今年は桜も最速の満開となり、すでに花見はピークとなっているのである。3月24日(日)、仕事が終わってから花見に行こうということで、靖国神社と千鳥ヶ淵を訪ねることにした。
当然夜桜になるが、夜に花見に出ることはめったになかったね。
まずは靖国神社である。詩吟の中の「九段の桜」は本院の中の満開の桜を言うのだが、残念ながらこの日はすでにしまった後であった、それでも入口の扉の前に賽銭箱があるのがにくい・・・。
出店はまだまだ賑わっていてまだまだの人出であったが、この日の昼間は相当な人出であっただろうと思われる。
靖国を出て今度は千鳥ヶ淵へと向かう、こちらは歩道なので道も狭く混雑がまだまだ残っている。
カメラを夜景モードで取ったのだが、やはり照明不足からか今一の出来栄えである。
それでも眺めは最高、花見の人気は一番なのだそうだ。
帰りは武道館を通ってみたりしたが以外と穴場は、大山巌元帥の銅像の後ろからの眺めだね、両岸の桜が映えて見事なもの絵あった。
帰りも東西線と京急線の乗り換え一本で早く家に戻ったが、京急線はつくづく便利だと思ったねぇ。
ここしばらく続いたイベントの疲れも忘れるようなひと時であった。
平和な日本、四季折々の日本、つくづく感謝の心になりますなぁ、今夜は靖国に行ったからなのかつくづく思いました。
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391、ばんば会
思えばおととし2011年の暮、宮崎県延岡市西高校の関東地区同窓会会長の黒木さんから突然電話があって、今度宮崎県延岡を中心とした各高校の同窓会の集まりを企画しているので一度話しあいませんかという連絡が入り、工業高校、同じく関東地区会長の長谷川さんも同席して市谷の居酒屋で話し合ったのが始まりであった。
それから他の高校にも話しかけて実行委員会をつくり、名称も延岡地方の盆踊り、ばんば踊りにちなんで「ばんば会」と名付けて行動を開始して、2013年3月23日(土)ようやく第一回の「ばんば会」の開催にこぎつけた。(写真は本番前、腹ごしらえである。)
その間いくつかの高校も集まり実行委員も20人30人と増え、本番当日には60人からの実行委員をそろえて、出席者も450人を超える人数を集めて東大駒場において盛大に催された。
思えば、二か月に一度、半年前からは一ヶ月に一度の実行委員会が開かれ、商業高校からの出席者は私一人という忸怩たる思いの中、それでもこの日は、延岡の本部から7名が応援に駆けつけてくれて商業高校だけでも50名近くのの出席と何とか格好がつけた。
私は実行委員としてじっとしている暇はなくホストとして駆け回り、それでも宮崎県のゆるキャラ「ひぃくん」と写真に納まったり、ばんば踊りを堪能したりと楽しい時間を過ごした。
終わってからも皆さんを送り出した後、食堂の形に戻すに全員で取りかかり最後まで疲れたが、気持ちのいい疲れであった。
そのあと、商業高校の25人ほどが二次会の居酒屋で私を待っており、また盛り上がったが嬉しかったねぇ。
皆さんに喜んでもらえてスタッフの一員としてやってきた喜びを感じたところであった。
空手の先生という肩書を置いて、皆さんと一緒に動き、楽しい時間は貴重な体験となったことであった。
390、あゝ上野駅
毎年この時期になると地方から都会へ就職や進学でどんどん人が流れ込んでくる。
思えば私も42年も前になるであろうか、高校を卒業して会社へ就職してボクシングに打ち込むために意気込んで上京したものだった。
それから職を転々として弁当屋で働いていた頃は、配達をしながらこの「あゝ上野駅」を歌いながら頑張っていた。文字通り ♪胸にゃ大きな夢がある~
上野駅の一角にこの歌のモニュメントがあり、そこからアメ横まで以前、懐かしく歩いてみた。
昨晩のNHK歌謡コンサートでこの歌が流れて久々にその当時を思い浮かべた。実際にはこの歌がはやった時は私より一回り上の集団就職時代で駅も私は東京駅なのだが、この歌がピンときて毎日歌っていたなぁ。
どこかの漫談師ではないが、あれから40年・・・文字通りの40年である。
