472・総持寺

1月15日(木)、B級グルメの仲間で総持寺をお参りしてから東神奈川近くの宮崎の暖簾が出ている店で食事をしようということで出かけてきた。
 出かけるときは曇りであったが、そのうち雨が降ってきて本降りとなってすっかり濡れた。
総持寺へ行ったはいいが、石原裕次郎の墓は見当たらないどうも反対の方角へ来たらしい。人に聞いてそちらへ向かったが、途中、大西瀧治郎の墓があり、ビックリして手を合わせてきた。
 大西瀧治郎、先の大戦で特攻隊の生みの親とも言われている人である。
私もよく存じ上げて、映画も見た、靖国では終戦翌日に自決した日本刀が展示されていてその人の生きざまを見たようであった。
あの当時は「やむにやまれぬ大和魂」ではなかったか。
多くの将校が敗戦後は生き抜いてきた中、責任を取って自決をしてその自決も介錯をさせずに苦しみながらの最後であったという。
 あのような人は少ないねぇ。
 もちろん心を込めて手を合わせてきたが、雨にもかかわらず線香と花の供養は絶えていなかった。
そうこうしながらようやく石原裕次郎の墓に到着して、その広さと規模にびっくりして、ここも花と線香が絶えないらしい。
以前供養の時にワインが配られることがあってきたことがったが、何しろ鶴見駅の改札を出たとたんに行列ができていてさすがにあきらめて以来の参拝である。とはいってもその時はお参りをしていないので今日が初めての墓参りである。
 石原裕次郎の歌は今でも私のカラオケのレパートリーの一つで身近に感じているが、私より少し前の映画全盛のころの人である。
 もちろんその後のテレビの刑事もので有名ではあるが、私にとっては映画全盛のころの姿が焼き付いているんだねぇ。
裕ちゃんの供養の時は、よく雨になるということを聞いたような覚えがあるが、今日もあいにくの雨でゆっくりはできなかった。
 鶴見は近いので今度はいつでも行けるだろう、一人でも行ってこようかと思っている。
 それから、東神奈川へといき宮崎の看板が掲げてある店に入ってみたが、昼時はランチメニューだけで何か味気なかったね。
そこのマスターは横浜の人で宮崎で若いころ修行したという人で、地元の話では盛り上がらなかった。
ま、こういうこともあるわな。
 で、近くの喫茶店でお湯割を飲んでお開きとなったのだが、ここ東神奈川は40年前に住んでボクシングジムに通っていたころの青春の場所でもある。
雨も激しくなったので散歩もできなかったが、通りすがら懐かしいところもあったねぇ。
 雨も冷たくなり、氷雨となった午後であった。

471、靖国神社

五日は、細君の詩吟団体が毎年靖国神社の奉納殿で詩吟を奉じているので、今年は私の時間も空いたのでカメラマンとして出番を見計らって出掛けた。
着くなり本日の出場者の欠席が多いので私も吟じてくれないか、という言葉である。
格好は正月のお参りなのでネクタイ姿だったのでよし、としてもいきなりではなぁ、と思うところだが、考えてみるとこんな舞台に立てるということはめったにある事ではない。前回の時は本殿にお参りはしたが舞台には立っていない、ここは二つ返事で引き受けて軽く声だしの練習だけでほとんどぶっつけ本番である。
 コンクールでないので好きなようにやっていいし、観客も少ないので気は楽だ。しかし、靖国神社の舞台である、ちょっぴり緊張。
隣を大勢の参拝者は通るのだけれど足を止める人はいない。
皆さんになじみのある詩吟「川中島」を選んで吟じた。
ぶっつけ本番はこんな程度である。
それが終わるとみんなで本殿にお参りが出来るのである。
今回は人が多かったねェ、暦での仕事始めと、今年は終戦から70年を迎え多くの行事が控えてまたそれによっての参拝者も多いのだそうである。
私にとってはここ靖国神社と鎌倉八幡宮には特別な思いがある。蒲田八幡は氏神様だ。
 順番が回ってきて本殿にお参りである。政治家たちがお参り来た時にテレビで流れる渡り廊下を通って奥の間へお祓いをしてもらって終わり。
今年もいいスタートを切ったような感じがする。
今年は2月の延岡ツアーがあるのだが慣れないことゆえいまからバタバタとしているようでもある。
空手は新年会、審判講習会の開催を3月に考えている、4月の神奈川県大会、6月のジュニア大会を控えているからである。
 さてっと、今年も張り切っていくとするかねェ。

