カテゴリー別アーカイブ: 日本の旅

〈 魚津埋没材 〉本州の海岸線一周 その57

 1930年に魚津港建設のため砂浜を1mほど掘り下げると、200株を超える樹根が出現しました。
 樹根の大半は、スギでした。
 幹回りの直径が約2m、樹齢が約500年と推定される、巨木もありました。
 2000年ほど前の魚津海岸一帯は、鬱蒼としたスギの原生林だったのでしょう。

 魚津埋没材博物館には、乾燥展示館と水中展示館があります。
 乾燥展示館では、長さ約10mの幹や、直径約5.3mの樹根などを見ることができます。
 水中展示館では、発掘した当時の状況を見ることができます。

 それにしても、なぜ多数のスギが根を張った状態で海水面より下から見つかったかについては、不明なままです。
富山県 埋没材

〈 新潟県最西端・富山県との境界 〉本州の海岸線一周 その56

〈 親不知海岸 〉本州の海岸線一周 その55

〈 糸魚川のヒスイ 〉本州の海岸線一周 その54

〈 柏崎海岸に沈む夕陽 〉本州の海岸線一周 その53

〈 良寛と夕日の丘公園 〉本州の海岸線一周 その52

〈 大河津分水 〉本州の海岸線一周 その51

〈 弥彦山 〉本州の海岸線一周 その50

〈 信濃川河口 〉本州の海岸線一周 その49

〈 阿賀野川河口 〉本州の海岸線一周 その48

〈 笹川流れ 〉本州の海岸線一周 その47

 
 
 

      前回の問題 解答
 東北地方太平洋沖巨大地震が起こした巨大津波は、石巻(宮城県)へ最大8.6m以上で押し寄せました。
  
 

 
      今日の問題  
 魚津埋没材のほとんどが根の部分であるにもかかわらず、写真にある幹はなぜ残れたのでしょう。
       

 
   夢を実現する学習塾  開 進 学 園
       ホームページ

 

〈 新潟県最西端・富山県との境界 〉本州の海岸線一周 その56

 新潟県の海岸線総延長は、約635kmです。
 そのうち佐渡ヶ島の海岸線は約278km、粟島の海岸線は約23kmです。
 佐渡ヶ島と粟島の海岸線を除いた、新潟県の本州分の海岸線総延長は約334kmになります。

 山形県との境界に位置する新潟県の東端・村上市伊呉野から、二泊三日を費やして新潟県の本州分海岸線を縦断し、新潟県の西端に当たる糸魚川市も残りあとわずかです。
 親不知子不知の難所を通り抜けた旅人がほっと一息をついたという、旧宿場・市振を過ぎます。

 程なく川に差し掛かります。
 新潟県と富山県の境をなす、その名も「境川」です。
 渡るのは、「境橋」です。

 「境橋」の中間点が、新潟県最西端であり、富山県との境界となります。
新潟県 最西端  海側

新潟県 最西端 山側

〈 親不知海岸 〉本州の海岸線一周 その55

〈 糸魚川のヒスイ 〉本州の海岸線一周 その54

〈 柏崎海岸に沈む夕陽 〉本州の海岸線一周 その53

〈 良寛と夕日の丘公園 〉本州の海岸線一周 その52

〈 大河津分水 〉本州の海岸線一周 その51

〈 弥彦山 〉本州の海岸線一周 その50

〈 信濃川河口 〉本州の海岸線一周 その49

〈 阿賀野川河口 〉本州の海岸線一周 その48

〈 笹川流れ 〉本州の海岸線一周 その47

〈 県境を跨ぐ集落 隣家は他県 〉本州の海岸線一周 その46

 
 
 

      前回の問題 解答
 バンダイが実施した『小中学生の”遊び”に関する意識調査 2018年』によれば、「普段一人で遊んでいる」と回答(小中学生全体)したのは、74.3%でした。
  
 

 
      今日の問題  
 「境橋」の南奥に連なる飛騨山脈は、何アルプスと呼ばれているでしょう。
       

 
   夢を実現する学習塾  開 進 学 園
       ホームページ

 

