久々にワンコウ三昧といこう。
クウの遊び相手ガブリエルを我が家に招待して相方が昼食でもてなした、初めてである。
私がガブリエル、大天使である。ちょっと写真写りはよくないが本当はずっとこれよりかハンサムなのである。
クウよりも半年ほど早く生まれて、毎日のように芝生で追いかけっこをして朝の散歩を終える。おかげで寝坊ができない、たまに寝坊した時はガブの家の前につながれて、お母さんが家周りを掃除しているのでそこで会う。
会えないときは雨の日ぐらいで、盆も正月も祝祭日も関係ない。大変だとは思うが、ペットを飼った人の責任でもある。
毎日飛び回って健康でいることが飼い主にとってもうれしいことで納得はしている。
食事になると、テーブルに足をかけてさもほしそうに催促をする。この誘惑に負けるとメタボとなってワンコウ自身が大変なのである。
ここはひとつ、心を鬼にしてあげないようにしているが、根負けすることもたびたびである。
そうすると私までが叱られて、形無しである。
近い将来は三浦海岸の暖かいところの一軒家で大根畑の脇をのんびりと散歩したいとは思っているが果たしてどうなることやら・・。
町内の集会場を借りて、近所の子供たちを集めて空手を指導しながらのんびりと過ごす、いいねぇー。
良寛さんの「余生」という詩が残されているが、果たしてそのような生活ができるかどうか、今後はどうなるのかねぇ。
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381、寒川神社・2013
1月4日(金)、相方にとっては寒川神社が氏神様のようなのでお参りに付き合ってきた。正月3日を過ぎたとはいえさすが相模の国・一宮である。
昨年の夏に来た時とは段違いである。御朱印をいただいたが何か豪華になった感じがする。
飾り付け、人出、屋台まで出て何から何まで違うなぁ、今回もお祓いをやっていただいたが、今年は私は還暦で厄年なのだそうである。
私はそういうのは信じなくて今までやってきたことはなかったのだが、本人に災いが及ばなくてもまわりに及ぶのだそうだ、そういわれて私もお祓いをやってもらった次第である。
しかし、大人数である。まず順番待ちで40分はかかった、一度に200人くらいをこなし、名前を読み上げるのにも3人くらいが一気に読んでいくから私の名前なんかいつの間に読んだことやらさっぱりわからなかった、が、相方の名前はおそらく坊さんが息継ぎの時に改めて読み始めたのだろう、はっきりと聞こえたね。
やっと終わって帰りは参道横で出店は並び焼きそばや、たこ焼きを注文して近くの大きな石に腰を下ろして食べてきた、こういうのも一つの風物詩なのであろうか、こういうところで食べるのだからおいしくいただく、ということもあるのだねぇ。
しかし、今までは食べた後のごみが必ず後ろのやぶの中に捨ててあったものだが、今は捨てる人は誰一人としていない、近くのゴミ箱に持って行ってきれいに捨てている、ここにも日本人として誇れるものを感じた。
私は世界を廻ったこともないのでテレビでしか知らないのだが、こういう文化は日本人として世界に誇れるものではないのかねぇ、うれしいものだ。
帰りの気持ちもうれしくなって戻ってきた。
夕方には戻って、今日から空手教室も始まったのだが、厄払いも終えて今年はまた新たに頑張れそうである。
380・2013年、謹賀新年
2013年も静かにあけて、我が家ではマンション屋上を開放するのでそこから初日の出を見て謹賀新年。
昨年は平凡な一年ながらも無事に過ごすことができて感謝の日々であった。
空手もそうながら毎日を健康で無事に過ごすことが、まず大事だということを思い直した年でもあった。
今年は景気がよくなりそうで、そうすれば習い事にも目を向ける余裕ができて空手界も活性化されるのではないかな、大いに期待できそうである。
希望を持って生きられるということは幸せなことだと思っている。年のせいか、大きな震災を見たから言うのか、おそらく両方だと思うが宗教家みたいな言い方になってきたが、別にそんなつもりは全くない。
ただ、感謝の気持ちを持つということが大きなウェイトを占めてきたように思える。
