502,大楠山

 大会も終わってひと段落のついた12月7日(月)、天候もよく細君の休日でもあり、大楠山へ出かけようという話になりワンコウは大喜び、出かけた。
 私は何年ぶりになるであろうか、横須賀にあって標高241,3メートルなのだそうだがだらだらと歩き続けるようで私は先週の称名寺がちょうどいいと思っているのだが、細君の希望である。これも「オス」の精神なのかねぇ。
 平日で人が少なくて歩きやすくワンコウも大喜びである。

途中では晩秋の風情を味わいながら登って行くのだが今年も終わりだねぇ。
 1年の振り返りはまた後にするとして、上りながら先日の松田さんや、長年の東京から横浜への引っ越しなどを思いながら忘れられない年になったなぁ。
 
 ようやく頂上にたどり着くと天気はいいが遠くはかすんでいて富士山も見えなかった。持ってきたおにぎりをほおばるのだが何気ないのが幸せなひと時でもある。
くだりは早い、この分では昼過ぎに自宅に戻れるようなので、降りて立石海岸の駐車場に車を止めて砂浜を散策したり、海を眺めたり・・
 ここで一吟・・イヤイヤ、少ないながらも人もいれば駐車場の下である。

よくホテルなどに行くと、高歌放吟はご遠慮ください、なんて書いてあるのだが、その通りで、迷惑この上ない。私も十分認識しているつもりだ。
 だけど人間、海に向かうと叫んでみたくなるのだねぇ、昔の青春ドラマの定番だね。
そこで休憩をして途中農家の自家製野菜の直売所で三浦野菜を買いためて戻ってきた。
 
鶴見駅の手前に、マックのドライブスルーというのがあって車に乗ったままマクドナルドハンバーガーが買えるのだそうである。言われるままに運転したが、なんとまぁ、便利なものがあるものよ。
 話には聞いていても実際となると一人では来れないし来る気もない。
で、これが遅い昼食になった。
 なんだかなぁー。最近亡くなった男優さんの口癖だったそうだが、そう思ったねぇ。
いろんな意味でリフレッシュとなった日中であった。

501,私は忘れない

大会前の土曜日、11月28日(土)、川崎教室の稽古にいつものように出かけ、早めに来た松田さんと子供の進路などの話をして稽古に入り、基本では子供の指導で離れて指導をしていてそのうちにめまいがするそうで座り込んで、体育館の隅に移動をして横になって休んでいた。
 私も以前にも調子が悪くて隅で横になったこともあったので、仕事で疲れているだろう、くらいにしか思っていなかった。休憩になって横になっていた松田さんに「大丈夫?」と声をかけたのだが無反応でそのうちにいびきをかきだしたので、あわてて救急車の手配をして、大人の人は道路に出て救急車の案内をするなどした。
奥様にも連絡をしてきてもらったのだがその時までは脳梗塞かもしれないが手配も早かったので手術になって後遺症が残るかもしれない、とそのくらいにしか考えていなかった。
 次の日が日曜日なので幕張の稽古が終わって戻り見舞いに行こうかと考えていたのだが、夕方、電話があってそのまま亡くなったという知らせを受けた時は全然信じられなくて、戻っても病院でバタバタして迷惑になると思いその後の連絡を待った。
 その後、通夜が火曜日で、葬式が水曜日という連絡が入り、火曜日の夜、通夜に出かけたのだが、つい3日前まで話し込んでいたので信じられず花に囲まれた遺影を見てもまだ半信半疑で家族のみんなもそうだと思うし、奥さんの挨拶にも未だ現実が理解できないようなことも言っていた。
 次の日葬式の時、カメラマンらしく海外の写真の展示がしてあったがその真ん中に黒帯とともに空手着が置いてあり、お別れのとき棺の中に空手着もおさめられ、私は花とともにその空手着をそっと撫でてやった。

