月別アーカイブ: 2023年6月

〈 請戸漁港 福島県の最東端 〉本州外周 その17

 請戸川の河口に開けた請戸漁港は、江戸時代から栄えてきました。
 最盛時には、186隻もの漁船が所属していました。

 2011年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震は、15.5mの巨大津波で請戸漁港に襲いかかります。
 漁船94隻中86隻が、流出・大破します。
 港湾関連施設は、使用不可能に陥ります。

 それから10年後、福島県内で被災した漁港のうち、最後に復旧します。
 東京電力福島第一原子力発電所から6kmほどしか離れておらず、長らく立ち入りが規制されていたからです。

 請戸漁港の位置は、次の通りです。
   東経 141度02分37秒
   北緯 37度28分54秒
 福島県内で最東端の地点になります。

福島県 請戸漁港

 〈 震災遺構・請戸小学校 〉本州外周 その16

 〈 「山を越えろ」 災害伝承館 〉本州外周 その15

 〈 立ち入りを阻む二重鉄柵 〉本州外周 その14

 〈 平沼ノ内弁天岬 賽ノ河原 〉本州外周 その13

 〈 塩屋崎 〉本州外周 その12

 〈 小名浜港と三崎公園 〉本州外周 その11

 〈 勿来の関公園 〉本州外周 その10

 〈 茨城県海岸線の北端・福島県海岸線の南端 鵜ノ子岬 〉本州外周 その9
 
 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 『小倉百人一首』で次の「 」に入る語句は、「花の色」と「我が身世に」です。
   「 」は移りにけりないたづらに
    「 」ふるながめせし間に
 

      今日の問題 
 請戸漁港に水揚げされる、アイナメ・カレイ・シラス・ヒラメなど100種類にのぼる魚は、何と総称されているでしょう。
    

 
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『小倉百人一首』と藤原定家 その九

 藤原定家は、辛く長い闘病生活を送ってきたため、生きることへの熱望が、人一倍強かったかもしれません。
 生き続けたいとの執念が、百人の人生を一人一人細やかに見つめる眼となって、『小倉百人一首』を編み出したのでしょう。

 病は、障害の一つです。
 学習や仕事などに、差し支える側面があります。
 しかし、病の中でも、学習や仕事などができないとは限りません。
 藤原定家は、打ち続く病魔と格闘しつつ、学習し、仕事を続け、業績を積み上げていきました。

 『小倉百人一首』を編集し終えてから6年後、藤原定家は80歳で天寿を全うしています。
 今から800年ほど前としては、驚くべき長命でした。 < 完 >

小倉百人一首

 『小倉百人一首』と藤原定家 その八

 『小倉百人一首』と藤原定家 その七

 『小倉百人一首』と藤原定家 その六

 『小倉百人一首』と藤原定家 その五

 『小倉百人一首』と藤原定家 その四

 『小倉百人一首』と藤原定家 その三

 『小倉百人一首』と藤原定家 その二

 『小倉百人一首と藤原定家』 その一

 
 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 災いを通せんぼする役割を担うのは、「かしま人形」です。
 

      今日の問題 
 『小倉百人一首』で、次の「 」に入る語句は何でしょう。
   「 」は移りにけりないたづらに
    「 」ふるながめせし間に
    

 
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〈 災いよけの網つり 房総のむら 〉房総紀行

 現在、新型コロナウイルス感染症の新たな流行とともに、それ以外の感染症の流行も、危惧されています。
 医療が進んだ現代においても大変なのに、医療が遅れていた時代にあっては、さぞかし大変だったでしょう。
 神仏にすがるだけでは不安が解消できないとなれば、自力で災いの侵入を阻まねばなりません。

 上総では、感染症がよその地区から入り込まないように、よその地区との境界に、災いをよける綱をつりました。
 金田地区(現木更津市)の網には、次の物がつられていました。
   サイコロ
   かしま人形
   えび
   ふだ
   たわし
   たこ

