境界線

生と死の境目がそこにはあった。

サイクリングをする時はいつも峠越えを目標にしており,
ピークからの下りは全力でペダルを踏んだ。
舗装路でも森の中でもそうだった。

もしコースアウトして沢に落ち,負傷したら,どうなっていただろう。
車通りは少ないし,人が歩いて来る場所ではない。
ましてや携帯電話の電波も届かない山奥だ。
きっと誰にも発見されず,例え夏であっても低体温症などで死んでいただろう。
亡骸はキツネやカラスやヒグマなどの野生動物が食べて,
自然に還っていたに違いない。
滝を見たくって,道なき道を登って行ったこともあった。

やはり一歩踏み外せば命にかかわる危険な場所だった。
冬の登山もそうだ。
生と死が背中合わせの状況に身を置いていた。


スノーボードでも整備されたゲレンデではなく,
バックカントリーを好んでいた。

だからこその安全対策だったし,状況に応じての判断をしていた。
けっして法律や世間の目が厳しいからではなかった。
川魚を釣りに行く時も,ヒグマ出没の注意書きのあるような場所で
野生動物の息吹を感じながらの釣行だった。


そして必ず釣った魚は食べたし,食べ切れるだけの魚を釣った。

命を食べる事で生きるということを無意識に感じていた。
あの場所でのボクの行動は,すべて“生”を感じる為だった。
今,ボクが身を置いている場所は,安全に管理された人工の世界。
命の危険など微塵も感じさせない虚構の世界。
遊園地やアミューズメントパークにあるスリルは安全だ。

ここでは安心の代償に,生命の躍動感を感じる事が出来ない。
安全や安心は必要なものだということは重々承知している。
しかしボクは,生命を,生きている証しを,感じたい。

カッコいいヒトになりたい♪


写真はなんとなくのイメージです♪
ボクが師と仰ぐお方は,常に自分の限界値をより高みに上げようと
努力を怠りません。
ボクが二十歳そこそこの時に知り合った音楽仲間は,
今もまだライブハウスで音楽活動を続けています。
こういうヒトがカッコいいなぁと思う今日この頃。
ボクが好きだと思うヒトは皆,
それぞれの世界で前に向かって進んでいます。
昨日,バイクのエントリーをして思いました。
過去を振り返るのもタマには良いけれど,
前進を忘れちゃイケないなーと。
進化を止めちゃイケないなーと。
いつも新しいナニかを見据えて,
常に自分を磨き続けていきたい。
昨日の自分より今日の自分,
今日の自分より明日の自分がカッコいい!
そんなヒトにボクはなりたい。
なのでちょっとカッコよくなろうと思います♪

