沢庵和尚が少年期・青年期を過ごした
のは、戦国時代末期から江戸時代初期。
武士が立身出世を目指したのと同様
に、僧侶の間でも立身出世を目指す動
きが目立つようになりました。
このような風潮に潔しとしなかった
のが、沢庵和尚でした。
地位や名誉にこだわらず、言うべき
ことは率直に進言します。
そのおかげで、上ノ山(山形県)へ流
されたりもします。
それでも、三代将軍・徳川家光の相
談役も務めます。
数万人の犠牲者を出した天草島原の
乱に際しては、次のように諭したそう
です。
人と争うのも夢の中の争いで、さめ
れば相手はいない。
現と思うのもゆめ。
それを知らず勝ってよろこび負けて
悲しむ。
自他の対立の夢で争う。
ただ、勝ちをよろこばず敗けを怒ら
ぬこころになって夢中の争いごとを止
め、勝敗ともに無い無事の人になられ
よ。
『禅語百選』松原泰道 著 祥伝社
沢庵和尚 十二月十一日(1645年・
2019年のカレンダーでは1
月16日) 永眠
享年 七十三
前回の問題 解答
「護摩の灰」とは、当初は「弘法大師が
祈祷した護摩の灰と偽り、薬として売り
歩く者」で、後には「普通の旅人を装って
盗みを働く者」を指します。
今日の問題
沢庵和尚は、臨終に際し、何という一
字を認めたでしょう。
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