362・日光東照宮

8月13日(月)、夏休みを利用して、日光へと行ってきた。
40年近く前、観光バス会社でバスボーイのアルバイトをしていた頃、外人ツアーコースの乗務でトータルして200回は行った、というのは遠い昔の話で、その後日光まで高速道路ができてから、世界遺産となってからは初めてである。
 東京を出て,帰省ラッシュにもあって到着時間が少し遅れたが昼頃には着けた。お盆というのにこの混みようはさすが日光である。駐車場へ到着するまでに30分近くかかったのではないかね。
 あまりの込みように私と姪っ子は一足先に降りて東照宮へ向かい、中に入って眠り猫や、三猿の説明などをして早めに戻ってきた。
 以前は、陽明門などもっと光り輝いていたように感じるのだが、年月がたったからなのか私の思い違いなのか、思ったほどではなかった。
 ずいぶん道路も整備されて周りは変わっていたねぇ。それでも世界の日光である。
昔取った何とかやらで、神橋や、銅像の天海僧正や板垣退助の説明などを一応はしたのだが、私の自己満足か・・
 すでに午後3時を回ったので、奥日光は明日の午前中ということにして霧降高原にあるという、ペットと泊まれるホテル「アニマーレ」へと向かって温泉に浸かり夜はのんびりと過ごした。
最近はペットが同伴なので泊まれる宿は限られてくるが、それでもあるだけまだましなのかもしれない。
 この時期は満室で、ほかのワンちゃんがたくさんいた、私どものワンコウはしつけは自慢できないが吠えることや噛みついたりしないだけでもましであろう。
 慣れない環境、クウもストレスもあったのかもしれない、食べ物を戻したのにはびっくりした。
それでもつつがなく静かな夜を過ごした。

361、B級グルメの会

「いうまいと 思えど今日の暑さかな」
この言葉にピッタリに日々が続いている。
暇な老人たちが集まって、月に一度食事でもしようということでつけた名前がタイトルの表題の通りである。
値段は3000円以内の近隣の食事どころなのだそうである。
 メンバーは相変わらずのT先生、友人のKさん、仕方がないので賛助会員の私と、名前の割わりにはたったの3人。
 今回の担当が、Kさんで、雑誌か何かで見かけたからと言って、横浜市鶴見区の仲通り商店街の沖縄料理の店である。
 名前は沖縄の方言の店であったので覚えにくくて忘れた。
 私も沖縄の店に入ったのは初めてである。
 場所もわからないので、鶴見駅で待ち合わせてタクシー-で行った。
私も鶴見では空手を通して縁も深いので、沖縄の店はたくさんあるのは知っていたが入るのは初めてである。通称沖縄どおりなのだそうである。
 説明してくれるT先生に何にも知らないのでうなずくしかない。
混むといやなので昼をずらして入ったが、三人はすぐに入れた。
 メニューを見ると沖縄の料理名で書かれているのでさっぱりわからない、沖縄の地ビール「オリオンビール」を注文して飲み、その後はキリンビールを頼んで比べた。
 キレがある、だの酷がある、だのどこかのコマーシャルで聞いたような文句を並べてみんなしておつに入っていた。
話も弾み昼間から何本かあけてすっかり気持ちよくなってしまった。
 食事ではシンプルなところで沖縄そばを注文してみた。そばというには麺が大きくて若干の戸惑いはあったが、食べてみるとあっさりしていて結構おいしかった。
 