二年前のことの随筆


二年前の記事を読み返していたら,当時のボクは「自転車ダイエット」なるものをやっていた。
しかもそのダイエットの結果を毎週,このブログで公表しているではないか。
だが,ある日を境にブッツリとその記事を書かなくなっており,結果も出さないままでいたようだ。
今回はその頃の心象風景をエッセイ風に綴り,今更ながら実験結果を公表してみようと思う。
「自転車ダイエット」。
それは一日に一時間,自転車を漕ぐという簡単な内容で,
モノの本に書いているワケではなく,ボクが開発したダイエット法だ。
それを始めたキッカケは,ボクの体重が80㌔を超えそうになったからだ。
身長172.5㎝で38歳のボクの適正体重は,とある計算法によると65㌔なのだそうだ。
流石にブヨブヨのハラは,グッとイキを止めても誤魔化しようがなかった。
それに加えて「記録ダイエット」も併せてやってみた。
この「記録ダイエット」を併用したのは,父親が始めたところ
「特別な運動をすることなしにメキメキ痩せた」という情報を得たからだった。
本来の「記録ダイエット」はその日の体重と食べた物を毎日記録するというものらしいが,
ボクの場合,サイクルメータの数値と体脂肪計付きヘルスメータの数値,
そしてその日に食べたモノをノートにチマチマと書き綴るというものだった。
当初は1週間程度続けてみて,効果が現れたら続けようかと軽い気持ちでスタートさせたハズだった。
サイクルメータの「走行距離」「平均速度」「最高速度」,
ヘルスメータの「体重」「体脂肪率」「BMI」「内臓脂肪レベル」「基礎代謝」の数値を
折れ線グラフにしてみたら,わずか1週間で体重値が右に傾いていることが判った。
実測値ではたった1kgではあったが,こうなると俄然面白くなってきた。
サイクルメータではボクの自転車レベル,
ヘルスメータは「体重」だけで良かったのだが,
ウチにあったヘルスメータで計測できる項目を全て記録して,
痩せレベルを表そうという魂胆だった。
毎朝5時に起きて自転車に1時間乗り,データを記録した。
朝,起きられなかった日は夜に走った。
雨が降っていても構わず走った日もあった。
ある晩は日付が変わる頃に出発し,翌朝も同様に走った。
転んでケガをした翌日も走った。
コースはずっと変えなかった。
そうすることで昨日のボクの折り返し地点はココだったけど,
今日はもっと遠くまで来ることができた,明日はもっと先に進めるに違いないと思うためだ。
サイクルメータの数値は,ヘルスメータのそれに反するように右肩上がりに伸びていった。
そのうちにボクは体重計に乗る時刻まで決め,データを取り続けた。
この頃から,このデータにのめり込んで抜け出せなくなっていた。
のっぴきならない事情のため,自転車に乗れなかった日は体重計の数値だけ計測したが,
そんな日は最高にダークな気分に襲われた。
千歳川にサイクルメータを落としてしまった時は,
半狂乱になった精神状態を抑えつけるのに大変な苦労を強いられた。
蓄積したデータが5箇月分に達しようとした頃,とある電話を受けた。
電話の向こうの声は母親のもので「ちょっと実家に帰って来てくれないか」と。
詳細は会ってから,とのことだった。
その時ボクの体重は,データ収集を始めてから約12㌔減少していたが,
ボクが一番初めに心配したことは,今までのデータの連続性がなくなることで,
ダイエットや自転車レベルに関しては最早どうでも良くなっていた。
なんとか自転車と体重計を持って実家に行く方法はないかと,真剣に悩んだ。
もちろん実家にも体重計くらい有るのだが,ボクの心配は計測機器の機差にまで及んでいた。
ヨメの説得もあり自転車と体重計を諦めて実家に向かったが,
彼女の説得にボクは納得などしていなかった。
不可触の聖域を汚された気分でいっぱいであったからだ。
実家でボクを待っていたのは病魔に侵され,すっかりやつれた姿の父親であった。
父の体重を落としたのは「記録ダイエット」などではなかった。
結局,この帰省時におけるデータの欠落の為に実験は終了を余儀なくされたが,
「毎日1時間自転車に乗ることで体重値及び体脂肪率は減少する」との結果が得られた。

ボクの身体は鍛えられ,痩せた。
しかしボクの心には何も残らなかった。
3箇月後,父は亡くなり,北海道では自転車に乗れる季節も終わった。
生命の終わり,季節の終わりとともに,ボクの中でもひとつ終わりが訪れた。
自分自身で作り上げた鬱屈した脅迫観念に押し潰されそうになっていたこと,
パラノイア的な実験データと結果を残す行為で,
アイデンティティの獲得をしようとしただけであることに気付いた。
この時にようやく悪い夢から覚めた気がした。
といっても,この文章を書くに至るまで2年弱かかっているのだが・・・
今では体重計を持って旅行に行くなんて頭がオカシイのではないかと思うし,
あの時,ヨメに負の感情を抱いたことを大変申し訳なく思う。
おかげで引き締まった腹筋の夢は水泡と帰し,ブヨブヨのビールっ腹が残った。
でもこれで良いのだ。
逆三角形のマッチョな肉体では,自転車に乗る時に風の抵抗を真っ向から受けることになる。
その点,ボクのハラは前方からの風を左右に受け流せる
「空気力学的に優れた流線形のハラ」なのだから。

回線断絶


本日夕方に,地震で断線して不通になっていた“auひかり”のケーブルがようやく復旧し,
ネット界に戻ってこれました。
今日は複雑な思いで夕陽をみました。
ボクの住んでるところは幸い地震の影響なんて
電話とネットが使えない程度の被害だったけど,
ボクの精神世界にも多少の被害がありました。
ニュースでは大きな大きな被害が続々と報道されてました。
自分のことではないのに,他の人の心境を
リアルに想像してしまうクセのあるボク・・・
身内や友人を失くされた方やお家を失くされた方の
心境を勝手に想像して自分の身に置き換えてしまいます。
挙句,抑うつ気分になったりなんかして
散々です。
どうか,できるだけ沢山の方々が助かりますように。

