日中間に架ける橋 武田泰淳

 漢字で表記し、四字熟語や慣用句を
多用するなど、日本の文化は中国文化
の強い影響下にあり、日本文化と中国
文化は密接な関係にあります。

 それにもかかわらず、影響を受けた
のは中国古典文化であって後世の中国
文化ではないとし、後世の中国文化を
軽んじる傾向があります。
 それは、中国への蔑視につながり、
「進んだ日本」は「遅れている中国」へ
侵略してもかまわないという見解に結
びつきます。

 武田泰淳は、『風媒花』で次のよう
に述べています。

 米英と戦うことは、強者に挑んだ日
本人の、せつない戦いの一種であった。
 米英に対して、日本は無鉄砲な挑戦
者であったが、いやらしい侵略者では
なっかた(侵略者であることすら出来な
かった)。
 だが同じ黄色の皮膚をした隣国人に
対しては、日本は徹底的な強者、侵略
者、支配者として振舞おうとした。

 武田泰淳は、中国戦線の経験を経た
後、日中友好のために働くべく、戦局
が悪化する中国本土へ、自らの意志で
渡ります。

 日本と中国との間には断崖がそびえ、
深淵が横たわっている。
 その崖と淵は、どんな器用な政治家
でも、埋められないし、飛び越せもし
ない。
 そこには新しい鉄の橋のための、必
死の架設作業が必要だった。

 武田泰淳 1976年10月5日 永眠
      享年 六十四

takeda taijun

  

 

 

 

 

 

      前回の問題 解答
 斎藤茂吉は、こう詠んでいます。
  たくましげ箱根の山に夜もすがら
   「薄」をてらす「月」のさやけさ
 

 

        今日の問題 
 武田泰淳は、『司馬遷』の中で記録に
ついてどう述べているでしょう。
  A おそろしい
  B 価値がある
  C むずかしい
  D やりがいがある

 

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