女雛  下座から上座へ

 神様は、真南に向かって鎮座します。
 お月様も、お日様も、神様から見て、左(東)から昇り、右(西)に沈みます。
 かくて、「左が上座」で、「右が下座」となりました。
 舞台では、観客席に向かって、左側が上手、右側が下手です。
 「左右(さゆう)」という熟語はあっても、「右左(ゆうさ)」という熟語はありません。
  
 雛祭りは女児の健やかな成長を願うとはいえ、「男性上位」の社会。
 女雛は、向かって左側の下座が定位置でした。
 現在は、向かって右側の上座に坐っています。
 いかなる理由があったのでしょうか?

   
 流し雛にせよ、捨て雛にせよ、内裏雛にせよ、向かって右が男雛、向かって左が女雛でした。それらの男雛は、太刀を差していません。
 江戸時代に入り、武家社会を反映して、太刀を差す男雛が登場します。
 しかし、江戸幕府の権力は弱まるばかり。
 そこに登場したのが、「公武合体」。「公」が上位で、「武」が下位です。
 「武公合体」なら、「武」が上位で、「公」が下位だったでしょう。
 やがて、「武」は崩壊し、「公」の絶対政権が誕生。
 公家風の女雛は、向かって右側の上座に移ります。
 太刀を差した武家風の男雛は、向かって左側の下座に移ります。
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