〈 親不知海岸 〉本州の海岸線一周 その55

 糸魚川の市街地から西へ10kmほど進んだ一帯は、親不知海岸と呼ばれています。

 その昔、源氏と平家が争いを繰り返していたころ、平頼盛(平清盛の弟)の後を追って来た奥方が、この海岸で二歳の幼児を波にさらわれてしまいました。
 悲嘆にくれる奥方は、悲しみをこらえて、次の歌を詠んだそうです。

  親知らず子はこの浦の波まくら
   越後の磯のあわと消えゆく

 この「親知らず」から、「親不知」の地名が生まれたと言われています。

 なお、親不知駅近くの海岸にある、「投げ岩」と「鬼蹴り岩」より、西側は「親不知」、東側は「子不知」です。
 親は子を心配するどころでなく、子も親を心配するどころでなく、我が身一人を海崖から突き落とされぬようにするのが精一杯という、北陸道で最難関の険しい海岸でした。

新潟県 親知らず

〈 糸魚川のヒスイ 〉本州の海岸線一周 その54

〈 柏崎海岸に沈む夕陽 〉本州の海岸線一周 その53

〈 良寛と夕日の丘公園 〉本州の海岸線一周 その52

〈 大河津分水 〉本州の海岸線一周 その51

〈 弥彦山 〉本州の海岸線一周 その50

〈 信濃川河口 〉本州の海岸線一周 その49

〈 阿賀野川河口 〉本州の海岸線一周 その48

〈 笹川流れ 〉本州の海岸線一周 その47

〈 県境を跨ぐ集落 隣家は他県 〉本州の海岸線一周 その46

〈 古代・鼠ヶ関と近世・念珠関 〉本州の海岸線一周 その45

 

 
 

      前回の問題 解答
 富里市立向台こども園の4歳児の25m走平均記録は、事業開始前は全国値を下回っていましたが、事業開始後には全国値を上回りました。
   
 

 
      今日の問題  
 1883年に親不知海岸に道路が開通した際、岩肌に刻まれた「如砥如矢」は、どのような意味でしょう。
       

 
   夢を実現する学習塾  開 進 学 園
       ホームページ

 

〈 糸魚川のヒスイ 〉本州の海岸線一周 その54

 約1700万年前、ユーラシア大陸から古・日本列島が分離します。
 約1600万年前、古・日本列島は、古・東北日本列島と古・西南日本列島に分離します。
 その後、古・東北日本列島と古・西南日本列島との海峡は、新たな岩石によって埋め立てられます。
 この古・東北日本列島と古・西南日本列島とを繋ぐ大地溝帯が、フォッサマグナです。
 フォッサマグナの西縁に当たるのが、糸魚川・静岡構造線です。

 糸魚川の海岸から約3km内陸に、フォッサマグナミュージアムが立っています。
 内部には、フォッサマグナに関わる貴重な鉱物や化石が、多数展示されています。
 中でも、ヒスイは秀逸です。

 糸魚川のヒスイは、約5億年前に誕生し、世界最古級と見られています。
 約7000年前の縄文時代早期には、敲き石(ハンマー)として、ヒスイを世界で初めて利用しました。
 約6000年前の縄文時代前期には、垂飾りの玉として、ヒスイを世界で初めて利用しました。

 ヒスイは、「糸魚川市の石」・「新潟県の石」・「日本の国石」に、指定されています。
新潟県 フォッサマグナミュージアム

〈 柏崎海岸に沈む夕陽 〉本州の海岸線一周 その53

〈 良寛と夕日の丘公園 〉本州の海岸線一周 その52

〈 大河津分水 〉本州の海岸線一周 その51

〈 弥彦山 〉本州の海岸線一周 その50

〈 信濃川河口 〉本州の海岸線一周 その49

〈 阿賀野川河口 〉本州の海岸線一周 その48

〈 笹川流れ 〉本州の海岸線一周 その47

〈 県境を跨ぐ集落 隣家は他県 〉本州の海岸線一周 その46

〈 古代・鼠ヶ関と近世・念珠関 〉本州の海岸線一周 その45

〈 三崎海岸 秋田県と山形県の県境 〉本州の海岸線一周 その44

 