 第1回の集まりから、よかったねぇ。で、帰りは鶴見駅前の細君の店の「アトリエ」へ顔を出して挨拶をして戻ってきた。
 暑い日中、ちょいとしたお出かけであった。

360、熱海日帰り温泉

7月23日(月)、関東地方も久々に晴れ夏模様になった。以前からこの日は熱海へ日帰り温泉に行こうということになっていたので、姪っ子との3人で横浜駅から快速アクティーに乗って向かった。
 夏休みのせいか電車もそれなりの混雑であった。
熱海へ着くとさすが観光地、何か旅行に来た、という気分になる。
以前梅祭りなどで来たことも何回かあるが駅前の人でもずいぶん多く感じる、そういえば震災後に来た時は海の間近ということもあって少なかったのだった。
 さっそく下調べをしていたホテルへ向かったのはよかったがついてみると女性は大丈夫だが男性の入浴は午後3時からだという。これでは私一人が置いてけぼりになるのでキャンセルして、相方たちが詩吟の研修で利用しているという海岸近くのホテル「大野屋」へ向かった。漫画にでも出てくるローマ風呂があって有名だとかで楽しみに行ったが、フロントで「経営が替わって現在はやっていません」などと言われがっくり・・それだったら早く看板を外せよ!と言いたかったが、是非もない、次を探してとぼとぼと歩きだした。
 途中おなかもすいてきたし、寿司屋を見つけたので、入ってみるとお客は誰もいないが店員がくつろいでいた。
 熱海といえば海鮮物が有名だ、さっそく一押しだという海鮮どんぶりや寿司を頼んで熱海を堪能した。
で、店員さんに日帰り温泉をやっているところを知らないか?と聞くと建物は古いが、地元の人も通う源泉かけ流しの歴史のある「福島屋旅館」を紹介してくれ、地図までを書いてくれた。
 ありがたく礼を言ってそう遠くはない、「福島屋旅館」に行ってみた。行く途中さすが熱海だね、歴史を感じさせる建物があったので、わけもわからないが一枚写真に収めた、いいねぇ歴史の重みを感じるねぇ。
 で、着いたところが「福島屋旅館」ここも普段では来ないであろうと思うような昭和の初期に作られたような歴史を感じさせる温泉で、入浴料も安く地元の人が銭湯感覚で入ってくるようなタイムスリップをしたかのような温泉であった。
 一緒に入っていた常連の人によると、昔はちょん髷を付けていいる人が来ていたという、なぬ?・・・それはそれは歴史の歴史の深さを感じさせる温泉であった。
 確かに、皆さんが上がって一人湯船につかっていると、片田舎のひなびた湯治温泉に来ているかのような雰囲気を感じさせられたのである。
何回か熱海の温泉に入っているがこういうところは初めてで、今回は怪我の功名といおうか、思わないところで思わない経験をさせられて、これはこれでよい思い出となったのではないだろうか。
 その帰り熱海駅へ歩いて向かう途中、それなりの新しい雰囲気のある喫茶店によって現実的なかき氷などを注文して風呂上がりのゆったりとした雰囲気になれた。
それから駅前の商店街の土産物屋などをのぞきながら土産を買い求めて電車に揺られて帰路に就いたが、わずか半日あまりの出来事だったが何か一泊の旅行に行ってきたかのような気持ちに錯覚させられるような素敵な一日であった。

359、東麻布

六本木教室からこの春二人が昇段審査で初段となり、また新しい会員の歓迎も兼ねてお祝いをしようということで東麻布まで出かけてきた。
 地下鉄赤羽駅からすぐ近くで、早めについたので飯倉公園を散策してみた。町名由来板があり興味深く読んでみた。
 このあたりも結構由緒があって私は以前より興味を持っており、こういうところを散策していろんなことを知るのが好きだなぁ。
せっかくの説明も随分汚くなっており周りの植物も伸び放題で見えにくくなっている、もったいないことである。
飯倉公園の入り口には、バイクは入れないが車いすは通れるように柵が作ってある、珍しい、こういうのは初めて見たのでとりあえず撮ってみた。 
 今は飯倉片町の交差点にある麻布小学校で空手を教えているが、最初の頃はこの近くの飯倉福祉会館で幼児を教えていたこともあった。
 飯倉で教えて、麻布小学校で教えてから馬込に行き、一日に三か所、一人で教えていたのである。
あれから10年にもならないが、あのころは気力・体力ともにあったのだろうねぇ。
 麻布あたりは昔から歴史的にも色々と見どころがあるので好きなところでもある。
会場となった、「ファンゴーバンガロイド」飯倉公園の目の前にあり、すぐに分かった。
ここで8人ほどで個室を使ってゆっくりと食べながら話ができた。
 お祝いの二人は、先日の神奈川県大会に形試合に出場して刺激を受け、暮れの全国大会に再度挑戦するという、うれしいねぇー、毎日忙しい合間を縫って空手に通いながら試合に出ようなどとはおいそれとできることではないが目標を持つことによってまた生活に張りが出てくるものだろう。
 隣で食事をしていた人も時間の都合がつけば始めたいようなことを言っていた。
親子で始めて、そしてコミュケーションが広がればこんなうれしいことはない。
 ほかの人からも、家庭での空手の会話の内容など知らされるなど、私の勉強にもなった。
有意義な午後のひと時であった。

358、寒川神社

相模国一宮・とパンフレットには記載されている。説明では関八州総鎮護の神として、1500年前雄略天皇の時代に奉幣のことが記されて醍醐天皇の代には延喜式では、相模の国唯一の大社と定められ・・・云々、とある。
雄略天皇・5世紀後半の天皇だそうで、私の頭の中の日本史は645年の大化の改新からなので、もう、相当古い・・としか言いようがない。
 
