288・節分

2月3日は、節分、毎年池上本門寺には、多くの有名人が来て豆まきをする。
力道山の墓もある関係で、プロレスラーなども結構来て豆をまくらしい。
 私は蒲田に移り住んで、40年近くになるが、実は一度も行ったことがないのである。
今年は木曜日と重なり、相方も休みということでいってみようかということで出かけて見た、その前に野暮用があってついたのが豆まきぎりぎりの3時である。
 もちろん人がいっぱいで遠くから見ているくらいなので、こちらまでは飛んでこないだろう、詩吟仲間のNさんにばったり会った。娘がこの近くに住んでいて赤ん坊を抱いていた、孫であるらしい。豆まきが終ってもしばらく話し込んでから帰路についたが、結局は一つも拾えずじまいである、相方は、拾ったのだか隣の人ににもらったのだかして二個ほど持っていて、おすそ分けをしてもらい、とりあえず一個持って帰った。
 
 私が小さい頃は、祖父さんが豆を炒って「鬼は外、福は内」などといって豆をまくのを拾って食べたものであった。おやつがない時代である、それでも喜んで拾って食べていたなぁ。
 そんな、行事の中にも家族があって、終ると仲良く食べていたものである。一家団欒というか・・・懐かしいねぇー。
今は、「恵方巻き」といって今年は南南東を向いて食べるのだとか・・変なことがはやっているらしい、とかいいながらも相方が買ってきたので付き合って食べるのだが、中の具をプウチャが欲しがり分け与えて食べる。
 これが我が家の節分である。
この日を境として、あけて立春、冬が去り春の訪れを感じる頃となるのである。

287、池上梅園

まだ、梅も咲いていないのに、梅見物の話ばかりで恐縮だが、お日柄もよい27日、近くの池上梅園へ行ってきた。

大田区の花として「梅」となっているのだが、確かに私が住んでいる京急蒲田駅の隣に「梅屋敷」という駅があり、昔は大きな梅屋敷があってたくさんの人が訪れて、観梅を楽しんだそうである。
 何のことはない、私と犬の散歩コースで毎日のように通っている所である。今は京急線高架工事の為随分縮小されているが、国道を挟んだ大田区体育館工事が完成すれば、またこのあたりは憩いの場となるに違いない。
ー閑話休題ー
梅園の梅はまだまだという感じで、二分、三分咲きといったところか・・・まだ人も少なくゆっくりと散策できた。少し登ると見晴台らしきものもあり、昔はそれは眺めのよいことであったと思われる。

 下には茶室や、和室などもあって落ち着いた感じである、格安の値段で貸し出ししてるという。
 「梅一輪 一輪づつの 暖かさ 」  嵐雪
という俳句もあったが、まだまだそこまでにいくにはちと早いみたいである、あと二週間後くらいがいいのかな、などと素人考えで思ったりしもした。

 駅から歩いていく途中、年輩の人がお食事にでも寄ってください、といってチラシをもらいそのままに見て終ったのだが、帰り、どこかで食事をしようということになって、このあたりではそば屋くらいしかないなぁーなんて思いながら、先ほどのチラシを見て、創作和食のおいしい店とある、いってみるかということで地図も書いてあったのでいってみた。
 旬味庵「ゴンジャ」とある、ちょっと入りにくい感じもしたが入ってみて、ランチを注文した。
そしたらいろいろな品数があって、結構これがうまいんだな、「ここ、当りだね」と話し合いながら食べたが、食後に飲み物がついて、確かにお徳であった。ほかに三組ほどきたが、チラシをもらってきたのだといっていた。
そうでないと、わかりにくいこの場所には中々これないと思ったが、このチラシに大いなるヒントを頂いた。 
 私どもの空手も以外と知らない人が多くて通り過ぎているのかもしれない。
ここは、存在を知ってもらう為にもチラシ配りはやってみる必要があると思ったね。
 確かに今まで、ポスティングや町会板に張ってもらったりもしたが、チラシ配りにも大いなる効果を感じた。
 ここ何年も続く不景気で、どこの会の先生でも会員が少なくなった、一時期の半分になりましたよ・・などと聞いたり、話したりもしていたが、嘆いてばかりもいられない。
 幸いにも今年は新教室開設が決まって幸先のよいスタートをきり、追い風が吹いてきたように感じる、一丁やってみようかね。
今年は一月からいいことがあるぞ!頑張ろう!

