〈 平方根と日常生活 /アジアの香辛料 〉6月のわくわく学習会

 5月のわくわく学習会のテーマは、「アジアの香辛料」でした。

 数千年前の古代エジプトにおいて、異国の地・インドでしか栽培されないスパイスが、渇望されていました。
 とりわけシナモンを、命がけで手に入れようとしました。

 当時の人々は、死とは魂が肉体から分離されることと考えました。
 ただし、最後の審判を通過できた魂は、肉体に戻れます。
 その際に、戻るべき肉体が存続していなければなりません。
 そこで、死後に戻るべき肉体として、遺体のミイラ化が行われました。

 内臓などは取り除いたものの、長期に渡って保存するには、効果が持続する防腐剤も防虫剤も必要です。
 それに合致すると考えられたのが、シナモンでした。
  
 6月のわくわく学習会は、平方根が日常生活とどのように関わっているかについて考えます。

   < 6月のわくわく学習会 >
と き  6月17日(土) 14時00分~15時00分
ところ  開進学園
テーマ  平方根と日常生活
参加費  100円
連絡先  電話 043-273-6613(16時から)
メール  wakuwaku@kaishin.jp.net

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〈 アジアの香辛料/タイと王政 〉5月のわくわく学習会
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 ウが魚を丸呑みする習性から作られた、物事をよく確認しないままに受け入れることを表わしたことわざは、「鵜呑みにする」です。
 

      今日の問題 
 エジプトの女王・ハトシェプストが送った船団が持ち帰った品々の名前を刻んだ碑文にあるスパイスは、何でしょう。

 
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〈 茨城県海岸線の北端・福島県海岸線の南端 鵜ノ子岬 〉本州外周 その9

 平潟漁港の北側に突出しているのは、鵜ノ子岬です。
 約195kmに渡る茨城県の海岸線における、北端になります。

 鵜ノ子岬の由来は不明ですが、下北半島にウに関する言い伝えが残っています。
 海上での遭難者を探していると、ウが所在を教えてくれるのだそうです。
 雪中での遭難者を探している時も、ウが所在を教えてくれるのだそうです。

茨城県・福島県 鵜ノ子岬 全景

 鵜ノ子岬には、洞穴があります。
 近づいて洞穴を覗き込むと、勿来海岸とその先にある勿来火力発電所まで見通せました。

 鵜ノ子岬は、約166kmに渡る福島県の海岸線における、南端になります。
 鵜ノ子岬を過ぎると、本州外周は茨城県の部から福島県の部へ移ります。

茨城県・福島県 鵜ノ子岬 拡大

 〈 平潟漁港とアンコウ 〉本州外周 その8

 〈 五浦海岸と六角堂 〉本州外周 その7

 〈 野口雨情の生家 〉本州外周 その6

 〈 茨城県第二位の低山・天妃山 〉本州外周 その5

 〈 大洗海岸 〉本州外周 その4

 〈 鹿島灘と鹿島台地 〉本州外周 その3

 〈 鹿島灘と鹿島港 〉本州外周 その2

 〈 茨城県の最東端 〉本州外周 その1
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 若山牧水の和歌の「 」に入る語句は、「鋸山」です。
   海越えて「 」はかすめども
    此処の長浜浪立ちやまず
 

       今日の問題 
 ウが魚を丸呑みする習性から作られた、物事をよく確認しないままに受け入れることを表わしたことわざは、何でしょう。

 
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畳む文化 坐る文化 その17 健康気功教室

 畳は、氣とよく通じています。

 第三に、畳には吸湿性があります。
 雨が降り続いた時など、とりわけ梅雨の時期に、何もかもがジトーとしてくる中で、畳の上はサラリとしています。
 畳は、一畳当たり500mLもの水分を吸収してくれます。

 第四に、畳には弾力性があります。
 座布団を敷かずに畳の上で長時間坐り続けられるのは、畳が柔らかいからです。
 両足を交互に上げ下ろしするなどの動作を継続できるのは、畳の弾力性のおかげです。

 畳の上で、畳とともに呼吸し続ければ、心は爽やかになり、体は緩やかになるでしょう。  < 完 >

     < 健康気功教室 >
 と き  毎週木曜日の10時30分~12時
 ところ  開進学園 二階 広間
  電 話  043-273-6613
 メール   kokyu@kaishin.jp.net

  畳む文化 坐る文化 その16 

  畳む文化 坐る文化 その15

  畳む文化 坐る文化 その14

  畳む文化 坐る文化 その13

  畳む文化 坐る文化 その12

  畳む文化 坐る文化 その11

  畳む文化 坐る文化 その10

  畳む文化 坐る文化 その9

  畳む文化 坐る文化 その8

  畳む文化 坐る文化 その7

  畳む文化 坐る文化 その6

  畳む文化 坐る文化 その5

  畳む文化 坐る文化 その4

  畳む文化 坐る文化 その3 

  畳む文化 坐る文化 その2 

  畳む文化 坐る文化 その1
kenkou kikou kyoushitsu

気功 広間

〈 鋸山 〉房総紀行

 鋸山ロープウェーの、山麓駅の標高は37m、山頂駅の標高は262mです。
 鋸山ロープウェーは、高度差225m・全長680mを、約4分で上ります。
 千葉県内で、唯一のロープウェーです。

