月別アーカイブ: 2023年10月

〈 信濃善光寺 〉信州紀行 その一

 長野駅から十八丁(約2km)離れて、信濃善光寺があります。
 正しくは、信濃善光寺から十八丁離れた地点に、長野駅が開設されました。
 長野駅前から、参道が信濃善光寺へ伸びています。

 信州 善光寺 参道

 参道が境内に入る地点に、「長野市道路元標」の標柱が立っています。
 信濃善光寺は、長野市の原点となっています。
 長野の街は、信濃善光寺の門前町として、歩んできました。

信州 善光寺 道路元表

 信濃善光寺は、日本へ入ってきた仏教が各宗派に分立する前の644年に創建されました。
 それゆえ、無宗派の仏教寺院です。
 参詣者を迎えてくれる山門は、1750年に建立された重要文化財です。

信州 善光寺 山門

 本田善光が飛鳥時代に、うち捨てられていた阿弥陀如来像を、難波から信濃へ運び入れました。
 そこから、善光寺と名付けられたと言われています。
 本堂は、間口が約24m、奥行きが約54mもある巨大建築で、国宝に指定されています。

信州 善光寺 本堂

〈 伊勢神宮の式年遷宮 〉伊勢志摩紀行 その八

〈 五十鈴川の木除け杭 〉伊勢志摩紀行 その七

〈 おかげ横丁 〉伊勢志摩紀行 その六

〈 伊勢神宮のまがたま池 〉伊勢志摩紀行 その五

〈 伊勢神宮の「亀石」 〉伊勢志摩紀行 その四

〈 伊勢神宮の「要石」 〉伊勢志摩紀行 その三

〈 鳥羽港を照らす日の出 〉伊勢志摩紀行 その二

〈 英虞湾 横山展望台 〉伊勢志摩紀行 その一
 

 

      前回の問題 解答
 初秋は、太陰太陽暦で七月・文月に当たります。
 

      今日の問題  
 長野盆地は、別称で何平と呼ばれているでしょう。 
       

 
 
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暮れなずむ その一

 晩夏から初秋にかけて、陽は6時過ぎに沈んでいました。
 5時前は陽射しがあり、登塾する塾生との挨拶は迷わず「こんにちは」でした。

 中秋から晩秋にさしかかり、陽射しは日増しに早じまいしていきます。
 そうなると、挨拶の言葉に窮していきます。

 まだ陽射しがあると捉えれば、「こんにちは」です。
 陽射しが弱くなっていることを重視すれば、「こんばんは」です。

 先週は「こんにちは」で問題なくても、今週は「こんばんは」にすべきか、迷ってしまいます。
 心の動揺により、「こんに・・・ばんは」というか細い声も聞えてきます。

 芸能界のように、午後でも、夕方でも、夜間でも、一日中「おはようございます」と挨拶用語が統一されていれば、悩まずに済むのでしょうが。 < つづく >
日の入り 富士山

  色なき風 その七

  色なき風 その六

  色なき風 その五

  色なき風 その四

  色なき風 その三

  色なき風 その二

  色なき風 その一
 

 

      前回の問題 解答
 太宰治は『津軽』の中で、龍飛崎を「本州の袋小路」と書き表しています。
 

      今日の問題  
 初秋は、太陰太陽暦で何月に当たるでしょう。
       

 
 
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〈 津軽半島最北端 龍飛崎 〉本州の海岸線一周 その34

 龍飛崎は、津軽半島の最北端になります。
 対岸の白神岬(松前半島・北海道)との距離は、約19.5kmです。

 本州最北端の大間崎(下北半島・青森県)と、その対岸の汐首岬(亀田半島・北海道)との距離は、約17.5kmです。
 龍飛崎~白神岬の方が、大間崎~汐首岬より、長くなっています。
 それでも、青函海底トンネルは、龍飛崎~白神岬を抜けています。

 青森駅から竜飛崎までの走行距離は、約70kmです。
 青森駅から大間崎までの走行距離は、約150kmです。
 青森からの地の利は、竜飛崎までが圧倒しています。

 そうしたこともあってか、蝦夷地までの航路は、三厩湊(下北半島・龍飛崎の近く)と,松前湊(亀田半島・白神岬の近く)を結んでいました。
 蝦夷地へ逃げ延びようとした源義経一行も、三厩湊(現義経海浜公園)を出港したようです。
 そして、津軽海峡を渡るに際し、龍飛崎の東隣にある島で、帯を締め直して気を引き締めたと伝えられています。
 現在、その島は「帯島」と名付けられています。

青森県 龍飛崎

〈 階段国道 〉本州の海岸線一周 その33

〈 アジサイロード 〉本州の海岸線一周 その32

〈 義経海浜公園 〉本州の海岸線一周 その31

〈 仏ヶ浦 〉本州の海岸線一周 その30

〈 本州最北端の・・・ 〉本州の海岸線一周 その29

〈 本州最北端 大間崎 〉本州の海岸線一周 その28

〈 本州の太平洋岸最北の地 尻屋崎 〉本州の海岸線一周 その27

 

 

      前回の問題 解答
 太陰太陽暦で十月・神無月に吹く、出雲へ出かける神々を送る風を、「神渡」と呼びます。
 

      今日の問題  
 太宰治は『津軽』の中で、龍飛崎を何(◯◯の◯◯◯)と書き表しているでしょう。
       

 
 
