時は元禄15年12月14日、江戸の夜風を震わせて響くは山鹿流の陣太鼓ひと打ち二打ち三流れ…
とおなじみのこの日は赤穂浪士の討ち入りの日で、高輪の泉岳寺では毎年この日は行事が行われる。
今年も、クウの散歩を早めに済ませ、7時ころに家を出て泉岳寺までお参りに行って8時過ぎには戻ってきたが、
京急蒲田に住んでからは、京急線で直接行けるので大変便利で簡単に行けるようになった。
泉岳寺に着いてみると当然早過ぎて露天商のみなさんは準備でおおわらわ、小雨の中ご苦労様である。
お参りをして、社務所で御朱印をもらおうと行くとまだ窓口に鍵がかかっており呼び出して記載してもらったが今年は私が一番のりだな、若い坊さんが一生懸命に記載してくれたが早くから気の毒なような・・昨年と違って文字が新人の記入であるが、慣れない人が一生懸命に書いてくれたようでこれはこれでありがたい。
毎年この時期は、忠臣蔵である、それに合わせるかのようにテレビや舞台などでも上演されるが、私もその関係の場所には行っている。
両国の吉良邸跡でも行事が行われる、ちと淋しい人出ではあるが・・。
南部坂雪の別れとなった場所へも行ってみた、道中この坂を歩きながら大石内蔵助の胸中を思いながら歩いたものだった。
しかし、事の発端は,殿中松の廊下の刃傷沙汰が始まりなのだな・・あの時浅野内匠頭が切り掛からなかったらこのような大事件には至らなかった。
この浅野家には癪持ちの系統でもあったらしい、辛抱さえすれば・・・
何事にも、たら、れば・・はつきものだが・・これが歴史である。
小雨も午前中には上がって行事がうまくいったであろう、この日は行列行進なども予定されていたそうで、何よりであった。
さぁ、これが終わるといよいよ年末に向かって一直線だな。
今年も正月に向けてまっしぐら…である。
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331・大楠山
大会後の解放感もあり、好天に恵まれた12月12日、ちょっと出かけようかということになり、クウもいけるところというと限定され、何年かぶりだが大楠山に出かけようということになった。
さっそく車を借りてきてクウも同乗していざ横横道路へ・・平日ということもあってスムースに行けた。クウにとっては初めてで不安なのか、私どもからそう遠くまではいかない。ここがプウチャとは違う、プウチャは見えないところまで行き呼んでもなかなか来なかった。これはこれでいいか・・
段差のあるところを歩いたがこんなにあったのか・・意外と距離があるものだな・・などと木漏れ日の中を歩きながら思いながら、これも何年かぶりなので忘れてしまったのだということであろう。
ようやく山頂に行くと360度の眺めが素晴らしい、ここは標高は242メートルなのだそうだ。
眼前に雄大な富士が見え、遠くは筑波山、スカイツリーまでもが見えるそうである。
年配の人が何人か来ており、元旦の日の出には百人を超す人がご来光を拝むのだそうである。山頂に売店がありそこのご主人に聞いた話だが・・
で、しばらく休んできた道をゆっくりともどり、帰りは近くの道路端に野菜売りますの看板を見て、地元の野菜をしこたま買い込んだ。
三浦大根や、地元産の野菜は新鮮に見えさぞかしおいしいことだろう。
近くに、広場に設置されたレストランがあり、屋外の空気を吸いながらシラスどんぶりを注文した。
どっさりとシラスが乗っかっておりおいしくいただいたね。
そして夕方には戻れるよう後にしたのだが、横浜の高速道路では事故渋滞にあい、簡単な距離を30分もかかったね。
戻ると程よい疲れと満喫感で良い一日を過ごさせてもらった。
これでこれからの年末、気分新たに迎えることができるというようなものである。
330、バーベキュー
全国大会も無事に終わって、一息ついた次の日は日曜日で幕張本郷の稽古であるが、今年は早めに納会を済ませ、郊外でバーベキューをやろうということで計画をしていたそうである。
私は話は聞いていたが出席するだけなので、何も準備はしなかった。
しかし、天候だけは気になっていて、一昨日のように気温が低いと風邪をひく原因になるな、昨日みたいに雨が降ると中止だな、などと心配はしていた。
昨日の大会でも朝の雨で準備が遅れるなどしたが、ついでにバーベキューもどうなのかな?などと心配したものだった。
ところが今朝がた目が覚めてみると澄み切った空が広がり行楽日和、大変うれしく感じたね。
これでは問い合わせるまでもない、決行だな。
昼に津田沼に到着すると迎えに来てもらって、近くのバーベキューのできる公園へ連れて行ってもらい、すでに準備OK,さっそく乾杯から始まった。
いやぁ、よく人がいるわ、中学生も来ていてこりゃぁ相当な肉が必要だろうなどと推測したりして・・家庭から皆さんがたくさん持ち寄っておいしいおにぎりや、ホタテ、シシャモなど私には経験のないバーベキューである。
しまいには、マシュマロをあぶって食べるなど、経験したことのない食べ方をしたりしてびっくりである。
途中でビンゴゲームを挟んで改めて盛り上がり、最後には山本さんが、何年か前の合宿以来の沖縄の三線を聞いたりしてお開きとなった。
大会が盛会のうちに終わった翌日で、スタッフのみなさんは連日でさぞやお疲れだったでしょう。
買い出しから、セットの準備、終わればその後片付け、とてもじゃないが皆さんの温かいご協力が無ければできることではありません。
当会は人間味のあふれた素晴らしい団体だとしみじみ思います。
この素晴らしい縁に、改めて感謝!