かといって一人一人にお礼を言うのもなかなかできることはないがそういう気持ちでいることは知っていてもらいたいものである。
今年も、この感謝の気持ちを持ちながら積極的に前進をしていきたいものだ。
どうぞよろしくお願いします、今年も明るく楽しい空手をやっていきましょう。
379、冬の称名寺
12月24日(月)、世間ではクリスマスイブ、朝から冬晴れで冷え込んではいるがおだやかな天気である。相方が仕事が休みなので、称名寺へ行こうか、ということになり急きょ出かけることになった、いつものことなのでもう慣れっこである。
蒲田から京浜急行・特快で30分もあればいけるのでそう遠くはない、ただ電車に乗るのですいている時間帯ではないと迷惑になる。今日は振り替え休日ではあるがこの時間はすいていてゆったりと座っていけた。
称名寺を開いた人が北条実時、墓もあるので名前くらいは知っていたが、先ごろさいとうたかおという漫画家が描いた「北条時宗」という中でなかなか重要人物として登場している。
改めて見直して今日はしっかりと手を合わせてきた。
称名寺裏山に墓があるのだが金沢北条とくらいしか認識はなかったが、お詫びも兼ねてお参りをした。
1か月前に訪れたころに比べると紅葉もすっかり散って枯葉のなかの散策となったがこれも一興、風流だねぇ。
風が冷たくて寒い・・・私の懐は年中寒い・・・(すみません、本音が混じったおやじギャグである)
さすがに今日は人も少なかったので頂上の八角堂ではゆっくりとおにぎりをほおばった。
今日は見晴らしもよく北東には横浜のランドマークタワー、西には富士、南にはシーパラダイスから横須賀湾・・いい眺めだねぇ。
今では何気ないこういうひと時に幸せを感じる、年齢の成せるわざか、単なる年寄りになったのだろうか。
思えば40数年前、平凡な人生は送りたくないと九州宮崎県から意気こんで上京して、挫折の連続の果てに今がある、
しかし、幸いにも住む家があり、伴侶があり、家族としてのペットもいてどこにでもありそうなごくごく平凡な日常を送らさせていただいている。
平凡な人生を平凡に生きることがすなわち非凡である。
どこかで聞いたような記憶があるが、言われてみればそうかもしれない。人間半世紀も生きていれば誰だってそれぞれの修羅場はくぐってきているのである。
今、宮崎県北の高校の同窓会のスタッフとして動いているが同年代ながら全く違う職種の人達との交流がありそれぞれ皆さんいい顔をしておられる、一緒にお世話をしていてうれしいねぇ。
詩吟の世界もそう、年齢に関係なくせわしく動いていて終わって一杯やるのが楽しいのである。
空手、もちろんしかり、空手のパーティーなどに出席して先生方との交流にも嬉しさを感じる。
そんなこんなの思いをしながらこの雑記をまとめているが、昨年に比べると今年はいい一年であったとしみじみ思うねぇ。
今年も、今月も、現在も、ただただ 感謝!である。
378、忘年会
12月16日(日)、選挙で体育館が使えないので納会を早めに行うということで、幕張本郷まで出かけてきた。
そうか、昨年はバーベキュー大会で屋外の公園で行ったのだなぁ、二年ぶりの室内かぁ。毎年行っているのが感覚がないな。
スペースから言うとこのくらいの人数がちょうどいいのだろうが、往年の幕張のイメージからするとちと淋しいと感じるのは私だけではないだろう。
ビンゴの担当も中学生がやってくれるようになってそれなりの年月というのを感じる。
早く始めたので案の定早く終わり、「先生、時間もあるので、久々にカラオケ、少し行きましょうか」というA師範の誘い、そういえばここのメンバーとは4年ぶりくらいかな・・駅前のカラオケ教室へといったが、案の定経営も変わっていて名前も変わっていたね。
皆さんのカラオケを聞くのは本当に久しぶりである。女性も加わって計7人、みんなのりがよくてどんどん歌う、久々にA師範、ノリに乗って「空に太陽がある限り」「タイガーマスク」「あしたのジョー」とレパートリーが続く、事務局長も珍しく「旅の終わりに」、私もマイクを握って、一連のアキラ節、締めはおはこ「あの娘たずねて」、おそらく30代の人はついてこれないだろう。
ま、それ以上の年代の集まりなので、みんなで歌ったりして楽しい時間を過ごした。
