壺井榮は、小豆島で生まれ育ち、
東京に移り住んでからも小豆島とともに
人生を送ります。
九歳で子守として働き出し、十四歳に
なると父と共に回船業の重労働に従事
します。
苛酷な仕事のせいでしょうか、肋膜を
煩い、さらに脊椎カリエスに罹ります。
東京に移り、様々な生活実態を知るに
つけても、原点に在り続けたのは、
小豆島の美しい風景と、それとは正反対の
小豆島の厳しい現実でした。
1952年、『二十四の瞳』を発表します。
岬の分教場に着任し、長い間を置いて、
再び岬の分教場に着任する物語です。
わずか一年かそこらのうちに、三人の
死を迎えたわけだった。
父のように大海の泡沫のなかに消えて
姿を見せない死、
おばあさんのように病みほおけて
枯れ木のようになってたおれた生涯、
昨日まで元気だったのが一夜のうちに
夢のように消えてしまった、はかない
八津の死。
そのなかで八津の死はいちばん
みんなを悲しませた。急性腸カタル
だった。家のものにだまって、八津は
青い柿の実をたべたのである。
< 中略 >
戦争はすんでいるけれども、八津は
やっぱり戦争で殺されたのだ。
1967年6月23日 永眠
享年 六十七
前回の問題 解答
曾我兄弟が仇討ちをした日で、必ず
雨が降ると言い伝えられています。
「虎が雨」とも呼ばれます。
今年は、7月2日にあたります。
今日の問題
壺井榮は、『海辺の村』で小豆島を
何の形に喩えているでしょう。
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