今は、平凡な一日,つつがない毎日に感謝をして過ごしている私がいる。
子供たちと好きな空手で時を過ごし、先日にはジュニア大会を開催して、無事に終了した。
参加した皆さんにも喜ばれて帰っていただいた、うれしいねぇ、幸せだねー。
また、こういう行事に一緒になって参加していることに大きな喜びを感じる。
スタッフの皆さんも手伝ってあげているんだ・・ではなくて、行事に参加していることによって一体感を味わい喜びとなってもらえるようになるとまた素晴らしい一日だと思えるといいのだが、まだまだ大会の魅力はそこまでいっていないということか、努力の余地大いにあるところである。
そういう私も正直、大会前は大変な作業にもう今回限り・・と何度も思ったが、子供たちが勝っては泣き負けては泣き、表彰式での笑顔を思い出すと、大会後日をおいてほっとした時に・・また頑張るか、そういう気持ちになるんだよねぇ。
あゝ上野駅から離れた感もするが、幸せになろうとがむしゃらに走ってきた私だが、今が幸せならばそれで十分ではないか・・・ということだね。
今日も春ののどかな日、ワンコウとの散歩で充実した一日を過ごさせていただいている。
389、湯河原梅林・幕山
毎年この時期になると観梅で出かけるのだが、今年は湯河原の幕山へ行こうということで以前より計画をしていた。
レンタカーで日産マーチを借りて行ったのだが大変に操作しやすくていい車だ、快適にドライブができた。
目的地は湯河原、神奈川県と静岡県の境地である。結構な時間がかかったねぇ。
チラシによると4,000本の紅梅白梅がさながら「梅のじゅうたん」のごとく咲き乱れ・・・とあるが、今日は3月4日(月)、今年は遅れているようで全体で5分咲きということでちょっと物足りなかったかな。
幕山ということで山全体がハイキングコースもあって結構歩いたね。
相方は、10年くらい前に来ているとかで、思い出しながらハイキングコースをたどったが山を半周してこれだけ歩いたのは、その昔、千葉県ののこぎり山や、群馬県の赤城山へ行って道に迷ってようやくたどり着いたがそれに匹敵するくらいの歩行ではなかったな。
のぼりは、梅を見ながら歩いて登り、幕山の頂上まで行ったが、相方はクウに引っ張られながらの登頂、さながらそり犬か・・クウに、ご苦労さん。
頂上まで来る人はごくまれで、いくつかのハイカーのグループのみであった。
昼食をとっていたグループから悲鳴が聞こえ、振り向くと、なんととんびがおにぎりをとって行ったのだという、空を見るとトンビがぐるりと輪をかいている。
私も以前鎌倉の由比ヶ浜でおにぎりをとられたことがあったが、まさかこんな山奥にまでいるとは・・おそらく以前から大勢のハイカーたちで味をしめていたのだろう。
日光の山猿や、どこかのイノシシのエサあさりが話題になることもあるが、人間が興味本位でエサをあげたのが始まりなのだろう、こういうことは気を付けなければいけない。
頂上に上って一休み、下りは昔きたことがあるという自然のままのコースをたどってくだったのだが、ずいぶんと遠回りをさせられてくだりはもっと歩いたねぇ、これが登りであったのなら倍の時間を要したであろう。
ようやく入口にたどり着けて一休み、いやぁ、歩いた歩いた、歩き疲れた。
帰りは途中のパーキングエリアで一眠りをしたのだが10分くらいの予定がおきてみると30分を過ぎており急いで戻ってきたね。
今日の幕山は満開の時に来たのならもっとよかっただろうねぇ、しかし、平日というのに駐車場は第一から第四まであるがすべて満車、休日はどうなることやら・・ここも10年前は入園料は取らなく自然が豊富だったのが、道路などどんどん整備されて観光地化されているそうなのである。
しかし、これはこれで湯河原の名物と有名になっているのでむべなるかな。
大会や同窓会、昇級審査など行事が相次ぐ中の息抜き、「忙中閑あり」というところか・・・というほどでもないが一度言って忙しいふりをしてみたかっただけ、行事は順調に進んでいる。
初春の一日である。
388・銀座・新橋界隈