 現実なんだねぇ・・・泣けた。家族の子供たちが我慢しているのにここで泣くわけにはいかないが隅に行って改めて泣けた。こんなことがあるのだねぇ。
 
 思えば平成18年、幼児だった長男とともに入会をして、その後二男、三男と入会をして親子4人で稽古に通ってきていた。
 その当時の川崎教室は大勢の会員もいたが、川崎という土地柄か個性の強い人が多くて、2度、3度と離散を繰り返した。
当然彼も誘いを受けただろう、しかし、そんなことはおくびにも出さず粛々と稽古に通い、黒帯となって子供の指導員として私が休む時は進んで面倒を見てくれた。
 子供たちが大きくなるにつれ、一人だけの参加も多くなったがそれでも来てくれて子供の面倒を見てくれ私もずいぶん助けられて感謝をしたものだった。
 稽古ではミットを2つ持って子供一人一人を相手に一緒に動いては疲れたぁ、と言っては満足そうな顔をしていた。
合宿では自宅の車で子供たちを搬送するなどよくやってくれた。
 11月に我が家で引っ越し祝いをしたときは、ティラミスのケーキをおいしそうにほおばっていたねぇ。


思い出にはきりがないが、本人が一番実感がないのではないかねぇ。
空手の稽古中に気分が悪くなって横になってそのまま眠りにつき目が覚めないまま天国へ旅たった。
 今頃は天国で目が覚めて、俺は空手の稽古をしていたのに何でここにいるんだ?と思いながらキョロキョロしているのではないのかねぇ。
下界への降り口を見つけたならば、いつでもいいから降りてきてよ、待ってるよ松田さん。 

500,富士五湖・西湖行き

11月16日(月)、紅葉でも見に行きたいね、ということで何の気なしに車で出かけ、箱根か河口湖あたりへ行こう出かけたのだが途中東名に入ると珍しく渋滞をしていて(月曜日だからいつもかな?)これでは夕方には戻れないので、泊りの手配をした。
 ただ、軽い気持ちで出てきたので、家のシャッターはそのままで、夜の生麦の稽古も出るつもりであったので、あわてて指導員に連絡を取って都合がつき、シャッターも店の従業員に頼んで事なきを得たので安心して泊りに手配をしたのだが今度は突然の宿の手配で次々と休業日ということで断られ、ようやく7件目にして予約が取れたという、相変わらずの行き当たりばったりの体たらくである。
 富士五湖の西湖のほとり「サン・レイク」ということでとりあえずそこへ向かい河口湖を経てたどり着いた。ワンコウ連れなのでなかなか見つかるものではない、ほっとしたね。
 河口湖の道の駅へ車を止めて湖畔へでて周りの紅葉を見て満喫したねぇ。その昔,「湖愁」という歌が大ヒットしたのを覚えている人は少ないだろうが、私のカラオケのレパートリーの一つで大好きな歌である。

 軽く口をついて出たが、いいねぇー♪♪~水に浮かべる~木の葉船♪♪~愁いを帯びたその文句に共感を得て・・・この時期にピッタリである。
そして西湖へといきホテルへ着くとそこはまさしく「湖畔の宿」、オイオイそこまでくると戦前の歌ではないか、さすがに知っている人は少ないであろう、私とて高峰三枝子さんだったと思うが、知ってはいても歌ったことはない。
 ま、どちらにしても風情のあるところである。
キャンプの施設が整っていて、夏やゴールデンウィークに適している。一度、グループで来たいものである。
 グループといえば私どもの最初の合宿は山中湖の近くの民宿で行い、朝方は山中湖へ出て写真を撮ったりしたなぁ、あれは何年前か・・
今の合宿は富士山ろくで行っているがその前だから10年近くなるのかねぇ。
 当時のメンバーもまだちらほらとは残っている。
あの時は民宿に泊まってバーベキューを行ったりしたので高くついたが、いい思い出だねぇ。
 空手も長いことやっているといろんな思い出が残る、それもみんな楽しい思い出ばかりが浮かんでくる。懐かしいねぇ・・・
 閑話休題
西湖のたもとでも富士山がきれいに見えるスポットがあって大勢の人が来ていたがあいにくこの日は曇り空で、今一であった。それでも富士山の裾野部分が垣間見えたがね。
 翌日、かみさんの友人が甲府にいるということでついでに足を延ばしていってみたのだが、河口湖から新しいトンネルができていてずいぶんと近くに感じたものだった。
 私が引っ越し会社時代に中央高速もよく通ったものだがあのころとは比べくものがない。
当たり前だ30年もたっているのだからねぇ。あのころはカーナビもあるはずもなく、地図を片手に必死に道路を覚えていたものだったが今はカーナビの案内のとおりに行くので、覚えないねぇ。
 甲府からの帰りは、時間を気にしたのだが、なんと3時間ほどで鶴見の我が家へ着いた、それも迷いながらである。カーナビがついていて迷うとはおかしなものだが、使い方に慣れていないのでいろんなルートを検索するのを知らなくて適当にタッチしたら遠回りのルートだったらしい、途中おかしいと思って検索し直したのだが、便利なものも使い方を誤ると逆に面倒になってしまうのだねぇ。
 それでも間に合って戻りその後の用をこなしたので問題はなかったのだが、思いがけず、紅葉を堪能できて素晴らしい二日間であった。

