278・12月8日

ビートルズのジョンレノンの命日だそうである。
皆さんには悪いが、私はビートルズには全然興味がなく、ファンでもないので全然知らないのである。
 小さい頃から我が家の月行事の黒板には「大東亜戦争開戦記念日」と記されてあった。
職業軍人であった父親には感慨深いものがあったのだろう・・。
小さい頃、毎日のように父親と風呂に入るのは私の役目であった、役目というと大げさだが、私が一番声をかけられたものだった。
風呂では、昔の猿飛佐助の話や乃木将軍、その他毎日いろんな話の中で、軍人時代、戦争体験の話もよく聞かされていた。
 
 昨日、戸塚に早く着いたので、駅前のビル内「有隣堂」によって何気なく本を見て回っていたら、「いわゆるA級戦犯」の本に目が止まり、つい買って今は読んでいるところである。
 A級戦犯を裁いた、東京裁判・・・つい、3年くらい前であろうか、飲み屋のマスターの知り合いに案内されて防衛庁へ連れて行ってもらったことがある。
 東京裁判に於いて、東条英機たちが立ったであろう場所に私も立ってみたり、三島由紀夫がバルコニーで演説をした後割腹自殺を図った部屋を見せてもらったりしたこともあった。
  いろんなことを思い出した、今年の12月8日であった。
いみじくも、今、北朝鮮問題や尖閣諸島問題・北方領土問題など、あわただしい状況である。
これからどうなっていくの注目をして行きたいと思う。

277・亀有駅前交番

新空手の大会は綾瀬駅で降りるがその一つさきに亀有駅があり、ここには漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」のモニュメントが数多くあるのだという、兄夫婦も来ていることだし、早めに行って足を伸ばしてきた。

 確かに駅前には結構大きい両津さんの像があり、近くの公園では、ピースサイン像や麗子さん金持ちの巡査などの小さい像もあった。

私はテレビも漫画も見たこともなく、話で聞いた程度なので登場人物も知らないのである。
ま、それでも記念写真くらいは撮ろうということで何枚か収まってみた、たまにはいいか・・・。
 近くで食事をして綾瀬の東京武道館に向かったが、開始時間まで結構あってちょっと気抜けしたな。
ついでといっちゃ何だが、面白いものを見てきた一日だった。

276、日本武道館

詩吟、全国合吟コンクールに出場の為、九段の日本武道館に行ってきた。<img src="http:
過去、プロレス観戦や空手大会などで何度も足を運んでいる所である、くるたびに感慨深いものを感じる。
 東京オリンピックで、神永五段がヘーシンクに押さえ込みで破れ、あれから一切表舞台から姿を消した、今の時代では考えられないことである。優勝して歓喜で飛び込もうとしたオランダの選手団をヘーシンクが両手で制した場面も何回か放送されている、彼もまた、武士道精神を極めた人間であると思っていた、そのヘーシンクも今年、逝去された。
 プロレスオールスター戦として、ジャイアント馬場とアントニオ猪木が、ブッチャー、シン組と戦って足を運んだこともあった。
空手の大会も行われて何回か、訪れた。
いろいろな思い、歴史が私の心にも刻み込まれている。
 
 今日は詩吟のコンクールで全国から46チームが参加して争われるのである。
残念ながら私どものチームは、入賞をも逃した、参加した人間にとって練習に参加していなくても悔しい気持ちはある。
終って九段下の飲み屋で何人か集まって反省会を行なったが、苦い酒となった。
 このあたりは、江戸幕末の頃、江戸三大道場の一つといわれた、錬兵舘があり、連日、桂小五郎などが足を運び稽古の後は酒を酌み交わしながら、論戦を交わしたのであろうと思うと、私一人、感慨深いものがあるのですナァー。
おっと・・詩吟でしたな、日本武道館でしたな・・・
 笑われるようなことをいうので、はばかるのだが、この日本武道館で、日本防具空手の大会、全国でも、世界でもいいから開ければ最高なんだがなぁーなどと勝手に思ったことでした。
                 あいかわらず夢だけは大きいと感じた11月17日の朝です

