天保の大飢饉と大塩平八郎

 1833年から1834年、1835年と、大風雨
・大洪水・大冷害などが続き、日本中が
大飢饉に見舞われました。
 秋田藩では、四ヶ月間に十万人が餓死
したと、言われています。
 米の不作に、投機が加わり、米一俵の
価格は急騰します。
     1835年 37銭
     1836年 60銭

 生か死かを迫られた人々は、立ち上が
ります。
 1836年に愛知県で起きた一揆は、数日
間で当初の二十数名から一万数千名にま
で膨らみます。

 大阪でも、大変な事態になっています。
 餓死者が、一日ごとに二百名も出てい
たのです。
 このような窮状を見過ごせないと決起
したのが、大塩平八郎を中心とする面々
でした。

 乱自体はすぐに押さえつけられても、
「与力」という官職が、幕政に武力を持
って反抗した衝撃は強大でした。

 大塩平八郎らが乱を起こしたのは、
如月十九日(3月16日)。
 次の言葉を残しながら。
    身の死するを恐れず
     ただ心の死するを恐るるなり

tenpou kikin zu

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      前回の問題 解答
  多治見市で、製造品出荷額(2014年)
のうち、窯業・土石製品は、49.4%を占め
ています。

 

        今日の問題 
 1185年の如月十九日(3月16日)に、
何が起きたでしょう。

 

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