329、伊豆
毎年この時期は、一泊でどこかへ出かけるのだが今回は、相方が伊豆の手配をして車で行ってきた。
車がないのでレンタカーを借りたが、何ともかわいらしい車を借りてきたものんだ、魚のマンボウみたいに後ろがないじゃんか・・私も運転するのだがハンドルは小さいし、何となく違和感があったのだが、少しすれば昔取った何とかではないが順調に行ったね。
カーナビでは西湘バイパスから真鶴半島経由をさしたのでそれにしたがって行ったが、途中熱海では、今年の5月大震災直後に行った、ローズガーデンによることになった。
今回はクウも一緒で、途中にドッグランのようなところもあってそこへ寄って一休み。
目的のホテルは伊東市にあり行くまでに迷ったりしたが夕方にはついた。
犬も一緒に泊まれるホテルで近くを散歩したりして結構クウも喜んだのではないかな。
温泉風呂からは、伊豆七島が眺められるそうだがあいにくの曇りで、近くの海が見えただけであった。
翌日は、近くの大室山の駐車場で近くを散策したりするくらいで、また帰りは延々とドライブである。
戻ったその夜は永年の友が九州に引っ込むことになって何人かで送別会であった。
月刊空手道、今月号で掲載されているが、彼こそが大学時代下駄にはかま姿で通ったという強者である。
どうぞなみなみつがせておくれ、花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ!
それほど感傷的ではなかったが、同じ九州、それも隣の県である、いつでも会えるわな。
大会前のひと時バタバタと気持ちだけは忙しく過ぎていくような・・
そういえば、演武会も待っている、風邪っぽい気もするがそうも言ってられない。
ファイト!ファイトの毎日である。
328、紅葉には程遠く・・
「紅葉(こうよう)に行こうよう・」・・ドン引きするようなダジャレを聞いて、ったく恥ずかしいッたらありゃしない。
10月31日、素晴らしい天候に誘われるがままに出かけた。
どこがいいかなぁ、川崎の民家園に行ってみたいね、即決で勇んで出かけたのはよかったが、月曜日は休日の張り紙が・・しまった休日をよく確認しないのがいけなかった・・・不覚。
せっかく来たのだから周りでも歩いて帰るか、そう話して歩き始めた。裏が枡形山で頂上が展望台になっている、一路そこを目指すことにした。
途中民家を外から眺めながら歩きながら到着した。
ここ、枡形山はかつてここが山城であったという。源頼朝が鎌倉幕府を開いたころ、重臣として活躍した稲毛三郎重成がここの城主であったという。
その後、室町時代山内上杉の討伐を狙っていた北条早雲がこの枡形上に入ったという、私の大好きな話となってきた。そして扇谷上杉と多摩川の河原で戦ったという記録もあるそうである。
ふうむ、・・兵どもが夢の跡・・・しばらく感慨にふけった。
そういう思いで展望台から遠くを眺めれば、新宿や、スカイツリーまでもが見える。
城になるくらいのところであるから眺めがいいのであろう。ちょうどここを一回りしていい運動となってきた。
駅前で食事をしたのだが、近くに大学があるとかで学生の街らしくリーズナブルなところばかりだったね。
そうやって戻っても夕方には間に合った。
ちょうどいい気分転換にもなって手ごろな距離である、これからもたまには来るかもしれない。
何より民家園が休日であったので、もう一度は来るだろう。
しかし、今日はこれはこれでよかったと思う一日だった。
10月も今日で終わり
327、六本木教室
六本木、麻生小学校で空手を教え始めて10年近くになろうと思うが、土地柄か転校生や、習い事が多くて空手を途中でやめていく人も多くて黒帯まで続けられる人もいなかった。
そんな中で今回、黒帯に昇段した人が一度に二人誕生した。
上杉会館のニュース欄などでも、他の教室の昇段祝いなどが掲載されているが、六本木教室でもお祝い会を開きましょうという話が出て、私は水曜日は六本木の後は大田区の馬込まで行って指導という曜日なのであるが、この日は馬込が使えず、休みということがわかっていた。
じゃぁ、10月26日、この日に稽古の後に行おうという話がまとまり、この日を迎えたのである。
子供も参加してお祝いとなった。
小学校6年生の吉橋陸君、3歳で東麻布の福祉会館で行っていた時から入会して始めたとだという、・・どれだけのキャリアだ?