2月14日、銀座で飲もうという約束があり出かけてきた、奇しくも聖バレンタインデーではあるが、そんな楽しい話ではない、一応仕事、仕事。
銀座2丁目というから4丁目から少し離れたところだね、行く途中お稲荷様があって大変懐かしく思えたね。この裏に「朱鷺」というスナックがあって・・・もう30年前にもなるであろうか、私が役者の勉強をしていた頃に三輪という映画監督の三輪塾で昼間この店で勉強をしていた頃があった…ひたすら懐かしい。この年になると、若いころの一コマ一コマが走馬灯のように浮かんでは消え浮かんでは消え・・なのである。
もちろん今は近代ビルディングに姿を変えその面影はない、ただ、このお稲荷様が以前のままに残っているのに感動したのである。
そういう思いをしながら食事へ向かッたが、そのレストランの前に銀座発祥の碑を見つけてここは1枚撮っておかねばなるまい。
普段からカメラを持ち歩き、何かあるとカメラに収めブログなどで紹介をしている、今夜もその例にたがわず記念が撮れた。
夜の銀座はネオンキラキラきれいだねぇ、写真では今一だが実際はもっときれいであった。
九州の田舎にいるころは、当時流行の歌の中に銀座がよく出てきて花の都にあこがれたものだった。
渋谷、新宿池袋、そういうところも行ってはみたが銀座は雰囲気が違うねぇー、人が多くてもごみごみしていない、若者がゴロゴロするようなところではない。
古い表現だがハイカラな雰囲気があるところである、、当然私とはミスマッチである、このくらいは自覚をしているが、こんな私でも背伸びをしてもたまにはいいじゃないか。
食事の後は新橋のサウナに入るのが今回のコースである。
烏森口のサウナはいつもサラリーマンでいっぱいである。
ここはのんびりできてリーズナブルで気に入っているね、人出が多くなっているように感じたが、実際に政権が交代してからは明るい材料でよくなってきているのだそうだ。
いいことではないか、景気がよくなって皆さんの懐もあったかくなって、空手を始める人も多くなれば嬉しいというものである。
今夜は、気候も暖かくコートを持参しなかったが、心ウキウキワクワク~・・ン?昔の歌の文句である。
今年は明るい展望となりそうである、そんな思いで帰路についた聖バレンタインデーであった。
387、鎌倉大仏様
「鎌倉や みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」 与謝野晶子
今日のハイキングコースの終点、鎌倉高徳院である。通称大仏様で有名だが、奥のほうへ行くと与謝野晶子の歌碑が立っている。
昔は大仏様も屋内であったが、1334年、1369年の大風で損壊してそれ以後は露座となっているらしい。
与謝野晶子は大仏様を美男と称しているが実は阿弥陀如来で女性らしいが、ま、ここでは野暮はいいっこなしだ。
いつもは正面から写真に納まっているが、今日はちょっとハス斜めから写ってみた、これも一興。
先月のB級グルメの会での鎌倉訪問は八幡宮のほうであったが今日はすこしずれて北鎌倉からハイキングコースをたどり、結構歩いて歩数計で約17000歩弱、久々の歩数である。
大仏様も何回も来ているのでそれほど見るわけでもなく、ぶらぶらと歩きだして、途中おいしいというレストランで松花堂御膳をいただいた。
江ノ電で鎌倉へ戻り、ちょっと土産などを買って横須賀線に乗り換えて、横浜で京急線で蒲田まで来て、お疲れ様。
夜は横浜駅で買った弁当を食べながら今日一日を振り返って、素敵な一日であったということでお開きである。
今日も良き一日に感謝! である。
386、北鎌倉
2月11日(月)祝日ながら何とものどかな天候となったものだ。
「どこかへ出かけたいね」手ごろなところで鎌倉はどうでしょうか、話はすぐにまとまり一路北鎌倉へ・・・明月院本堂からの朝の眺めが素晴らしいとかで早めに行ってみることにした。
明月院、アジサイ寺としてあまりにも有名だが、もちろん今はその季節ではない。
早めに行ったので人出はそうでもなく、ゆっくりとみることができた、本堂からの眺めはさすがに素晴らしいものがある、ここは私も初めて・・かな?
