平安時代の末期、大輪田泊(現・神戸市兵庫区)は、日宋貿易の拠点港であり、平氏政権の拠点でもありました。
平氏政権は、余勢をかって都を、平安京から、大輪田泊にほど近い福原京(現・神戸市中央区~兵庫区)へ、移転させます。
しかしながら、平氏政権が急速に衰退したため、福原京は半年で頓挫します。
それから約700年後、神戸の港が再び脚光を浴びます。
日米修好通商条約に基づく開港が、要請されたからです。
開港に向けた工事は、従来の兵庫津より東に位置する神戸村(現・神戸市中央区)で始まりました。
それまで半農半漁だった村が、みるみるうちに変貌します。
幅21mのメインストリート
石油灯による街路証明
下水道
・・・
「東洋一美しい」と称えられた国際港の全貌は、神戸市立博物館に陳列してあるジオラマに再現されています。
江戸時時代末期の開港から、150年余を経ました。
神戸港は、六甲山地からの急傾斜が続く水深を活用して、日本を代表する貿易港となっています。
前回の問題 解答
東京駅発敦賀駅行きの北陸新幹線は、50ヘルツ地域➡60ヘルツ地域➡50ヘルツ地域➡60ヘルツ地域と、通過して行きます。
今日の問題
港湾別のコンテナ取扱貨物量(2022年)において、東京港・横浜港に次いで第三位はどこでしょう。
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