こんな感じで皆さん仲良くやって、また来年もよろしくお願いします。
377、高輪泉岳寺
毎年12月14日は早朝泉岳寺へ行って墓参りをして、御朱印をもらうことにしているが今年は4年連続していってきたことになる。8時過ぎにはお参りも済ませるのですいているうちに終わるので楽である。
今年は相方も一緒に行くということで初めて二人で行って来た。カメラマンを探さなくて済むので今年は写真を何枚も撮ってきた。
この時期はテレビなどでもこの討ち入りを扱うところも多い。一昨日のNHK「歴史・・・」でも大石主税や矢頭右衛門七などの若い義士を取り上げていて改めて感動したところであった。
しかしなぁ、平凡でもいいから人生を全うしたらどれだけ幸せだったかと思うのは私の勝手な思いであろうか。
墓に向かって手を合わせると享年18歳、可哀そうだねぇ。
今年は入口で線香を買ってみんなというわけにはいかないが主だった人にはあげてきた。
これが終わるといよいよ正月間近ということですなぁ。
376.晩秋の称名寺
11月20日、しばらく続いた寒さも和らぎ気持ちの良い日となった。
この陽気につられてか、称名寺へ行こう、などと急に言われて心の準備もないままにクウを連れて出かけることになった。そりゃぁクウは喜び勇んで飛び回ることだ、昨日は車の中が長くて運動らしいことはやっていないのだからね。京急のホームからわがマンションが見えるので今日はカメラもあるので記念に1枚。
金沢文庫駅で降りて称名寺についてみると、お昼頃でもあったのだがこの陽気だろう、たくさんの人出である。絵を画いている人がひぃ、ふぅみぃ・・20人近くもいてびっくりだ。
近所の園児であろう、団体で来てにぎやかに動き回っている。
私どもはいつものように右手の登り口から登って行く、こちらのコースは人がいないので助かる、のびのびと歩けるのである。
途中からまだ通行止めのテープが張ってあるが、以前よりも高いところにひいてあるのでくぐっていく人もいるのであろう、私どもも行ってみたが途中確かに手すりが落ちているところもあるのだが、別に通ることに不自由はしない。ここを直すには来年まで待たなければならないだろう。
お役所の仕事だから自己責任ということで暗黙しているのではないのかな。
頂上まで行ってみたが反対側からは結構な人が登っていた。
久々の八角堂である。
カレンダーを見ると10月2日に来ているがこの時は途中で引き返しているので、その前だと4月16日までたどらねばならない、半年以上の月日だね。
そこから降りて、金沢文庫駅から快速で戻ると30分もしないで蒲田につくのであるからなんという近さだ。
戻ってうどんをすすって戸塚の稽古に行ったのだが、今日も一日有意義に過ごしたねぇ。
帰るときりたんぽ鍋が待っており、テレビで演歌を聞きながら家族で食べる、平凡な一コマだがこれがありがたいのである。
今日も良い一日を過ごさせていただいた、感謝、感謝、である。
375、偕楽園
古(いにしえ)の人は民と偕(とも)に楽しむ、ゆえに能く楽しむなり 「孟子」
ここからきている名称なのだそうである。
日本三大名園としてよく知られた庭園で、私も30数年前に一度訪れたことがあったがほとんどが忘れている。
バックに千波湖を望んだが広いところだねぇ。
広すぎてどこから入っていいのやら途方に暮れていたがとりあえず、常盤神社の駐車場に車を止めて行ってみた。
この時期の後楽園はだだっ広いだけでたいしてみるほどでもなかった。おまけに犬は入場禁止なのでそとがわから眺めるだけで終わり、近くの常盤神社を詣でてその隣に東湖神社があるのにはびっくりした。
藤田東湖、幕末にあって「天下の藤田東湖先生」として知られ、西郷隆盛や橋本佐内などに大きな影響を与えた「知る人ぞ知る」、有名な先生である。
私が知っているのも詩吟に携わる関係からか、これを知った時は感動して偕楽園以上のものだった。
早速お参りして御朱印もいただいて来た甲斐があった。
常盤神社の中にある「義烈館」は、義公と呼ばれた徳川光圀公、烈公と呼ばれた徳川斉昭公を祀ったところであるが、中に入ると光圀公が編集されたとされる大日本史397巻、目録5巻の計402巻が展示されているのには大いなる感動を覚えたのである。