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色なき風 その七

 太陰太陽暦で九月・長月は、色取月とも呼ばれます。
 山頂から山里へ、北方から南方へ、木の葉を色づかせているのは、風の精でしょうか。

 十月・神無月に入ると、全国各地の神々が出雲へ参集すると、言われています。
 その際、神々が利用する乗り物は、風だそうです。

 「色なき風」とは、「吹いている様子がはっきりとはしないものの、確かに秋を感じさせる風」を言います。
 その「色なき風」を窓一杯に受けて、快調に学習が始まります。

 時間が経過し、陽が沈みだして空が赤みを帯びてくると、窓を開け放したままでは肌寒くなってきます。
 学びに燃える、秋の夜長の始まりです。
   秋風の窓ひとつづつしめゆけり 
    『月光抄』桂信子

      < 完 >

カーテン 風 

  色なき風 その六

  色なき風 その五

  色なき風 その四

  色なき風 その三

  色なき風 その二

  色なき風 その一

 

 

      前回の問題 解答
 伊勢神宮の式年遷宮は、およそ1300年間に渡って行われてきました。
 

      今日の問題  
 太陰太陽暦で十月・神無月に吹く、出雲へ出かける神々を送る風を、何と言うでしょう。
       

 
 
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〈 伊勢神宮の式年遷宮 〉伊勢志摩紀行 その八

 五十鈴川御手洗場(いすずがわみたらし)で、手を清めた後、皇大神宮(伊勢神宮・内宮)の境内を進みます。
伊勢 五十鈴川

 やがて「正宮(撮影は禁止)」に着きます。
 社殿の中心をなす「正殿」は、古代からの建築様式である「唯一神明造」を、今に伝えています。

 正宮の東側は、「古殿地」と呼ばれる空き地になっています。
 次回(2033年)の式年遷宮の際、「正宮」を造営する用地です。

 式年遷宮は、社殿の造営と神宝の調製を20年ごとに行い、技術を長く伝承してきました。
 同時に、用材のリサイクルも兼ねていました。

 たとえば、五十鈴川を渡る宇治橋の両側に立つ鳥居です。
 右岸の鳥居は、皇大神宮(伊勢神宮・内宮)の旧棟持柱です。
 左岸の鳥居は、豊受大神宮(伊勢神宮外内宮)の旧棟持柱です。
 棟持柱(むなもちばしら)とは、「唯一神明造」で棟を支える大黒柱です。

 なお、次回の式年遷宮に伴って宇治橋両側の鳥居が立て替えられると、それまでの鳥居は別の神社の用材として再々活用されるそうです。
伊勢 内宮

〈 五十鈴川の木除け杭 〉伊勢志摩紀行 その七

〈 おかげ横丁 〉伊勢志摩紀行 その六

〈 伊勢神宮のまがたま池 〉伊勢志摩紀行 その五

〈 伊勢神宮の「亀石」 〉伊勢志摩紀行 その四

〈 伊勢神宮の「要石」 〉伊勢志摩紀行 その三

〈 鳥羽港を照らす日の出 〉伊勢志摩紀行 その二

〈 英虞湾 横山展望台 〉伊勢志摩紀行 その一
 

 

      前回の問題 解答
 「垂乳根の(たらちねの)」は、古くは「母」に、平安時代からは「親」にもかかる、枕詞です。
 「乳の実の(ちちのみの)」は、「父」にかかる枕詞です。
 

      今日の問題  
 伊勢神宮の式年遷宮は、何年間に渡って行われてきたでしょう。
       

 
 
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〈 たらちね 〉 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

  開進学園叢書・歌集『香る代に』(二瓶カヨ子 作 千葉日報社)から、〈 たらちね 〉に因んだ短歌を三首紹介します。

 八十坂をひたすらのぼるたらちねに 
  続かむものと子の願いつる 

 もの云わぬたらちねの目に今日も又 
  強く生きよと力おさるる 

 たらちねを永遠にたたえて偲びつつ
  過ぎしし日々の生命あかさん 

shikishi harimado (2)

 〈 乗り物 〉
   開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 あはれ 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 友 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 心 〉
   開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 山 〉
   開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 眼 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 道 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 悲し 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 時 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 夢 〉
   開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 
 

      前回の問題 解答
 能登地方で、「コケ」は「天然キノコ」、「コケ採り」は「キノコ採り」です。
 

      今日の問題  
 「垂乳根の(たらちねの)」は、古くは「母」に、平安時代からは「親」にもかかる、枕詞です。
 「乳の実の(ちちのみの)」は、何にかかる枕詞でしょう。
       

 
 
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能登半島からの手採りキノコ

 先日、冷蔵と表書きされた発泡スチロールパックが届きました。
 蓋を開け、覆っているシダの葉を取り除くと、キノコがギッシリと詰まっています。
 発送元は能登半島です。

 今夏に能登半島を一周した際、とある食事処に入りました。
 そこで、ご主人と長話になりました。

 店を一時期休業して、海外で和食の反応を探ったこと。
 能登半島に戻ってから、地元の食材を料理の中心に据えたこと。
 中でも、能登半島産のキノコがいかにすばらしいかということ。
 秋になると、毎日のように、キノコを採りに山中を歩き回ること。

 「毎年大量に採れるから送りましょう」
 そう言われても、本当に送って下さるとは思ってもみませんでした。

 今回入っていたのは、主に次の三種だそうです。
  マツミミ(ハツタケ)
  シバタケ(アミタケ)
  ヌルヌル
 最後の「ヌルヌル」は、能登半島でもご主人が住む地域での呼び名で、一般名は不明とのことでした。
 
 天麩羅にしても、お吸い物にしても、湯豆腐にしても、極上の秋の風味でした。
 
手採りタケノコ シダ

手採りタケノコ 

 
 

      前回の問題 解答
 『津軽海峡・雪景色(作詞・阿久悠 作曲・三木たかし 唄・石川さゆり』で、竜飛岬(龍飛崎)は「北のはずれ」と歌われています。
 

      今日の問題  
 能登地方で、「コケ」「コケ採り」とは何のことでしょう。
       

 
 
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