 このたび細君の病気の平癒と健康祈願を兼ねて茅ケ崎で乗り換えて相模線、宮山駅で降りて徒歩10分・寒川神社へと行って来た、なんでここなのか?以前にもここにきているそうなのである。
 祈祷していただくのだが私はついでなので何を祈祷されますか?と聞かれ、とりあえず一般的な八方除でとお願いした。
 私は若いころから宮本武蔵の影響で「神仏は尊し、されど神仏を頼まず」なんてかぶれてきていたが、最近はごくごく自然に、道を歩いていれば野の仏にも自然と手を合わせるようになっている。
 神様に祈って健康になればそれもいいか、などと別段気にもしなくなった。
お札を見てびっくり、すごいね、寒川大明神とある、その札をもらって帰り、さっそく神棚に飾ったが、近所の蒲田大明神の札があるのだが仲良くしてくれるのだろうか、妙なところで心配をしたりして・・
 細君もおかげさまで元気になり毎日仕事をしているが、まだ、疲れやすいのが気になるくらいである。
それでもこの参拝で気が晴れたのか元気に戻ってきた。
お守りや、御神土,御神酒をもらってきた。
 拝んできたりすると心が晴れるよな、そういう一日であった。
帰りの途中川を超えるのだが、川をのぞいてみるとカモの親子が群れを作って泳いでいる、可愛いものである・・・私も変わった、このような光景をほほえましく見るようになったのである。
 午後から行ったので帰りを心配したが、夕方5時には戻ってきた、意外と近いものだね。
 御朱印帳にも記載が増える、しかしこれはスタンプラリーではない。
行ってお参りをしてきたあかしなのである。

357、コッカーカット

7月5日(木)、以前より予約していた、クウのカットに行ってきた。
コッカーカットというのがあるらしくどんなものになるかとりあえず頼んできた。
 11時に預けて引き取りに行ったのが3時半過ぎ、4時間ぐらいの作業だろう。
家でもやったことがあったがとにかく大変なのである、とにかくじっとしていないでそちらのほうが大変なのだが、さすが専門店きれいに仕上げてくれた、これでクウもさっぱりしたことだろう。
以前と比べると歴然である。しかし、これはこれでかわいいものだね。
 どうしても前のプウチャと比べるのだが、プウはたれ目で愛嬌があって何より賢かった、いろんなところで物わかりがよくておとなしかったがその分不憫でならなかった、もう少し本能的にわがままでもよかったかな、などと思っている。
 その点今のクウは、最低限のしつけだけで好きなようにさせている。寝ている私たちの上でも平気で乗り越えていくし、枕も共有で好き勝手にしている。しかし、同じ枕に頭を並べて寝るのだからそれはそれで可愛いものがある。
 これで今年の夏は過ごせるであろう。
サマーカットをしたクウである。

356、大田区総合体育館

6月30日(土)、大田区総合体育館のオープンセレモニーが行われ、誰でも入れたので近所でもあるし出かけてきた。
 区民体育館で4000人も収容できるところは東京でも少ないらしい。大田区体育館といえば、プロレスの興行でよく耳にして誰もが聞いたことのあってなじみのある体育館であろう。
 私も日防連の全国大会を行う前は、ここの分館で何回も上杉会大会を開いてお世話になったなじみのある体育館である。
 改築されるので、浅草のスポーツセンターで開催されるようになって久しいのだが、また、ここ大田区体育館に戻って行いたいものだと考えている。
 ただ、新築でもあるし、なかなか簡単には取れないとは思ってはいるが・・。今年秋の審判講習会は何とか取れないものか、これからあたってみる予定ではあるが、どうなることやら。
 ここで行えるようになったら私は大変便利だな、何しろ毎日、クウの散歩コースでもあるくらい近いのだから。
 入口の広場ではいろんな出店が開かれているし、スタンプラリーのゴール地点にもなっているらしい。
私のマンションの入り口もなっていて回るといろんな景品がもらえそうで、さっそく甘納豆をもらって、ちょいと一回りしてみようか・・とついいやしい根性が出てしまった。
東邦大学では昔の資料などがあり、今NHKテレビ「梅ちゃん先生」の舞台にもなっている病院である。合計8か所を回り歩いたね・・戻ってその夜細君に見せてあげると「あんたもひまねぇー」・・・・無べなるかな、返す言葉もない。
 ま、結構な運動になったのでいいではないか、何しろこんなことは初めてのことでありこれはこれでいい記念にはなったのである。
 
 今や話題の「梅ちゃん先生」、テレビで放送している割にはそれに見合った場所もないので蒲田に来てもそれらしき記念の地はない。
 モデルの医者の街医院は蒲田駅西口にはあるが、おそらく今もあると思うが、確かではない。
キャバレーや映画館などこの辺にあったというだけで現存しているわけではなく、蒲田も昔の面影はほとんどないのである。ただオープニングに出てくる川は呑川で間違いないとは思っているが、それとてなんともない只の川である。
 それでも今は話題の蒲田である。これからも活気づいていくことでしょう。
蒲田の住人としてもうれしいのである。