今回お母さんへ、という感謝の手紙を書いて皆さんの前で読んだが、せっかくの名文章だから、会員だよりのコーナーで取り上げようと私の提案で掲載することになったので、内容はそちらで確認してください。
少年らしい素朴で素直な文章です。本人が大変照れていたので匿名という条件で承諾を得ました、が、写真はばっちり掲載の予定です。
今一人は村田真さん、この姿で私より一歳しか違わないというからびっくり、しかし、年代的にもブルースリー世代、若いころは少林寺拳法を習っていたそうです。
今は息子と一緒に来ていますが、自分が始めたくて子供はそのだしに使われているという・・・しかし、その息子も同級生とがんばっているので楽しんでいるようです、家族で続けられる、これが理想かもしれませんね。
お祝いも,幹事から質問コーナーなど楽しく進み、私にも詩吟を一つ聞かせてください、と言われ発声練習もない中で、少年老い易く~でおなじみの朱熹作「偶成」を紹介させていただいた。
詩吟を聞いたことのない人ばかりの中で少しでも知ってもらうのにはいいかと思ったね。
ここ、六本木教室も来年には黒帯受験を控えているお母さんもいて益々の期待がかかるところです。
それはまた来年の楽しみとして、今夜は二人のお祝いで皆さんたのしく盛り上がりました。
改めて二人に乾杯!
326、六本木の夜
六本木には昼間の稽古で9年ほど通っているのだが、水曜日は六本木教室の後、大田区の馬込まで戻って夜の空手教室があるので、夜までいることはないので、昼と夜の顔の違いがピンとこないのである。
「瀬里奈」ステーキの店で本店があるのである。その昔芸能界の頃、ここで食事ができるようになると一流になったと実感であるということを聞いていたが、それから・・十年。
前を通ることはあっても入ることはなかった、もちろん入ろうと思えば入れないこともないのだが別にここでなくても蒲田でもよいしそれほどのこだわりは最近はなかったが、ま、一度くらいは・・と思っていたところ今回その機会がやってきた。
入ってみるとなかなか荘厳ではあるが,階段が多く、バリアフリーの現代では今風ではないな、と変なところが第一の印象であった。昔はこんなところに手が入っていて豪華さを演出していたのだね。
バブルのころはこの広いフロアーが満席になっていたことだろう・・。
案内されてそれなりのコースを注文してとりあえずはビールで乾杯。
コースで運ばれてくるのを、係りに断ってから写真に収めた。豪華でちょっとリッチな気分・・マツタケなど旬なものまで出てきて、さすがだねぇー。
しゃぶしゃぶも出てきたが、私の地元蒲田で、定食などで食べるものとは,厚さが違ううまさが違う、やっぱり値段のほどはあるね。
で、コースを終わるとおなか一杯になり、次に向かったのは六本木といえば有名なロアビルがあるが、その4階にあるサウナで一汗流した。
岩盤のサウナで、以前福島県の「やわらぎの湯」に湯治に行ったことを思い出した。
平日ともいうこともあって意外とすいていて気持ちよく入ってきた。
で、終わってからは、サウナ上りといえば、シロップたっぷりのかき氷だね、。
かくて素敵な夜を送ることができた。
え、六本木でこれで終わりかって?