 
 

      前回の問題 解答
 『きみのことが だいすき』の最後に入る語句は、「だいすき」です。
   おやすみなさい。
   あのね、
   〇〇〇〇だよ。
   
 

 
      今日の問題  
 フォッサマグナの西縁に当たるのは、糸魚川・静岡構造線です。
 フォッサマグナの東縁に当たるのは、何構造線でしょう。
       

 
   夢を実現する学習塾  開 進 学 園
       ホームページ

 

〈 柏崎海岸に沈む夕陽 〉本州の海岸線一周 その53

 柏崎中央海水浴場は、柏崎の市街地に隣接して、非常に手軽な位置にあります。
 訪れたのは、海水浴よりも日の入りを待つ人々が、砂浜に集う時間帯でした。

 日本海へ、ゆっくり、ゆっくり、陽が沈んでいきます。
 静かな時が流れていきます。
 実にのどかな佇まいです。

 そこへ不安が襲ってきました。
 同じ海岸の約6km北西に、柏崎刈羽原子力発電所があるからです。

 出雲崎と柏崎とを海岸線沿いに結ぶ国道352号線は、途中で大きく海岸線から内陸へ湾曲します。
 その広大な湾曲部に、世界最大の規模を有する柏崎刈羽原子力発電所が、建っています。

 柏崎周辺を震源とする大地震が、続発しています。
  新潟地震     1964年 M7.5 最大震度5
  新潟県中越地震  2004年 M6.8 最大震度7
  新潟県中越沖地震 2007年 M6.8 最大震度6強
  長野県北部地震(新潟・長野県境地震) 
           2011年 M6.7 最大震度6強
  能登半島地震   2024年 M7.6 最大震度7

 能登半島地震では、珠洲市で2mも地盤が隆起しています。
 珠洲市には、原子力発電所の建設が、計画されていました。
 ただし、住民の皆さんの反対意志表明で、計画は撤回されました。
 もし計画通りに原子力発電所が建設されていたら、大変な事態を招いたかもしれません。

 柏崎刈羽原子力発電所は、長らく運転を中止しています。
 これからも穏やかに陽が沈む光景を眺められるよう、切に願うばかりです。

新潟県 柏崎 日の入り

〈 良寛と夕日の丘公園 〉本州の海岸線一周 その52

〈 大河津分水 〉本州の海岸線一周 その51

〈 弥彦山 〉本州の海岸線一周 その50

〈 信濃川河口 〉本州の海岸線一周 その49

〈 阿賀野川河口 〉本州の海岸線一周 その48

〈 笹川流れ 〉本州の海岸線一周 その47

〈 県境を跨ぐ集落 隣家は他県 〉本州の海岸線一周 その46

〈 古代・鼠ヶ関と近世・念珠関 〉本州の海岸線一周 その45

〈 三崎海岸 秋田県と山形県の県境 〉本州の海岸線一周 その44

〈 象潟 九十九島 〉本州の海岸線一周 その43

 
 

      前回の問題 解答
 「宇宙は一つではなく、無数に存在する」という考えは、マルチバース理論と呼ばれています。
   
 

 
      今日の問題  
 柏崎刈羽原子力発電所で変圧器の火災が発生したのは、何地震が起きた時でしょう。
       

 
   夢を実現する学習塾  開 進 学 園
       ホームページ

 

〈 良寛と夕日の丘公園 〉本州の海岸線一周 その52

 大河津分水を渡り、日本海沿いの国道402号線を南下します。
 50分ほどで、日本海へなだらかに突き出た出雲崎に至ります。
 そこから丘を上って行くと、頂上が良寛と夕日の丘公園です。

