かけて見たいところである。
「メランコリー」私のカラオケのおはこには入ってないが、軽快でいい歌だね。

289、乃木神社

詩吟の世界で、たびたび登場するのが乃木大将である。相方がただいまの授業で乃木希典が出てくるので、勉強の為にも乃木神社に行ってみるか、ということになり2月10日の昼下がり、のどかな気候もあって出かけてきた。
 私が空手指導に行っている麻布小学校の近くにあり、ここは乃木大将の二人のお子さんが卒業された学校でもある。
私も、何年ぶりかである、近くなのでいつでも行けるという思いが以外と遠のいていたりする。
 ここ、乃木神社は妹が挙式を上げたところなのでもある、もう、32,3年前になるであろうか・・・・懐かしくそこの場所へも行ってみたりもした。
ー閑話休題ー
 宝物殿では、代表作「金州城下の作」「爾霊山」の掛け軸があったり、夫妻の自刃の刀などが陳列されていて思いを新たにした。
乃木邸へ行くと、♪庭にひともとなつめの木~♪と歌われた、なつめの木が玄関前にあり、今はその孫だという、厩があった。玄関から外を回って中が見えるようになっている。
応接室があり、夫妻自刃の間がある、昔の武士の生き方に凛としたものを感じる。
 NHKが毎年暮に「坂の上の雲」を放送していて、今年の暮がその三部作の完結編になっている。そのなかで203高地の攻防が出てくるのだが、そのときの主人公が乃木希典であり、そのときに二人の息子を戦死させながらも勝利に導くという、逸話があり涙を誘うのである。
 そのときの心情を詠ったのが「金州城下の作」で、私も大好きな詩の一つでよく吟じるのだが、乃木希典が乗り移ったようで、なりきったようで・・というと大変僭越至極で申し訳ないのだが、私的には伝わってくるものがあるのだなぁー。
そんな話をしたりしなかったりで、帰路についたが、私もこの詩を「温故知新」で紹介するタイミングを見計らっているのである。