西鉄柳川駅からすぐの観光船乗り場から、堀割巡り(川下り)に出かけました。
水面は、さざ波一つ立たず、穏やかです。
船頭さんの軽妙な語りだけを聞きながら、静寂の中を進みます。
とその時、小さな橋に差し掛かります。
乗客は皆、背を縮めて、身を守ります。
巧みに身を屈める船頭さんには、拍手が湧き起こります。
柳川に堀割が造られ始めたのは、弥生時代に遡ると言われています。
掘った所は貯水池兼水路にし、掘り上げた土を盛った所は水田にします。
堀割造りは、時代が下るに従い、加速します。
有明海の干満差は最大で約6mにも達し、満潮時の貯水池が必要だったからです。
柳川の堀割は、住民にとって災害対策としても生活用水としても、不可欠な存在でした。
ところが軍事基地として城が築かれるようになると、堀割の役割は一変します。
堀割は、防御用の最重要施設となったからです。
住民の利用は、制限されます。
幾重にも堀割で囲まれた柳川城は、難攻不落の水城として、天下にその名を轟かせます。
城郭としての役割が終えても、住民の堀割利用は元に戻りませんでした。
水道が完備された結果、堀割を生活用水として使用する必要がなくなったからです。
使用価値を見出せなくなった堀割は、汚れる一方になります。
1954年、映画『からたちの花』が柳川を舞台として撮影されます。
これを機に、堀割の存在が再評価され、堀割巡り(川下り)も始まります。
「水郷・柳川」の復活でした。
前回の問題 解答
茶の湯とともに、連歌にも造詣が深く、次の発句を残したのは、明智光秀です。
ときは今 あめが下知る 五月哉
今日の問題
柳川の堀割総延長距離は、新幹線のどの駅間距離に近似するでしょう。
A 東京~静岡
B 東京~名古屋
C 東京~新大阪
D 東京~岡山
E 東京~広島
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