499,11月3日

言わずと知れた「文化の日」、戦前は明治節といって明治天皇の誕生日で盛大にお祝いが催されたのだそうである。またこの日は、晴れになる確率がぐ~と高く屋外行事もたくさん行われる。
 我が家でも、横浜市に引っ越してきたお祝いを会員の有志を呼んで行った。都合13人かなリビングに集まると蒲田のマンションに比べると広いとはいえ、それなりにいっぱいであった。
 普段は顔を合わせることもなく、大会などであってもそれほど話し合う時間はない、合宿に参加すればそれなりに話をすることはできるのだが全員がそろうということはない。
 そういう意味で久しぶりにゆっくりと話ができる機会でもある。入会したばかりの人もいて自己紹介なども行うなどまた新鮮な面もあったねぇ。


 蒲田時代に空手を教え始めて26年、今でも活動拠点は東京なのだが横浜に転居したからには神奈川県も発展させなければならない、こちらにも力を入れていこうかね。
 皆さんに我が家を案内して盛り上がり映写機が残っている部屋では、またその道に詳しい人があれやこれやといじってもらってなんと映像が映るようになったのにはびっくりした。配線を捨てずに取っておいてよかったねぇ。
 趣味の世界というものはいろんな職業の人が集まるので楽しいのだが、こういうところにもその良さが表れている。
料理も昼間金城さんと「コストコ」という大型店で大量に買っていたので十分足りたようである。豪快に食べる人、ちょこちょこ食べる人それぞれである。佐藤さんには焼酎の「赤霧」を差し入れてもらったが、私の地元、宮崎県の焼酎で今はなかなか手に入らない代物である。

そうこうして皆さん充分飲み食いをしたことである。
 それでも余るほどで、実際に余ったのは皆さんに持って帰ってもらったのだが、ピザなど箱ごと残り電車で持って行った人もいた。
夕方5時ころに大変立派な花が届いてびっくりしたのだが、これは今日出席していない人も含めてみんなで出し合ったそうで花屋が届けてくれた。
 
今日11月3日は私どもの結婚記念日で、「おめでとう」というわけである。
思えば2009年11月3日、この年で恥ずかしさもあったが、蒲田で結婚式を挙げ、当時の各教室の皆さんからお祝いしていただいた。幕張本郷教室では当時のみんなが寄せ書きをしてくれて今日はそれを持ち出して記念写真である。
改めて読み直してみるとみんなの顔が浮かんでくるが、ほとんどの人は現在はいないのだがみんな元気にやっていることと思う、懐かしくもあり、うれしくもある。
 今日もまたこうやって皆さんにお祝いしてもらうと素直に感激をする。
空手を始めて、紆余曲折を経ながら続けてきたが、改めて続けてよかったねぇ。
 また今後も皆さんとともに頑張っていきたいと思ったのである。
みなさんありがとう!!
 