355、毘沙門天

私の名前は上杉勝巳、別に上杉謙信とつながりがあるわけではないが同性の好とでもいおうか、また、日本史を見渡しても歴史上の好きな人物は戦国時代ならば上杉謙信、幕末ならば西郷隆盛である。二人の高潔な生き方、志には私の目標とするところである。
 私の小さなマンションにはちっぽけながらも神棚を設け、そこには15年ほど前に上杉神社を訪ねた折に買い求めた、謙信公の旗印、毘と龍のミニチュアを飾っている。
 
 以前、試合の出場選手の家族から防具をつけて試合をしていると当会の選手がわからず、他の会の選手のように腕にマークをつけたらどうでしょうか、という意見をいただいていた。
 本来ならば会のマークを入れるのだろうが、戦う選手を鼓舞するように「毘」の文字を入れようかと提案をしたところ、それはいいですね、という言葉を聞き、注文した。
 しかし、せっかく注文するならばご祈祷をしていただくとなおありがたみが出るだろうと、近所の七福神で毘沙門天の神社にお願いしようと思っていたが、またまた、せっかくご祈祷料を払うならば、謙信公の墓のある林泉寺にお願いすればもっとご利益があるのではないかと考え、林泉寺に連絡を取って快く引き受けていただいた。
 頃はあたかも大会シーズン、善は急げ、とさっそく送って一週間ほどで霊剣あらたかなるワッペンとなって戻ってきた。
 御覧のように左腕の上のほうに縫い付けていただくとしっかりとしたものになるでしょう。
お求めいただいた皆さんに毘沙門天のご加護あらんことを願っています。
                                  6月26日、梅雨晴れの昼間

354・高幡不動尊

台風4号も過ぎ去った6月21日、以前から高幡不動尊のアジサイを見に行こうと声を掛けられていたので出かけてきた。ナビ検索だと蒲田から川崎へ出て南武線で分倍河原駅へ行きそこで京王線に乗り換えて「高幡不動駅」で降りるという。時間にして1時間半もかからず以外と近く感じたね、新宿周りを考えていたのでこれはちょっと遠いかな・・と考えていたのだけれど。
 そこで先輩諸氏5人と合流して早速向かったが、駅前が参道になっていてすぐ近くにあったのにはびっくりした、何しろ初めてなので楽しみにしていたのである。
 今一つは、ここは新撰組副長・土方歳三ゆかりの地であるのを知っていたのでいつかは来てみたいと思っていたのである。
 さっそく山門をくぐると土方歳三の銅像が目について感激をした。みんなとはぐれて写真を一枚、その後合流してアジサイ見学と散策となったが、今年は例年よりも遅いそうでまだまだの感はあったね。
それでも緑の中をゆっくりと歩くことによって良い気分転換になった。
 山内では御朱印をいただいたり、高幡不動孫と土方歳三の関係を知ることになったりと為になった。
そこを出てからは、近くの居酒屋で昼食をとりながらの話になったが、延岡出身の皆様方なので延岡弁が飛び交いながらの雑談であった。
 途中私は所用のため退席をしたが、今日も素晴らしい日中を過ごさせていただいた。
新撰組ファンの私にはまたの機会に来たいものだと強く思って、この地を後にしたものだった。

353、林泉寺

上杉謙信公ゆかりの寺、曹洞宗春日山林泉寺である。上杉謙信が幼少の頃長尾虎千代と名乗っていた時代、7歳から14歳までの7年間このお寺で修業したそうで、彼の一生の人間形成をしたところといっても過言ではなかろう。又後年、上杉謙信が修業を重ね,不識庵謙信を名乗ったところでもある。
 私も、もう15年ほど前になろうか、この地を訪れたことがあり謙信公の墓に参った時には感動を覚えた記憶がある。
 また、ここには、幕末の詩人・大槻盤渓(おおつきばんけい)がこの地を訪れ、上杉謙信をしのんで「春日山懐古」という漢詩を残し、その句碑がここに立っていたのを思い出す。
 詩吟の世界では有名な漢詩であるが、近々空手道連載「温故知新」でも紹介できようかと思っている。
実は私の実家の宗教も曹洞宗であり、道元禅師の開いた曹洞宗は鎌倉時代、武士階級に広まった宗教だとも聞いている。皆さんの実家の宗教を調べてみて曹洞宗であったならば先祖は武士であったと考えても間違いではないと思う。
 逆に現在、武道を行っている人の先祖を尋ねると、武士であった人が多いともいう。
そのような縁で結ばれた、この曹洞宗林泉寺だが、このたびわが上杉会館とも大きな縁ができた。
 少し長くなるのでそれは次項に譲るとして、今回はその縁となる林泉寺の紹介にとどめておこう。