470.2015年謹賀新年


2015年の元旦は、曇りで初日の出も見れなくて寒さも有って厳しい幕開けであった。
近くの氏神様蒲田八幡へ毎年お参りするときは一時間近くも待って大変なので今年はゆっくりと出て行ったが寒いせいか、10人ほどしか並んでいなくて待つほどではなかった、何か拍子抜けしたような感じである。
今年は細君の母親が来たので、さっそく正月二日めは、
箱根駅伝の応援に近くの国道まで出かけてから巣鴨のとげぬき地蔵へといった。
私は先々月に高校の同窓会の会長たちときているので二回目だが、今回は地蔵詣りに並んで水をかけて拭くというお参りをした。
こちらは正月ということもあって40分ほど待った。
午後は川崎大師へと向かったが、なんとまぁ、人の並びが半端ではない。遠方からきている人は我慢して並ぶだろうが、こっちはさっさとあきらめて隣の鶴見駅の総持寺へと向かった。
本来ならば私は曹洞宗の信徒で有るのでこちらに来るのが筋なのだが、同じ曹洞宗でも我が家は永平寺なのでそれほどの愛着はない。ま、一通りのお参りはした。
 開けて三日は、熱海の料理旅館「渚館」へ行っておせち料理をいただき温泉に入ったのだがさすがの私も食べきれずにギブアップであった。

若いころとは違う、こんなところにも感じる。クウもごちそうが並んで大喜びだが、やはり動物ながらも宿が違うと落ち着かないのかね。結構そわそわしていた。
開けて四日は、朝食が終わって蒲田へ戻ってきてようやくのんびりとしたようである。
母親も福島へ戻って、我が家の正月も終わりである。

469.パソコン故障中

12月22日(月)、年賀状も作り終えてほっとしてした後にパソコンが作動しなくなった。あせってガチャガチャやったがどうにもならなくて、相談した結果空手大会のパンフレットに記載してある、街のパソコン屋さんに連絡すると直せるという。この暮れの忙しいときに赤羽まで運んでお願いをしてきた。メ-カ-よりは安くなるというので正月を控えたこの時期助かるのである・
 で、このブログを見てくれている人に知らせなければいけない、ということでインタ-ネットカフェなるものに入って今書いている。詳しくは漫画喫茶のほうが安いというのでここを紹介してもらったが、身分証明書がなければだめだという。
 いわれてみればオウムの重要指名手配人がこの蒲田の漫画喫茶で逮捕されたものだった。なるほどね、それで厳しくなったのかね。そういうことで私も改めて出直したので今日の書き込みになったのだが、ブログではうまくできなかったのでサイトの違うこの雑記に書き込むことになり今書いているが、これも人生初体験である。
 
そういうことで年内には間に合うと思うのだが、しばらく休むことになります。
直り次第、すぐにお知らせします。

468・目黒雅叙園

細君の先生の娘さんが少壮吟士と言って数少ない財団の師範に合格したお祝いが先日ここで行われ、結構よかったそうで、今度行こうということでご相伴と相成った。
行人坂を下りたところにあり、どでかい建物でびっくりしたねぇ、建物の中に街並みを作っているくらいでただただあぜんとした。
 中を一通り見まわってから食事を一階のバイキングに入った。
無難な食事で、(一応あちこちのバイキングには行っているつもりである)意外とリーズナブルな値段に驚いたね。このようなつくりだともう少しいくのかなと思っていたが、安い割にはまずまずである。また、庭園を建物のなかに作ってあるのでびっくりだねぇ。壁には豪華な描きが並んでいる。<img src="/usr/u/e/s/uesugikaikan/P1040313.JPG" alt="" title=""