このお寺には北条時頼公の墓があり、私たち詩吟愛好者にとっては「春流」という歌碑もあってこたえられないところでもある。
相方の所属する六郷岳精会が吟行会で来た時にはここで合吟をやったのだそうだが、私は心の中で一吟、というところか。
北条時頼の物語で「鉢の木」がありその物語には感動するのだが、どんどん話がずれていくのでここではこれくらいにしておかなくてはいけない。
ちなみに、この近くに「鉢の木」等料理屋があるのだがこれにちなんだものだというのは疑いのないところだろう。
お参りを済ませて、ハイキングコースへと向かい途中浄智寺へ寄ってここも一回り、そこを抜けて源氏山公園へ行って頼朝公の銅像を探したがわからず近所の人に聞いてようやくたどりついた。
私も自称、源氏の末裔を標榜するからには一度は来てみたかったところである、写真に納まって満足・・。
それからコースに戻って銭洗弁財天へ行ったがここは、何十年前であろうか・・40年近くにもなろう・・来た記憶があるか無いかぐらいにしかない。
しかし、今日はしっかりとお参りをしてわずかに残っていた小銭を洗ってきたが、おもしろい看板には思わず笑ったね、やはりこの中のお金を持って行く不届者もいるんだろうねぇ。
ここで甘酒などをいただいてしばし一服・・・。
改めてコースへ戻り、近くの佐助稲荷神社へと向かう。
道も狭い、人家の背戸を通り抜けているような感覚である。
稲荷神社らしく赤い鳥居が数多く並ぶ、結構人出があるのには驚いた。謂れを読むと面白いものがある、こういう所へ来て、名前の由来や土地の謂れなどを読むのが楽しみである。
それらを読むと感動するものや不憫な思いに駆られることもある、ここは、キツネの恩返しにちょっと感動。
ここを出ていよいよハイキングコースも終盤へ、目指すは、高徳院鎌倉大仏様!もったいぶるわけではないが、写真掲載も多いので次項へと続く・・・
385、2013年新年会
今年の日防連新年会を東京都大田区蒲田において開かれた。
今回は、月間空手道3月号において出版を紹介された「武道のすすめ」の著者吉澤先生にもおいでいただき、武道家としての心構えなどを説いていただくなどいつもとは一風変わった新年会であったが、若手が多い当連盟では大変有意義な講義であった。
その後、場所を移しての懇親会となったが普段はなかなかまじかで話をできない大先生方の話を聞くことによって各人も大いに勉強になったことでしょう。
今回は錬誠舘からも五十嵐、若林両先生も出席していただいて、にぎやかに行った。
締めにはなくてはならない五十嵐先生の歌を交えての中締めにはピシッと決まったね。
その後、何人かは残ってまた盛り上がったそうである。
家族的な雰囲気のある日防連は今年は更に計画も進んでまた一段とステップアップしそうである、飛躍的な進歩はないが一段、また一段ですね。
昨年は審判講習会の日程が取れなかったが、今年は早めに・・そうだね6月の初めころには行って神奈川県大会、千葉県大会に備えたいと思っています。
今年も日防連では皆さんとともに楽しく明るく進んでまいりましょう。
384・鎌倉
1月17日、今年初めてのB級グルメの会、鎌倉へ参ろうかということになって、東神奈川で待ち合わせて、横浜乗り換えで鎌倉に降り立った、(降り立った、というほどでもないか)