498・港の見える丘公園

細君はここ2,3か月休まる暇もないほど働きづめではたから見ていても心配するほどである。
 先月の有馬温泉旅行でも、店舗の引っ越しで一緒に来れなくて留守部隊とともに引っ越し作業で活躍していた。大きい仕事はひと段落したが小さいことがまだ残っており頭を痛ましているようだ。
 
 そんな中、今日は予定が中止になって空いた、ということで気晴らしにドライブに行こうということになった。ドライブといってもワンコウ連れでは行けるところは限られてくる。
 横浜に転居したことだし手軽で身近で、ということで「港の見える丘公園」へ行こうということで出かけた。車も家の庭に納まらないほどの小型車なんだが、私には何としても運転しづらい。
 これとて、細君の意思でかわいいから、ということで資金を出して買ったので私の出る幕はみじんもない。
車庫入れが当然頭痛の種で、しばらくは私の担当である。
 しかし、世間の車庫を見ると、こんなところに縦列でよくぞおさめた、という車をたまに見かけるがそれに比べりゃ、まだまだ私の運転不足である。
 港の見える丘公園でワンコウ連れで出かけたのは久しぶりだねぇ。
バラ公園にも少し残っていたが、バラが大好きな細君に言わせれば秋のバラは小振りなんだそうである。何も知らない私は聞くだけであるが、ワンコウとぶらぶら・・そちらに余念がない。
 とりあえず定番のところで写真に納まってまたぶらぶらと歩き、公園前の駐車場の車で写真に納まったが、細君のほうが様になっているようだが当たり前だ、細君の好みで買ったもので私にはずいぶん小さいようだものね。

 仕方がない、この窮屈さに慣れなければいけないのである。
そんなこんなでたわいもない半日を過ごしたのだがこれで少しでも気分転換になれば、私の運転も救われようというものである。
 ちなみに帰り鶴見でマックのドライブスルーに入ったのだが、初めての経験でずいぶん便利になったものだねぇーと感心しながら戻って終わった。
 10月20日、秋の日中のひと時であった。

497、六甲山から元町へ

翌9月29日(火)は、有馬温泉の後、ロープーウェー駅まで送ってもらい、ロープーウェーからケーブルカーに乗るなどして今度は神戸の山を堪能したねぇ。

 私も何度か神戸に来たことはあるが、このような乗り物は初めてである。もう少し後になると絶好の季節だろうがそのころは満員過ぎてこれはこれで遠慮したいところでもある。
とりあえず、来て乗った、これでも満足なのである。
ケーブルカーで降りて神戸までバスで行って、元町から中華街と、横浜かと思うようであるが、さすがに規模が違うわなぁ。
 それでもみんなでああだこうだといいながら楽しく散策をした。



やはりどこでも人気の店はあるようだ、中華街でも豚まんが有名で結構な人が並んでいた。
 その一角の店で姪っ子が参加して昼食をとりお開きとなったのだが、ツアーと違って無駄なコースがない。てんこ盛りの内容に十分満喫をしたのだが、今回の幹事は妹夫婦、大変だったろうねぇ。
 こうやって楽しく過ごせるのも幹事の細かい気配りがあってのこと。感謝、感謝、である。
おかげさまで私たち兄弟はこのような企画の元、集まって旅行に行くなど仲がいいのだが、「仲良きことは素晴らしかな」どこかの額にも見られたね。
 このような姿が子供たちに伝わって、わが一族も仲良く過ごしていけば繁栄するのではないのかねぇ。
空手も、また世界もしかり・・それくらいになると難しいかもしれないがせめて身近な関係はこうでありたいものである、と思ったりしたね。
おかげさまで幸せなひと時を過ごさせてもらった。
 これから忙しいシーズンを迎えるにあって元気が出てこようというものである。

496,有馬温泉

姫路城を後にして一行6名は三宮から、電車に乗り換えて有馬温泉駅までついて迎えの車で「兵衛向陽閣」というホテルに着いた。
そこで大阪のおば二人と合流して8名の宴会となったが、まずは着替えて温泉街をぶらぶら、これが大好きなのであるが最近はホテルですべて賄えるので温泉街のにぎわいも見られず出歩いてもつまらないのだが、ここはさすがに有馬温泉、楽しい雰囲気だったねぇ。