275・ロッテの優勝を祝す

今年のプロ野球は、パリーグ3位のロッテがクライマックスシリーズでパリーグの代表となり、セリーグ優勝の中日ドラゴンズと日本一をかけて争い、見事日本一に輝いたことは記憶に新しい。
 私も何年か前、千葉幕張本郷の会員との付き合いで、ファンクラブの会員になったことがあった。
その頃はまだ弱くて、観客も少なく「先生、観客席で横になって見れますから・・」といわれて見に行ったこともある。
当時、印象に残ったのはファンの応援マナーがとても素晴らしいことであった。
あの頃は、球史に残る連敗記録を打ち立てたりと、それはさんざんな頃であった。
 けれどファンは、いつも暖かく、「明日は頑張ろう!」という声援をおくっていたなぁ、負けているのにもかかわらず、相手チームのファインプレーに拍手を送るなど、一つの武士道精神を見た思いであった。
 どこかのチームの熱狂的なファンは、三振でもしたら、ぼろくそにけなすし、相手チームの三振には拍手喝さいである。
チームが負けようもんなら、出口で待っていてそれこそボロクソものである、私も何度か見たことがあった。
 西村監督は、現役の頃は申し訳ないが記憶にない。私も野球にそれほど興味があるわけでもないからなのだが、どこの所属かも知らない、しかし、えてしてこういう監督が選手の目線でとらえ、成功することはままあることなんだね。また、こういうチームが優勝すると嬉しいねー。
私たち空手界も応援マナーも見習いたいと思うほどである。
 全国大会などは、地方から一人で参加する人もいるのである。
それを、地元の人の特権か、大勢の人が地元を応援すると、地方の人は、それも子供であればなおさら、萎縮してしまうんだナァー。
競技というものは対等な条件で争うのが、公平であると考えている。
 プロならば大人であれば、あるていどの納得はするのであろうが、子供の場合は公平にしてあげたいと思っている。
今度の全国大会、過激な応援は自粛して欲しいと思っているのである。
話がずれた感もあるが、ロッテの優勝にふと、過去のいきさつなどを思い出したのである。
何はともかく、西村ロッテ日本一、おめでとう!
              11月14日、武道館決戦の日である
 

274、空手への熱意

今年、日防連に加盟に当たって、連盟の組手ルールを確認したい、上杉会館の稽古を見学したい、9月の九州大会のときに挨拶を交わしてこんなことをいっていたが、まさか本当にそれだけで上京されるとは夢にも思わなかった。
 見学前日の夕方に着いたので、その日は我が家に招待して、細君の料理でもてなしてもらった、おいしく食べていただいたことが何よりである。
また、千代田先生の霊感にはこちらがびっくり、細君も感激していたからね。
 翌日の見学される日程が水曜日で、この日は小学生や人数も少ないところで、果たして期待に答えられるかどうか疑問であったが柏はるなに声をかけて何とか都合をつけてもらって出席してもらった。
 試合形式で組手を行なったり、型を見ていただいたりして、「来た甲斐が有りました」といっていただいてホッと一息、よかったね。
 その後はせっかく東京に来てもらったのだからということで、新宿のアントニオ猪木酒場に連れて行った。たいがいの人は喜んでいただき、この日ももちろん喜んでいただいた。
 で、ビールや食べ物を頂いて写真を撮ったが、私だけジョッキが小さい、ちょと心配した、しかし、二杯目は同じ大ジョッキでいったぞ。
 そんなこんやで、終電には間に合うように蒲田に戻って別れ、次の日は、蒲田駅で落ち合って、空港行きのバスを見送ってお別れとなった。
 しかし、なんだね、わざわざ上京して日防連を確認していただくという熱意には私も頭が下がったね、こんな先生が加盟して盛り上げていただくと、九州も本当に充実してくれるだろうね、頼もしく感じられた。
                        10月28日、72年ぶりに10月の一日の気温が10度未満という日・寒かった