286、北鎌倉

相方が休みの24日、午前中で用事を済ませたとの事で、急に鎌倉に梅見に行こうと言い出した。
私は夜は空手があるし時間がない、というと、東慶寺へ行って梅を見てくるだけだという、鎌倉というと一日がかりという印象があったが、行ってみると、1時間で着いた。
 北鎌倉駅で降りて、建長寺まで歩いた、近くの円覚寺や、明月院までは行くのだが、建長寺まで足を伸ばすことはめったにない。
行くと鎌倉五山第一の寺というだけあって大きなお寺である。荘厳な長めに歩くだけでも心が洗われるみたいである。
ゆっくりの時間もないので、戻って東慶寺へ入ろうとすると、終了だという、時間はまだ4時前、5時に閉門ではと尋ねると今は冬時間で4時閉門なのだが、本堂に行くぐらいなら急いで入ってください、といわれあわてて行ってきた。
ここの梅見物に来たのだが、まだ早く、つぼみがほとんどであった。
 近くに蝋梅があって写真に納まってしたりして、駅前に歴史を感じさせるような中華店があり、ラーメンを食べてから戻ってきたが、本当に早く行ってこれるものだね、戻ってプウチャの散歩をする時間もあって、それから空手に行ったのだが、中身ビッシリの半日を過ごせた。
鎌倉というと特別な思いがあり、北鎌倉は山の内という地名で、ここの住人の上杉氏が越後まで行って長尾家に庇護されて長尾景虎が養子となって上杉を名乗り、後の上杉謙信となるという歴史があるのである。
 いつの日かこの鎌倉に於いて空手教室を開くのが、夢でもあるのである。

285、金沢八景

1月20日、世間では大寒、一番寒い日とされている。
 昨年の大寒は19度もあり春の装いで出かけた、などと日記には書いてあったが、今年は平年並みの気温であった。
ただ、風がなかったので体感気温は暖かく感じたね。
 相方の足の調子も随分とよくなってきており、プウチャも最近は遠出をしていないのでのんびりと称名寺へ行こうかとなり出かけてきた。
 昼前に出かけたので、着いたころはお日柄もよく、気持ちよく散策できた。
平日の昼間ということや私たちが選んだコースは人と出会うことが少ないのでのびのびとゆっくりと楽しめるのである。
 ここは鎌倉時代の執権北条氏の分家であり、金沢文庫駅の由来の、金沢文庫があってたくさんの書物も置かれている所でもある。
 また、この称名寺の鐘は、金沢八景の一つに数えられており、昔からの名所でもあるのだそうである。
この称名寺の隣に金沢文庫があって一度だけ入ってみたことがあった、すぐ脇からハイキングコースもあってそこからも登ったこともあった。
 頂上に行くと、八角堂があって、そこで持参した弁当を食べたりするのであるが、眺めがよくて、横須賀や横浜のランドマークタワーや今日はあいにくであったが、富士山も見えるのである。
 どういうわけか今日は人もいないしで、一吟自ずからでてしまった。人がいると迷惑千万だが、一人で声を出す分にはかまわない、先日の短歌、「田子の浦ゆ 打ち出でて見れば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」いいねぇー、調子に乗って「金州城」「川中島」「城山」次々と出てくる・・・?まだ、「温故知新」では紹介していないが、詩吟といえばもっともポピュラーな詩ではないか・・・ということはそのうちに紹介できるかな・・・吟じ終わりて清風起こる、一吟天地の心・・まさにその通りであった。
 プウチャも満足して帰り、戻ったらプウチャのシャンプーである、どろどろの水が流れる中、きれいさっぱりとしてあげて愛犬も満足。
良寛さんの「余生」という詩があるが、ちょっと浸ったような一日でしたな。
                            おだやかな22日である

