〈 有馬温泉のねね橋 〉西摂津紀行 その2

 有馬温泉は、『日本書紀』にも記載されています。
 道後温泉や草津温泉と並ぶ、古い歴史を刻んでいます。

 8世紀には、高僧の行基が温泉寺を建立しています。
 12世紀には、高僧の仁西が湯治客のために12の宿坊を開設しています。
 16世紀には、大火に地震が重なり、衰退します。
 その惨状から復旧を図ったのが、豊臣秀吉です。

 豊臣秀吉は、戦乱が続く中、たびたび湯治に訪れています。
 湯治に同伴するのは、正妻のねね(おね・寧々・北政所)でした。

 有馬温泉の泉質には、炭酸ガス・ミネラル・鉄分・・・がたくさん含まれ、「婦人の湯」と呼ばれてきました。
 有馬温泉にある林渓寺の境内に立つ紅梅は、「はらみの梅」と呼ばれてきました。
 「婦人の湯」に「はらみの梅」が加われば子宝に恵まれると、言い伝えられてきました。
 湯には入っても梅の実が嫌いで食べないねねに、秀吉はどのように話しかけていたのでしょうか。

 有馬温泉を流れ下る六甲川に沿って、親水公園が整備されています。
 その上流側に架かっているのが、紅い欄干のねね橋です。

兵庫県 有馬温泉 ねね橋

 〈 日本唯一の鉄道軌道平面交差 〉西摂津紀行その1

 〈 筑波山と鬼門封じ 〉筑波紀行その九
 

 
 
 

      前回の問題 解答
 次の用例で適しているのは、➁です。
  ➀ 宇宙ロケットを発明する。
  ➁ 宇宙ロケットを開発する。
    
 

 
      今日の問題  
 長い間湯量不足に悩んでいた有馬温泉に、90度以上もの高熱泉(金泉)が出るようになったのは、いつからでしょう。
   A 1547年
   B 1647年
   C 1747年
   D 1847年
   E 1947年
       

 

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