273・羽田国際線ターミナル

2010年10月21日(木)、いわゆる本日、羽田空港国際線ターミナルがオープンした。
朝からテレビなどでどこも放送している。

相方も休みでお昼を食べに行こうかと誘われ、確かに近いので行ってみるか、ということになって出かけてきた。
 確かに近い、10分少々で着いて、改札口からはチケットカウンターまではすぐ近くである。
しかし、多くの乗客は、そこを通り過ぎて4階5階へと流れていく、そう、私たちと同じ考えの人が大多数であった。
 4階の江戸小路へ行くとすでに人が満杯で狭い通路が思うように歩けない、どこも列を作って並んでおりとても食事にはありつけない。

 その中に、すべてのテレビ局のカメラクルーがきており、生中継中のカードをかざしている所もあった。
みやげ物の寿司なら並ばずに買えるというので、とりあえず買い求め、ゆっくりと食べられる所を探した。
 屋上の展望台にも行ったが小雨模様でひさしの下で眺めた、が、まだ本格的に発着をしているわけもないので飛行機はまばらである。

 私が東京に来たときは、まだ羽田が国際線の中心であったが、32年ぶりに国際線発着となったそうである。
蒲田に住んで37年、はなはだ便利になりましたナァ、特に京急蒲田駅前の我が家は、これから益々発展していくのではないのかな。
 ま、いいことばかりではないが、これからの展望が楽しみです。
                                   本日オープン羽田国際線である

272・再び軽井沢

 10月18,19日の一泊二日、二年ぶりに軽井沢を訪れることになった。細君の甥っ子夫妻が実家の方に引き上げる」ということで、フウチャも連れて行ける所を探していたら、時期的にいいだろうということで軽井沢になったのだそうだ。
 私はプウチャとともにご相伴ということである。
車に便乗して後部座席でのんびりと行けたのはいいのだが、山間部に入るとヘアピンカーブの連続で、さすがに気持ち悪くなったね。
 それでも、野反湖に着くとひんやりとして紅葉真っ盛りで素晴らしい景色であった。湖畔のハイキングコースを少し歩いたのだが、プウチャが興奮してあっちを行ったりこっちを行ったり、全然落ち着きがなかった。<img
 その後、夕方に本日お泊りの軽井沢グリーンプラザに着いて、温泉につかったり、バイキング食事をしたりしたが、一週間前の合宿のバイキングでの体重増加がまだ戻っていないのに、また食べ過ぎたりして、焦り気味である・・といいながらも意志薄弱な私の性格がばらされてしまうようである。
 従業員と話を聞くと、軽井沢では、朝の気温が6度くらいで昼間が15度くらいだそうである、コートを持参していたが大いに役に立った。
 あくる19日は、鬼押し出しを過ぎて、塩沢湖へと足を運び、若い彼らはボートに乗り、私たちは湖畔の散策となった。ここでもプウチャが興奮しまくってリードを切らんばかりの勢いである、が、実はこのときに肉球をすりむいていたのだな。
 その後、軽井沢銀座などを通って駅裏のアウトレッドに行った時、後ろの片足を上げて歩き、しばらく歩くと今度は反対の足を上げて歩き妙な格好をするものだと足の裏を見たらすりむいて赤くなっていた。
 たまたま持参していたカットバンを応急に貼ってあげたら普通に歩いていたが、これがはがれるともう替えがないので、仕方がない、私が抱っこして商店街をブラリブラリ、プウチャも重いねぇー、「もうちょっとやせてくれよ」・・何?「あんたにいわれ筋はない」・・・ごもっともで・・・。
 で、もう帰ろうかということで、一路帰路へ、道路がすいていて夕方には蒲田に着けた。
あわただしい中にも、リフレッシュできたような、それでいて疲れて虚脱感があるような・・・
さぁ、気持ちを変えて全国大会モードである。
                          10月20日  秋深し・・・蒲田もボチボチ秋か・

271・楽しい合宿


10月9日(土)から二泊三日で、富士山のふもとで合宿を行なってきました。昨年は諸事情の為中止となったため参加者も少なくなったが、それでも32名の出席で楽しい合宿であった。
 私も今回は電車でいったのだが、国府津駅から御殿場線に乗り換えて御殿場駅で降り、バスで15分、早く着いて、1番乗りびっくりしたね。
 今回は行事のために遅れてくる人もいたりして全員集合は夜になるのだが、予定通り午後よりスタートして、時間はたっぷりあるので、私も陣頭に立ち、流派の説明、基本の説明、型を分解しながらの説明と参加した人には勉強になったと思われる。夕方には、おいしい食事が待っている。いつ来てもここのバイキング料理はおいしくてついつい余計に食べてしまい、合宿でやせて帰るつもりが逆に太って帰るという現象を招いているのである、今回も誘惑に負けてつい、もう一杯・という指導員もいたな。