そのほか幕末三舟と呼ばれた、高橋泥舟、勝海舟、山岡鉄舟の三人の書が飾ってあるのにもびっくり、感動の連続であったね。
歴史に興味が無い人にはどうってことはないが、歴史が好きで詩吟に携わっている私には大きな土産である。
いやぁ、感動、感動の一日でありましたねぇ。
水戸といえば梅が有名で、この偕楽園の観梅も有名である。
お土産も梅にちなむものを買ってもどったが、今回も短い旅程ながらも中身がぎっしり詰まった大変有意義な行楽であった。
ワンコウもよいストレス発散になったであろうと勝手に推測をする。
良きかな一日、わが人生、である。
374、水戸の御老公
来春、相方の詩吟の会の吟行会が水戸に決まったそうで、その下見に行きたいということで私も付き合うことになり19日、水戸まで出かけてきた。
偕楽園、西山荘を訪ねたいということで、とりあえず西山荘のほうから行ってみることにした。
テレビでおなじみ「水戸黄門」光圀公が隠居して亡くなるまでの10年間を過ごされたのだという。
屋敷に入ると「よくおいでくださいました・・・」などと御老公が座って机に向かっている姿で自らの声で迎えて下された。
ここは私も「御尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます・・ハハァッ」というところであろうか。
昔の屋敷だけあって質素で、冬は底冷えをしてこんなところではさぞかし大変だったと思うのであるが、その時代はこれが当たり前であったのだろうと思われる。
中には、歴代の黄門さま御一行が訪れた写真が展示されてあった。
時は、紅葉の季節でちょうど見ごろできれいであったねぇ、テレビでは水戸のご隠居はここから旅立つのであるが水戸の城下からすれば結構な距離でそう簡単には来れまい、と思うようなところで意外であった。
時代劇ファンの私としては一度は訪れてみたかったところである、ワンコウは入場できないので、入り口の事務所で待機して交代で行ってきたのである。
その隠居所の近くに助さんの住居跡があるのでそこも訪ねてみたが、ここは井戸跡が残っているのみであった。
時間があれば、もう少しゆっくり見たかったのだが、その後の予定もあるのでさらっと見てきたのであるが、いあやぁ、これでまた一つすっきりしたねぇ。
帰りには御用達のお土産を買い求めて、ここを後にした。
373、日本武道館
11月11日(日)、東京九段下の日本武道館において、第44回全国吟剣詩舞道大会が行われ、私たちの会も、50人で行われる合吟コンクールに出場した。
普段の稽古でも50人が一堂にそろったことはないのであるが、月一回から二回、そろって練習をしてきたのである。
当日は全国からバスを仕立ててきてあの広い駐車場もいっぱいになり、九州から北海道から大阪、岐阜ナンバーなど続々と集まり武道館が結構一杯になるのである。
そして朝早くからあちこちで本番前の稽古で大声が響き一種異様な光景だね。
今年は全国から参加した48チームで行われ、私たちの出番は45番、結構待った、出番少し前にもう一度練習をしてから本番に臨んだのだが、結果を言えば、入賞はしたが特別入賞には至らなかった。
3年前には私たちの会の女子部が優勝しているのである。今年も優勝から第三位まで女子のチームが占めたのだが男性はむずかしいのかねぇ。
結果的にはダメだったが、ここまでの道のりはなかなかのもので、これが最後と思っていたがたまにはいいのかとも思ったりもした。
コンクールも終わって、特別企画があるのだが、これが大変に手の込んだものでなかなか楽しませてくれた。
私もこの世界に踏み込んで38年、始めたころは弱冠21歳、そのころは髪の毛が肩まで伸びており、後ろで束ねて幕末の志士よろしく奮闘していた頃である。
空手とともに続けて、今は、この経験が、専門誌「月刊空手道」に連載として掲載させていただいている。
まさかこんなになろうとは夢にも思いもせなんだが、今になって役に立っているのだから続けてきたことがよかったのであろう。
今では、愛犬クウと散歩のときにたまに軽く口ずさんだりもするのだが、まさに、よきかなわが人生・・である。