 私も温泉旅行は好きなので関東をはじめ結構行ったが、有馬温泉は初めてである意味姫路城よりも楽しみにしていた。豊臣秀吉がひいきにしていたという温泉である。
 さっそく歩くとその銅像があったので、パチリ、
ついで、と言っては失礼だがねね像も近くにあったのでパチリ。
人出が多かったが今やどこもかしこも中国人が多いのだねぇ。マナーがどうのこうのいわれるが、大勢の人が来て多くの金を落としていくのだから、我慢もするのだろう。
 日本人とてその昔は「エコノミックアニマル」と揶揄されたころもあった。中国の進出は目覚ましいとはいえ世紀近くは遅れているのである。
関西は韓国系も多い、日本人との区別がつかないほどである、この多くの人でもごった返しというところか。
 夜の宴会は大広間に私達だけの席がぽつんと置かれて貸切だという。平日とはいえ景気を反映しているのかねぇ。

 楽しく語り合ったのだが、そのほとんどは83歳の叔母が元気に話していた。
終わって、スナックも貸切状態だったのだが、そこでもご覧のようにダンスを踊るなどして大ハッスル、さすが関西のおばちゃんである、私までもがタジタジであったねぇ。
写真の掲載も多いので翌日の六甲山ロープーウェーは次項に譲ろうか。

495.姫路城

9月28日(月)、絶好の行楽日和、兄弟合わせて6名、三木を朝早くたって三宮からJRで姫路駅へと向かった。
10時ころに着くと駅前の一本道路の先に姫路城が見える。

この大通りもさすがでほかでは見られないような広さである。
 姫路城妹たちがこちらに移り住んでしばらくしてから来た記憶がある。今の30を超えた姪っ子たちが幼児のころである、25年は立つのかねぇ。
 昨年は大河ドラマの舞台となり大勢の観光客でにぎわったことだろう。また世界遺産ともなり、城の改修工事で塗り替えられて平日の月曜日だというのに大変な人であった。
天守閣まで登ったが、だんだんと狭くなっていくのに団体客が到着する時間とも相まって混んできたが、これが日曜祭日ともなれば2時間待ちはザラなんだそうである。
 ここ姫路城は私が昔「宮本武蔵」で読んだ中で、開かずの間に閉じ込められて、本を読み漁り、人が変わったというのを記憶しているがそれはあくまでも小説の世界だからねぇ。
 それから播州皿屋敷」のお菊の井戸があるのにはびっくりしたが、ここが舞台だという説もあるそうである。てっきり東京の青山での話ばかりだと思っていた、伝説となってあちこちに伝わっているんだねぇ。
 またここは千姫ゆかりの地というのも知らなくて、なかなか知らないことのほうが多いようで、下手に日本史を知っているような顔はできないねぇ。
 ここではどこへ行って写真撮影の場所はあり、何枚も撮ったがそれぞれに違う雰囲気になっているだろう。
昼過ぎにはここを出て駅前大通りの店で食事をした。
 なかなかにいい半日を過ごした感がした。

494、合宿、その2

一夜明けて今年は天候に恵まれた。朝の集いの時に富士山がきれいに見えたのでみんなで写真を撮ろうとしたのだが持参しなかったので昼か明日にしようということになったが案の定それから顔を見せなかったねえ。
さすがに山の天気である、次ということはない、思ったねぇ。
 今日は午前、午後と内容充実の稽古を行いみんなもへばり気味である。
それで午後の仕上げには、チャンバラ大会を開いて盛り上げた。

稽古で休んでいた個までもが直りました、と言って参加をしてくる、ムムムッ・・ま、こんなものである。
 楽しく盛り上がったところで終了して昨夜の集いから食事へと移行して、夜は楽しいキャンプファイヤーである。