 房総のむら(栄町にある体験型博物館)では、災いよけの網を張り続けて、感染症の拡大を阻んでいました。
 
房総のむら 災いよけ 網つり

〈 鋸山 〉房総紀行

〈 上総金光明四天王護国之寺(上総国分寺) 〉房総紀行

〈 上総法華滅罪之寺(上総国分尼寺) 〉房総紀行

〈 布良海岸と『海の幸』 〉  房総紀行

〈 根本海岸と若山牧水 〉   房総紀行

〈 東京大空襲と東京湾観音 〉 房総紀行

〈 大房岬 〉         房総紀行
 
 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 津波による死者と行方不明者・119名は、請戸地区住民の7.6%に当たります。
 

      今日の問題 
 災いを通せんぼする役割を担うのは、次の中のどれでしょう。
   サイコロ
   かしま人形
   えび
   ふだ
   たわし
   たこ
    

 
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〈 震災遺構・請戸小学校 〉本州外周 その16

 2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震は、激しい震動とともに、巨大津波を発生させました。
 海岸から300mほどしか離れていない請戸小学校(浪江町)にも、高さ約15mの津波が押し寄せます。

 危険を察知した児童と教員は、地区住民が津波に飲まれる中、すぐさま2kmほど離れた大平山(標高・約40m)へ、避難を始めます。
 途中、山道を経験していた児童の機転で、大回りの公道を避け、抜け道を辿って間一髪、全員が頂上へ無事辿り着くことができました。

 奇跡的に一人の犠牲者も出さなかった請戸小学校の校舎は、津波の凄まじさを後世に永く伝えるため、震災遺構として保存・公開されています。
福島県 請戸小

 〈 「山を越えろ」 災害伝承館 〉本州外周 その15

 〈 立ち入りを阻む二重鉄柵 〉本州外周 その14

 〈 平沼ノ内弁天岬 賽ノ河原 〉本州外周 その13

 〈 塩屋崎 〉本州外周 その12

 〈 小名浜港と三崎公園 〉本州外周 その11

 〈 勿来の関公園 〉本州外周 その10

 〈 茨城県海岸線の北端・福島県海岸線の南端 鵜ノ子岬 〉本州外周 その9

 〈 平潟漁港とアンコウ 〉本州外周 その8
 
 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 「心算」は、熟字訓で「つもり」と読みます。
 

      今日の問題 
 津波による死者と行方不明者・119名は、請戸地区住民の何%に当たるでしょう。
  A 1.6%
  B 3.6%
  C 5.6%
  D 7.6%
    

 
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〈 心 〉 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

  開進学園叢書・歌集『香る代に』(二瓶カヨ子 作 千葉日報社)から、〈 心 〉に因んだ短歌を三首紹介します。

 わが心なぐさめかねてさりげなく 
  涙ぬぐひぬ君は知れりや 

 ほほゑめる人の美ししづかなる 
  心のひかり面にうつりて 

 君と行く道おのづからつつましく
  こころ豊かに過ごさんものと 

shikishi harimado (2)

 〈 山 〉
   開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 眼 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 道 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 悲し 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 時 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 夢 〉
   開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 生命 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 月 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 獨り 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 別れ 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 
 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故による放射性物質は、西方では、千葉県は言うに及ばず、香川県や兵庫県まで到達しました。
 

      今日の問題 
 「心算」は、熟字訓で何と読むでしょう。
    

 
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〈 「山を越えろ」 災害伝承館 〉本州外周 その15

 東京電力福島第一原子力発電所が立地している双葉町の海岸近くに、東日本大震災・原子力災害伝承館があります。
 
 伝承館の基本理念は、次の三点です。
  ➊ 原子力災害と復興の記録や教訓の、未来への継承・世界との共有
  ➋ 福島にしかない経験や教訓を生かす、防災・減災
  ➌ 福島に心を寄せる人々や団体と連携する、復興の加速化への寄与

