征東将軍 大伴家持

 708年、埼玉県で銅が産出され、年号
は和銅と改元。
 718年、大伴家持誕生。
 720年、大伴旅人(家持の父)等は、ハ
ヤト(現在の鹿児島県や宮崎県)を平定。
 724年、エミシ(現在の東北地方)平定
の拠点として、多賀城を築造。
 749年、宮城県で金が算出され、年号
は天平勝宝と改元。
 752年、東大寺大仏開眼供養。
 770年ごろ、『万葉集』編纂。

 大伴家持は、ヤマト政権の版図拡大
と、平城京の繁栄を確信し、『万葉集』
最終歌を詠いあげます。
   新しき年の初めの初春の
    今日降る雪のいやしけ吉事

 ヤマト政権の強硬策に反発したエミシ
は、次々と決起し、多賀城を炎上させま
す。
 そこで征東将軍に任命されたのは、65
歳の大伴家持。
 家持は、征東の任務を果たせぬまま、
現地で亡くなります。

 大伴家持 785年八月二十八日(今年の
     カレンダーで10月17日) 永眠
      享年 六十八

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      前回の問題 解答
 戦国時代の武将達は、領国同様に、人
によっては領国以上に、茶器を欲しがっ
ていました。

        今日の問題 
 大伴家持は、下記のどの国司に任命さ
れたでしょう。
 A 伊勢
 B 因幡
 C 越中
 D 相模
 E 薩摩

 

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