鋸山 ロープウェー

 鋸山は、房州石(金谷石)の石切場として栄えました。
 そこで働く石工さんの傑作が、「地獄のぞき」です。
 岩壁に突き出た岩の下は、およそ100mの奈落の底です。

鋸山 地獄のぞき

 鋸山の山頂一帯は、約33万㎥に渡って日本寺の境内になっています。
 正しくは、鋸山日本寺ではなく、乾坤山日本寺です。
 約1300年前に、聖武天皇の勅詔に基づき、行基によって開かれました。

鋸山 山頂

〈 上総金光明四天王護国之寺(上総国分寺) 〉房総紀行

〈 上総法華滅罪之寺(上総国分尼寺) 〉房総紀行

〈 布良海岸と『海の幸』 〉  房総紀行

〈 根本海岸と若山牧水 〉   房総紀行

〈 東京大空襲と東京湾観音 〉 房総紀行

〈 大房岬 〉         房総紀行

〈 洲崎に沈む夕日 〉     房総紀行

〈 勝浦海岸 八幡岬 〉    房総紀行

〈 刑部岬と飯岡 〉      房総紀行

〈 黒生海岸 とんび岩 〉   房総紀行
 
 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 北茨城市で「海のフォアグラ」とは、「アンコウ」を指します。
 

       今日の問題 
 若山牧水の和歌の「 」に入る語句は、何でしょう。
   海越えて「 」はかすめども
    此処の長浜浪立ちやまず

 
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〈 平潟漁港とアンコウ 〉本州外周 その8

 茨城県の海岸線で一番北の自治体は、北茨城市です。
 その中で一番北に位置するのは、平潟魚港です。

茨城県 平潟 漁港

 平潟漁港の特産物と言えば、アンコウです。
 漁港の中央には、巨大なアンコウ像が立っています。

茨城県 平潟 あんこう像

 平潟漁港近くの旅館では、アンコウ鍋を振る舞ってくれます。
 元々は漁師飯で、アンコウと野菜から出る水分に味噌で味付けしました。

茨城県 平潟 あんこう鍋

 2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震は、北茨城市に深度6弱の強い揺れと最大6.7mの大津波をもたらしました。
 東日本大震災記念碑は、大津波の到達点が如何に高いかを示してくれます。

茨城県 平潟 津波記念碑

 〈 五浦海岸と六角堂 〉本州外周 その7

 〈 野口雨情の生家 〉本州外周 その6

 〈 茨城県第二位の低山・天妃山 〉本州外周 その5

 〈 大洗海岸 〉本州外周 その4

 〈 鹿島灘と鹿島台地 〉本州外周 その3

 〈 鹿島灘と鹿島港 〉本州外周 その2

 〈 茨城県の最東端 〉本州外周 その1
 
 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 小倉百人一首で語句は、「奥山」と「声聞く」です。
   「 」に紅葉ふみわけ鳴く鹿の
    「 」ときぞ秋は悲しき
 

       今日の問題 
 北茨城市で「海のフォアグラ」とは何を指しているでしょう。

 
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小倉百人一首と藤原定家 その五

 承久の乱が起きた時、藤原定家は60歳でした。
 自分の和歌の才能を引き出してくれたのも、和歌における地位のみならず、貴族としての地位を与えてくれたのも、後鳥羽上皇でした。
 その恩深き後鳥羽上皇の許を離れて、鎌倉幕府側に立たねばならぬ藤原定家の胸中は、如何ばかりだったでしょう。
 
 されど、背に腹は代えられません。
 自分が所有する荘園を維持するためには、鎌倉幕府の力に頼らざるをえなかったからです。

  人をもし人も恨めしあぢきなく
   世を思ふゆゑに物思ふ身は

 小倉百人一首第九十九番・後鳥羽上皇の歌は、藤原定家の思いも表れているようです。  < つづく >
小倉百人一首

 小倉百人一首と藤原定家 その四

 小倉百人一首と藤原定家 その三

 小倉百人一首と藤原定家 その二

 小倉百人一首と藤原定家 その一

 
 
 
 
      前回の問題 解答
 「関東の松島」とも呼ばれているのは、茨城県の五浦海岸です。
 

       今日の問題 
 小倉百人一首で、次の「 」に入る語句は何でしょう。
   「 」に紅葉ふみわけ鳴く鹿の
    「 」ときぞ秋は悲しき

 
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〈 五浦海岸と六角堂 〉本州外周 その7

 大津漁港を過ぎ、大津岬を回れば、五浦海岸です。
 
 この一帯は、約1600万年前に形成された大陸棚上の堆積地形です。
 長年の浸食作用に耐えた固い岩盤が、岸壁や岩礁として、露出しています。

 五浦海岸の景観に心ひかれた岡倉天心は、この地に住まいを移すとともに、この地を日本美術再興の拠点としました。

 岡倉天心の広大な住まいは、長屋門や住居などを含め、「天心遺跡」と名付けられて保護・継承されています。
 それらの中心となるのが、六角堂です。

 六角堂は、海上へ突き出た岩盤に建てられています。
 建物内から釣り糸を垂らして、海釣りができるほど、岸壁すれすれです。
 「大波を観る東屋」として、「観瀾亭」とも呼ばれています。