そうなんだね、健全な人はこれで終わりなのだ。
325、合宿パート3、無事に終了
3日目の午前中は、二日間のおさらいである、型を一つ覚えて帰り、組手も一回りたくましくなって帰る。
各自各様のお土産づくりである。そういう意識のない人は・・楽しんでもらえてまた空手を好きになってもらえればそれでいいか。
朝、富士が見えているときに集合写真を撮っていたので、昼食後は流れ解散となった。
帰りの東名高速は三連休の最後の日で事故渋滞にぶつかって一時間は余分にかかった。
合宿所では各自持ち場の清掃を行うのだが、来た時よりも美しく・・武道場の周りを掃き掃除してまた来年にやってきます。
ここは食事もおいしくて、たいがいの人が太って帰る、ついつい食べ過ぎてしまうのである。
富士山のふもとで空気がおいしい、以前、六本木から参加した小学生の言葉だが、確かにそうなのである。
主催者としてイベントで一番怖いのは事故なのであるが、今年も何事もなく皆さんが楽しんで帰ってもらって何よりである。
終って家へ戻ると気持ちの張りが一気に抜けて疲れがドット出てくるのですねぇ、しばらくはのんびりしたいところである。
それにしても当会も幹事の方やスタッフなどずいぶんと増えて、館長は大助かりです。
合宿までの準備は相変わらずだが、当日になると、皆さんが分担してよく動いてくれて私は子供たちの話し相手になっていればよい・・本当に感謝感謝です。
皆様、本当にご苦労様でした。
324、合宿パート2、燃えろよ燃えろ
2日目は、丸一日の稽古となり充実した一日を過ごした。特に戸塚の人は他の教室の師範に教わることにより大変勉強になったことでしょう。
今年は幕張本郷からビッグミットを持参して一般は張り切ったぞー、組手も行うなど今年は一般の参加もあって結構な勉強になったことでしょう。
また、幕張のHさんが「せっかくの合宿で黒帯の先生方がたくさんおられるので、ぜひ、型を拝見したい」という要望があって稽古の終盤に黒帯全員が型を披露した。
有賀師範、上杉館長も会員の前でちゃんと行ったのは記憶にないほどである、また、一つ皆さんの思い出になったのではないでしょうか。
黒帯の人もいついかなる時に頼まれるかもしれません・・・普段からの精進が大事ですねぇ。
稽古も終わって夜は楽しいキャンプファイヤーである。大人の人がマキを組んだりリヤカーで運んだりしてくれて楽しいひと時を過ごせました、この感謝も忘れないでください。
マキが組まれていよいよ点火、みんなで「もえろよ もえろ」の合唱であります。
その後、各教室の自己紹介や、代表による歌、蒲田では校歌のほかに陸君が「線路は続くよどこまでも」
を独唱いたしました、なかなかできることではないですよ。
その後は、恒例のじゃんけん大会、今年はAKB48も行いましたねー(関係ないか・・)
今年の優勝者は、蒲田教室の小坂瀬那君ゲームの名前は忘れたが、じゃんけんで相当なものをゲットしたことは大変なことです。
今年は雨も降ってこないで最後まで楽しく終えて無事解散となりました。
何人かは残って最後の火の始末と、マキの始末。誠にご苦労様でした、で、そのあとはご苦労さん会を行って無事終了。
323、2011、合宿パート1
今年も合宿の季節となり42名の参加者で富士山のふもとの青少年交流の家で行われてきた。
この場所も、毎年のことなので結構慣れてきて使い勝手もわかり安心して行えるところである。
今年は、新しいメンバーも増えて新鮮な感じもした。
戸塚教室は相変わらず今年も多く18名の参加者である。今年は蒲田からも参加して、六本木からも一人ではあるが参加してきた。幕張本郷、川崎、生麦、の各地区からの参加者で合宿らしい交流が図れたのではないだろうか。
今年は裏幹事のA師範が一泊ながら参加したことにより、なごみの輪が広がり初参加の若手など親近感を持ったのではないだろうか(カメラを忘れたのが残念)。
一泊目のビンゴゲームでは、大人の参加者も多いということで、Tシャツや空手着の提供もあって、中には両方獲得した家族もありこれだけでも参加した甲斐があろうというものである。
サッカーゲーム盤をあてたT君なんかさっそく部屋で組み立てて部屋の子供たちとゲームに興じていたなぁ。
合宿の楽しみは、みんなと同じ部屋に寝て語らうことである、特に子供たちは他の教室の生徒ともすぐに仲良しになって楽しく遊んでいた。
また、この合宿所では、朝方に宿泊者が集まって「朝の集い」を行うのだが、今回は夕方も集まって「夕べの集い」も行っている。そこで簡単なゲームをやるのだが、当会は全部出席をして、2日続けてゲームの金、銀、銅メダルを獲得したのにはびっくりした。
メダルも漫画家の松本零二デザインのちゃんとしたものであるところが価値がある。
かくて一日目が終了。