尾崎行雄 『墓標に代えて』

 時は、日清戦争・日露戦争・第一次
世界大戦と、連戦連勝の余韻が強く残っ
ていたころです。
 この期に乗じて皇国の版図を広げよう
という機運が高まっていたころです。
 戦場から遠く離れて、戦争の実態を
知らなかったためかもしれません。


 そのような折、尾崎行雄はヨーロッパ
諸国へ戦争の実態を確かめに出かけます。
 その地で見たのは、凄惨な街や村であり、
疲弊した人々でした。
 もし再び世界大戦が起これば、日本も
同じ惨状に見舞われると、思ったのでし
ょう。
 尾崎行雄は、ヨーロッパから日本へ
帰る船の中で、思いの丈を認めます。
 暗殺される事態も想定し、表題を
『墓標に代えて』として。

 戦争に依って領域を更正するものは、
言い換えれば斬取強盗の仕直しである。

 土地は日光や空気と同じく、いずれの
国家にも専有せしむべきものではない。

 国籍さえ脱して世界の浪人となれば、
良心に背かずして、思う存分に世界
人類のために奉仕する事が出来る。

ozaki-yukio-syouzou

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 尾崎行雄 1954年10月6日 永眠
        享年 九十七

 

      前回の問題 解答
 ラウマ鉄道は、車窓の美しさを、
「ヨーロッパでも最も美しい車窓」と、
形容されています。

 

 

     今日の問題 
 尾崎行雄は、世界連盟に代わって何を
提唱しているでしょう。

 

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