 良寛は、遠く円通寺(岡山県倉敷市)で11年間修業した後、故郷の出雲崎へ戻ってきました。
 それからは、諸国を行脚しながら、こども達と過ごす毎日を送ったようです。
 いつでも取り出せるように、手毬を胸の中に入れていたとも言われています。
 かくれんぼをしていて、翌朝まで隠れ続けたとの、逸話も残っています。

 公園には、こども達と楽しそうに語り合う良寛の銅像が立っています。
新潟県 良寛 銅像

 銅像の傍らの石碑には、良寛の短歌が刻まれています。

  世の中にまじらぬとにはあらねども
   一人あそびぞわれはまされる

 厳しい修行を経ても地位を求めず、一介の僧として、ひそやかにつつましく過ごした生き様を、象徴しています。
新潟県 良寛 石碑

〈 大河津分水 〉本州の海岸線一周 その51

〈 弥彦山 〉本州の海岸線一周 その50

〈 信濃川河口 〉本州の海岸線一周 その49

〈 阿賀野川河口 〉本州の海岸線一周 その48

〈 笹川流れ 〉本州の海岸線一周 その47

〈 県境を跨ぐ集落 隣家は他県 〉本州の海岸線一周 その46

〈 古代・鼠ヶ関と近世・念珠関 〉本州の海岸線一周 その45

〈 三崎海岸 秋田県と山形県の県境 〉本州の海岸線一周 その44

〈 象潟 九十九島 〉本州の海岸線一周 その43

〈 日本で最も低い山 大潟富士 〉本州の海岸線一周 その42

 
 

      前回の問題 解答
 日本と行き来する韓国からの行商人は、「ぽったりさん」と呼ばれています。
   
 

 
      今日の問題  
 良寛の次の短歌の〇〇に入る語句は、何でしょう。
  この里に手まりつきつつ子どもらと
   〇〇春日は暮れずともよし
       

 
   夢を実現する学習塾  開 進 学 園
       ホームページ

page001

〈 大河津分水 〉本州の海岸線一周 その51

 北へ北へと流れ下ってきた信濃川は、日本海まで約8kmの地点で日本海に並行するように北西へ進路を変えます。
 そして、日本一の水量を誇る信濃川は、越後平野に洪水をもたらします。

 特に1896年に起きた大洪水は、越後平野ほぼ全域を泥沼と化し、5ヶ月間が過ぎても泥水が引きませんでした。
 その結果、伝染病が蔓延し、1200人以上が亡くなりました。

 そこで、信濃川の水路を日本海へ短絡させて、本流の水量を調節する構想が具体化されます。

 1907年 工事決定
 1909年 工事開始
 1922年 通水開始
 1927年 自在堰陥没
 1931年 可動堰完成

 こうして造られた大河津分水は、洪水時に全水量を分水路へ流して、越後平野を洪水から守っています。
新潟県 大河津分水

〈 弥彦山 〉本州の海岸線一周 その50

〈 信濃川河口 〉本州の海岸線一周 その49

〈 阿賀野川河口 〉本州の海岸線一周 その48

〈 笹川流れ 〉本州の海岸線一周 その47

〈 県境を跨ぐ集落 隣家は他県 〉本州の海岸線一周 その46

〈 古代・鼠ヶ関と近世・念珠関 〉本州の海岸線一周 その45

〈 三崎海岸 秋田県と山形県の県境 〉本州の海岸線一周 その44

〈 象潟 九十九島 〉本州の海岸線一周 その43

〈 日本で最も低い山 大潟富士 〉本州の海岸線一周 その42

〈 海面より低い村 〉本州の海岸線一周 その41

 
 

      前回の問題 解答
 英語の「barefoot season」は、日本語で「素足の季節」に当たります。
   
 

 
      今日の問題  
 大河津分水の工事には、延べ何人が携わったとされているでしょう。
   A 約1万人
   B 約10万人
   C 約100万人
   D 約1000万人
       

 
   夢を実現する学習塾  開 進 学 園
       ホームページ