 トイレを見てびっくりで、このようなつくりを見たこともなく思わずカメラに収めたがこのようなトイレはみたことが無い。入り口だとは気が付かないくらいの入り口であっけにとらわれたね、ここのオーナーの気遣いが伝わってくるねぇ。

 一通り見て、入口の所に百段階段がありそこで、ダウン症書家金澤翔子の作品展が開かれているそうで、チケットをいただいていたので見てみることにした。
ダウン症の子どもとの生活を母親が描きながらの書展であるが、一つ一つ見ていくうちにこのダウン症の子供の素直さとひたむきさに、またそれに対する母親の心情に涙が出てきたね。
 この人は書道という天分があって開けたが、そうでない症状の人々が大半だと思う。
その症状を受け入れて向かい合って生きていうことは想像もできないくらい大変だと思う。私も時々電車の中でそんな親子を見かけるし、空手の子供でも兄弟にそのような子どもを見たこともある。なるべく自然に接しているつもりだったが、大変だねぇ。
 私どもは健康というものは当然でその上に生活が成り立っているものと思いがちである。
だから好き勝手なことを言っているのだが、健康のありがたさは病気になってみて初めてわかる。
 だけどこの金澤翔子という人はそれらを受け止めて純真にひたすらに生きているのが伝わってきて、涙が出てくるのは何なのだろうねぇ。
 同情でもなければ自慢でもない、ただひたすらな生き方に感動を覚えたのかねぇ。
何か、私も改めて心が洗われたようなひと時であった。

 帰りにはすがすががしい気持ちになって戻ってきたがこのような気持ちは記憶にない。
宗教家でもないので型ぐるしいことは言いたくないが、森羅万象に感謝、というところなのかね、貴重な一日であった。

467,2014年12月14日

このマンションに移り住んでから6年、電車の便利さもあって12月14日には毎年、泉岳寺へ参るようになった。何しろ乗り換えなしの10分で行けるのである。
この日も、朝5時に起きてワンコウの散歩を済ませ6時28分の泉岳寺行きに乗って10分で付くと、まだ、露天商の人達も準備に入る前車がようやくついたばかりの人も多かった。
 その中を抜けて墓参りに行くのだが入口では上野介の首を洗ったといわれる井戸がありその前を抜けて墓へといった。
入口で線香を売っているのだが、今朝は早すぎてまだその準備もできていない。仕方がない、お参りをして手を合わせてきただけである。
 で、御朱印をもらうのだがその窓口も7時からだそうで10分ほどその前で待つ。ようやく開いて、預けてまた10分ほど待って取りに行く。
 そして7時20分発の泉岳寺から電車に乗って蒲田へ戻り7時半には部屋に戻って日常の生活に戻っている。
細君はそんな行動を知る由もない、いつものように8時ころに起きだしてくるのである。
 そしていつもの日曜日のように9時前に出て私は戸塚教室の稽古へ向かった。
今日は、衆議院総選挙で幕張の体育館が使えず休みとなったので、戸塚で二部の稽古まで残って行い、終了後はその上の階の居酒屋で忘年会となった。
 急きょの呼びかけで子供もいれて9人で行ったが昼間のビールも効いてくる。先週の全国大会の話などで盛り上がりワイワイと話したが個人の反省の話はなかったなぁ。詩吟の忘年会では必ず、一人ひとり話して回るのだが、どうも空手は話に夢中でそのまま終了となるようである。ま、それもいいか・・・。
 忠臣蔵の話だが昔は忠臣の義士として、尊敬もしてお参りも欠かさなかったが年を重ねると討たれた上野介も立派な名君であったそうで、随分と見方が変わってきた。
 浅野の殿様がもう少し我慢をしてやりすごしたならば、一族郎党家族のみんなにもあのような迷惑はかけなかったと思うのだねぇ。
家族の悲劇を仇討に向かわせるような芝居には最近共感を覚えないようになってきた。やはり平穏無事につつがなく過ごすことが一番の幸せのように思えるのである。
「温故知新」では昔の出来事を参考にして勉強していくのだがやはり歴史は繰り返してきているのである。それらを振り返って現代では回避すべき道を模索するのが、温故知新の活用だと思っているのだがねぇ。
 12月14日、いろいろなことを勉強するのである。

