月別アーカイブ: 2023年5月

〈 鋸山 〉房総紀行

 鋸山ロープウェーの、山麓駅の標高は37m、山頂駅の標高は262mです。
 鋸山ロープウェーは、高度差225m・全長680mを、約4分で上ります。
 千葉県内で、唯一のロープウェーです。

鋸山 ロープウェー

 鋸山は、房州石(金谷石)の石切場として栄えました。
 そこで働く石工さんの傑作が、「地獄のぞき」です。
 岩壁に突き出た岩の下は、およそ100mの奈落の底です。

鋸山 地獄のぞき

 鋸山の山頂一帯は、約33万㎥に渡って日本寺の境内になっています。
 正しくは、鋸山日本寺ではなく、乾坤山日本寺です。
 約1300年前に、聖武天皇の勅詔に基づき、行基によって開かれました。

鋸山 山頂

〈 上総金光明四天王護国之寺(上総国分寺) 〉房総紀行

〈 上総法華滅罪之寺(上総国分尼寺) 〉房総紀行

〈 布良海岸と『海の幸』 〉  房総紀行

〈 根本海岸と若山牧水 〉   房総紀行

〈 東京大空襲と東京湾観音 〉 房総紀行

〈 大房岬 〉         房総紀行

〈 洲崎に沈む夕日 〉     房総紀行

〈 勝浦海岸 八幡岬 〉    房総紀行

〈 刑部岬と飯岡 〉      房総紀行

〈 黒生海岸 とんび岩 〉   房総紀行
 
 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 北茨城市で「海のフォアグラ」とは、「アンコウ」を指します。
 

       今日の問題 
 若山牧水の和歌の「 」に入る語句は、何でしょう。
   海越えて「 」はかすめども
    此処の長浜浪立ちやまず

 
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〈 平潟漁港とアンコウ 〉本州外周 その8

 茨城県の海岸線で一番北の自治体は、北茨城市です。
 その中で一番北に位置するのは、平潟魚港です。

茨城県 平潟 漁港

 平潟漁港の特産物と言えば、アンコウです。
 漁港の中央には、巨大なアンコウ像が立っています。

茨城県 平潟 あんこう像

 平潟漁港近くの旅館では、アンコウ鍋を振る舞ってくれます。
 元々は漁師飯で、アンコウと野菜から出る水分に味噌で味付けしました。

茨城県 平潟 あんこう鍋

 2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震は、北茨城市に深度6弱の強い揺れと最大6.7mの大津波をもたらしました。
 東日本大震災記念碑は、大津波の到達点が如何に高いかを示してくれます。

茨城県 平潟 津波記念碑

 〈 五浦海岸と六角堂 〉本州外周 その7

 〈 野口雨情の生家 〉本州外周 その6

 〈 茨城県第二位の低山・天妃山 〉本州外周 その5

 〈 大洗海岸 〉本州外周 その4

 〈 鹿島灘と鹿島台地 〉本州外周 その3

 〈 鹿島灘と鹿島港 〉本州外周 その2

 〈 茨城県の最東端 〉本州外周 その1
 
 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 小倉百人一首で語句は、「奥山」と「声聞く」です。
   「 」に紅葉ふみわけ鳴く鹿の
    「 」ときぞ秋は悲しき
 

       今日の問題 
 北茨城市で「海のフォアグラ」とは何を指しているでしょう。

 
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『小倉百人一首』と藤原定家 その五

 承久の乱が起きた時、藤原定家は60歳でした。
 自分の和歌の才能を引き出してくれたのも、和歌における地位のみならず、貴族としての地位を与えてくれたのも、後鳥羽上皇でした。
 その恩深き後鳥羽上皇の許を離れて、鎌倉幕府側に立たねばならぬ藤原定家の胸中は、如何ばかりだったでしょう。
 
 されど、背に腹は代えられません。
 自分が所有する荘園を維持するためには、鎌倉幕府の力に頼らざるをえなかったからです。

  人をもし人も恨めしあぢきなく
   世を思ふゆゑに物思ふ身は

 『小倉百人一首』第九十九番・後鳥羽上皇の歌は、藤原定家の思いも表れているようです。  < つづく >
小倉百人一首

 『小倉百人一首』と藤原定家 その四

 『小倉百人一首』と藤原定家 その三

 『小倉百人一首』と藤原定家 その二

 『小倉百人一首と藤原定家』 その一

 
 
 
 
      前回の問題 解答
 「関東の松島」とも呼ばれているのは、茨城県の五浦海岸です。
 

       今日の問題 
 『小倉百人一首で、次の「 」に入る語句は何でしょう。
   「 」に紅葉ふみわけ』鳴く鹿の
    「 」ときぞ秋は悲しき

 
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〈 五浦海岸と六角堂 〉本州外周 その7

 大津漁港を過ぎ、大津岬を回れば、五浦海岸です。
 
 この一帯は、約1600万年前に形成された大陸棚上の堆積地形です。
 長年の浸食作用に耐えた固い岩盤が、岸壁や岩礁として、露出しています。

 五浦海岸の景観に心ひかれた岡倉天心は、この地に住まいを移すとともに、この地を日本美術再興の拠点としました。

 岡倉天心の広大な住まいは、長屋門や住居などを含め、「天心遺跡」と名付けられて保護・継承されています。
 それらの中心となるのが、六角堂です。

 六角堂は、海上へ突き出た岩盤に建てられています。
 建物内から釣り糸を垂らして、海釣りができるほど、岸壁すれすれです。
 「大波を観る東屋」として、「観瀾亭」とも呼ばれています。