趣味が実益


このところ趣味“が”実益になってます。
今夜のオカズも産地直送♪
なんてハナシではないんですよ,今日は!
実はですね,前々回のエントリーでも書いたようにですね,
お医者さんに
「シュミ的なことでもいいから,やれることやってください」
と言われたワケです。
で,好きだった音楽とか,アウトドア遊びとか,
多少でもやってみようか,と思えるものをやり始めました。
仕事はもちろん,自分の好きだったものですら,
煩わしく感じ,無力感を抱いてしまう厄介な心持を
「好きだったこと」からまずやって,
「やれる」ってことと「達成感」を感じることや「成功体験」をすることで
快方に向かわせようって治療法なのは判ります。
判りますが!
平日に「趣味」の釣りをしてたんですよ,
できることをやろうと思って,雨の中。
でで,ふと脳裏に過る重い思い。
こんなとこ誰かに見られたら
「仕事もしないで遊んでる」って
思われないんだろか???
ボクとしては「治療」のつもりでも
事情を知らない人から見たら
仕事もしないで遊んでるように見られやしないだろうか?
この悩みは深刻です。
迂闊にブログの更新も出来やしないじゃないですか!
でも開き治ることにしました。
ボクは病気を治したいんです。
そのキモチはホンモノなので,
堂々と「治療」します。
今日は白いボディで紅いフックのコイツがエースでした♪

カミングアウト


先日から病状が悪化してます。
実は休職中です。
お医者さんに
「今は煩わしいことはみんな忘れて,
 少しでもやりたいと思えることをやってみてください。
 シュミ的なこと,なんかあるでしょう?」
と言われました。
やりたいこと・・・
なんだろう???
少しだけ頑張ってみました。
新曲です。
まずは1曲。
でもカヴァーです,ディランの。
一曲演っても良いですか?

行きたかった!聴きたかった!


昨日、千歳で「栗城史多」さんの講演会があっただなんて!?
知ってりゃ行ったのに!
ゼヒ聴きたいこととか色々あったのに!
千歳市のバカ!
もっと大々的に宣伝してくれてれば・・・
悔しすぎる。
ボクはクリキノブカズさんは登山家とは思ってません。
言うなれば人生っていう大きな山をずっと登り続けてる方だと思います。

精神力


なんとなくだけど、スピリチュアルな石を買いました。
パワーストーンって言うんですか?
ターコイズです。
精神力を高めたり、ストレスに強くなったりするんだそうで。
で、形は勾玉。
お守りに最適なんだとか。
革紐つけて身につけてみます。
なんか変わるかな???
要は心の持ち方なんですけどね。

今日気がついたこと


今日、本屋で以前から気になっていた写真集を見つけました。
ANAの機内誌「翼の王国」なんかにも写真が掲載されている
本城直季」の「small planet」。
もともとはMiklos Gaalらの撮影手法を用いた作品集なんだけど、
日本の風景を撮っているところ、安価なところ(コレ重要!)で
欲しいと思っていた写真集なのです。
で、給料日まであと2日、おこずかいで買おうかなって思ってたら、
その隣に置いてあったのが「エドワード・ゴーリー著、不幸な子供」。
何気なく手にとって、思わず最後まで読んじゃいました。
そして投げ捨てるように本を置き、本屋をあとにしました。
精神状態ドカ落ちです。
マジでウツ病が悪化しました、その一瞬。
でも何故か心に引っかかるものがあり、
本屋に戻り、訳者のあとがきを読みました。
ゴーリーはこの話を既存の童話のアンチテーゼとして書いたそうです。
不幸な境遇の主人公でも、ハッピーエンドになってしまう童話に対して。
そしてわずか十数ページのお話を書くのに
4年以上の歳月をかけたそうです。
あとがきを読んで良かったです。
少しだけ救われました。
架空のお話でも、不幸を書くのは辛いことだということが判ったから。
そして少し気がつきました。
自分で作ったお話でも、キャラクターを殺してしまったら
罪悪感や心の奥底の気持ち悪さが残ることを。
人の死というものは例え空想でも恐ろしいものですね。
今日、改めてそのことに気がつきました。
ところで冒頭の写真、
今回のお話とはまるで関係ないのですが、
雪の中にいる人物が地蔵菩薩のようにボクには見えたので
掲載してみました。
ボク的にはこの写真が、この話にマッチしてるのです(笑)