『瀬戸内寂聴の世界』

 瀬戸内寂聴さんは、1922年に生を得ました。
 関東大震災が起きた前の年です。

 1946年(24歳)、北京から徳島へ引き揚げます。

 1950年(28歳)、『青い花』が初掲載されます。

 1973年(51歳)、出家して瀬戸内晴美から瀬戸内寂
聴となります。

 1975年(53歳)、クモ膜下出血に見舞われます。

 1991年(69歳)、湾岸戦争の即時停戦を求め、断食
を敢行します。

 2010年(88歳)、脊椎を圧迫骨折します。

 2014年(92歳)、胆嚢がんを患います。

 瀬戸内寂聴さんが長い人生の中で語った言葉を、
次の書籍から抜粋します。
   『瀬戸内寂聴の世界』阿部孝嗣 編 平凡社

 生まれてから死ぬまで、さまざまな出会いと別れを
重ねて、それに鍛えられて、それに感動して、あるい
は苦しい目にあって、それらがみんな栄養になって死
んでいく。
 こういうのがいちばん望ましい人生じゃないかと思
います。

 私たちは歴史のなかで生かされる、一滴の露のよう
なはかない存在でございます。
 しかし、はかない命を結集して、パワーを結集して
、手をつないでやれば、できないことはありません。

 往生するという言葉があるでしょう。
 往生は死ぬことだと、私たちは思いますね。
 けれども、この字を見てください。
 往きて生まれると書く。
 ですから、ただ死ぬことじゃないんです。
 往きて生まれるとは、あの世に行って、そこで生ま
れ変わるということ。
 つまり永遠の生命を生むということです。

   瀬戸内寂聴 2021年11月9日 永眠
         享年 九十九

瀬戸内寂聴
 
       前回の問題 解答
人間がモノに振り回され支配される現象を、マル
クスは「物象化」と呼びました。
 

  
        今日の問題 
 瀬戸内寂聴さんが詠んだ次の俳句の○○○に入る平
仮名は、何でしょう。
  かきくわりんくりからすうりさが○○○

 
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