 これほど海に迫り出した構造のため、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震による津波によって、流出してしまいました。
 それでも復元・再建され、現在に至っています。

茨城県 六角堂

 〈 野口雨情の生家 〉本州外周 その6

 〈 茨城県第二位の低山・天妃山 〉本州外周 その5

 〈 大洗海岸 〉本州外周 その4

 〈 鹿島灘と鹿島台地 〉本州外周 その3

 〈 鹿島灘と鹿島港 〉本州外周 その2

 〈 茨城県の最東端 〉本州外周 その1
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 小倉百人一首で「 」に入る語句は、「田子の浦」と「富士の高嶺」です。
   「 」にうち出でて見れば白妙の
    「 」に雪は降りつつ
 

       今日の問題 
 「関東の松島」とも呼ばれているのは、茨城県の何海岸でしょう。

 
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小倉百人一首と藤原定家 その四

 藤原定家が生まれた1162年の三年前に、平治の乱が起きています。
 その後、平氏が政権を握り、さらには源氏が権力を握って鎌倉幕府を開きます。

 藤原定家は、自らが依拠する公家社会の勢力が衰え、代わって武家社会の勢力が増していく、巨大な渦の中に身を置いていました。

 後鳥羽上皇は、公家社会から武家社会への移行を逆転させるため、「北条義時(鎌倉幕府の第二代執権)を追討せよ」との宣旨を発します。
 承久の乱です。

 しかしながら、鎌倉幕府の大勢力に敵うはずがありません。
 後鳥羽上皇は、隠岐へ島流しになります。
 皇室領の荘園約3000ヶ所が、没収されます。
 公家の政治的・経済的基盤は、衰退の一途を辿るばかりです。
       < つづく >

小倉百人一首

 小倉百人一首と藤原定家 その三

 小倉百人一首と藤原定家 その二

 小倉百人一首と藤原定家 その一

 
 
 
      前回の問題 解答
 三大童謡詩人とは、 野口雨情の他、北原白秋と西條八十です。
 

       今日の問題 
 小倉百人一首の、次の「 」に入る語句は何でしょう。
   「 」にうち出でて見れば白妙の
    「 」に雪は降りつつ

 
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〈 野口雨情の生家 〉本州外周 その6

 茨城県の太平洋岸を縫う国道六号線(陸前浜街道)を北上すると、道路右手の磯原海岸に対して、左手に野口雨情の生家があります。
 磯原海岸を見渡せる旧家は、「観海亭」と呼ばれています。

 野口雨情は、東京・室蘭・水戸などに住まい、全国や世界を旅しながら、夥しい数の詩を書き続けます。
  『青いすすき』
  『青い眼の人形』
  『赤い靴』
  『あの町この町』
  『雨降りお月さん』
   ・・・

 それでも、野口雨情の詩作の原点は、生地・磯原にあります。
 「ビクター初のヒット曲」とされる『浪浮の港』も、伊豆の大島へ出かけることなく、磯原海岸に飛び交うウミウと、磯原海岸から眺めた夕日を基に、着想を練ったそうです。

 詩とは、言葉の音楽である。
 童謡は、童心より流れて童心をうたう自然詩である。
    野口雨情

茨城県 野口雨情 生家

 〈 茨城県第二位の低山・天妃山 〉本州外周 その5

 〈 大洗海岸 〉本州外周 その4

 〈 鹿島灘と鹿島台地 〉本州外周 その3

 〈 鹿島灘と鹿島港 〉本州外周 その2

 〈 茨城県の最東端 〉本州外周 その1
 
 
 
      前回の問題 解答
 「数多」は、「あまた」です。
 

       今日の問題 
 三大童謡詩人とは、 野口雨情の他、誰と誰でしょう。

 
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〈 山 〉 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

  開進学園叢書・歌集『香る代に』(二瓶カヨ子 作 千葉日報社)から、〈 山 〉に因んだ短歌を三首紹介します。

 数多度山にのぼりて薪負ふ 
  子等の身強くあらせ給へと 

 よつづみを手折りし子らは列におくれ 
  汗あえにつつ山を下り来も 

 秋晴れの山に集ひて教え子と
  働く今日のひと日楽しも 

shikishi harimado (2)

 〈 眼 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 道 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 悲し 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 時 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 夢 〉
   開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 生命 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 月 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 獨り 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 別れ 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 永遠 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 
 
 
 
      前回の問題 解答
 化学肥料を大量に投下して生産量を拡大しようとしたものの、農地はやせ細り収穫も減少した、1960~1970年代の取り組みは、「緑の革命」と呼ばれました。
 

       今日の問題 
 「数多」は、何と読むでしょう。

 

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