夜のビンゴ大会は、今回の景品は小学生を対象に選び、人気のDSなどを揃えた為に最初からヒートアップ、あっという間に終った感じがした。
その後、入浴後から就寝までの2時間がみんなにとっては楽しみな時間で各部屋を行ったり来たりしながら交流を持ち、中々寝付けないというまるで修学旅行と同じ状態であった。
 翌2日目は、一日稽古の時間でバッチリである。特に防具をつけての組み手はトーナメント試合を行なうなど、みんなの熱が一段と入った日でもあった。
また、K-1テクニックの指導なども組まれて希望者にはそれなりの収穫があったと思われる。

 あれほどの雨も朝から小康状態から晴れ上がり、夜のキャンプファイヤーは無事行なわれた。

薪をたくところが水がたまって使用できなくて、指導員達が、灯り台を集めてまるでかがり火のようにして行なわれた。
 ジャンケン大会では、人気のDSが賞品とかで、これまた熱気がこもって、決勝戦まで残ったとは兄弟ということでめでたくこの家族がゲットした。

 六本木の生徒が夏に学校キャンプで行ってきたとかでリーダーとなり、キャンプ恒例の歌を歌ったり、各教室の生徒が通う小学校の校歌を歌ったりして、楽しい中にお開きとなった。
 3日目は、半日の稽古であったが、模擬ナイフを使用しての護身術や、関節技の講習など、空手の実践を想定しての内容で締めくくり、昼食をとってみんなで記念撮影をしてお開きとなった。

今回も内容のある、楽しい合宿であったと思われる。

270・東風(こち)吹かば・・

「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
せっかくの福岡訪問、時間を作って行って参りました、感激です。
 詩吟愛好者にとっては一度は習う、菅原道真作「九月十日」、いやぁー私的には大感激でありました。
こうやって、詩吟に関係あるところに訪問できる、大きなお土産を持って帰りました。
 菅原道真といえば、学問の神様、天神様として祭られています。ここが大宰府かぁー、余香殿もあったが、ここで都を偲んで九月十日を作られたのですなぁーいやぁー感激・感激
 道真公を慕って都から飛んできたという飛び梅もあったが、伝説でも、何かいとおしさを感じます。
天神様の使いとして牛が出てくるが、道真公が丑年生まれとか、牛車がここで止まってここに墓としたのだとかいわれているそうです。
また、これをなでると頭がよくなるとか言われ、今更よくなりようもないがとりあえず皆さんにしたがって一枚撮って貰った。
 福岡での九州大会も成功裏に終り、私も念願の地に訪れることができて、本当によい日を過ごさせていただきました。
感謝です。

269、ハワイアンナイト

先日横浜クルーズの食事券を頂いて乗船した所、まずまずの感想で、今、ハワイアンナイトクルーズをやっているという。友人を誘って9月16日行ってきた。

今回はマリーンシャトルという客船で前回よりは一回り大きかったかな。

 平日でお客は少ないと思っていたが団体が2つほどこれは1階であった、私たち一般客は2階でそれでも30人近くはいたかな。さっそくビールで乾杯といき。料理はバイキングで各々好きなものを持ってきた。
 そのうちにハワイアンショーが始まり、2回目のラストでは皆さんも踊りましょうの呼びかけに私の誘われてのこのこ出て行き、楽しんできた。

せっかくのハワイアンショーということで、私などはアロハシャツを決め込んだのに、私のほかにはもう一人の男性がアロハできていたくらいであった。
 で、2時間近くの時間があっという間に終った、合間には後ろのデッキで横浜を眺めたりしてちょっと優雅な気分・・・
まだまだ時間はあったので京急鶴見まで戻り、知り合いのスナックに顔を出して歌を何曲か歌って丁度時間となりました。
 久々に二日酔いとなりました。

                                     9月17日、今日も肌寒い