 これほど海に迫り出した構造のため、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震による津波によって、流出してしまいました。
 それでも復元・再建され、現在に至っています。

茨城県 六角堂

 〈 野口雨情の生家 〉本州外周 その6

 〈 茨城県第二位の低山・天妃山 〉本州外周 その5

 〈 大洗海岸 〉本州外周 その4

 〈 鹿島灘と鹿島台地 〉本州外周 その3

 〈 鹿島灘と鹿島港 〉本州外周 その2

 〈 茨城県の最東端 〉本州外周 その1
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 小倉百人一首で「 」に入る語句は、「田子の浦」と「富士の高嶺」です。
   「 」にうち出でて見れば白妙の
    「 」に雪は降りつつ
 

       今日の問題 
 「関東の松島」とも呼ばれているのは、茨城県の何海岸でしょう。

 
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小倉百人一首と藤原定家 その四

 藤原定家が生まれた1162年の三年前に、平治の乱が起きています。
 その後、平氏が政権を握り、さらには源氏が権力を握って鎌倉幕府を開きます。

 藤原定家は、自らが依拠する公家社会の勢力が衰え、代わって武家社会の勢力が増していく、巨大な渦の中に身を置いていました。

 後鳥羽上皇は、公家社会から武家社会への移行を逆転させるため、「北条義時(鎌倉幕府の第二代執権)を追討せよ」との宣旨を発します。
 承久の乱です。

 しかしながら、鎌倉幕府の大勢力に敵うはずがありません。
 後鳥羽上皇は、隠岐へ島流しになります。
 皇室領の荘園約3000ヶ所が、没収されます。
 公家の政治的・経済的基盤は、衰退の一途を辿るばかりです。
       < つづく >

小倉百人一首

 小倉百人一首と藤原定家 その三

 小倉百人一首と藤原定家 その二

 小倉百人一首と藤原定家 その一

 
 
 
      前回の問題 解答
 三大童謡詩人とは、 野口雨情の他、北原白秋と西條八十です。
 

       今日の問題 
 小倉百人一首の、次の「 」に入る語句は何でしょう。
   「 」にうち出でて見れば白妙の
    「 」に雪は降りつつ

 
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〈 野口雨情の生家 〉本州外周 その6

 茨城県の太平洋岸を縫う国道六号線(陸前浜街道)を北上すると、道路右手の磯原海岸に対して、左手に野口雨情の生家があります。
 磯原海岸を見渡せる旧家は、「観海亭」と呼ばれています。

 野口雨情は、東京・室蘭・水戸などに住まい、全国や世界を旅しながら、夥しい数の詩を書き続けます。
  『青いすすき』
  『青い眼の人形』
  『赤い靴』
  『あの町この町』
  『雨降りお月さん』
   ・・・

 それでも、野口雨情の詩作の原点は、生地・磯原にあります。
 「ビクター初のヒット曲」とされる『浪浮の港』も、伊豆の大島へ出かけることなく、磯原海岸に飛び交うウミウと、磯原海岸から眺めた夕日を基に、着想を練ったそうです。

 詩とは、言葉の音楽である。
 童謡は、童心より流れて童心をうたう自然詩である。
    野口雨情

茨城県 野口雨情 生家

 〈 茨城県第二位の低山・天妃山 〉本州外周 その5

 〈 大洗海岸 〉本州外周 その4

 〈 鹿島灘と鹿島台地 〉本州外周 その3

 〈 鹿島灘と鹿島港 〉本州外周 その2

 〈 茨城県の最東端 〉本州外周 その1
 
 
 
      前回の問題 解答
 「数多」は、「あまた」です。
 

       今日の問題 
 三大童謡詩人とは、 野口雨情の他、誰と誰でしょう。

 
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〈 山 〉 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

  開進学園叢書・歌集『香る代に』(二瓶カヨ子 作 千葉日報社)から、〈 山 〉に因んだ短歌を三首紹介します。

 数多度山にのぼりて薪負ふ 
  子等の身強くあらせ給へと 

 よつづみを手折りし子らは列におくれ 
  汗あえにつつ山を下り来も 

 秋晴れの山に集ひて教え子と
  働く今日のひと日楽しも 

shikishi harimado (2)

 〈 眼 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 道 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 悲し 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 時 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 夢 〉
   開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 生命 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 月 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 獨り 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 別れ 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 永遠 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 
 
 
 
      前回の問題 解答
 化学肥料を大量に投下して生産量を拡大しようとしたものの、農地はやせ細り収穫も減少した、1960~1970年代の取り組みは、「緑の革命」と呼ばれました。
 

       今日の問題 
 「数多」は、何と読むでしょう。

 

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