284、靖国神社

元旦には近所の八幡様に初詣で出かけたが、靖国神社へも3日に出かけてきた。
 さすがに多くの参列者である、先に遊就館のほうへ行って、昨年末の放送「坂の上の雲」で日露戦争で戦死した広瀬武夫の写真を見てきた。(神社の入り口の灯篭にはそのときの様子がレリーフとして飾ってある。)
 入ると、ゼロ戦が飾ってある、昨年読んだ「永遠のゼロ」をお見出し、よくこんな飛行機で何百キロも飛んで戦ったなぁーと改めて思うと同時にせつなくもなった。
 正月から来ると気が重くもなるが、こんな平和な正月を迎えられるのも多くの犠牲の上に成り立っているということも忘れてはならないし、いつも感謝の気持ちを忘れてはならないと思っている。
 昨年は詩吟の参加者とともに奥の本殿にお参りができて良い思いでであった。今年は外からのお参りだが気持ちに変わりはない。
 
 何かとかまびすしい靖国だが、ここは、太平洋戦争の戦死者だけでなく、明治維新からの犠牲者も祀られていて、日本の礎を築いた人達が眠っている。
 純粋に感謝の気持ちでお参りをしたらいいのにといつも思っている。
本宮三香という学者が「九段の桜」という詩を残している。
近いうちにご紹介できたら・・と考えている。

283、2010年回顧

ホームページのニュースや、館長雑記などを読み返してみると一年の大体の流れがわかる。
今年も新年会から、昇段審査、各種の大会、k-2のグランプリは特筆される成績であった。
合宿も、盛り上がって素晴らしかった、昨年は中止だったがやはりやっただけのことはあった。
大会でも、納会でも、子供達が喜ぶ姿を見ると何とか続けたいものである。
 
 日防連でも今年も加盟団体が増え、九州からはわざわざ上京して確認を頂くなど、積極的な活動を頂いている。
沖縄県からも大会に参加していただくなど、画期的な出来事である、日防連の認識が全国に広がっていることを感じさせらた。
コツコツではあるが、素晴らしい成長をしていること思っている。
 来年は、更なる話もお届けできるのではないかと思っています。
また、空手映画の監督とも知り合いになり、違う世界へも広がりを見せており、楽しみでもあります。
 来年2月5日(土)公開の「KG」も応援して行きたいと思っています。
関東では、横浜ブルク13、新宿バルト9で上映予定であります。
また、監督には3月20日のジュニア大会にもご来場お願いしてあります。
 来年も、期待を持ちながら皆さんと一緒に進んでまいりましょう・
この一年、皆様の多大なるご厚情に感謝を申し上げます。どうぞ、よいお年をお迎えください。

282、五反田

五反田で忘年会をした折に、昔、もう25年くらい前になるのだろうか、勤めていた、レストランが近くにあるのでいって見ましょうということで、それこそ辞めて以来、初めて訪ねてみた。

 残念ながら、もう店は閉店時間となっていたが、外から垣間見れるので見てみたが大体の様子はそう変わっていないように思えた。
 懐かしいねぇ、会社員として勤め始めた頃、コーヒーショップのフロントマネージャーとして働き出したのだが、コックの店長とどうしてもそりが合わず、とうとう店長を脅して「ハイ、それまでよ」
あの頃は我慢ができず、喧嘩しては辞め、生活に困り果てながらもまた、次の職を探すという繰り返し・・・、辛抱症がなかったんだね。
池上線で蓮沼から大崎広小路まで、毎日通い、アルバイトが足りない時は、朝の8時から夜ラスト10時まで毎日働き、ヘルニアの手前までいった。

 それで、理解のない店長にぶちきれて、やめたのだが、ま、ここにも青春のひとコマがあった。
そんなことを話し合いながら、駅のほうへ向かって違う店に入ったのだが、五反田の活気も変わったような感じを受けた。
 これも年のせいなのかな・・。
                                   静かな18日である。