466,田中屋

横浜市神奈川区にある「田中屋」,幕末の志士坂本龍馬の妻おりょうさんが勝海舟の世話により仲居として働いていたという好事家にとっては、たいへん魅力のある料理屋である。

 12月11日、私どものB級グルメの会?の忘年会ということで4人で出かけた。
江戸時代の浮世絵師、安藤広重による「東海道五十三次」の中にも登場する由緒ある料理屋だそうで、ここのおかみさんが挨拶にきてとうとうと述べてくれた。
幕末には、西郷隆盛をはじめ、高杉晋作や久坂玄端、アメリカ領事館の近くの関係でハリスさんなども訪れたという、廊下にはその人たちの写真がズラリと張り出されていて感激の連続である。

 私たちが通された[雪の間]はかつて、囲碁の名人戦が行われたそうで川端康成が立会人となっている写真がある。おう、ここに川端康成がたたずんでいたのか、感激の連続だねぇ。
部屋には坂本竜馬の写真があったがこのようなポーズの写真は見たことが無かった、新たな発見にここにも感激である。
 歴史好き、特に幕末に興味のある人はぜひとも行くべきであろう、強く感じたねぇ。
このように幕末の人物が実際に訪れたところというのは寡聞にして知らない。ましてやこんな近くである。
感激の連続である。
 入口に坂本龍馬の写真入りの酒が売られていた、ここは買わないわけにはいかないだろう。
とりあえず一本買った。
もう何年か昔になるか、四国を旅行した時坂本龍馬の生家跡にたてられたという、ホテルに泊まったことを思い出した。
おそらく、この長い雑記の第一回目ではなかったかな、桂浜の龍馬像の前で撮った写真があったはずだ。
 また横須賀にあるおりょうさんの墓参りの記事も掲載している、懐かしいねぇ。
来年は仲間を募ってこなければならないだろう。
 今年暮れに大変いい思い出になったようである。

465.浅草

日防連の全国大会を浅草で開くようになってから随分になるが、そのたびに準備で訪れたりしている。若いころは観光でよく来たものだった。
 先ごろ高倉健さんが亡くなったがその映画の舞台ではよく浅草が出てきて隅田川という名前がよく出てきたものである。
代表的な唐獅子牡丹の歌詞でも「おぼろ月でも 隅田の水に昔ながらの濁らぬ光~♪♪」とあったはずである。
 学校の帰り商業高校の近くを祝子川(ほうりがわ)が流れて降り、毎日その堤防を自転車で帰りながら空手部の仲間と歌って帰ったものだった、その当時は任侠映画全盛だったからねぇ。
 浅草や隅田川というところにもあこがれたものだった。
その浅草を歩いてみるとリバーサイドスポーツセンター前の今戸神社には、沖田総司終焉の地とある、招き猫発祥の地である。

 近くには待乳山聖天がありそのわきには池波正太郎生家跡があったりするなどさすが、浅草いたるところが歴史の街なのである。<img src="/usr/u/e/s/ue
sugikaikan/P1040213.JPG” alt=”” title=”” >

 浅草駅で降りるとスカイツリーとアサヒビールの眺めが絶好のカメラポイントであったり、その角には神谷バーと言って、昭和の初めのエノケン時代など、最盛期を思わせる風景もある。
 雷門のほうへ行くと、観光の人力車が並んでお客を待っている。


もっと進んで六区のほうまで行くと書ききれないほどの観光地が出てくるのであるが、今日はこの辺で帰ることにした。
 この浅草で毎年暮れになると全国大会を開催しているのだが、誠にもって感慨深いものがある。