ちょうど昼時で近くの食事屋で食べてから八幡宮へ行った。今は小町通りが人気があるみたいで有名人が立ち寄った写真があちこちに飾ってある。
八幡宮へ着くとようやく鎌倉も正月行事が落ち着いたというところか、人出がいつもの平日の人出になっていて御主印も並ばずにもらえ、お参りも並ばずにスイスイと行けて楽であった。
それから近くの池のたもとで甘酒をいただいてしばし休憩、カモメが池に飛んで遊んでいるのにちょっとびっくり。
その後、頼朝公のお墓とされているところへお参りに向かったが、途中の雪の下三丁目あたりに幕府が置かれていたそうで今は小学校などがあって、その面影はない。
頼朝公の墓もひっそりとしていてなかなかお参りに来る人も少ないのかねぇ、さい銭箱などホントかわいらしいものであった。
それからぶらぶらと駅へ向かい、おなじみのチェーン店の居酒屋があってそこへ寄ってしばし団欒である。
ほかにもグループがいくつかあったが、平日の昼間から寄れるのは年配者ということだね、そういうグループばかりであった、鎌倉は人気があるのだねぇ。
帰りは学生たちの下校時間も重なってか、結構込み合っていたが、グループでいるので結構かまびすしい。
こちらも一杯やっているのでいつも以上に声も大きく、うるさいおやじ連中だと思われているだろうなぁ。
そうこうしているうちに電車は横浜駅へ・・そこで解散して無事終了。
そそくさと帰るのでこういう集まりは気楽である。
今年の初詣は、元旦の地元蒲田八幡様に始まって4日の寒川神社、本日の鎌倉八幡宮と行ったわけだ。
寒川神社では厄払いも済んで、いい年になるのかな?
383・大雪
1月14日(月)、東京地方には大雪注意報が発せられ、今冬一番の雪が降って積もった。大雪といっても御覧の通りでそれほどの積もりかたではない。
北国の人に言わせれば笑われるかもしれないが、首都圏は大混乱なのである。
道行く人は転んで腕を骨折したり、チェーンを掃除していない車は追突事故を起こしたり、電車はストップはするは・・などで相変わらず雪や大雨に弱い首都圏をさらけ出したね。
この日の私は、川崎駅近くの会場にて詩吟の「初吟会」があって出席してきたのだが、中ではそれらに気付かず皆さんがそれぞれに盛り上がって楽しい新年会であった。
私たちの教場は、昨年NHKのど自慢に出て、「修学旅行」を歌って特別賞を受賞した人がいて、みんなでこの歌をワイシャツ姿で歌ったが、何しろ半世紀も前の青春歌である。
だけど、今日、役員から発表があって、200人程の砂子吟志会の平均年齢が70,1歳、80歳代が36名、大正生まれが8名いての会なのである。
私は今年60歳の還暦を迎えるが、まだまだ若僧なのだである。
この私が21歳でこの会に入り足かけ40年、よくぞここまでやめないで来たものだと我ながら感心するねぇ。
それには宗家の暖かいご理解と応援があり、今は亡き細川先生の支えとご支援のおかげ、あるいは周りの吟友との暖かい交流のおかげだと心より感謝するのである。
そんな吟友との楽しい交流を終えて外へ出ると周りは一面の銀世界、足元に気を付けながらそろりそろり駅前へ行って、吟友と中華屋へ寄ってから家路へ着いたが、外では今日成人式を終えた女性であろうか振り袖姿で雪の中を歩いてくるのを見て気の毒に・・今日は晴れてほしかったなぁ。
わがマンションの芝生も御覧の通り銀世界だ、いろんな思いの中の大雪の1日であった。