281、忘年会

 おかげさまで、月刊空手道、連載「温故知新」も何とか一年を迎え、忘年会をやりましょうということで担当のHさんと五反田に繰り出した。五反田でグルジア料理店を空手の先生が開いており、それも今月で閉店ということなので一度いきましょうということで、なれない五反田に行ってきたが、突然の訪問なので先生はいなかった。
 グルジア専門料理店というのは日本でもここだけではないのかな?それほどになじみのない国である。
聞いてみるとソビエト崩壊の時にグルジア民族が独立したそうで、地図で見て、ああ、このあたりか・・・と知ったくらいである(勉強不足で失礼しました)。
 何年か前、トルコ料理を食べたことがあるが、そんな感じを私はうけた。
ワインが有名だそうで、何々?「クレオパトラの涙」ここは一つ押さえておかなければならないところだ、う~ん、デリ~シャス!(わかってんだかどうだか・・)
そんでもって、Hさんと一通り味わって、ほろ酔い加減であたりをブ~ラブラ。
 30年前の五反田は、活気があったような記憶があるのだが、年末にしては寂しい人通りである。サウナに行こうと交番で尋ねると五反田にはないという、これだけの繁華街にしては珍しい。
 それで、どこかでもう一杯と思って探すと、目に付いたのがショットバーブルドッグ、雰囲気がよさそうなので入ってみたら、案の定落ち着いた感じで大人の社交場といおうか若者が来てガヤガヤとするようなところではないのでしばらくたたずんでいた。  カラオケも置いてあり、ほかに客もいないということで、今夜はしっとりとアキラ節、「惚れた女が死んだ夜は」「あれから」など大変マニアックな歌を聴いてもらった。
Hさん、どうだ大人の雰囲気でしょう・・
 落ち着いて話せて、歌えて、気に入ったねぇー、こんな場所でグラスを傾ける、とてもいい気分で後にした。
帰りは遅くもならず、いい一日であったとしみじみ思ったね。
                          まだ、その余韻に浸る17日

280、泉岳寺

12月14日は、赤穂浪士討ち入りの日で、47士が眠っている泉岳寺が大変に込み合うのである。
 私も何回かは行っているが、京急蒲田からは電車で一本、10分くらいしかかからないのでちょっと行ってきた。

朝早く行かないことには、今日ばかりは人と線香の煙だらけで目が痛くなるほどで、墓も誰が誰だかわからなくなるのである。
あいにくと小雨であったが、早めに行って朱印帳に記帳してもらうのが、目的でもあるのだ。
昨年も同じ日にいってもらったので今年ももらってきたわけだ。

 昔は、忠臣義士として私もあがめていたが、歴史を調べてみると、討たれた吉良上野介も地元では立派な殿様だったとか・・
以前、その討たれた吉良邸跡に行ってみた、法要はあったが泉岳寺に比べると寂しいものだったね。
 その他、「忠臣蔵」では有名なくだり、「南部坂雪の別れ」の舞台、南部坂を訪ねたこともあった。
いろいろ訪ね、いろいろな思いにふけって・・・この事件によってどれだけの家族が、どれだけ人間が犠牲になったのだろうかと思ったりもした。
 で、平和な世の中で、平凡に過ごし、寿命を全うする、これが人間一番幸せなのではないかと思ったりもしたね。
「平凡に過ごすことが、すなわち非凡である」というが、全くその通りで、私如きも小さいながらも人生山有り、谷有り・・・。
 
 京急線の駅のポスターに三浦半島の「佐島が丘」の分譲住宅案内が貼ってあるが、こんなところでワンコウと散歩をしながらのどかに余生を過ごせたら幸せだろうなぁー・・なんて、ため息混じりに眺めながら電車を待っていることでした。
                                 平和が一番・、のどかな15日

279、空手映画「KG」

空手映画「KG]の試写会が、人形町であり、出かけてきた。来年2月の公開なのだが、西監督の招待を受けて先に見させていただいた。
 前回の「ハイキックガール」と違って、沖縄のロケがあったりしてなかなか面白いようにできている。
主演の武田梨奈が主演で飛松陽菜さんが共演なのだが、二人とも日防連の大会にも出場して活躍をしていた。
こういう人が、活躍しているということは何かしら応援したくなるというのが、人情だろう。
 また、こういう身近な人が活躍をすることによって、私も・・・と挑戦する人が出てくれば、関係者にとって喜ばしいことである。

 試写会の次の日、西監督と新宿で飲み、いろいろ歓談をした。
また、そのうちに面白い話が出てくるのかもしれない。
 映画がヒットして、空手ブームが再び来るようなことがあれば、私どもも大変な喜びである。

現実を見ると、空手や格闘技関係もブームが下火になり、寂しいものを感じている。どうか、皆さんでこの映画を盛り上げて何とかヒットするようにご支援を、私からもお願いいたします。
                               12月13日、平年並みの一日である