 常設展示は、五つのテーマに分かれています。
  ① 災害の始まり
  ② 原子力発電所事故直後の対応 
  ③ 県民の想い
  ④ 長期化する原子力発電災害の影響
  ⑤ 復興への挑戦

 このような展示もさることながら、深く心に刻まれたのは、地元で災害を経験された方々による、語り部講話です。

 原子力発電所の爆発に伴う脱出の話は、危機迫るものでした。
 中で最も印象に残ったのは、次の言葉です。
  「山を越えろ」

 津波被害を避けるためには、一刻も早く山へ駆け上がることです。
 しかし、原子力発電所の爆発事故において、山へ駆け上っただけでは、助かりません。
 講話をされた方は、事故が起きる前から、原子力発電所が爆発したら、家族がバラバラになったとしても、各自がそれぞれに山を越えると、確認しあっていたそうです。
 津波対策となる山でも、放射能対策にはなりません。
 「山を越えろ」の山とは、海岸近くにある山々ではなく、海岸から数十km以上離れた阿武隈山地を指します。
 現に、東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故による放射性物質は、浜通り(福島県の太平洋岸)一帯に、厚く降り注いでいました。
 爆発事故による放射性物質から逃れるためには、浜通りと中通り(福島県の中部)の境となる、阿武隈山地を超えなければならなかったのです。 


福島県 災害伝承館

 〈 立ち入りを阻む二重鉄柵 〉本州外周 その14

 〈 平沼ノ内弁天岬 賽ノ河原 〉本州外周 その13

 〈 塩屋崎 〉本州外周 その12

 〈 小名浜港と三崎公園 〉本州外周 その11

 〈 勿来の関公園 〉本州外周 その10

 〈 茨城県海岸線の北端・福島県海岸線の南端 鵜ノ子岬 〉本州外周 その9

 〈 平潟漁港とアンコウ 〉本州外周 その8

 〈 五浦海岸と六角堂 〉本州外周 その7

 〈 野口雨情の生家 〉本州外周 その6
 
 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 『小倉百人一首』で次の「 」に入る語句は、「わが庵」と「世をうぢ山」です。
   「 」は都のたつみしかぞ住む
    「 」と人はいふなり
 

      今日の問題 
 東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故による放射性物質は、西方では、千葉県は言うに及ばず、何県まで到達したでしょう。
    

 
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『小倉百人一首』と藤原定家 その八

 藤原定家が『小倉百人一首』を編集したのは、74歳の時でした。
 その3年前に、権中納言(大臣・大納言に次ぐ地位)になったのを最後に、官職を離れています。
 
 藤原定家は、71歳まで現役で働いていたことになります。
 官職は退いても、『新勅撰和歌集』を編集するなど、活躍は続きます。

 ここまでを聞けば、老いて益々盛んなりと言えそうです。
 しかしながら、藤原定家は幼い頃から極めて病弱でした。
 赤斑瘡や天然痘などの大病を患い、何度も絶命の危機に直面しました。
 
 老いてからは、リュウマチや気管支喘息などに苦しめられました。
 病と闘い続けた生涯でした。 < つづく > 

小倉百人一首

 『小倉百人一首』と藤原定家 その七

 『小倉百人一首』と藤原定家 その六

 『小倉百人一首』と藤原定家 その五

 『小倉百人一首』と藤原定家 その四

 『小倉百人一首』と藤原定家 その三

 『小倉百人一首』と藤原定家 その二

 『小倉百人一首と藤原定家』 その一

 
 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 日本で発生する食品ロス量(一年間分)は、国連世界食糧計画が行っている食料援助量(一年間分)の、約140%(1.4倍)に当たます。
 

      今日の問題 
 『小倉百人一首』で、次の「 」に入る語句は何でしょう。
   「 」は都のたつみしかぞ住む
    「 」と人はいふなり
    

 
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