大伴家持は、薩摩国(現鹿児島県)や上総国(現千葉県)など、六か国の守(かみ・ちょうかん)を務めました。
中でも越中国の守が、抜きん出て注目されています。
一つは、東大寺の関係です。
現存する『東大寺墾田地図』24葉のうち、17葉が越中国内です。
東大寺の墾田は、越中国内で7か村・約580町にも達しています。
越中国内の墾田無くして、盧舎那大仏の建立はありえなかったでしょう。
もう一つは、『万葉集』の関係です。
平城京から遠路はるばる越中まで、田辺福麻呂が訪ねて来て、大伴家持は四日連続で大歓待しています。
田辺福麻呂は、著名な歌人にして、「左大臣橘家の使者」です。
時の最高権力者・橘諸兄は、藤原氏に対抗するため、大伴家持を自派に取り込み、編纂途上にあった『万葉集』を完成させようとしたのでしょう。
『万葉集』全二十巻のうち、巻第十七から巻第二十までは、それ以前の巻と大きく異なる構成になっています。
巻第十七 越中国に関わる歌が約74%
巻第十八 越中国に関わる歌が100%
巻第十九 越中国に関わる歌が約77%
巻第二十 防人歌が約42%
大伴家持は、兵部少輔として防人の監督もしていました。
『万葉集』全二十巻の巻第十七から巻第二十までは、明らかに大伴家持による編纂です。
大伴家持は、5年に渡る越中国での務めを終えるに当たり、次の歌を詠んでいます。
しな離(ざか)る越に五年住み住みて
立ち別れまく惜しき初夜(よひ)かも
『万葉集 巻第十九 4150』
「しなざかる」は、大伴家持が創案したと伝えられる、「越」に掛かる枕詞です。
前回の問題 解答
穴見海岸の沖で泳ぐ姿が撮影された、「人魚伝説」の基や「地震や津波の前触れ」とされ、水深約200m~1000mに住む深海魚は、リュウグウノツカイです。
今日の問題
越中国の東大寺墾田約580町は、サッカーフィールド何面に相当するでしょう。
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