464,鶴見川

横浜市北部を流れる鶴見川、私が上京して運送会社の事務員として配属されたのが、横浜市港北区新羽で毎日鶴見川のサイクリングロードをロードワークしていたものだった。
 横浜というから大都会とばかり思っていたのだが、その当時は(43年ほど前)田んぼの中に倉庫と社員寮があって通勤時間もないがそこから出ることもない。
土、日は倉庫の在庫点検や業務がばっちりで休むこともなくひと月の残業時間が200時間を超えるようで、今では考えられないね。
 配属前に山中湖の社員研修寮で鍛えられ、その時の頑張りがこの激務に耐えられると思われて配属されたのだろうと今では思っている。
こっちは仕事の傍らボクシングを目指そうと思って出てきたのだから、何しろジムに通う時間もない、半年ほどでやめた。
 その後は西区の牛乳販売店で牛乳配達をしながら毎日ボクシングジムに通って頑張ったのだが、今回はその後のことは関係ない、鶴見川、なのである。
 上京してきた当時の鶴見川は日本でも5本の指に入るほどの汚ない川ではなかったかね。その川べりを暇を見つけては走りこんでいた。今の新羽あたりは国際総合競技場ができて想像もできないほどの繁栄で田んぼが無い、たま~に鴨居や町田へ行くことがあって横浜線に乗るのだが途中の景色がわからないほどである。
こちらに来て初めてザリガニを田んぼで見てびっくりした記憶がある、九州ではこんな生き物は見たことが無かった。
 
 今はのどかな川になっている。この日ものどかな日中作業船であろうかのぼりもいればくだりもいる、何とも言えない風情だねぇ。
九日の武道館大会の後、細君が鶴見にできた新しいスパに行こうということでご相伴したのだが、なんと鶴見近辺にはこの種類のスパが多いことか、お互い共倒れしないのかね。
今度のスパも鶴見川沿いで駅から送迎バスが出ているのだが、川の向かいにも二つのスパがあって、私までもが心配をした。別に大きなお世話かもしれないが、ふと思ったね。
 今回の新しいスパは、サウナや岩盤浴の種類が多くて半日では足りないくらいである。休憩所にもスペースを取ってゆったりくつろげるようになっている。

新しいものはよりよくなっていくのだろうねぇ。
 夕方までのんびりと過ごして疲れが取れたような感じがする。
のどかな一日であった。

463.おばあちゃんの原宿

11月16日(日)、延岡から昨日の同窓会のために上京してきた会長と副会長を連れて、おばあちゃんの原宿と言われる巣鴨地蔵通り商店街へと行ってきた。
 上京して40年余り・・初めてのことである。老人の原宿と言われるくらいだからちょうどそのくらいの年齢になったのかね。JR巣鴨駅で降りるとすぐに案内板があって誰でもわかるようになっている、さすが・・。
 正直何の御利益があって何のために参るのかわからないのだが、会長達が行ってみたいということでそれじゃぁ私も行った事が無いから行きましょう、ということで来たのだが下調べが足りなかったね。
 高岩寺のとげぬき地蔵が有名なんだそうで行ってはみたが早速人が並んでいる。
私はこのように並ぶのは好きでない、他の二人に聞いても並びたくない、ということで本堂へお参りを済ませて、境内のお土産屋でお守りを買ったのかな。身代わり地蔵で災難の折には本人の身代わりになってくれるのだそうである。
 商店街を歩くと定食屋にも人が並んでいる、おいしいのだろうが、パス。
しばらく歩くとウナギ屋があり、人も少なそうなのでここでお昼を食べた。ウナギの松、である。
土用の丑、以来だね、ましてや松、ともなると食べたことが無い・・おいしい・と言いたいのだがその違いが分からないのでどれもおいしいのである。
周辺マップを見ると、遠山の金さんや千葉周作などの墓があるんだねぇ。芥川龍之介、谷崎潤一郎、高村光太郎,智恵子、たくさんの有名人がいるではないか、今度は「墓マイラー」として来ようかね。
入口にはテレビで見た何かのお尻があったので触るとご利益があるのだそうでちょっとかるく・・ね。