ここは、山田実紅さんがアイデアを出してくれて、今年は「猛獣狩り」などの遊びやいつもの「人間知恵の輪」などを楽しんだが子供のこと盛り上がったねぇ。
 一段落するとじゃんけん大会があり、これもまた商品があって、今年の一番は蒲田教室の鎌田成南君、こればかりは小学校1年生でもゲットできる。


 かくして楽しい二日目も終了したが、蒲田の小学生が風邪をひいて急きょ親に引き取りに来てもらうというアクシデントも起きた。幸いにも翌日病院へ行って風邪ということで無事に済んだが、こどもの参加行事には何が起きるかわからない。ほっとしたね。
3日目は、稽古は軽めに行い掃除や片づけなどに時間を割いた。
しかし、基本と型は何度もやったのでしっかりと土産にはなっただろう。
 帰りの時間を気にして昼には終わるのだが、今年は、いつもと違って多いな勉強になったのではないか。
一般人は幕張の藤田君に指導をおお願いして任せたが、内容の濃い稽古になったと喜んでいた。
 黒帯の人も組手などでは嬉しかったんだろうね、終わるとニコニコ・・・来たかいがあったというものである。
かくして二泊三日の合宿も終了したのだが、終わると安心と疲れがどっと来て、帰りもしんどいのだが帰りも金城さんの車で我が家まで送ってもらい、楽な思いをしたねぇ。
 今年も良い思い出となった。

493.合宿、その1

2015年9月19日(土)、合宿の当日がやってきた。鶴見からの出発で金城さんが迎えに来てくれて便乗していったので、今年は出発から楽だったね。
 世間では5連休だそうで道路の混雑を予定して、朝の7時半には出発した。しかし、渋滞に会うことなく順調に進み10時半には到着して時間を持て余し、12時からの集合を待った。
 さっそく鍵を借りて荷物をほどき武道場へと言って稽古を開始した。
今年は、初めての参加者も多いが、黒帯陣の参加も多いので、みんなのレベルに応じてクラス分けをして稽古ができたので皆さんにとっては充実した内容となったであろう。
 組手においてもレベルの違う人と当たることによってこれから大会シーズンを迎えるが勉強になり、また昇級審査を控えての型の稽古にも一段と進歩したことであろう。


合宿というものはいろんな意味でも成長させる稽古の場である。参加するのとしないとではずいぶんな差があると思っている。
 稽古のあとの食事がおいしいときてる。ついつい食べ過ぎて帰りには来た時よりも太っているという、合宿でしぼられると思ってきた人には期待外れになるだろう。
 夜は楽しみのビンゴ大会である。今年は初参加者も多いということで本部からも、空手関係のグッズをいつもより多く提供させてもらったが事務局からは苦情が出るかもしれぬが皆さんの喜びのほうが大きく勝る。
 今年のビンゴ一番乗りは戸塚火曜日教室からの初参加者、橋本裕也君である。ビンゴ前に品定めをしていたとあっていの一番にゲームソフトを持って行ったが、確かに値段からいけば、空手グッズを除けば高いわな。

 今年は参加費を超える品物を取っていって得をした人が何人もいるのではないか、ビンゴになってゲーム関係を選ぼうとするが、親が真剣に空手関係を持って行けと支持する光景もいつもながらである。
 子供にとっては、空手グッズは親から買ってもらうという気があるので、おもちゃに行こうとするが親が「それはいつでも買ってあげるから、空手グッズを持ってこい」という光景が展開するのである。確かに・・・そんなおもちゃは20個は軽く買えるからねぇ・・
 そのような雰囲気で終了した後は風呂に入って休むのだが、参加した大人は、ミーティングが待っている。
今年は狭いリーダー室に13人ほど集合して交流が深まるのである。
ついつい討論に熱が入りカメラに収めるのを忘れるのだがこれは毎年のことである。
 普段大会などでは顔を合わせることはあってじっくりと話し込むことはない、こんな時に空手をはじめとした話をすることで今後の交流も深まるのである。これを楽しみにして来る人もいるほどである、合宿の大きな要素の一つでもある。
 かくして遅くならないうちに第一日めの就寝となるのである。